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六次の隔たりのむこうに  作者: しんちゃん
6/7

バディ

   *


「『六次の隔たり』……。社会的ネットワーク理論、だっけな」

 玲緒奈は渋谷駅前にある複合施設でひとり、ファッションフロアをうろついていた。今日唯一あった講義が休講になったので大学には行かず、さりとて家にいる気分でもなかったのだ。

「よく分からん偶然だなあ」

 社会学かなにかの講義で半年前くらいに聞いた単語と同じものを、昨夜、バイト先である店の酔客から聞かされたのだ。

「なにか重大な示唆だったりして。……なわけないか」

 玲緒奈はそうひとりごちて、昨夜の記憶を辿る。あの女性、沙侑里は自分のことを『つまんないヤツ』と言った。玲緒奈にも、その気持ちは痛いほど分かる。

 自分なりの言葉、感性、オリジナリティを確立できていないことへの、強烈な焦り。何者かになりたいという渇望。大学に入ってブリーチした髪は、そのコンプレックスへのささやかな抵抗だ。

 玲緒奈はゆっくりと歩きながら、ぼんやりと考える。

 バイト仲間だったら、店の前にへたり込む沙侑里を、助けていただろうか。水を渡し、肩を貸して駅まで送っていっただろうか。

「どうだろうなぁ……」

 バイト仲間である男子たちの顔と性格を思い浮かべながら、力なく笑う。

 玲緒奈は周囲から『面倒見が良い』と評されている。困っている人を前にすると捨て置くことができず、時には自己を犠牲にして助けになろうとする。

 なぜ、そんなことを? と問われても、困ってしまう。

「たぶんそれが……、生存戦略、だから?」

 でも、本当にそうなのだろうか。

「嫌われたくない……。いや、それだけじゃない」

 自分の深い部分に、誰かに必要とされたいという欲求が根ざしている。きっとその上に、「お人好し」と言われる性格が形作られたのだ。

 どうして、なのか。

 おそらくその理由に……、玲緒奈自身はうっすらと勘付いている。


 母は、明るい人だった。

『ごめんね、玲緒奈。……ごめん』

 その母が、まだ幼い玲緒奈を抱きしめて、何度も謝った。記憶のなかの彼女は、さめざめと泣いていた。

 けれども母の感情は、本当のところ自分には向けられていない。母は、彼女自身の分かってもらいたいという願望に、文字通り飲み込まれていただけだ。

 玲緒奈はその小さな頭と身体で、直感的にそれを理解していた。

『ごめんね。大切な人ができたの。その人といるときだけ、私は私でいられるの』

 父と自分を残して、母は家を出ていった。

 そのまま彼女は、二度と帰らなかった。

家族に愛情を向けなかった母を見て、幼い玲緒奈は戸惑った。

 母にとって、自分は大切な人では、なかったのだ。

 父は自分を愛してくれたが、その愛情はいつでも哀しさに裏打ちされていた。

 父の寂しい笑顔を見ながら育ち、いつしか玲緒奈はこう思うようになった。

自分は自分の感情を、自分に向けることはしない。母のように、なりたくない。

自己陶酔の世界には、決して足を踏み入れない。自分勝手な願望に溺れて誰かに憐れまれるくらいなら、死んだほうがマシだ。

自分の感情、そして愛情は、自分ではない誰かに向けられるもの。向けるべきもの。

大事なのは決して利己ではなく、利他なのだ。そうすれば、大切な誰かを傷つけることもない。幼かった玲緒奈は自覚なきまま、柔らかい心の奥底にその密やかな誓いを刻印した。


