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この手をつかみたくて3  作者: えみっち
21/28

21

「どうもご迷惑おかけしました。もう大丈夫です」


風邪から復活した美鈴は上司である佐藤に頭を下げた。佐藤は打ち合わせで外出だったのだが美鈴の様子を見るためにわざわざ戻ってきてくれたのだ。


「元気そうで良かったわ。榊さんなんてインフルエンザだったらしいわよ。

だけど店長も鬼よね、鬼。人数増やすようにずっと言っているのに改善してくれなくて私達に倒れるなって言ってるようなもんよ」


佐藤は文句を言いながら書類の確認をしてカバンに詰め込む。


「病み上がりで悪いんだけど後はお願いね。3時までには帰って来ると思うんだけど何かあったら連絡して」


佐藤はカバンを持つと時計を見た。


「行ってらっしゃい」


片手を上げると足早に去って行く佐藤はカッコよかった。

佐藤と入れ替わりに高坂がやって来る。


「おはようございます」

「おはよう。もう体調は大丈夫?」

「はい。ご心配おかけしました」


高坂は笑って首を振った。


「でもよかったわ。陸くんが来てくれたって言ってたから安心してたんだけどね。

男の子なのに気がきくわよね。料理も出来るし」

「そうなんだよね。美味しいおじやを作ってくれた。

料理レベルは陸の方が絶対に高いと思う」


高坂は笑ってしまった。


「あら、頼もしくていいじゃない。

そういえば、クリスマスに打ち上げやろうと思ってるんだけどみっちゃんは欠席かしら?」


意味ありげに高坂は尋ねる。


「24日は夜理ちゃんと陸のお店に行く予定になっているんだけど、それ以外なら大丈夫。打ち上げは25日なの?」

「そうよ。じゃあよかったわ…って、そういえば佐藤ちゃん来てたわよね」


高坂はフロアをキョロキョロする。


「高坂さんが来るちょっと前に出ちゃいましたよ」

「本当? もうっ!冷たいんだからっ!」


高坂はプリプリしながら時計を見た。


「あらら、まずい! じゃあ、みっちゃんまたね」

「行ってらっしゃい!」


高坂は手を振って行ってしまった。

美鈴は高坂を見送るとパソコンを立ち上げた。


「私も頑張りますか」




クリスマスイブ。


河納俊は、砂波裕助の玄関に日本酒の瓶を二本置くと急いで自宅へ戻った。自宅に戻るとちょうどインターフォンが鳴り夜理が迎えに来た。今日は夜理と一緒に海人の店に行く日である。


