第八話:完
それからの顛末をすべて語るには、少々時間がかかる。
王家の使節を迎えるべく、三部族総出で整えられた宴席。そして当然のように始まった、三人の王配候補たちへの説明と、その後の後始末。
突然、王配候補の座を失うこととなった三人には、それぞれに相応の地位と役目が与えられた。もっとも、そのうちの一人は、「宰相殿が王配になられるのなら、私もそちらの政務に関わりたい」などと言い出し、結局ハサンの配下へ収まることとなった。これには流石のハサンも頭を抱えた。
部族間でも当然、ひと悶着があった。王家と各部族の均衡。古くから続く慣例。王配に求められる格式。そして――宰相という国政の中枢に君臨する男を、そのまま王家へ迎え入れることへの賛否。
反対する者もいた。歓迎する者もいた。面白がる者もいた。
そして、面白がりすぎて余計な口を滑らせた者は、ハサンの一睨みで静まり返った。毒蛇の威光は、なおも健在であった。
半身に麻痺を残した先王は、寝台の上で娘からの報告をすべて聞き届けると、暫しの沈黙ののち。
「……おまえが、きめたのなら、よい」
とだけ告げた。ラズィーヤの父はそれ以上何も語らなかった。だが、表情は柔らかかった。
それからは、怒涛の日々だった。
政務の引き継ぎ。王配就任に伴う人事異動。三部族との折衝。婚姻に必要な儀礼の策定。王家と部族双方への通達。祝宴の手配、婚礼衣装、宝飾品の選定――そして、いつの間にか膨れ上がっていた祝い客の対応。
山積する課題に終わりはないように思えたが、それでも人は、手を動かし続ければいつかは終点に至る。終わらない仕事などない。終わらせるのだ。
そして――。
気がつけば、その日が訪れていた。
◇
砂漠の空は、どこまでも澄み渡る青をたたえていた。
王宮の中庭には色とりどりの天幕が揺れ、陽光を受けた金細工が眩い光を弾く。香炉から立ち上る乳香の甘い煙の向こう、遠く楽の音が響き、集った人々の祝福の声が重なり合っていた。
今日は、王の婚姻の日である。
女王ラズィーヤ。
そして、その王配となる男、ハサン。
二人は並んで立っていた。
周囲を取り囲むのは、王族、重臣、部族長、使節、そして侍従や女官たち。これまで幾多の苦難を共に乗り越えてきた者たちが、それぞれの場所から見守っている。
誰もが破顔し、誰もが二人を祝していた。華やかで、満ち足りた婚礼の光景。
――ただし。
「……なんというか」
少し離れた列で、若い女官がひそひそと呟いた。
「お二人とも、せっかくの晴れ舞台というのに……」
「どうしたの?」
「なんだか……いつもの執務室でお会いしている時と、ちっとも空気が変わらないような……」
促されてもう一人の女官が二人を見やる。
確かに、ラズィーヤはいつも通り一筋の隙もなく背筋を伸ばし、ハサンもまた、同様の立ち姿で控えている。
互いを見つめ合って甘い吐息を漏らすでもなく、手を重ね合わせて頬を染めるでもない。そもそも二人とも、およそそのような情愛の示し方とは無縁の性格であった。
ただ、互いの瞳を静かに見つめ合っている。視線が交差している、ただそれだけだった。やがて、ラズィーヤが静かに唇を開いた。
「ハサン。これから先、お前には王配として、そして私の伴侶として、この国を支えてもらうことになる」
「しかと、承知しております」
「そうか」
ラズィーヤは小さく頷いた。
そして――ほんのわずかだけ、その声を柔らかく解いた。
「一つ頼みがある」
「何なりと」
ラズィーヤは彼を見つめる。
その瞳には、一国の主としての揺るぎない矜持があった。だがそれ以上に、共に国の命運を背負い続けてきた者同士にしか分からぬ、深く静かな信頼が宿っていた。
「国のために生き、国のために死んでくれ」
一瞬、渡る風さえ息を潜めたかのような静寂が訪れた。
普通ならば――もう少し甘やかな言葉があってもよかったはずだ。
愛している、共に歩みたい、これからも側にいてほしい、二人で幸せになろう――世の婚礼であれば、 そうした言葉こそが相応しいのだろう。
だが、ラズィーヤはどこまでも王であり。そしてハサンは、ハサンであった。
「もちろん。それこそが私の望みです」
その声に一片の迷いもなく、固い表情も崩れない。
ただ――ほんのわずかに。
その口元が、柔らかく弧を描いた。
笑ったのだ。
それを見た周囲の者たちが、一斉に息を呑む。
「……いま」
「……毒蛇が、哂ったか……?」
誰かが漏らした呟きを、すぐ隣の者が慌てて肘で制した。
ラズィーヤは周囲の動揺などは市から頭にない様子で、ハサンの顔を見つめていた。そして彼女もまた、ふっと唇を緩める。
それはどこか誇らしく、そして酷く穏やかな笑みであった。
「……陛下」
控えていた女官が、堪りかねたように小声で抗議する。
「なんだ?」
「もう少し……その……」
「ん?」
「婚姻式に相応しい、甘いお言葉というものが……!」
「十分、想いは伝わったと思うが?」
「そういう問題ではございません……」
女官の悲鳴に似た溜息が漏れ、隣の女官は諦めたように頭を抱える。重臣たちは顔を見合わせ、なんとも形容しがたい表情を浮かべていた。
――果たしてこれが、婚礼の儀と呼べるのだろうか。
この先、二人の歩む道のりには、幾度となく激しい砂嵐が吹き荒れるだろう。視界を奪われ、足元をすくわれるような夜もあるに違いない。
けれど――嵐が去れば、空は再び晴れ渡る。
頭上の星は消えず、導きの水が枯れることもない。オアシスは、いつだってそこにあるのだから。
二人は今、全く同じ国を見つめている。
同じ未来を見据えている。
砂漠を統べる女王と、その隣に立つ毒蛇の王配。
その途方もない歩みの第一歩は、雲一つない、青空の下であった。
本作を最後まで読んでくださり、ありがとうございます。当初は、ドキドキキュンキュンな少女漫画のような恋愛小説を目指して書き始めました。思ってた方向と違うのはなぜなのか、きっと、作者の恋愛観が重いんだなと解析しています。これが作者のデフォルト設定のため、今後は生成AIに調整してもらいながら甘酸っぱい恋愛小説が書けるように精進して参ります。




