238話 ホロッホの卵、クラッタの卵 3
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
『ジュリとエレナの森の相談所』のコミカライズがスタートしました!
桜内美優先生が描いてくださっております。
どうぞよろしくお願いいたします。
「あら、恵真ちゃん。なにか考え事ね?」
夕食中、ふとぼんやりと今日のことを考えていた恵真だが、そんな様子も祖母の瑠璃子にはすぐ気付かれる。
幼い頃から自分を知っている祖母には敵わないと思いつつ、恵真はクラッタの卵の問題を打ち明けることにする。
同時に、祖母に相談したいと思ったのが、こちらの世界の食材をあちらに持ち込む案だ。
しかし、恵真の話を聞いた瑠璃子の表情は渋い。
「うーん、そうね。率直に言うと反対だわ」
「……やっぱりそうだよね」
食材をこちらからマルティアに持ち込むことは簡単だ。
しかし、それが与える影響は恵真にも瑠璃子にも予測がつかない。
薬草であるバジルは、既に向こうの世界にも存在し、そのうえで食材というよりはその薬効を重視して、使用している。
一方、卵はマルティアにクラッタの卵、そして念願叶ってホロッホの卵も普及し始めているのだ。
「向こうの世界には向こうの世界の在り方があるんだもんね」
「恵真ちゃんもそれを凄く意識してきたんでしょう? それじゃあ、大事にしなきゃ」
瑠璃子の言うとおり、恵真は料理を通し、食文化や人々の生活に影響を与えてきた。しかし、そこには恵真だけではなく、マルティアの人々の力もある。
今、ルイスがせっかくホロッホの家畜化に成功し、食文化を変えようとしているのに、恵真が安易に鶏卵を普及させては身もふたもない話だ。
恵真とマルティアの人々との交流は良好である。
けれど、バランスを崩せば、あちらの世界にも悪い意味で多大な影響を与えかねないのだ。
「黒髪黒目でも、私は特別な力があるわけじゃないし……向こうの世界でなにかあっても責任も取れないんだよね」
自分の無力さを感じたのだろう。恵真が弱音を吐くが、瑠璃子はくすりと笑う。
「本当、恵真ちゃんは真面目ね。でも、誠実だとも言えるわ。私も恵真ちゃんの意見に賛同するわ。食材は持ち込まない方向でいいと思うの」
「でも、せっかく卵が普及しそうなのに残念だよね」
「マルティアのことはマルティアの人が決める――そう思って見まもりましょう」
優しい眼差しで恵真を見つめる瑠璃子だが、彼女の意見は変わらない。
もどかしく思う恵真はその言葉に、目を伏せる。
瑠璃子の言うことはもっともなのだ。だが、今日のバートと同じように心が納得できない。
解決策は必ず、なにかあるはずだ。なにより、教会の行動も長くは続かないだろう。
「あ! そうだ。おばあちゃんにはまだ話してなかったよね。携帯食がサイモンさんとステファン君の努力で広がっていきそうなの」
「あら! 凄いじゃない」
もやもやとした気持ちを振り払うかのように恵真が話しだしたのは、薬師ギルドで開発が成功した新たな携帯食の話だ。
新たな携帯食は、恵真の薬草や食べ合わせるという発想に基づき、サイモンやステファンが開発したものである。
長い間、喫茶エニシに足を運ばずにいたサイモンの努力がついに実ろうとしている。そう、笑顔で瑠璃子に伝える恵真は、ルイスの努力の成果であるホロッホの卵も皆の元へと広がってほしいと願うのであった。
*****
スライスした人参のオレンジ色は春らしく爽やかだ。
恵真が今日、店頭販売用に用意したバゲットサンドは、キャロットラペを入れたバゲットサンドである。
冒険者ギルド用、そして喫茶エニシ店頭販売用と恵真はまずバゲットサンドを作る。
昨日は色々と悩んだ恵真だが、こうして料理をすることで気持ちも自然と落ち着いてくるから不思議だ。
「あ! アッシャー君、テオ君?」
カチャリと喫茶エニシのドアが開き、恵真は顔を上げる。
しかし、恵真の目に飛び込んできたのは紺碧の髪と瞳を持つ青年、そうリアムだ。
「まだ開店前でしたね。申し訳ありません」
「いえ! 大丈夫ですよ。そちらにお座りください」
そう言って微笑む恵真だが、彼女の表情をリアムはじっと見つめる。
顔になにかついているかと不安になる恵真に、リアムは困ったような気遣うような眼差しを向けた。
「ど、どうかしましたか?」
顔を確かめたい思いに駆られながらも恵真が問うと、リアムが口を開く。
「表情が優れないようにお見受けしたので――」
どうやらリアムにも気付かれていたのだと恵真は慌てて、取り繕おうと言葉を探す。だが、それより先にリアムが問う。
「話は変わるのですが、トーノ様はお決めになられましたでしょうか」
「へ? な、何をでしょう?」
突然のリアムからの問いかけに、恵真は目を瞬かせる。
形の良い指をぴっと立て、リアムが微笑む。
「ルイスからの手紙に書いてあったことです。礼をしたいとルイスは申しておりますが――」
「そうでしたね……。それなんですが、このあいだもそうだったんですが、私には今一つ良い案が思い浮かばなくって」
そう、恵真はルイスからの手紙を冒険者ギルドを通じ、渡されている。
恵真には礼を貰う気などないため、すっかりそのことを忘れていたのだ。
急なリアムの問いかけに、答えを用意していなかった恵真は、慌てて何が良いのかと考えはじめる。