「ちょっと中で待っててくれないかな。今すぐに用意するから」


玄関で俊の慌てた様子を見ながら夜理は中に上がる。


「大丈夫だけど…どうして俊さん?」


夜理の独り言のような問いかけも聞こえなかったのか、洗面所に着替えを持って飛び込んだがすぐに出てきた。リビングの机の上にのっていた紙袋を取ると夜理に渡した。


「これプレゼント」


俊の笑顔に夜理は頬を染める。


「あ…ありがとうございます」

「じゃあ、ちょっと待ってて。10分以内に用意する」

「え!10分?」


夜理が驚いている間にも俊はさっさと洗面所に行ってしまった。俊を見送った夜理は紙袋に目を移す。


「嬉しい…」


つい呟いてしまった。

宣言通り10分もかからないうちにワンピース姿の美鈴が出てきた時にはさすがに夜理も驚いてしまった。おまけに薄っすら化粧もしていた。


「可愛いワンピースだね。すごく似合っている」

「本当?ありがとう。実は高坂さんに今日着ていけと貰ったんだ」

「さすが高坂さんだなぁ。美鈴さんが似合う服ちゃんと分かってるんだもんね」

「そういう夜理ちゃんのショートパンツ姿は素敵。足長いし真っ直ぐだからカッコいい!色も白いし羨ましいなぁ」


夜理は顔を赤くする。


「もう!それより美鈴さん用意は大丈夫?」


美鈴は机の上に置いてあったネックレスを付けると髪を触る。


「まあ、大丈夫かな?」

「なんか、俊さんのまんまのようだね」

「女子力が足りてないんだよね。今日は特にかな?」


夜理は笑うと美鈴の腕に手を回す。美鈴は鞄にコートを持つと2人で部屋を後にした。


外には兼松が車で待ていた。2人が乗り込むと車を出す。

美鈴は兼松に申し訳なさそうに声をかけた。


「兼松さんが迎えに来てくださるとは知りませんでした。お待たせしてすみません。それから先日はどうもお世話になりました」


運転席で兼松は小さく笑っているように見えた。


「いいえ」

「何かあったの?」


夜理は不思議そうに尋ねる。


「いやいや、ちょっとね」


誤魔化そうとしている美鈴に兼松は助け舟を出してくれた。


「今日は海人さんの方から頼まれていたんです。お2人を無事に店までお連れするようにと」

「そうなんですか」

「海人さんは8時頃にはお店に来るって言ってたから、もう着いてるね」


夜理の言葉に美鈴は頷いた。


「今日はクリスマスイブだから混んでいそうだね。きっとカウンターとピアノの周りは女性が一杯なんじゃないかな。と言うか、今日は女性限定になっている気がする」

「そうかもね」


夜理はクスクスと笑う。


「美鈴さん、やっぱり俊さんが抜けてないよ」

「仕事でバタバタしていたからテンションが高いままなんだよな。

明日も仕事あるし飲むのも控えないとマズイかな?寝坊したら大変だし」

「え?明日仕事なの?」

「繁忙期と言うやつです。これが終わらないと年は迎えられません」

「そっか。年末年始の売り出しや春物の準備もあるのかな?そういえば、高坂さんは元気?」

「元気だよ。夜理ちゃんにも会いたがっていた。宣伝のモデルもお願いしたいって言ってたから話があるかもしれないよ」

「ほんとう?そしたら嬉しいなぁ!色々なことをやってみたいし」

「そうだね。色々チャレンジしてみなよ。応援するから」


夜理は横に座っている美鈴を見ると笑った。


「ありがとう美鈴さん。

美鈴さんと会ってから私色々なことが出来るようになったし、いろんな人と会う機会が増えて自分の輪が広がったんだ。自分にも少し自信が持てたと思う。それは、そうやっていつも美鈴さんが応援してくれるからだと思うんだ」

「違うな。それは夜理ちゃんが自分で頑張っているからだよ。私は何もしてませんて。応援はしてるけど」


笑って答える美鈴に夜理も笑った


車が店に着いたのは8時半も過ぎた頃であった。車を降りた2人は兼松にお礼を言うと店の中へと入って行った。店の中は案の定カップルや女性客で賑わっている。すぐに店員が2人に気がついて声を掛けてきたが夜理と二言三言話すと奥にある2階に続く階段へと案内してくれた。階段を上りながら夜理が説明してくれた。


