第三話
回廊は、夜の砂漠のように静まり返っていた。
磨き抜かれた白砂岩の床に、深紅のアバヤの裾が滑る。燭台の炎が揺れるたび、金糸の刺繍が鈍く光った。ラズィーヤは歩みを止めず、背後へ声を投げる。
「何人、黙らせた?」
「……さて、どの件についてお聞きでしょう」
「すべてだ」
「でしたら、お答えは差し控えます」
ラズィーヤは思わず笑う。
「相変わらず嫌な男だ」
「恐れ入ります」
声色ひとつ変わらない、その静けさが不気味だった。この男は、必要とあらば脅迫も懐柔も情報操作も躊躇なく使う。それでいて、自分の功績を決して表へ出さない。毒を撒きながら決して手を汚して見せない蛇。
「……恐ろしくはないか」
ラズィーヤがふと問う。
「私が王となれば、多くの血が流れる」
「はい」
「反乱も出るだろう」
「でしょうね」
「……お前も巻き込まれる」
「当然です」
返答が早すぎないか。ラズィーヤは立ち止まり、振り返る。
「それでも、お前は私を王にするのだな」
燭火が揺れた。ハサンの瞳がわずかに細くなる。
「訂正を願います。私は、“あなたを王にする”つもりはありません」
回廊の温度が、一瞬で下がった気がした。
ハサンは静かに続ける。
「あなたは既に王だ」
「……」
「ただ周囲がそれを理解していないだけです」
その声音はどこまでも静かだった。なのに、妙に胸へ刺さる。
「随分と買ってくれる」
「事実を述べています」
「もし私が期待外れだったら?」
「その時は」
ハサンは微笑んだのだろう、ほんのわずかであるが。子どもが泣き出しそうな顔だ。
「私があなたを、王として完成させます」
胸の奥で、熱が灯る。口角が自然と上がる。
「お前は臣下に向いていないな」
「そうでしょうか」
「ああ。だが、悪くない」
ハサンは沈黙した。一拍遅れて深く一礼する。
「光栄です、陛下」
その姿は完璧な臣下だった。ラズィーヤは低く囁いた。
「私に牙を向ける者は、先にお前が噛み殺せ」
「拝命いたします」
前を向いて再び歩き出した。その後ろを黒衣の毒蛇が静かについてくる。




