3 迷宮に行こう
「ミーシャ、迷宮ダンジョン潜りに行くぞ」
「はい?」
例の事件から一週間、ご主人様は比較的大人しく生活を続けているようで何処か安心しました。とは言え、酒場の冒険者を口説き倒すなど。
平和な日常と仕事周りも落ち着いた最中。ソファーにもたれた体制で放つ言葉。
「あの、失礼を承知で伺います。正気ですか?」
「無礼な、俺の本業は迷宮者だぞ。迷宮者が仕事をしようってんだよ」
「……」
何言ってんだ、この主人様。
迷宮探索は【迷宮者】の基本。異世界にありがちな冒険者は、この世界に置いて【探究者】と同義と言える。世界樹を拠点として大都市へと発展してきた王都には日々、数千にも渡る冒険者が命を投げ打って挑戦する。しかし、その九割以上の人間は一週間ともたない。理由は単純明快、迷宮に潜る事はいわば自身の身を生贄にする行為。飛び降り自殺と何ら変わりないのだ。
複雑に入り組んだ地下構造、その隅々に張り巡る罠の数々……そして魔物モンスターの存在。
「働こうとする意志は従者として感服します。しかし、せめて事前に修練場で一二週間の訓練を組み、技量を取り戻してから……」
「んだよ、俺の腕が鈍ってるってのか!?」
荒々しく立ち上がり、不快な感情を露わにする。仕える者として無礼なのは承知だ。しかし。
「ご主人様、貴方は"半年以上"迷宮に潜っていませんよね」
この主人様は怠惰に暮らし過ぎている。
城下町には様々な商店が立ち並ぶ。迷宮に潜る冒険者や観光目的に立ち寄る旅人は商人によって格好の獲物、商売相手だ。外来人用に設けられる大通りは明るい内は人が途絶えることがない。街人の姿は少ないのはここに売られる物価が高い為ここに暮らす人間は人混みに飛び込むような事はしない。
酔狂なら話は別だが。
「キャァー、カイさんよぉー!!」
「えっ、カイって【宝剣英雄】のあのカイ・イトウか!?」
「マジかよ、マジかよぉ〜! たまに出没するって聞いてたけど本当なのか!!」
ウチのご主人様は酔狂だが。
ご主人様は自分の影響力はなんのその。その也を隠そうともせず大通りに飛び出しました。
大概、主人様が徘徊するルートは迷宮探索を主に活動する冒険者達の酒場だ。今回のように人が行き交う道で正体が知れると歩みを進める事すらままならない。今回のように。
「ご主人様、聞きましたよね。《幻覚魔法》はお使いのなったのですか、と」
「まあたまにはいいだろうこういうの。人との触れ合いは心を癒すぜ?」
その人の中には熱烈かつ血眼でこちらに向かう者達までいるんですが、それは。
サービス精神旺盛と言えば聞こえがいい。しかし、この方は根っからの演出者だなと感心する所もある。
しかし、私は人が非常に苦手だ。人混みに飛び込む行為はごめんだ。今私の表情は眉間は寄せられ、睨んだモノになっているはず。不快感と緊張でまともに会話すら困難。ふと、私の方を向いた。
「……ああ、悪い」
何がとは言わない。だが察したように彼は手のひらを握った。瞬間、動揺で心臓が跳ねる。
駆ける脚で人の波をかき分けた。人々は英雄に握手やサインを要求するがすべてを無視し、大通りを抜けていく。細道に入り込むと同時に身を隠し、完全に周囲の人々の視界から消え失せる。ご主人様にとって王都は庭のようなもの、これくらいは容易いのだろう。
人の声が徐々に静まっていく中、身体中の体温が上がり汗が噴き出していた事実を知る。熱が冷めきらない、本当に人の溜まる所は苦手だ。
「ミーシャ、お前が人嫌いな事をすっかり忘れてた」
「……いえ、そんな」
焦る気持ちを隠すよう、前髪を掻きあげる。火照った頬はおそらく目視出来るだろう、恥ずかしさと焦りが心を埋め尽くし、どうしようもなくなる。
