第一話 小さな綻び
近頃人里で働いている仙人がいる。
そんな話を聞いたのは今朝の事だった。
珍しい事もあるものだ。
基本的に仙人とは、何かしらの“悟り”を開いた者であり、働くなどといった俗な行動は滅多にとらない。
そうであるのにも関わらず、態々人里で労働に勤しむなど……。
酔狂な仙人か、はたまた唯の偽物か。
どちらにしても丁度いいと、作業に詰まっていた自分は気分転換にそいつを見に行く事にした。
私は芳香を呼び付けて出掛ける準備をする。お札の命令を書き換えておかないと芳香は誰彼構わず襲ってしまう。
飛べばいいのにピョンピョンと跳ねてやって来た芳香に新しいお札をぴたりと貼り付け、私達は仙界を飛び出した。
お昼時の人里は、中々の混み様だった。どのような用事があるのだろうか。様々な人間(たまに人外)で溢れている。わいわいがやがや喧しい。
私はその中を芳香を先頭にして、人込みを上手く切り裂きながら歩いていく。
布都ちゃんから聞いた話だと、新しく出来たお団子屋さん、そこに目的の奴が働いているらしい。芳香もいるし、一緒にお団子でも食べようかしら。
仙人のくせに働いているその阿呆をどうからかってやろうか。
そんな事を考えながら歩みを進める。
その場所を事前に知っていた私は時間をかけることもなく、そのお団子屋さんに辿り着いた。
結構な盛況ぶりで、その小さな店内はいっぱいいっぱいだ。
……間違いない。この中にその仙人はいる。
私と同じ種類の、嫌な匂いがぷんぷんする。
どうやら偽物ではなく、酔狂な方だったらしい。向こうも既に気付いている事だろう。
私は何とか見つけた席に座り(芳香は横で突っ立っているが)、お品書きに目を通す。
丁度注文を決めたところで、湯呑がコトと置かれた。
……こいつか。娘々センサーがビンビンだ。
私はその阿呆を目に収めるため、顔を上げた。
「……」
「……」
お父さんだった。
『さぁ、明日からも』
【拝啓 盛夏の候、更に暑さを覚え、海山の恋しい季節に御座います。
貴方と再び相見える為仙人と為り、千六百年程の月日が流れました。如何御過ごしでしょうか。私は今となっては立派な邪仙。あの時の約束、私は覚えていますよ。
幻想郷という土地へ移り住み、幾分かの】
「うぅん、少し硬過ぎかしら」
私は筆を置いた。
唯今手紙を書いているところなのだが、これがどうして筆が進まない。
初めて手紙を書く相手なので、それなりに硬くして書いているのだけれども、なんだかしっくりこない。しかしゆるゆるな文章を綴るのも、なんか嫌だ。
そうやって、うんうん唸っていると、朝の散歩から帰ってきた芳香が近づいて来た。
「せーが、何やってるの?」
「あぁ、手紙を書いているのよ。というかあなたは靴を脱ぎなさい」
靴を脱ごうとした芳香は、おおぅとか言いながら転けてしまう。世話が焼けるわね。この子の関節はいつ柔らかくなるのかしら。
溜息を吐きながら靴を脱がせてやっていると、芳香は口を開いた。
「誰に書いてるのー?」
「お父様よ」
「おとーさま?」
芳香は首を傾げた。それから何か言おうとしたが、やって来た屠自古ちゃんに遮られた。
「青娥さん、朝ご飯ですよ」
「朝ごはんっ!」
朝ご飯だと聞くや否や、鳥よりも鳥頭な芳香は飛び跳ねながら部屋を出て行ってしまった。
全く、この子はほんと騒がしいわねぇ。
すぐ行くとの旨を伝えて、筆や墨を片付ける。
あ、今度は近頃流行りのエンピツで書いちゃおうかしら。
「人里で仙人が働いている?」
布都ちゃんにそう聞き返しながら、私はお味噌汁を啜った。今週の料理当番は屠自古ちゃんだから、安心して口に運べる。布都ちゃんは料理が下手なのだ。
「そう、そうなのだ。新しく出来た団子屋があるだろう?」
布都ちゃんは自慢げに箸をカチカチ言わせた。
あぁ、あのお団子屋か。
布都ちゃんが言っているのは、近頃開店した、美味しいと評判のお団子屋だ。
未だ行ったことはないが、一度だけその店の前を通りかかったことがある。
行儀が悪いと屠自古ちゃんに注意され、不貞腐れながらも布都ちゃんは話を続ける。
「そこに気配を感じてな。寄ってみようと……いや、違うぞ? 食ってない。食ってないぞ。
ちゃんと買い物はした。買い物の為に受け渡された金だ。勝手に使うわけがない。ただちょっと寄ってみただけだ。
結構美味しかったから、今度皆で……あ」
布都ちゃんの肩に屠自古ちゃんが手を置く。
「後で話を伺おうかしら」
「……お、おうよ」
にっこりと笑う屠自古ちゃんに布都ちゃんは顔面蒼白だ。
勝手に自爆した布都ちゃんは置いといて、芳香の口にお魚を丸ごと放り込んでやる。
「こらこら青娥さん。嫌いなものを押し付けてはいけないわよ」
神子ちゃんに窘められた。仕方ないじゃない。小骨を取り除くのが面倒なんだもの。
「あらあら、そんなことはないですわ豊聡耳様。
食いしん坊なこの子に譲ってあげてるの。ね、芳香お魚大好きね?」
「んん? おお。私は食べ物が大好きだ!」
「ほらね?」
元気の良い返事に気を良くした私は、芳香に沢庵もあげながら神子ちゃんを見る。
神子ちゃんは表情に諦めを浮かべながら、首を横に振った。
「全く、貴女は。その子にとって貴女は親のような存在なのよ? そういう言い訳癖がついたらどうするの」
