第5話『たぶん、私が一番まともです』
「役割分担を、決めましょう」
お給金分は働く——そう宣言した翌朝、私はそれぞれの得意分野を尋ねた。
「わたしは、台所をいただけますか? 三度のご飯と、おやつをぜんぶ。それなら、安心して任せていただけますし」
シルヴィアが、にこにこと手を挙げた。
料理とお菓子。レシピのある仕事。彼女が一番、落ち着いていられる場所。文句なしの適任だ。
「あたしは外! 薪割りも、井戸の手入れも、屋敷の修繕も、なんでもまかせて!」
「いいですね。リリーさんには外まわりと力仕事をお願いします。ただし——」
「ただし?」
「のこぎりを、必ず使ってください。雷を使ってはいけません」
「えー!」
「えー、ではありません」
ネルはというと、両手で湯呑みを抱え込んで、にこりともせずに言った。
「……わたしは、お茶」
「お茶……それは仕事に入りますか?」
「お茶も、お料理のうち。ねっ、シルヴィア?」
「ええ、お茶を上手に淹れてくださる方は、家にとって宝物ですよぉ」
「……ほら」
「ほら、じゃないんです。あなたはせめて、洗濯か掃除を——」
「……お茶のためなら、ちゃんと起きる」
譲歩、なのだろうか。これは。
それは「家事をする」とは言わないと思う、と私は内心でぼやいた。
けれど、ネルが起きていられる時間そのものがこの屋敷では貴重なのも確かだ。
それなら、お茶のために起きてもらう、で当面はよしとしよう。
せめて、私の心労を減らすためにも。
胃がもう痛い。話し合いの段階でもう痛い。
「……わかりました。ネルはお茶係。それと、お茶を淹れる前後の片づけまで。動かないと、お茶もありませんよ」
「……了解」
そして、残りの一切——洗濯、繕いもの、銀器磨き、買い物、家計、そして三人の監督——は、自動的に私のところへ転がり込んできた。
ふと気づけば、私は「管理」と書いて「全部」と読む役職に就いていた。
……まあ、いい。世話を焼くのは、嫌いではない。
家事なら、努力でなんとかなる。理屈と段取りで、誰かの役に立てる。
だから、せめてここで手を動かせるなら、それで十分だ。
◇
その日から、屋敷の家事は妙な秩序を持って回りはじめた。
台所では、シルヴィアが鼻歌まじりにパンを焼く。出来上がる頃には、いつも甘い匂いが廊下まで漂って、それを目当てにネルが台所の隅に出没するようになった。シルヴィアは嬉しそうに味見をさせて、「お味、どうですかぁ?」と聞く。「……おいしい」「ふふ、よかった」。なごやかな光景である。なごやかすぎて、私が監督に行く必要がほとんどないのが少し悔しい。
外では、リリーが薪を割っていた。ちゃんと約束どおりに、のこぎりと斧を使って。
「えらいですね、リリーさん」
「でしょ?」
「ところで……なぜ向こうの森の縁に、木が一本、根元から綺麗に折れているんですか?」
「えーっと……あれは、ちょっと、つまずいただけ……」
「つまずいて折れる木は、聞いたことがありません!」
「もー、いいじゃん別に!」
まあ、屋敷の中で何か壊しているわけではないので、良しとしておく。
お茶担当のネルは、これが意外なほど優秀だった。誰よりも先に湯の頃合いを見極め、葉の量も、蒸らす時間も、ぴたりと外さない。出てくるお茶は香り高く、まろやかで、井戸の甘い水とよく合った。
「……ネル、あなた、お茶のときだけ別人ですね」
「お茶は、こちらが急かさなければ、ちゃんと出てくる。だから好き」
「あなた自身は急かしても出てこないですけどね」
「……それは、わたしが、お茶側だから」
「お茶側、とは」
答えはなかった。ネルはまた眠そうな半目に戻って、湯気を眺めていた。
そして、私はというと。
洗濯物を干しながら、ふと気づいた。
雑に放り込んだだけの古いシーツが、ずいぶん白くなっている。シミひとつ残っていない。
「……井戸の水が、よっぽど合っているのね」