「混んでいたら2階のVIPルームへ行くように言われてたの」

「そんな場所があったんだ。私も一緒で大丈夫かな?あ…でも、1人で下は寂しいな」


夜理は可笑しそうに笑う。


「美鈴さん、本当に今日はおかしいよ。

外見はとっても女の子らしくて可愛いのに。何か発言がおかしいんだよな」

「じゃあ今日はあまり喋らないでおこう」


美鈴が何を言っても可笑しいらしく夜理はまだ笑っていた。

2階には部屋が2部屋あり手前の部屋に案内された。8畳くらいの広さでカウンターもある。中には海人と見知らぬ男性がいた。海人は2人の方を見るといつもの笑顔を見せた。


「どうぞ、いらっしゃい」


座っていたカウンターの椅子から立ち上がると迎えてくれた。男性は頭を下げると部屋から出て行く。


「今晩は、海人さん」


夜理は笑顔で話しかける。いつも見ている表情とはやはり違う。

海人も笑顔で返す。美鈴も少し遅れてから挨拶をすると海人がまた違った表情で美鈴を見た。


「陸が落ち着きなく待っていたよ。そろそろ休憩に入る頃だと思うから月島に連絡をいれよう」


そう言うとカウンターの上にあった電話をとり二言三言喋ると切った。


「海人さんの演奏は9時から?」


夜理は壁にかかった時計を見ながら尋ねる。


「そのくらいかな。特には決めてはいないんだけどね」

「そうか。でも、ここにいると演奏が聞けないのが残念」


夜理の言葉に海人はカウンターに置いてあったリモコンのボタンを押すと壁に付いていたスピーカーから店内のざわめきが聞こえてきた。


「一応これで聞こえるとは思うが、残念ながら見てもらうことは出来ないな」


仕方なさそうだが夜理は頷いた。美鈴は、2人の会話と雰囲気を見ながら自分がここにいて良いものか悩み出した頃にちょうど月島が上がってきた。


「おやおや、キレイなお嬢さん達に囲まれて羨ましいですね」


月島は2人に挨拶をすると海人に言う。海人は顔を少し動かしただけだった。


「下の方はどうだ?」

「ええ、満席ですよ。あなた待ちと言った感じでしょうか」


海人は時計を見る。


「ぼちぼちか」

「そうですね。お願いします」


月島は2人の方を見た。


「お2人には何かつまむものと飲み物でも持ってきましょう。何がいいかな?」


美鈴と夜理は顔を見合わせた。


「もう少ししたら陸が休憩で来るんですよね。そうしたら、その時陸に頼みます。ありがとうございます」


月島も頷く。


「得意のカクテルでも作ってもらうといいかもしれないね」


海人も小さく笑って頷いた。


「それじゃあ行ってくるかな。2人はごゆっくりどうぞ」


海人と月島は部屋を出て行った。

残された美鈴と夜理は顔を見合わせ、何か笑ってしまう。


「こんな所に通されると緊張しちゃうな」


美鈴の言葉に夜理は頷いた。


「たぶん銃撃事件があったから気を使ってくれたみたいなの。これからも絶対ないとは言い切れないし」


夜理の表情が陰る。

そんな夜理の肩を美鈴はそっと抱く。夜理はそんな美鈴に小さく笑った。

スピーカーから女性達のざわめきが大きくなり拍手も聞こえる。


「あ、海人さんが登場したみたい」


夜理は美鈴に寄りかかりながら言う。

その時ドアが開き陸が入ってきた。2人の様子を見て入り口で足を止める。


「お邪魔だった?」

「うーん、ちょっと?」


美鈴の言葉に夜理は笑って美鈴から離れる。


「陸くんお疲れ様です。今、美鈴さん俊さんモード全開なんだよ」

「何、それ?」


陸は微妙な顔で美鈴を見る。

しかし、美鈴の服装を見てすぐいつもの陸に戻った。


「すげぇな、高坂さん」


陸の言葉に美鈴は驚いて着ているワンピースを見た。


