239話 重なる想いと歳月 2
今回は少し長めです。
「で、リアムは悩んでるってわけなんだね」
ゆったりとソファーに腰かけてそう言うのはこの部屋の主ではない。
元王宮魔導師のオリヴィエは携帯食を口にしつつ、冒険者ギルド長室で寛いでいた。
リアムの話を聞いたセドリックは腕を組み、考えていたが名案が浮かぶこともなく、ただオリヴィエに呆れた視線を向けるだけだ。
「断ればよかったんじゃないの?」
「……そうはいかないだろう」
なにも魔獣であるクロの圧にリアムは負けて、恵真の頼みを引き受けたわけではないのだ。
恵真は訪れる客のために、なにか返したいという気持ちを無駄にはしたくない。そんな想いからリアムはより良い形で、周年イベントという聞き慣れない物事を上手く行う方法を考えているのだ。
ただ街の者の意見として、まずこの二人を選んでしまったことは大きな間違いであったと、この状況を前に思っていた。
「でもさ、街の人っていうのは食事をなんのために食べるわけ?」
「栄養をとる必要からだが……だが、それだけではないな」
オリヴィエの言葉にそれまで考え事をしていたセドリックが口を開く。
「食事が懐かしい思い出に繋がることもある。空腹以外にも食事をする楽しみがあるんだ。確かに必要な栄養をとるためだけなら、携帯食で事足りるだろう。だが、そうではない――それをオリヴィエもわかってきているんじゃないか?」
喫茶エニシに足を運ぶようになって、オリヴィエの食は少しずつだが変わった。
携帯食を齧るだけだった彼が、スープくらいは飲むようになっているのだ。
「――そうだね」
小さくそう口にしたオリヴィエ、柚子のハチミツ漬けやパンが入ったしみしみのスープ。いつのまにか、栄養をとるためだけではない食事をオリヴィエはしている。
それは喫茶エニシとそこで知り合った人々のおかげであろう。
「だが、開店のイベントをトーノ様ご自身で行うのもおかしな話じゃないか?」
「どういう意味だ?」
それまで会話に加わらなかったセドリックに二人の視線が集まる。
「開店を祝うというなら、そこで努力してきたトーノ様を祝うべきなんじゃないか?」
「……おい、セドリック!」
突然、低い声でリアムに名を呼ばれ、セドリックがびくりと肩を揺らす。
そんなセドリックを呆れた目で見るオリヴィエだが、先程の会話になにかおかしなことがあっただろうかと小首を傾げた。
「それだ! 本来はアッシャーやテオ、トーノ様のために開店祝いをするべきなんだ。どうにもしっくりこなかった理由がそれだ……」
「な、なるほど! 確かにそうだな」
てっきり叱られるとばかり思っていたセドリックは安堵した表情を浮かべる。
しかし、オリヴィエはまだ納得できないようだ。
「でもさ、自分のために祝ったら? って聞いて彼女が動くと思う?」
「それは――そうだな……そういう御方だ。では、こういうのはどうだろう。トーノ様がこれからのトーノ様のために料理を作るんだ。それを訪れた客に食べてもらうのはどうだろう」
恵真の言っていた周年記念のイベントとは少し異なるのだが、そのほうがマルティアの人々にもわかりやすい。そのうえ、通常の喫茶エニシの営業に記念になる食事を添える形なので、恵真達の負担も少ないはずだ。
なにより、恵真は自分自身のためではなく訪れた人々のために、祝いたいと考えているのだから。
「なかなかいい案じゃないか? なぁ、オリヴィエ」
「そうだね。ただ、あの子の言ってる祝い方とは違うかもしれないし、相談する必要はあるんじゃない?」
オリヴィエの言葉を聞いたリアムはすっと立ち上がるとそのまま、席を離れてドアへと向かう。
「お、おい。もう行くのか? 少し休憩してからでも――」
「いや、トーノ様のご意見を伺いたいからな」
そう言ってリアムは足早に冒険者ギルド長室を後にする。
携帯食を齧るオリヴィエと、椅子に座って書類と格闘中であったセドリックだけが部屋に残された。
「――オリヴィエもそろそろ帰ってもいいんだぞ」
「ボクだって暇なわけじゃあないよ。だけどさ、友人が大変なときに放っておけるほど情がないわけじゃあないよ」
ソファーでゆったりと寛ぐオリヴィエの言葉にセドリックは表情を明るくする。
この書類を本日中に仕上げなければ、シャロンの怒りを買うのはわかっているのだ。リアムを頼る気であったのだが、タイミングを失ったセドリックは期待に満ちた眼差しでオリヴィエを見る。
「友人が努力する姿をここで眺めてエールを送るよ」
長年の友人の素っ気ない言葉に、セドリックは頭を抱えるのだった。
*****
「私のための料理か……。そんなこと、今まで考えたことがなかったな」
