第36話「世界を利用する」
鍛冶屋での契約から、二日が過ぎた。
朝の光に包まれた辺境伯の王都邸。その広い正門前には、すでに王城からの正式な迎えが到着していた。
ルワール王家の紋章が刻まれた、きらびやかな馬車。
その周囲を固めているのは、白銀の鎧をまとった王城の近衛騎士たちだった。太陽の光を受けた鎧が、まぶしく輝いている。
彼らは一糸乱れぬ隊列を組み、馬車の周囲で静かに出番を待っていた。
その馬車の前に、邸宅から歩み出たヴォルが立つ。
普段の動きやすい革鎧ではない。今日は、落ち着いた濃紺の礼装に身を包んでいた。
上質な生地で仕立てられた服は、ヴォルの引き締まった体つきと、整った顔立ちをより際立たせている。
その隣には、ネネが静かに立っていた。
彼女もまた、王城へ向かうために用意された黒い礼装を身にまとっている。無駄な飾りのない上品な黒が、白銀の髪と赤い瞳をより鮮やかに引き立てていた。
普段の戦装束とは違う装いのせいか、近寄りがたい魔族の気配は少しだけ薄れ、代わりに、凛とした美しさと、他国の王城へ向かう使者としての品位が全身から漂っていた。
ディーン・ラップルゴ辺境伯が、重い足取りで二人へ向き直った。
「ヴォル殿。ネネ殿」
辺境伯の顔には、大貴族としての威厳と、これから始まる重要な場への緊張がにじんでいた。
「本日、国王陛下へ正式にお目通りいただきます。準備はよろしいか」
ヴォルは、「営業モード」のスイッチを入れた。
前世で身につけた、相手を安心させながらも、決して隙を見せない笑み。それを顔に浮かべ、静かに一礼する。
「ええ。準備はできております」
落ち着いた声が、朝の空気に響いた。
「王国の礼に反するような振る舞いはいたしません。どうか、ご安心を」
その言葉を受け、辺境伯は少しだけ安心しかけた。
だが、視線が隣に立つネネへ移った瞬間、空気がわずかに張り詰める。
ネネは、王城の方角を静かに見ていた。その赤い瞳には、一切の迷いがない。
「私も同じだ」
澄んだ声が響く。
「魔王軍の名を背負って、私はここに来ている。……我が主に恥をかかせるような真似はしない」
ネネの言葉には、静かな気高さがあった。
辺境伯は、魔族に対する見方を少し改める必要があると感じた。
「では、参りましょう」
辺境伯を先頭に、ヴォル、そしてネネが豪華な馬車へ乗り込んでいく。
少し離れた場所では、ティカがその姿をじっと見つめていた。一介の斥候である彼女は、今回は同行しない。
王国の中枢へ向かうことを許されたのは、この三人だけだった。
パカッ、パカッ……。
馬車は石畳を鳴らしながら、王都の大通りを進んでいく。
窓の外に流れる街並みの先には、空を突くような王城の巨大な尖塔が見えていた。
王国の中心。
そして、運命が大きく動く場所へ、彼らは向かっていた。
*
ルワール王国・王城。
近づくにつれ、その大きさと威厳が、馬車の窓いっぱいに広がっていく。
高くそびえる白い城壁。
青空には、王国の紋章が描かれた巨大な旗がひるがえっている。
城門の前に広がる大きな広場には、何百人もの近衛騎士たちが整列していた。誰一人、身じろぎすらしない。
重々しい城門の正面に、辺境伯の乗る馬車が静かに止まった。
その瞬間だった。
ガシャンッ!!
数百人の近衛騎士が一斉に腰の剣を抜き放ち、高く掲げた。磨き抜かれた白銀の鎧と剣がこすれ合い、重い金属音が一つになって空気を震わせる。
国賓に準ずる貴人に対する、最大級の歓迎。
同時に、王国の力を見せつけるための場でもあった。
案内役の騎士が、馬車の扉を開く。
最初に、ヴォルが静かに馬車から降り立った。
一斉に、何百もの視線が彼へ突き刺さる。
値踏みするような目。
警戒する目。
そして、恐れを含んだ目。
だが、ヴォルはその重圧をまるで気にしなかった。慣れた様子で石畳へ降り立ち、営業マンの笑みを崩さない。
その一方で、オッドアイの奥では、周囲の兵の配置、場の空気、漂う魔力の濃さを冷静に観察していた。
続いて、馬車のステップからもう一人が降り立つ。
ネネだ。
血のように赤い瞳。
とがった耳。
日光を受けて光る白銀の髪。
どれだけ抑えても、その体の奥からは、高位魔族としての圧がにじみ出ていた。
彼女が優雅に地面へ足を下ろした瞬間、周囲の近衛騎士たちの間に、わずかな息をのむ音が広がった。
歓迎と緊張。
期待と恐怖。
相反する感情が渦巻く王城の真ん中で、金色の目を持つ男と魔族の女は、堂々と胸を張った。
案内役の騎士に導かれ、二人は王の待つ謁見の間へ続く長い絨毯へ足を踏み出した。
長い絨毯の先を見据えながら、ヴォルの胸の奥で、冷たい覚悟が静かに固まっていく。
王国が俺を迎え入れたのは、俺を守るためじゃない。
教会も、黒装束の連中も、王国も。
誰もが、自分たちの都合で俺を見ている。
それでいい。
だが、ネネだけは違う。
この世界で唯一、命を預けられる相手だ。
それ以外には、期待しない。
俺を守る気がないなら、守らせる。
味方になる気がないなら、盾にする。
利用する気なら、その前にこちらが利用する。
俺はもう、生贄として差し出されるだけの駒じゃない。
神が俺を生贄にするなら、俺は世界を利用する。
第一章 了
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
本作は、以前第一章までを書き上げ、別々の賞に二度応募しましたが、どちらも落選した作品です。
その後しばらく続きを書かずにいましたが、今回あらためて第一章まで投稿することにしました。
第一章でひと区切りとなるため、本作はいったんここで休載とし、「完結」設定に変更します。
ただし、物語そのものはまだ続きます。
第二章もいずれ執筆する予定です。
再開時期はまだ決めていませんが、その際には再び連載を開始しますので、気長にお待ちいただけたら嬉しいです。
第一章までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!