「もしかして高坂さんが選んだって分かったの?」

「え?ああ、そうなんだろう。美鈴そういう服似合うのに着ないから」

「あーーそうかな? それはどうもありがとう。そして高坂さんにもありがとうだね」


美鈴の言葉に夜理は笑う。


「素直にありがとうだけでいいのに」

「何?もう酒でも入ってるの?」


陸は眉間にシワを寄せた。


「いや、入ってないし」


夜理は美鈴に抱きつくと嬉しそうに陸を見た。


「今日の美鈴さんは手強いよ、陸くん」


陸は2人を見てからため息つくとカウンターに寄りかかった。


「なんか2人ともテンション高いんじゃないの」


いつのまにかスピーカーからのざわめきは消えてピアノの演奏が聴こえる。


「あ…私この曲好き」


夜理も椅子に座ると目を閉じた。静かな曲が流れる。


「家で弾いてるの見たことないけどいつ練習してるんだろ」

「陸がいない時なんじゃない?陸は夜になるといなくなるんでしょ」


美鈴が笑っていうと陸は口を尖らせた。


「昔はだよ。今はそんなフラつかないよ。まあ、店休みだとバイクに乗ったりはしてるけどさ」

「そうか。でも自分の時間は大切だよね。バイク乗ったりピアノ弾いたりって…」

「大丈夫かよ?なんか今度は寝ちまいそうだな」


夜理は吹き出すように笑うと美鈴の顔を見る。


「陸くんに何か作ってもらおうと思っていたんだよね。美鈴さんは何がいい?」

「そうだなあ…アルコールが強くなくてスッキリしたものがいいかな」

「明日仕事だって言ってたもんな。夜理は?」

「私も軽めがいいかな」


陸は頷くとカウンターへと入る。

置いてあるビンを見ながらいくつか取り出すと合わせていく。


「薬の調合のようだね」


カウンターで陸の様子を見ていた美鈴は感心したように言う。迷いもない陸の動きには見惚れてしまう。陸は笑うと美鈴の方を向いた。


「まあ分量ってやつはあるけど、後はセンスも大事かな」

「じゃあ私には無理だな」


陸がシェイクする姿を見ながら意識が遠い世界へといく。

海人のピアノの曲と静かなざわめきが眠気を誘うBGMだ。


シェイカーからグラスに注がれた液体は淡いブルーで赤いチェリーが添えられ夜理の前に出された。


「どうぞ」


夜理は嬉しそうに受け取った。美鈴の方を見たので小さく頷いた。


「いいよ。お先にどうぞ」


美鈴の言葉に夜理は頷くとグラスを持ち上げた。


「いただきます」


そっと口をつけて飲む夜理はとても可愛く、美鈴はおじさんになったような気分だなんて今は口が裂けても言ってはいけないだろう。


「美味しい!軽くて飲みやすいしちょっとグレープフルーツの味もするみたい」

「そっ、ちょっと苦味があるかもしれないけど大丈夫だろ」


陸が嬉しそうに言っている姿を見て、今度は母親になった気分だなんてまたしても言えなかった。先ほどまでのテンションの高さといい今の落ち気味まったりも、ここ数日の疲れがたまってのことかもしれない。


「美鈴はウーロン茶にでもしとく?」


まるで今の考えが見えていたかのように陸が尋ねてくる。


「そうだね!その方がいいよね。お願いします」


自分のことを見ている陸に慌てて返事をした。夜理は何か言いたそうに美鈴を見たが、突然ドアがノックされ月島が顔を出した。


「夜理ちゃん、よかったら下で聞く?影からになっちゃうけど」

「いんですか?」


嬉しそうに夜理はすでに立ち上がっていた。


「行ってらっしゃい」


美鈴の言葉に頷くと月島について行く。月島はチラリと陸の方を見たが陸は前を向いたままだった。ドアが閉められ階段を降りて行く音からシェイカーの振る音に美鈴は前に立っている陸を見た。陸は手を止めるとカクテルグラスに注ぎ、美鈴の目の前に置いた。