夕食を終えた恵真は祖母の瑠璃子とお茶を楽しんでいたのだが、そのとき話題に上がったのが今日、リアムから言われた提案だ。
開店を祝うイベントというのは、恵真としても気恥ずかしい思いがあった。
そのため、リアムの提案はありがたく受け取ったのだが、問題はどんな料理がよいかということである。
「今までいろんな料理を作ってきたじゃない? それをワンプレートの定食にするのはどうかしら?」
バゲットサンド、じゃがいものガレットやフライドポテト、夏野菜のピクルス。その時々の旬や街の事情を反映させて、恵真が作ってきた数々の料理を一つのプレートにまとめるのは華やかである。
「凄くいいアイディアだけど、それだと私のための料理じゃなくってお客さんのためになる、のかな。これからの私のための料理……なんて難問なんだろ」
瑠璃子の案で作れば多くの人が喜んでくれるはずだ。
しかし、リアムはこれからの恵真に贈る料理はどうかと言っていたのだ。
「それにしても恵真ちゃん自身に贈る料理ね。なかなか洒落たことを考えたものだわ。記念なんだもの。頑張ってきた自分を祝う気持ちも大事よねぇ」
恵真も自分自身のことでなければ、そう思っただろう。
名案だが、恵真にとってはかなり難問だ。今、自分が作りたい料理や食べてほしい料理はたくさん思いつく。
けれど、これからの自分に向けた料理はなかなかに難しい。
「これからの自分かー……」
ぱたんと突っ伏すように頬と両腕をテーブルに付けたまま、悩み出す恵真に瑠璃子はくすくすと笑う。難しい宿題を出された子どものような姿の恵真だが、本人は真剣に悩んでいるのだ。
そんな恵真に瑠璃子は助け舟を出す。
「ほら、これからっていっても色々あるじゃない。お店のことだけじゃないわ。恵真ちゃんがどうなりたいとかも入るんじゃない?」
「私がどうなりたいか――か」
小さく呟いた恵真の声はまだ答えに迷っているものだ。
「恵真ちゃんは変わったわよ。良いほうにね。子どもの頃から人に譲ってばかりだったもの。もう、私なんかは見ててはがゆくって……。でも、お店を始めたい。料理を皆に食べて喜んでほしい。これは間違いなく恵真ちゃんのしたいこと。それを口に出して、行動できるようになったんだからね」
そう言って笑う瑠璃子はまるで自分のことかのように嬉しそうに笑う。
つられるように口元を緩ませた恵真だが、同時に自分のこれからのイメージがほんの少しクリアになる。
「私は、私はおばあちゃんやアメリアさんみたいになりたいのかも」
「へ?」
突然、孫娘に自分のようになりたいと言われた瑠璃子が抱いたのは、喜びより驚きだ。そんなことを言われるとは全く思っていなかったのだから当然のことである。
だが、驚く瑠璃子をよそに恵真はすっきりとした表情を浮かべる。
「そっか……それを形にすればいいんだよね。次はそれに合う料理! うん、なんだかやる気になってきたかも。ありがとう! おばあちゃん」
自分のようになりたいと言われた後は、その礼を言われる。
まったく状況がわからないのだが、やる気を取り戻した孫娘の姿に困ったように、だが嬉しそうに瑠璃子は笑うのだった。
*****
開店後の喫茶エニシにはなぜかアッシャーとテオの姿がある。
スカーフもエプロンも取った二人はなぜかそわそわとしながら、席についている。
そんな二人の前にはリアムとバートも座っていた。
「なんか懐かしいっすねぇ。試食会」
今日は恵真が周年記念の祝いに作る料理の試食会なのだ。
喫茶エニシの試食と聞いて四人が思い出したのが、バゲットサンドの試食である。
あれはまだ、喫茶エニシの開店当初の頃。なかなか訪れない客に、試食というマルティアにはない試みでその味を知ってもらったのだ。
「試食きっかけで喫茶エニシを知ってもらえたから、アッシャー君とテオ君のおかげだね」
料理の支度をしつつ、恵真からかけられた声にアッシャーとテオはくすぐったそうに笑う。そんな兄弟の日々も恵真と出会ったことで大きく変化した。
二人だけではない。母のハンナも病状が改善し、兄弟と共に日々を穏やかに過ごしているのだ。
「でも、リアムさんが難しいこと言うからトーノ様も大変だったんじゃないっすか?」
「――喫茶エニシの祝いなら、トーノ様のための祝いであるべきだろう」
「んじゃあ、オレらが別に祝えばいいじゃ……」
言いかけたバートの袖をリアムがぐいと引っ張る。
バートが抗議しようとするより早く、リアムが低い声で注意する。
「それはそれで動いている。余計なことを言うんじゃない」
「なら早く言ってくださいよ!」
アメリアやリリアなど料理ができる者を中心に、そんな話が出ているのだ。
