Ⅰ 5-6
此れで取り敢えず打ち止めです。
ふみこばあちゃんの人物紹介がそこそこ出来る迄やれたのは良かったかなぁと。
T.M's.Revolutioこと南方貴教が更に売れ、超一流芸能人、超一流アーティストととなるいくらか手前の段階でおばあちゃんことふみこは在り様を変える。従来の二つの拠点は維持しながらも市内を彷徨する時間を減らし、“より多くのファンの方に会う”という固い決意の下、ばあちゃんは自宅を開放――事前にアポを取って頂く完全予約制を採用したのである。「おばあちゃんはとても素敵な方で、ご自慢のお孫さんなのでしょう。貴教さんの子供の頃の話を中心にとても詳しく丁寧に色々な事を語って頂け感動ものでした」といったがふみこばあちゃんに対する訪問客の談話というか評価といったもので頗る評判は良かった。ただ、「おばあ様の家の中は至る所に何枚も貴教氏のポスターが大大的に貼られてのですが、貴重な非売品のものもあれば、“公式”でないものも至る所で多々見受けられました」というコメントが少なからずあったのを貴教はどう感じたのであろうか? 「そういう人だからなぁ…」と苦虫を嚙み潰したような顔をするのだろうか?
ちなみに貴教は売れ始めた頃、ほぼ初めて受けたメジャーな媒体で既にばあちゃんを話題にはしている。“にはしている”というのは、じいちゃんに対しては「自分の人生に最も大きな影響を与えた人物」と大々的取り上げ、感動的なエピソードを幾つも披露したのに対してばあちゃん(ふみこ)について触れたのは紙面に於いてたったの数行、而も子供の頃自分の皿から分かり易くおやつをちょろまかしておいて、「そんなん、ばあちゃん知らんで。見たことも聞いたこともないで」と頑なに言い張っていたというものだったので、其処のところは未だに根に持っている節がある。
但し、其れ以外は孫を溺愛し、誇りに想い、貴教の名声は自分の名声である(まるでミ○ト区女子が自分と会食したことがある、或いは下手をすると直接会ったことがあるというだけで、相手のスペックを自分のものだと錯覚している…、とは流石に違うか。あまりにも違い過ぎるか)と考えていそうな愛すべきおばあちゃん――それこそがふみこである。
十重二十重という感じで骨格に肉付けする感じで小説を書いているのですが、ここから先は本当に骨格しかないので、ほぼ毎日上げるというのは、多分何ヶ月か先になると想います。
1-5はまだ続きます。
ここからばあちゃんと孫がどう動くかというと…。
お楽しみにお待ち下さい。