「一杯だけな」


置かれたグラスから陸を見ると陸は目を逸らしたまま無愛想な顔でいた。


「ありがとう」


何か顔が赤くなる。


「飲む前から赤くなんなよ」


陸の表情は柔らかくなり笑って言った。


「また、そういうこと言う」

「ドSですからね」


陸はカウンターに寄りかかりながら言った。


「どうぞ」


美鈴も頷いて口をつけた。色は夜理のものとも違い薄い緑色をしていた。


「キウィが入ってるの?陸の作るカクテルってきれいな色をしているね。

とても美味しいよ」


美鈴の言葉に陸は小さく頷くとカウンターから出て来て美鈴の横に座った。

そしてグラスの横に小さなリボンが付いた箱を置いた。


「これクリスマスプレゼント。ちょっと開けてもらっていいかな」

「…うん」


リボンをほどき箱を開けるとピンクの箱が入っており、中にはプラチナのフアッションリング入っていた。


「たぶんサイズは合ってると思うんだけど」


陸はリングを取ると美鈴の手をとり右手の薬指にはめる。


「大丈夫みたいだね…」


顔を上げた陸は、美鈴の真っ赤な顔に言葉を止めた。


「あ…、ありがとう」


自分の事を見ている陸から顔を逸らす。


「こういうものもらった事ないからどうしたらいいのか…なんかとても照れてしまった」


陸は美鈴の肩に手を置くと引き寄せて頭に唇を寄せた。


「俺もこういうの初めて」


赤い顔のまま強張っている美鈴の体から陸は手を離すと静かに言った。


「今日はごめんな。この後、戻らないといけないし送る事も出来ないから」


美鈴は顔を上げると首を振る。


「ううん、大丈夫だよ。陸の作ったカクテルも飲めたし私だって陸が終わるまで待っていられないから、ごめんね」


机の上に置いてあった鞄を取ると中から手さげ袋を取り出した。


「はい。私からのプレゼント」


手さげ袋からやはりリボンの付いた箱を取り出し陸に渡す。陸は箱を見てから美鈴を見た。


「開けてみていい?」

「どうぞ」


美鈴は頷いた。

包装を取った時点から陸の表情が変わる。中身を開けてからすぐに美鈴の方を見た。


「美鈴、これ!」

「前にこの時計が欲しいって言ってたよね。もしかしたら、もう持ってた?」


心配そうに美鈴は覗き込んだ。


「違うっ!この時計、凄く高いよな!」


陸の表情に美鈴は体を少し引いた。


「あ…かなり頑張ったかな」


笑って言ったが陸の顔は笑っていない。


「俺もらっていいの?」

「いや、貰ってくれないと困るんだけど。陸の為に買ったんだから」


予想外の陸の反応に美鈴は笑ってしまった。


「ありがとう」


陸の言葉に美鈴は笑顔で小さく頷くと鞄からキーホルダーのついた鍵を出し陸に渡した。


「後これ、神奈川の家の鍵セット。車庫と門と家。陸も持っていた方が何かと便利でいいかなぁって思って」


陸は鍵を見つめる。


「俺もらっていいの? あそこは大切な場所なんだろう」

「そうだね。大切な場所だよね。だからこれからもっと大切にしていけたらいいなって思って」


美鈴の言葉に陸は黙る。


「それってさ」


陸の言葉に美鈴は視線をカウンターに下げた。


「あのね、すごく勝手なこと言ってしまうんだけど、春まで待ってもらっていいかな。それまで心の整理をつけるから」


陸は頷くと美鈴の手に自分の手をのせた。


「待つよ。待ってるから」

「ありがとう」


陸は、いつの間にかピアノの演奏が終わったざわめきだけの音に気がつき時計を見て立ち上がった。


「もう30分過ぎているね。戻るんでしょ」


美鈴も鞄の中に箱を片付け立ち上がる。美鈴を見ていた陸がぽそりと言う。


「あのさ、またいい?」


返事を待たないうちに陸は美鈴を抱きしめた。


「ありがとな」


そう言うと手を離した。


「じゃあ、行くわ。気をつけて帰りなよ」

「うん。陸も頑張ってね」


頷きドアに手を掛けようとして、ふと手を止めた。


「そっか、演奏終わってたんだよな」


美鈴の方に振り返った陸は眉間にシワが寄っていた。


「ごめん。外の奴らに聞かれたかも」


そう言うとドアを開けた。そこには、海人と夜理が立っていた。

陸の表情はいつも海人を見る仏頂面になる。


「待たせて悪かったな」

「いいや、どう致しまして」


小さく笑みを浮かべている海人の横を通り過ぎると陸は下へと降りて行った。

海人と入ってきた夜理は申し訳なさそうな顔をしていた。


「お疲れ様です」


美鈴の何とも言えない表情に海人は、優しい表情で返す。


「どう致しまして」

「あの…ごめんなさい!聞くつもりはなかったんだけど、聞こえてしまって…」


夜理の言葉に美鈴は首を振った。


「いえいえ、大丈夫。でも、どの辺りから聞こえてたかな」


2人は顔を見合わせる。


「えっと…大切な場所うんぬん辺りかな」

「そう…まあいいか」


正直恥ずかしいが聞こえてしまったものはどうしようもない。

海人はカウンターに手を着くといつもとは違う表情で美鈴に言った。


「みっちゃん、ありがとうな」


突然の海人の言葉に驚いた。


「みっちゃんに会ってから陸は変わったよ。立ち止まったままでいて周りの声も聞こうとしなかったのに君の声だけは陸に届いて変えた。 今も変わろうとしている」


海人の言葉に夜理も笑っている。


「そんな私は何もしていないし何も出来てないです。私だって陸に助けられて夜理ちゃんや皆んながいてくれるから立ってられるんです。陸が変わったのは陸自身の力だと思うし海人さん達がいたからです」