恵真の都合もあり、まだ具体的には勧められず、まだ案が出ているという段階でバートには話していない。
アッシャーとテオはきょとんとした表情、恵真はこちらの話題より支度に集中しているようだ。
「できましたよ!」
「うわぁ! すっごく綺麗だね」
そう言って恵真が運んできた料理に歓声が上がる。
恵真が用意したのはミルフィーユ、苺を乗せた今回のミルフィーユはナポレオンパイとも呼ばれるものだ。
つやつやとした苺は恵真の庭で育てられたものだ。
丁寧に切り分けたミルフィーユを恵真は皿にとサーブする。
「どうぞ、お召し上がりください。率直な感想を聞かせてくださいね」
わくわくしながらフォークで切って口に運んだアッシャーとテオの表情、はふにゃっと柔らかいものに変わる。
「すっごく美味しい! 苺もクリームも全部美味しいね!」
「うん。バターの風味もして生地もサクッとしてる」
向かいに座っているバートもうんうんと頷きながら、ミルフィーユを口に運ぶ。
「さっくりとした生地にバターの風味がしっかりとあって、生クリームの豊かな味わいと苺の爽やかで瑞々しさが組み合わさって最高っすね! そこに紅茶を合わせるともう完璧っす!」
アッシャーとテオ、そしてバートの絶賛に恵真も安堵の笑みを溢す。
苺のミルフィーユを味わうリアムの口元も笑みが浮かぶ。
どうやら、恵真の作った苺のミルフィーユは皆に喜ばれる一品となっているようだ。
「――大変美味しいです。トーノ様はなぜ、こちらの菓子を選ばれたのですか」
紺碧の瞳が恵真を見つめる。
リアムの問いかけに恵真の背筋が伸びる。
これからの自分への料理、そう言われて恵真にはなりたい自分像が見えたのだ。
「このお菓子はミルフィーユ、1000枚の葉という意味なんです」
パイ生地を作るのには何回も生地を重ね、折り畳み、伸ばす。
この作業を繰り返すことでさくっとした食感の生地になるのだ。
「祖母やアメリアさんのように、自分をしっかり持って凛とした女性になりたい――そうなれたらと思っているんです。これからの私にそう期待しています。あ、もちろん料理を食べて皆さんに喜んでほしいっていうのはずっと思ってますよ!」
恵真の言葉を聞いたリアムは笑みを浮かべる。
これからの未来、アッシャーとテオにはそれぞれに夢があるだろう。
しかし、大人になれば具体的な形を描くのは難しい。
けれど恵真は、自分の在り方をはっきりと心に描いているのだ。
「よかったっす……! つまりはこれからもトーノ様の料理を食べられるってことっすね! いや、本当によかったっす!」
些か私欲に感じられるバートの言葉だが、恵真の料理を楽しみにする感情が滲み出ている。本心から恵真の料理を喜ぶ大人であるバートに、アッシャーとテオはクスクスと笑う。
だが、喫茶エニシと恵真の料理を楽しみにする想いはここにいる皆が同じであろう。
みゃうとクロが鳴く。
この小さな魔獣と裏庭へと続くドアが恵真に新たな日々をもたらした。
訪れたアッシャーとテオの申し出を恵真が受け入れたことで、リアムとバートとも出会えたのだ。
想いと共に歳月を重ね、人は成長していく。
その成長は最期の日まで続くのだ。
この街には今、話題の店がある。
店には小さな黒い魔獣がいる。店主と同じく美しい黒い毛並みの魔獣は緑の瞳を持っている。
色違いのスカーフを持った少年二人が笑顔で出迎えるこの店は喫茶エニシ。
今までこの街になかったその料理は多くの人を魅了する。
元王宮魔導師や薬師ギルドの中央支部長も熱心に通うという評判なのだ。
店主は美しい黒髪黒目を持つという噂がある。
真偽不明なものもあるが共通して語られているのは、店主が異国の高貴な方ではないかということ。高名な魔術師ではないか、知識の豊富さからエルフ族ではとその評判はひそやかに広がっている。
けれど、その噂から興味を持った者は店に辿り着くことが出来ないという。
そこがまた店と店主への神秘さを引き立てた。
だが、必要とする者にはそのドアはいつでも開かれている。
その証拠にマルティアには彼女を慕う者が多くいる。
彼女の作る料理は人々の心と食文化に大きな影響を与えているのだ。
喫茶エニシはマルティアの人々、そして恵真自身の日々も変えた。
彼女、遠野恵真の家には異世界へ続くドアがある。
今日もまた喫茶エニシのキッチンに黒髪黒目の店主は立ち、料理の腕を振るうことだろう。
これからも、恵真とマルティアの人々の縁は続く。
『裏庭のドア、異世界に繋がる』お楽しみいただけていますでしょうか。
今後は不定期更新になります。
どうぞよろしくお願いいたします。