ふと、主人様が吹き出したように笑う。
「お前っていつもは冷静なのに他人の前だとそれだよな。本当にわらけてくるぜ」
「そんな、事は」
「我慢すんな。わざわざギルド飛び出した訳も言わなかった俺にも非はある」
確かにそうだ。迷宮の際扱う装備品はギルドに備えつけてある武器屋や道具屋で調達できるようになっている。多少、他店よりも値が張るがそんなものご主人様にとって微々たる通貨だろう。
「はやい話、俺の装備取りに行くんだよ」
「はい?」
言葉の意味が理解できない。
「どういう事でしょうか?」
「やっぱ半年近く放置したからもうないかもな。第一、俺自身もよくシステム知らんし」
「何をおっしゃてるんですか」
「最後の迷宮潜った後な、質屋に入れたんだよ。武器と防具」
冒険者、いや一個人として行動の意図が読めない。いや、思考と感情が追いついてこない。
このご主人様は何を言ってるんだろう。
「城下町の大通りに換金所あるだろ? 最後の迷宮探索の後、ちょうど有り金が足らなくて金に換えて貰ったんだよ。その後迷宮行くことなかったし、まあいいかってな。ハハハハッ」
「……ご主人様」
「んっ、なんだミーシャ……」
とても穏やかだ。しかし冷静になったわけじゃない。たった一つの感情に、怒りに身を任せている。
「今すぐに取り戻してきてください。もしも装備を回収できなかった場合。最悪の事態も覚えておいてください」
「……最悪、とは?」
「現在の保有する資産全てをギルドに寄付します。あれだけ迷宮に潜る事の出来ない迷宮者はただの遊び人」
「ちょ、ちょっとミーシャさん?」
「私はご主人様に尽くす身として主人の行動に対する指図、命令に対する拒否権はございません。しかし、ギルドの方々はどう感じるでしょう?」
衣服から取り出すのは銀行の証明書。魔法陣が刻まれたこれにはご主人様の持つ途方もない資産の引換書の役割を果たす。心優しいご主人様は通貨の管理を私めにすべて任せているため、行動次第では全財産を私欲に使う事が出来る。奴隷としてやってはいけない愚行。
しかし私には背後には数々の友人(ギルドの方達)がいる。英雄一人くらいを一時的に拘束する事は何ら問題ないのだ。
そう、全財産を指定の口座に移し替えるのは容易。
「……全身全霊を尽くし、取り返してきます」
青ざめるご主人様の面持ちを拝見し、にっこりと頬が緩んだ。
換金所の存在自体、何ら不思議な事ではない。世の中にはどのような手段を使っても人から毟ろうとする人種はいるものだ。
迷宮探索を行う単独冒険者の大半、およそ九割は成果を得る事が出来ない。簡潔に述べれば十人に九人が動力と通貨かねを無駄にすると言い替えても差し支えない。理由は単純、計画性のないバカが多いからだ。
【探索者達】と呼ばれる迷宮攻略を主とする先鋭団体。【英雄名】を持つ迷宮者を団長とし、王都を拠点とする幾つかのそれは王都にとっての誇り、迷宮を志す者の憧れだ。
そんな探索者達に在籍せず、掻き集めた仲間達で悠々自適に攻略する者たちを人々は【冒険者達】と呼ぶ。お宝探し気分で訪れる”お仲間集団”。そんな蔑称が込められているのだ。
換金所は見事、夢打ち砕かられた冒険者達を商売とする買取所。自身の持つ武器、防具、アイテムの類を一時的に預け商人がそれに見合った通貨を渡す。指定された期間内に返却できない場合、その品は換金所の物となる。
いわば昔の日本で言う所の質屋に近い。金に困った者達が自分の装備を引き換えに借金をするのだ。預けた代物のほとんどは商店の物になると同義。彼らは弱った弱者を貪るハイエナと大差変わりはない。
指定された期間内、半年以上たった今。ご主人様の装備が残されている確率はどれくらいでしょうか?