「それでも、兄として礼を言うよ」


美鈴は海人の言葉にもう何も言えなかった。

自分自身に自信がなくて存在さえ不安定であった頃に比べて自分も少しは変われたのであろうか。


「…ありがとうございます」


美鈴の言葉に海人は優しい表情で笑った。


「お礼を言っているのは私なんだがな」

「あ…そうですね。でもやっぱり、ありがとうございます、です」


どうも海人と話すと硬くなってしまう。横で笑っている夜理を見ると参ったように美鈴は小さくため息をついた。


「で、私はそろそろ帰らせていただきます。後は、お2人でごゆっくりどうぞ」


カウンターの流しにグラスを持っていくと美鈴は素早く鞄とコートを持つ。


「もう帰っちゃうの?美鈴さん」

「ごめんね。今日は変なテンションだったでしょ。そう言う時は後は眠くなって終了なので、海人さんもいる事だし後はお任せして帰ります」


海人は携帯を取り出す。


「月島に送らせよう。少しだけ待ってくれ」


海人はすでにドアの所まで来ていた美鈴の腕を掴んで止めた。

夜理も美鈴の腕にしがみつく。


「まだ10時前だし駅まで近いから大丈夫ですよ。月島さんも仕事中ですし」


そう言っている間にも海人は月島に電話を終えてしまたので、美鈴も仕方なく足を止めた。

すぐに階段を上ってくる音がして月島が入ってきた。海人はポケットから車の鍵を出すと月島に渡した。


「私の車を使ってくれ」


海人に背を押されながら美鈴は頭を下げる


「じゃあ…お願いします」


月島はにこりと笑った。


「了解しました。じゃあ行きましょう」


月島は海人に軽く頭を下げると部屋を出た。


「ありがとうございます。じゃあ、失礼いたします。夜理ちゃん、またね」

「うん、じゃあ美鈴さん、また連絡するね」


手を振る夜理に笑って頷くと海人に頭を下げると部屋を出た。



月島と駐車場まで来て車を目の前にした時は流石に声が出てしまった。


「うわぁ…すごいな」


乗り込んでエンジンをかけた月島も嬉しそうだ。


「俺も、この手の高級スポーツカーに乗るのは初めてだよ。いやぁ、このままドライブに行きたいね」


月島は楽しそうにハンドルを握っている。


「お店は2時まででしたっけ?まだ長いですね」

「今日明日は3時までなんだよね。まあ若い奴らが3人いるから楽な方かな。だから俺がちょっと抜けても大丈夫って訳」

「海人さんもいるんですか?」


月島は笑って首を振った。


「まさか。後1回くらい弾いたら夜理チャンと消えちゃうんじゃないかな」

「そうか。何やら親密な雰囲気を感じさせていたからもしやと思っていたんだけど、もしやだったんですね」


月島は笑う。


「それに比べて君たちは本当に可愛いよ。だから海人さんも兼松も気が気じゃないんだよ」

「陸はともかく24にもなる私は当てはまらないですよ」


月島は更に笑う。


「いやいや、美鈴さんだからだな。あいつは可愛くなんてないよ。なんせ中学くらいから女知ってるし気まぐれだからね」

「……」


美鈴は目を丸くして月島を見る。


「君には違うだろ。端から見てて心配してたんだが、なんのなんの。ちゃんと君の事を分かろうとしているみたいで安心したよ。と、言うか驚いたけどね」


月島は意味ありげに首を傾けた。


「君の右手の指輪、陸からのプレゼントだろ。雑誌で見ているのを見かけたんだがあの陸が⁈って感じだな」

「バラすと陸に怒られるんじゃないんです」


美鈴の言葉に月島は笑う。


「美鈴さんが言わなきゃ大丈夫。他に知りたいことがあったらお教え致しますが?」

「大丈夫です。聞きたい事があったら陸に聞きますから」


月島は笑うと、眉を上げてみせた。

信号で車を止めると、前を向いたまま先ほどまでの楽しげな口調とは違う調子で言った。


