人面犬の巻
―とある繁華街―
夜だというのに辺りは明るく月明かりは霞んでしまっている。
時折吹くビル風は俺の身体を芯まで冷やしていく。
「うぅ寒っ…」
ブルッと震えて電柱に放尿していると千鳥足の男の姿が前方に見えた。
歳は30代前半ぐらいだろうか?
平日の夜だがトレーナーにジーパンという風貌からはサラリーマンという印象は受けない。
しばらく男を観察していると男はシャッターの降りたパチンコ店の前に倒れてしまった。
関わるべきではないのだろうがなんだが心配だ。
仕方ない、ちょっと声をかけてやろう。
「おい、随分酔ってるみてぇだが大丈夫か?」
俺の声に反応した男は目を擦ってこちらを向いた。
「んぁ……ワンちゃん?おじさん?」
わざわざ心配してやってるのにニヤニヤとしている男に少し腹が立ったが我慢してやろう。
「ワンちゃんってのはやめろ、俺は人面犬だ」
犬の身体をしてはいるが「ワンちゃん」という呼び方をされるのはどうにも気に入らないのだ。
「ああ、そっかそっかすんません」
相変わらずふざけた様子で男はポケットに手を入れてごそごそとしだした。
「僕こういうもんです」
男はポケットから手を出すと名刺を差し出してきた。
『フリーライター 百目鬼 龍太郎』
名前も職業も胡散臭いやつだ。
「悪いんだが名刺なんか渡されても困る…」
俺は基本的に裸で持っておく場所はないし、この前足じゃ名刺を掴めない。
困っているのにお構い無しで百目鬼は名刺を俺の頭に乗せて喋りだした。
「まあまあ受け取ってくださいよ!僕ね、人外の記事を専門に書いてるんすよ!」
胡散臭い上にめんどくさそうだ。
早々に立ち去ることにしよう。
俺が百目鬼から離れようとすると後足を掴まれた。
「待ってくださいよ~!5分だけ!いややっぱり10分ぐらい取材させてください!今月ピンチなんすよ!」
ピンチのくせに飲み歩いていたのかと呆れたが、足を掴まれてしまっては動けない。
観念して取材とやらを受けてやろう。
俺が百目鬼の方へ向き直ると百目鬼はニヒヒと嫌な笑みを浮かべていた。
「人面犬さんってけっこうレアな方ですよね?」
「ひとのことをレアとか言うのは失礼だと思わないのか?」
「あはは、確かに!すみません!」
百目鬼の取材はいつもこうなのだろうか?
気に障るが解放されるためだ。
答えてやろう。
「別にレアでもなんでもねぇよ…目立たないようにしてるだけだ」
「ほほう…そりゃまたどうして?」
「昔からそうしてるからだよ」
「昔から…人面犬さんが目撃され始めたのって割りと最近じゃないですっけ?」
とぼけたやつだが一応専門というだけあってそれくらいは知っているようだ。
「一応人っぽい顔の犬がいたって話はありますけどそれは顔だけですし……人面犬さんではないですよね?」
「俺をその辺の犬っころと一緒にすんな!」
「件って妖怪を知ってるか?」
「件…ああ、牛に人の顔がついたあれですか!」
件とは牛の身体で人の顔をした妖怪で、人々に重大な事を予言する。
「知っているようだな……あれは俺の先祖だ」
百目鬼はそれを聞いてポカーンとした顔をした。
「な、な、な、そんなバカな!」
「バカじゃねぇよマジだ」
「でもそんな……牛から犬になるなんて……」
「時代が変わったんだよ」
ここまで話すとこっちも語りたくなってきた。
こいつに乗せられるのは釈だが。
「俺達は元から人間を陰から支える存在だ…何のためにと聞かれても産まれた時からそうだからとしか言えねぇけどよ……」
俺が語りだすとさっきまでふざけていた百目鬼も正座で耳を傾けていた。
「昔は町中で牛がいてもそれほど目立たなかったからやっていけた…でも今は牛じゃ無理だろ?だから俺達は犬に姿を変えたんだ」
「そんなに簡単に姿を変えられるものなんですか?」
「へ、何言ってやがんだよ!人を化かすのは妖怪の専売特許だろうが!」
そう姿を変えることなど俺達には容易いことなのだ。
だが本質は変えられない。
今でもこうやって日陰でばかり暮らしている。
「隠れて暮らして寂しかったりしないんですか?」
百目鬼のその言葉がなぜだか胸に刺さった。
寂しい?
俺達は先祖代々こうやって暮らしてきたんだ。
寂しいなんてことあるはずない。
「名前は無いんですか?」
「名前…?」
「ほら、太郎とか次郎とかそういう……」
俺達人面犬に名前はない。
必要だと思ったこともない。
「じゃあ、チャッピーでどうです?うんチャッピー!いい名前です!」
「な、おい変な名前つけるなよ!」
「いいじゃないですかチャッピーさん!」
百目鬼はケタケタと親しみを込めて笑っていた。
「今日の取材はこの辺で!僕、よくこの辺で飲むんでまた取材させてくださいよ!」
完全に百目鬼のペースに飲まれてしまったがなぜだか悪い気はしない。
「勝手にしろ!」
「あ、都市伝説だと捨て台詞は『勝手だろ』なのに今間違えました!?」
「ちっ、勝手だろ!」
まったく最後まで調子の狂うやつだ。
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『人類史の陰の立役者~時代と共に変わるもの~』
1990年代。
巷にいくつもの都市伝説が流れた時代だ。
今回私が遭遇したのはその中の一つに当たるものだった。
その日私は繁華街の飲み屋でビールや焼酎をたっぷりと飲んだ帰りだった。
私が酔いから町中で倒れると私を気遣う声が近づいて来た。
だが辺りに人の姿はない。
声の主を探していると私の目に一匹の犬が入ってきた。
なんとそれは人面犬であった。
決して酔っぱらって夢を見たわけではない。
人面犬は私の意識がはっきりしているのを確認するとその場を離れようとしたが、取材の交渉を粘ると渋々応じてくれたのだ。
彼の印象としてはぶっきらぼうなおじさんといったところだ。
都市伝説に出てくる人外は人外との交流が盛んになった今でも目撃情報が少なく、存在そのものが疑問視されている。
その事について聞いてみると、彼等は意図的に姿を隠しているのだと言う。
彼の話によると昔は牛の姿で件と呼ばれていたが現代社会に馴染むために犬の姿に変わったそうだ。
わざわざ今でも姿を隠して暮らす理由を尋ねると彼自身理由は分からないそうだ。
姿を変えられることも、その存在意義さえ彼等は与えられたことをこなしているだけだという。
超自然的なものが相手とはいえ私はそのあり方に疑問が湧いたがこれは人間の介入すべきものではないのかもしれない。
いつか全ての種族が共に暮らせることを私は祈る。
文:百目鬼 龍太郎
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「な~にが『人間が介入すべきものではない』だよ!勝手に名前付けやがって!」
「まあまあ、いいじゃないですかチャッピーさん」
いつもの店で飲んだ帰りに僕はまたチャッピーさんに出くわした。
「けっ、俺達がどう生きようが勝手だろ!」
「あはは、チャッピーさんのお陰でまた飲む金が出来ましたよ!人外さんごちそうさん!」