うん、と私は納得した。井戸の水は甘いし、洗濯にもいいのだろう。当然のことだ。
次に、応接間の銀器を磨いた。布で軽くこすっただけなのに、長年くすんでいたはずの銀の燭台が、鏡みたいに輝きはじめた。
「……いい布だわ、これ」
もちろん、ただの布である。家事には道具選びが大事だ。
ついでに台所へ寄って、かまどの隅にこびりついた何年ものとおぼしき油汚れを、ひと拭きしてみた。固く黒ずんでいたはずの汚れが、布の動きに合わせて、するりと剥がれ落ちる。
「……今日の洗剤、よっぽど質がいいのね」
うん。良い道具は、家事の心強い味方だ。
最後に、リリーが破いた前掛けを繕った。針を通して、糸を結んで、それだけのつもりだったのに、縫い目の跡すら見えないほど、布がぴたりと閉じてしまった。
「……我ながら、腕が上がったのかしら?」
うん。これも、家事の修練の成果である。
——私には、これくらいしかできない。
聖具に見放された私が、せめて手を動かして役に立つ。それだけのことだ。
なんだか今日の屋敷は、いつもより光って見えるな、と思ったが、それは大掃除のおかげだろう。
たぶん。
◇
夕方には、屋敷のあらゆる場所が、それぞれの担当者の手によって整っていた。
居間に四人がそろい、ネルの淹れたお茶と、シルヴィアの焼いた菓子で、いつもの報告会がはじまる。
私は、椅子の背に身をあずけて、しみじみと息を吐いた。
「……平和ですね」
「だなー」とリリー。
「ほんとに、ですねぇ」とシルヴィア。
「……ねむ」とネル。
今日もそれぞれ、何かしらやらかしてはいた。シルヴィアは台所の窓辺の枯れ枝を一本、つい復活させたらしい。リリーは森の縁の木を一本、つまずいて折ったらしい。ネルは……まあ、お茶の時間以外は、ほぼ寝ていた。
「みんな、本当に困った人たちですね」
「クロエだって、銀器あんなにぴかぴかにしたじゃん」
「あれは私の腕です」
「腕で銀器、あんなに光らないと思うけどなぁ」
「光ります」
「……光るかなぁ」リリーは首をかしげた。
四人それぞれの規格外を、それぞれの場所に配置すれば、ちゃんと屋敷は回る。回ってしまう。あれだけ騒がしくて、あれだけ手のかかる三人なのに、こうして夕方になれば、なんとなく丸く収まっている。
不思議だ。そして、嬉しい。
胃の痛みは、今日もそれなりにあった。でも、それは——なんというか、心地のいい痛みだった。世話を焼く相手がいる、ということの、温かい証拠みたいな。
ふと、私は思った。
たぶん、私が、この中で一番まともだ。三人の規格外をまとめる、ごく普通の常識人。
それが、私の居場所。それで、十分。
……うん。これでいい。
そう、自分に言い聞かせて、お茶をひと口含んだ、その瞬間だった。
——コン、コン。
扉を叩く音がした。
四人で、ぴたりと動きを止めた。
屋敷の扉を、人が叩く。それは、私たちがここに着任して以来、はじめてのことだった。
「……お客様、ですか?」シルヴィアが目をぱちぱちさせる。
「こんな辺境に?」リリーが首をひねる。
「……お屋敷の子じゃ、ないね」ネルが、天井のほうを見上げて言う。
ということは、生身の人間、ということだ。
まさか、屋敷の主だろうか。けれど、主がわざわざ自分の屋敷の扉を叩くというのもおかしい。
私は立ち上がり、ろうそくを片手に、玄関へ向かった。三人もぞろぞろとついてくる。胃がきりっと痛んだ。さっきまでの心地よい痛みではなく、今度は、なんだか不穏な痛みだった。
扉を開ける。
夕暮れの光の中に、見知らぬ人が立っていた。
無骨な、年配の男の人。畑仕事の格好で、両手で帽子を握りしめている。村のほうから来たのだろう、と、ひと目でわかった。
その人は、私たちの顔を順に見て、ためらいがちに口を開いた。
「……あんたら、新しいメイドさん、かい」
「はい、そうですが——」
なにかご用ですか、と続けようとして私は言葉を呑んだ。
男の人の顔は、ひどく強張っていたから。