「カイ様の代物は現在はございません、はい」
ゼロです。
換金所は豪勢な装飾の施された数階建ての石造り。外観と比例するように店の前には数々の夢朽ち果てた冒険者たちが立ち並ぶ。内装も期待通りでちょっとした貴族さえも持て成せるだろう。儲かっている証拠である。
「んな馬鹿な!? 俺は確かに物を預けて通貨で返しに来るって言ったろ!?」
「ですが……記録によりますと期限は一か月とされておりますので、はい」
「一年の間違いだろ、なぁ!?」
英雄が店で揉めている。人々の視線が釘付けとなる状況。私は緊張と吐き気を堪えつつ額に手を添えた。
換金所のシステム上、お客はお金に変えて貰っていると言う認識が強い。自分の生命線である装備を売ってまで今を繋ごうとする者たちに世間の風当たりは厳しい。ここも然り。
「じゃあ俺の装備はどこ行ったんだよ!? どこに流れたくらいわかんだろ!?」
「ですから、半年前の事なので……」
対応する小心そうな男性も動揺している。そりゃそうだ英雄の一人が鬼の形相で迫ってくれば命の危険さえ覚える。私だってこの状況に心臓が飛び出しそう。
「申し訳ありません、【宝剣英雄】の英雄名を持つカイ・イトウ様」
「あっ、店長!!」
泣きかけの受付の背後から現れた男性。ふくよかな見た目と体格の頭が寂しい叔父様である。しかし見た目は貴族のそれと変わりない。換金所ここはそれ程儲けていると言うわけだ。
「部下の無礼な対応にお詫びします。半年以上の期間が空きますとこちらも対応しかねます。どうかお引取りを」
「わかったよ、でも俺の装備が何処に行ったかくらい調べたらわかんだろ!?」
「はて、何処に売却しましたか……記憶にありませんね」
獣人には人間以上の動体視力が備わっている。故に【迷宮者】の戦士人口は多く、私もその類に漏れない。鋭敏な感性と魔物を物ともしない力量を持つのは獣人の特権と言うべきか。
要は注意力と観察眼を鍛えれば、人の嘘など容易に見抜けると言うことだ。
「ぐえっ」
「うちの主人がご迷惑をお掛けしました。貴方様の商店を妨害する様な行為。心からお詫びします」
「おい、ミーシャ。離せ……!!」
ご主人様の首元を引っ張り、無理やり引き寄せる。乱暴だが暴走した彼を止める方法はこれしかない。許してくださいね?
「いえ、わかって頂ければ良いのですよ。こちらも誠心誠意業務を行っていますので、ね」
にこり、と満面の笑みを浮かべる。その瞳は据わり、彼自身の感情を映し出すようだ。やかましい客だ、と。
……穏便に済ませかったのですか、仕方ありませんね。
「失礼ですが一言、宜しいでしょうか」
「何か?」
「この商店の急激な成長、その手腕は本当に見事な手腕、素直に感服致します。ですが一つ噂が耳に入りました。何でも"良からぬ商事"を行なっていると」
瞬間、取り繕う表情が崩れる。第三者には一瞬の出来事だろうが、獣人の動体視力を舐めて貰っては困ります。
王都に立ち並ぶ商店の全ては王都の管理の元、取引や売買を許されている。しかし彼が経営する換金所の資金源は果たしてどこから生まれるのか?
単純明快、【裏の者】に流しているのだ。
無知で純粋無垢な冒険者達から巧みに買い取った装備や魔法具、迷宮の報酬の数々。それらを王都の管理外の【裏の者】に高価で取引、売買を行っている。
噂はギルドの片隅で流れ、その事をエルシー様も怪訝な表情で話されていた。しかしは証拠はなにもない。あくまで”風の噂”だ。
「何処でそれを……!!」
「あくまで噂です。気を悪くなさらないで下さい」
しかし、と私は含みを持たせた笑みで続ける。
「我が主人の”上の者”との繋がりをお忘れなきよう、お願いしますね」
その言葉でふっくらとした赤い頬から、血の気が引いていく。
これはつまり、『ご主人様の機嫌をそこねた場合、この店潰しますよ?』と言う警告、脅しである。第三者からは意味が伝わらないだろうが、効果は絶大のようです。
「カイ様。お手数ですが、場所を変えて頂いて……」
「もちろんです、行きましょうかご主人様」
店長は滴る汗を拭おうともせず、私達を店内の奥側へと案内する。
重要なお話の結果、換金所と深い繋がりのある街外れの武器屋が買い取り、大層厳重に管理されていたので”話し合い”での結果。無償で返却して頂きました。
ご主人様に「怒ったらエグイよな、お前」と軽く引かれました。従者として当然の事をしたまでですが?
これでようやく、準備が整いましたね。
気がついたら一週間経ってました