だが、リアムはそんな恵真の態度にも動じることはない。
おそらく、恵真の答えは先日と変わらぬものだと想定していたのだ。
「――トーノ様。これは私の考えなのですが、お礼というのは様々な形がございます。トーノ様ご自身ではなく、喫茶エニシ。あるいはマルティアのギルドに必要なものとしてお考えになってはいかがでしょう」
「喫茶エニシや、ギルドに必要なものですか?」
「はい。今、起こっている問題を解決するにはルイスの力を借りるのが最適かと」
しばらく黙り込んだ恵真だが、リアムの提案の意図に気付いたのだろう。ぱっと表情を明るくする。
自分への礼が、マルティアのギルドや店へといくのであれば、恵真の精神的負担も少ない。そして、それが今の恵真の悩みを解決するにはもってこいなのだ。
意味ありげに微笑むリアムに恵真は満面の笑みを浮かべる。
「そっか……! そうすれば、今の問題も改善できるかもしれませんね! 凄くいい案ですね。ありがとうございます。リアムさん!」
「いえ、ルイスもそう願っているでしょうから」
「にゃう!」
恵真とリアム、二人だけで話が通じているのが気に入らないのだろう。
足元に来たクロが不服そうに抗議の鳴き声を上げる。
しゃがみ込んだ恵真はクロに優しく声をかけた。
「始まりはクロのおかげだよ」
「みゃ? みゃうにゃ!」
称賛の言葉に胸を張ったクロは誇らしげにしっぽを揺らす。
こちらへ近付いてくる元気な足音はアッシャーとテオだろう。
恵真とリアムは再び視線を交わすと、どちらともなく微笑むのだった。
*****
商業者ギルドの前には何重にも人垣ができ、朝からザワザワと騒がしい。
しかし、それも当然のことだ。
商業者ギルドの扉には大きな文字で書かれた張り紙がある。
そこには《ホロッホの卵、本日入荷!》と大々的に伝えられているのだ。
「おいおい、どういうことだよ! クラッタじゃねぇぞ、ホロッホだぞ!」
「それもここ最近、よく出てるよな……」
集まった商人達が不思議がるのも当然である。
クラッタの卵は価格が下がり、教会の買い占めこそあるが、以前に比べて手頃な存在だ。
しかし、ホロッホは家畜化でやっと貴族を中心に入手できるようになったばかりなのだ。そのホロッホが、マルティアの商業ギルドでは何度も扱われている。
皆、その理由に思い当たるところはない。
ただただ、商業ギルドに貼られるこの紙を見て、皆で驚く日々であった。
そんなマルティアの商業者ギルド長、レジーナはめずらしく機嫌が良い。
氷の女王との異名を持つ彼女だが、表情に出すのが苦手なだけで感情の起伏は当然あるのだ。
上機嫌な娘のレジーナを前に、前ギルド長で父であるジョージもにんまりと笑う。商業者ギルド長室で父娘が話すのはホロッホの卵の話題だ。
「まだまだ高価なホロッホの卵だが、そいつをどうしても欲しいっていう客がいるからなぁ」
にやにやと笑うジョージだが、レジーナもそれを嗜めることはない。
彼女にとってもその相手は思うことのある対象なのだ。
「クラッタと違い、ホロッホの卵は値が張るからな。教会はどちらも手に入れる気らしいが……さて、いつまで続くもんかね」
「そうね。最近、クラッタの卵は入荷が増えているし、長くは持たないはずよ」
庶民にクラッタの卵が行き渡ることは教会のプライドを傷つけ、買い占めにいたったのだろうが、ホロッホの卵の登場で風向きはすっかり変わった。
今日も商業者ギルドに訪れる商人の話題はホロッホの卵で持ちきりである。
家畜化によって普及し始めたホロッホの卵だが、その多くは貴族の元へと行ってしまう。それが街の商業者ギルドで扱われるのだから、無理もない。
「まぁ、そのうち教会の関心はホロッホの卵だけになるだろ。家畜化に成功したっって言っても高価だからな」
「そのあいだにしっかりと儲けさせてもらうわ。……商売っ気のない彼女に商売で負けている気がするけれどね」
レジーナの言葉にジョージはカラカラと笑う。
ホロッホの卵の入荷、そこには喫茶エニシの店主である恵真が深く関わっているのだ。
何かしらの形で礼をと求めるルイスに、恵真が提案したのはホロッホの卵を定期的にマルティアの商業ギルドに卸すことである。
貴族も競って入手したがるホロッホの卵、それをマルティアの商業ギルドへと卸すのは特別な対応といえるだろう。
ルイスは快諾したが、同時に彼としてはもう少し強い要求でもと感じる提案であった。恵真の要求はホロッホの卵の譲渡ではなく、あくまで商売としての範囲での優先権であったからだ。
教会が値が張るホロッホの卵を入手すれば、クラッタの卵を購入する資金に影響が出てくる。そのうち、クラッタの卵の買い占めを諦めざるを得ない状況になることだろう。
クラッタの卵の買い占めが終われば、余裕がある商家などが卵を購入し、料理人達がその腕を振るうはずだ。
そして、次は一般の人々にも伝わっていく。
こうしてまた、新たな食文化は根付いていくことだろう。
春風が吹く中、アッシャーとテオが看板を店頭に置き、喫茶エニシは開店する。
黒髪黒目の店主、トーノ・エマは今日もまた、ここで皆が訪れるのを待つのだ。
料理や食事は記憶と結びついていて、ふとしたときに思い出して懐かしくなりますね。
新生活、どうぞご無理なさらず。
ときには美味しい食事で気分転換なさってください。