 玲緒奈は滞留する思考を振り払った。

 フロアを進み、お目当てのセレクトショップに足を踏み入れる。店頭には、もう夏物が並び始めていた。

「お、これ良さそう」

 目に止まった半袖シャツを手に取り広げてみる。フォルムと質感は好みだが、色合いとボタンなどの細かいデザインは、今ひとつピンとこない。

 新作をひとしきり眺め、何着目かのシャツに手を伸ばしたとき、不意に背後から声をかけられた。

「それ……、絶対似合うと思うな」

 驚いて振り返ると、ひとりの女性がじっとこちらを見ていた。

 明るいブラウンのショートヘア、夏を先取りしたようなノースリーブの青いワンピースを着ている。

「……そう、スか?」

 玲緒奈が戸惑っていると、女性は我に返ったように笑った。

「あ。いきなり話しかけてごめんなさい。いや、絶対いいと思ったんだよね。ちょっと、あててみていい?」

 女性はおもむろにシャツを広げてその両肩の部分を持つと、立ち尽くす玲緒奈の上半身にそれをあてがった。

「店員さん……? じゃないですよね」

「ん? ちがうよ? ……ほら! いい! めっちゃ似合ってる!」

 彼女が歓喜の声を上げる。そばにある鏡に目をやると、まるで彼氏が彼女に服を選んでもらっているかのような光景が映っている。

「いや……、あの」

「絶対そうだと思ったんだよね。肌と髪の色、髪型。あと雰囲気も? スリムだけど肩幅広いから、シルエットもバッチリ。ボトムスの自由度も高そう」

 そこまで言われると、似合っているような気もしてくる。玲緒奈は礼を言って、女性からシャツを受け取った。

「えっと……」

「あ、勝手にあれこれ、ごめんなさい。私、デザイナーなんです。仕事でメンズ服やってるから、ついつい、そういう目で見ちゃって」

 玲緒奈は感慨深げに頷いた。

「……面白いですね」

「そう? いや、本当はウィメンズやキッズ服やりたいんだけど、アパレル所属のデザイナーだから担当とか決まってて。まぁでも、視野広げるための勉強かなー、って」

「すごい。専門職ですね」

 すると女性が、くすっと笑った。^

「仕事なんて、みんな専門職なんじゃないの?」

「そう……、なんスかね?」

「キミの仕事は?」

「大学生です。居酒屋で厨房のバイトやってます」

「へえ! いろいろ作れるの?」

「はぁ、まぁ、そこそこ」

「すご! 私から見たら専門職だわ。料理ぜんぜんダメだから」

「……ども」

「キミ、なんか面白いな! よし、じゃあ一緒に服選ぼっか? いい?」

 断れるような雰囲気ではないし、面白そうだから悪くない、と玲緒奈は思った。

「じゃあ、このシャツに合うボトムスも」

「よしきた! そーだねぇ……、まずはあのへんかな」

 当たり前のように服を選んでもらいながら、おかしさがこみ上げてくる。自分たちふたりが実は出会ったばかりの他人同士だなんて、いったい誰が思うだろうか。

「あの、訊いてもいいスか?」

「なに? いいよ」

 ボトムスを物色しながら、彼女は頷いた。

「デザイナーって、どんな仕事なんですか?」

「ん? んー、そうだなぁ。その名の通り、服、デザインしまくるの」

「しまくる?」

「シーズンごとに新商品出さないといけないからさ。締め切り前は基本毎日終電だよ。会社に泊まることもザラだし」

「結構、過酷なんですね」

「まぁ体力には自信あるほうだし」

 彼女はそう言って笑ったが、細身の身体は体力自慢には見えない。

「修行って思ってるよ。……私、いずれは自分のブランド立ち上げたいんだ」

 彼女は服を選びながらも、その目はどこか遠くを見ているようだ。その横顔を見て、玲緒奈の背筋が伸びた。

「まずはネット販売から初めてさ、いつかは店舗、持ってみたい」

「……めちゃくちゃ、カッコいいですね」

 率直な感想を言葉にしたら、彼女が弾かれたように笑い出した。

「やめてよ! 夢語ってるだけなのに、そんなこと言うの」

「自分の夢がなんなのかすら分からないオレからしたら、じゅうぶんカッコいいです。……どうして、デザイナーになろうと思ったんですか?」

 ストレートにそう訊かれて、彼女は面食らった。

「え? うーん。そうだなぁ。なんていうか、都会的なものに、憧れがあったのかな」

 玲緒奈は頷いて、続きを待った。

「大阪の片田舎で育ったからかな。オフィスビル煌めく東京で働いて、お洒落なお店に関わる仕事をしたい、って、形から入ったのかも。……まぁでも、昔から服好きだったし、今じゃ仕事の内容そのものが面白くてしょうがないんだけど」

「……すげぇ」

 素直に感嘆の声を漏らす玲緒奈に、彼女が照れくさそうに笑った。

「キミ……、なんか、いいヤツだね」

「そんなことないですよ」

 彼女は服から目を離して、興味深そうに玲緒奈の顔をのぞき込んだ。

「感受性高いね、って言われない?」

「お人好し、なら言われます」

「あ、分かる! お人好しオーラだ!」

 コロコロと変わる彼女の表情を面白く見ていると、答えに困る質問が飛んできた。

「ねぇ、お人好しってさ、疲れない?」

「……たまに疲れますかね。でも、『お人好しだから』疲れるのかは、分かんないです。全然別の理由かも」

「真面目だなぁ」

 そう言われて、玲緒奈の顔が少し曇る。それを察知して、彼女が慌てて口を開いた。

「……あ、もしかしてそう言われるの、嫌だった? ごめんなさい」

 図星だった。それを見抜いた彼女の洞察力に驚きながらも、くどくど説明するのは気が進まなかった。真面目の反対側へ意識を振ろうとして、玲緒奈の口から咄嗟に出てきたのは、こんな言葉だった。