神子はそう言って溜息を吐いた。
「……」
……親に何かを教わる必要も無かったような奴が何言ってんのよ。
元々小食な私は、面倒になった残りのご飯を全て芳香の口へ押し込んだ。
「む、むぐぐ」
「ね、おいしいね? じゃあ、ごちそうさま」
“美味しそうに”ご飯を頬張る芳香と、未だちまちまと食べている神子達を置いて、私は自室に戻った。
「エンピツ、エンピツちゃーん」
部屋の押し入れをごそごそと探す。
おかしいわねぇ、去年のクリスマスに手に入れたものがあったはずなんだけど。
クリスマスでの戦利品、そう書かれている箱を漁る。
ものさし、水筒、蛇の抜け殻、鉄アレイ、ドロワ――。ダメね、金目の物は売っちゃったから碌なものは残っちゃいないわ。
それからしばらく探していたのだけれども、結局見つからずに諦めた。藁人形を放り投げる。
何気なしに、書きかけのお手紙を見つめる。
「拝啓、ねぇ……」
父に手紙を書こうと思った切っ掛け、それは些細な事だった。
人里でとある親子を見かけた。
娘が父親に何かの玩具をねだっていた。しばらく渋っていた父親だけど、最終的には折れて娘にその玩具を買い与えた。そんな何でもない風景。
それを見て自然と、自分の父親の事を思い出した。
ただ……それだけ。
『その子にとって貴女は親のような存在なのよ?』
先ほどの神子の言葉を思い起こす。
「……うっさいわね」
私は散らかった戦利品たちを押し入れに直した。
それからむしゃくしゃした感情を糧にして、父への手紙に罵詈雑言を書き込んでいった。
執筆(という名の八つ当たり)を始めてからしばらく経った後、布都ちゃんが私の元へやってきた。
「――それでな、屠自古が怖いのじゃ。彼奴な、我が勝手にお団子を食べたと怒って……いや、怖くない。怖くないぞ。全然、マジで。
ただ、屠自古は怒ると文字通り雷を落としてな? 雷はいかん。雷はいかんだろう? それでだな――」
何をしに来たのか、布都ちゃんはつらつらと話し続ける。もうかれこれ二時間も話し続けている。
屠自古ちゃんに叱られるといっつもそう。布都ちゃんは私のところにやってきて愚痴る。
主人である神子ちゃんにはこんな事言いに行けないし、屠自古ちゃんなんて以ての外(芳香は言うまでもないだろう)。
だから私のところに来るのは仕方のない事なんだけど……。
この子他に友達いないのかしら。
「ね、布都ちゃん。屠自古ちゃんはきっとお団子を食べられなかったから怒っているのよ」
「そ、そうなのか?」
「えぇ、違いないわ」
たぶん違うだろう。真面目な彼女はお使いのお金を私欲のために使ったことに怒っているのだ。
「だから今度は屠自古ちゃんにお団子を買ってきてあげなさい? あの子も怒りを鎮めてくれるはずよ。
今日のお夕飯。買い出し係は布都ちゃんでしょ? ついでに買って来なさいな」
「な、なるほど!」
布都ちゃんは大きく頷いた。私も満面の笑みで大きく頷いた。
お金を勝手に使ったのを叱りたいけど、自分のために買ってきたものだから叱りにくい。そんな微妙な表情を浮かべた屠自古ちゃんが容易に想像できる。
「いやあ、助かった! ありがとう青娥殿!」
そう言うと布都ちゃんは意気揚々と部屋を出て行った。
私は今日のお夕飯のことを想像してくすくす笑った。
しかし、あの子蘇るときに頭の螺子でも外れたのかしら。
昔はこんなにポンコツじゃなかったと思うんだけど……。
* * *
「……あぁん、ダメねぇ」
筆を投げ捨てたい衝動を抑えて、硯に置く。
布都ちゃんが帰った後お手紙を再開したのだけれども、やっぱり駄目だ。なんかしっくりこない。
手紙を書こう。そう思っているのは確かなんだけど……。
どんな手紙を書きたいのか。それがさっぱり浮かばない。
仰向けに転がって天井を見つめる。
「何か甘いものでも食べたいわね」
久しぶりに頭を使ったからだろうか。身体が糖分を欲している。
甘いもの甘いもの……じゅるり。
そこで、今朝布都ちゃんが言っていたことを思い出した。
「あ、そうだ」
お団子、お団子を食べに行こう。甘味処としては定番だ。
それに、新しく出来たお団子屋さん。布都ちゃん曰く、仙人が働いているという。
お手紙も行き詰っていたところだし、丁度いいや。暇つぶしにその仙人の見学兼冷やかしに行こう。
手紙を片づける。置き場所に困ったため押入れを開き、クリスマス戦利品ボックスの上に置いておく。
押入れを閉めてから、私は招集用のお札を取り出し、芳香を呼び出した。
それからしばらくしてやってきた芳香は、なぜか木の枝を持っていた。
枝の先には瑞々しい緑色の葉が幾分か付いている。折られたのはつい先程のようだ。
「芳香、それは?」
そう尋ねると首を傾げていた芳香だったが、少しして思い出したように言った。
「お、お土産だ! 綺麗だから持ってきたぞ!」
芳香は曲がらない足を懸命にひょこひょこと動かして、私に近寄り枝を渡す。
そして私を見上げた。
まるで、親に褒めてもらう事を期待している、子どものような目で。
『その子にとって貴女は親のような存在なのよ?』
「……」
「せーが?」
何も言わない私を不思議に思ったのだろう。芳香は不安げな目で私を見つめる。
「……芳香、外出用の札よ」
その視線を遮るように、私は芳香の顔に札を張り付けた。