「じゃあこれは個人的に俺が聞きたいことなんだけどいいかな?」

「何ですか?」


不思議そうに美鈴は月島を見る。月島も美鈴の方に顔を向けた。


「きみ、相模朗の女だったって本当?」


予想もしない言葉に美鈴は目を見開いた。


「え…」


月島は静かに笑うと車を走らせた。


「実は同業者なもんで相模の存在は知っていたんだ。数年前には足を洗っていたみたいなんだが死んでいたとは知らなかったんだ」

「…今年の3月に突然」


ポツリと美鈴は言った。月島は頷いた。


「そうか…。ああ、でも安心していいよ。君のことを知ったのは俺の個人的興味でだから他には知られていないはずだ。そう言うヘマをするような男ではなかったみたいだからね」


美鈴の表情が固まってしまったのを見て月島は申し訳ない顔をした。


「すまないね。だが、知りたかったんだ」

「知りたかった?」


月島はマンションの前で車を止めた。


「そう。俺は昔の相模を知っているんだが若いが腕はいいし男前。で冷徹。裏の世界でも名が知れて有名だった。それなのに突然足を洗った。その時の相模は別人のようだった。何があの男を変えたのか不思議で仕方がなかったんだ。俺らみたいに裏の世界にいるやつらは心も曲がっている奴らが多くて変わろうなんて思う奴はいない。まして普通の生活を送ろうなんて思わないし出来ない。難しいことだ」


美鈴は月島を見つめていた。


「相模も同じだった。やはり危険と隣り合わせの生き方をしていたから、それが体に染み込んでいるんだろうね。私はただいて普通にしているしか出来なかった」


視線を落とす美鈴を見ながら月島はポツリと言う。


「俺も相模や陸のように変われるかねぇ」


美鈴は月島の言葉に顔を上げると問いかけた。


「月島さんは変わりたいんですか?」


月島は笑ってしまった。自分の問いかけに笑ってしまったのだ。


「さあ、分からないな。でも興味はあるよ。

変われるなら俺を変えてくれるものは何か。何で俺は変わろうとするのかってね。

まあ、そんな事言っているうちは何も変わらないと思うけどね」


月島は自嘲して自分を真っ直ぐに見つめている美鈴の横髪に触れた。

しかし真っ直ぐな瞳に負けたかのように月島は小さく笑うと手を離した。


「店を出る前に君を送るって陸に言ったんだが、あいつなんて返してきたと思う?」


美鈴は首を傾げる。


「何を言ったんですか?」

「面白くない顔されるかなって思ったんだがね『お願いします』って言われたよ」


月島は思い出し笑いをする。

しかし、携帯のバイブレーションの音にため息をついた。失礼と一言いうと取る。


「はい、月島です。ええ、今着きましたよ。これから戻ります。

はい、はい、どうも」


携帯を切るとポケットにしまう。


「海人さんからですか?」


月島は頷く。


「信用されてて嬉しいねぇ」


美鈴は笑うとシートベルトを外した。


「そうそう、でね」


突然、月島が続きを話し出した。


「俺が言いたかったのは、生意気で可愛げもまったくないんだけど俺、あいつの事割と気に入ってんだよ」


美鈴は笑って頷いた。


「それは月島さんとお店で初めて会った時に思いました。陸も月島さんがいて居心地がいいから店に通っていたんだと思うし働き始めたんだろうなって。私、今はちょっとまだ心の整理が出来てなくて待ってもらているんだけど大丈夫です」


月島は頷いた。


「頼むわな、あのスケベ野郎を」


月島の楽しそうに言う顔に美鈴の顔が反対に渋くなる。


「皆んなして言いますよね。ドSだのスケべだのって。何か楽しんでます?」

「え?正直な意見だよ。それこそ陸の口から聞いたら?」

「嫌だな…もう」


月島は可笑しそうに笑った。

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