「いきなりですけど……、『六次の隔たり』って、知ってますか? 小さな銀色の箱を使った実験に、いきなり巻き込まれた、って話なんですけど」

 その瞬間、これまで一貫して明るかった彼女の顔から、完全に笑みが消えた。

「……嘘……、でしょ……」

 尋常ではない彼女の反応に、玲緒奈は思わず身構えた。

「……え?」

「ちょっと待って。キミ、誰からその話を聞いたの?」

「……バイト先の居酒屋の、お客さんです、けど」

 彼女は持っていた服を戻すと、その手を胸の前で握りしめた。

「信じられない。……本当に、繋がった」

 彼女の言葉に、玲緒奈は耳を疑った。

「え? 今、なんて言いました?」

 玲緒奈の声は震えていた。

 彼女は肩に斜めがけにした小さな革のバッグから、なにかを取り出した。

銀色、金属製だろうか。継ぎ目はない。一辺十センチほどの正立方体だ。箱の上部には、四桁の数字カウンターがある。暗証番号でロックが解除できる仕組みなのか?

「まさか……。嘘でしょ?」

 先ほどの彼女と似たような言葉を漏らし、玲緒奈は呆然とその箱を見つめた。

 彼女が顔を上げて、決然と言った。

「ねぇ、ちょっと場所、変えようか」


レストランフロアに移動し、空いているカフェに入ると、ふたりはテーブルを挟んで向き合った。

「まだ、ちゃんと名乗ってなかったね。私、()木島(きしま)(ゆう)()といいます」

 珈琲を一口飲んで、玲緒奈も名乗った。

「お姉さ……、三木島さんは、どこでその箱を手に入れたんスか?」

「優凪でいいよ。えっとね、温泉行ったとき」

「温泉? どういうこと?」

 語尾を上げ気味に訊いてしまい、優凪がくすりと笑った。

「私ね、趣味が卓球なの。……あぁ、順序が違うか。仕事に疲れ果てた時とか、日常を断ち切って、温泉宿にこもるのが好きなんだ。でね、温泉宿って卓球台あるじゃん? そこで全く知らない人と卓球するのが趣味なの」

「それはなんていうか……、面白すぎますね」

「そ? でね、こないだ挑んだおじいさんが、滅茶苦茶強くて! 全く歯が立たなかったんだけど……。その人からもらったんだ」

 聞けばそれは、姿勢がよく声の張りもある、力強い老齢の男性だそうだ。

「なんで、また……」

「『爺の楽しみに付き合ってくれたお礼』って言ってたから、同じ趣味なんじゃない?」

「かなりニッチに思えますけどね……」

「ねぇ玲緒奈くん。解錠番号って、聞いてる?」

「え? この箱の? いえ、知らないです」

「箱をもらったときにね、教えてもらったの。でもそれはこの箱じゃなくて、もうひとつの箱を開ける番号らしくて」

 玲緒奈は息を飲んだ。

「もし、ふたつの箱の持ち主が出会えたら、両方の箱が開くってことか」

 優凪もゆっくりと頷く。

「……なんか、すごいね」

「なにが入ってるんだろう」

 玲緒奈は銀色の箱を手に取って振ってみたが、音はしない。

「まさか、空っぽってことはないよな」

「玲緒奈くん、バイト先のお客さんから箱の話聞いた、って言ったよね。そのお客

さんは、誰から聞いたのか知ってる?」

「えっと……、なんだったかな。花屋の店員さん? って言ってたかな」

「辿れそう?」

 玲緒奈は面食らった。

 そうか、優凪は辿る気でいるのだ。もうひとつの箱の持ち主まで。

「沙侑里さん……、またお店に来るって言ってたから、そこで訊けると思います」

「よし!」

 優凪が両手をパンと合わせた。

「連絡先、交換しよ。ここからはバディだよ、私たち」

何者かになりたくて、なれない自分に突然訪れた、非日常の予感。

 玲緒奈の背中が、ぶるりと震えた。


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