12:聖女妹のうんざりする朝
「おはようございます、ステラ様。本日もアマネ様より髪飾りが届いております」
穏やかな微笑みと共に、メイドがアクセサリートレイに乗せた髪飾りを見せてくる。
赤いリボン。中央には綺麗な石が嵌めこまれており、黒髪にはさぞや映える事だろう。
そんなリボンを見つめ……、ステラははっきりと「返却で」と返した。メイドが穏やかな微笑みのまま「かしこまりました」と一礼して部屋を出て行く。だがそれと入れ替わりでまた一人メイドが入ってきた。今度は一着のワンピースを持っている。
「おはようございます、ステラ様。本日もアマネ様よりお洋服が届いております」
「返却で」
「かしこまりました」
理由を問うこともましてや持ってきた洋服の全貌を見せることもせず、メイドが一礼して去っていく。その足取りは慣れ過ぎて踵を返す様が華麗なワンターンにさえ見える。
そうしてまたメイドが一人部屋を訪れ、アマネからネックレスが届いていることを伝えてきた。これにもステラが「返却で」と返せば、やはり一礼して去っていく。踵を返す際にふわりと揺れるメイド服の裾はなかなかに優雅だ。
もはや朝の日課とさえ言えるやりとりなため、メイド達の対応も撤収も早い。
それどころか日に日に踵を返す際の動きに磨きが掛かっている。
そんなメイド達が去っていき、ステラは溜息を吐くと部屋の一角に置いてあるドレッサーに腰掛けた。
「毎日毎日、よくまぁ諦めないもんだ」
溜息交じりに鏡を見れば、そこには呆れ顔の聖女アマネが映っている。
……のだが、その髪は短い。艶のある黒髪は肩口で切り揃えられ、主人の動きに合わせてふわふわと毛先を揺らしている。
最初こそ違和感を覚えていた髪型だが、さすがに二ヵ月もすれば見慣れてきた。
だが生憎と髪飾りを着ける気にはならない。それがアマネとお揃いだの色違いだのであれば猶更だ。
アマネはしぶとくあれこれと提案してくるが、ステラはそれを尽く断り続けていた。先程のメイドとのやりとりがまさにである。
(そろそろ諦めてくれると良いんだけど)
期待値の薄い望みを抱きながら寝癖を適当に直して身支度を整え……、コンコンと聞こえてきたノックの音に手を止めた。
入室の許可を出せばメイドが一礼して部屋に入ってくる。手にはアクセサリートレイを持っており……。
「おはようございます、ステラ様。レナード様より髪飾りが届いております」
と、先程と同じようで微妙に違う言葉を告げてきた。
扉の向こうには順番待ちをしている他のメイドの姿が見える。その手に衣服やアクセサリートレイがあるのは言うまでもない。
もう一巡……、とステラが呆れを込めて「返却で」と告げれば、メイドが一礼と共に華麗に踵を返して部屋を去っていった。
アマネの姉妹愛は相変わらずだ。ステラの事を妹と決めつけ、「可愛いステラちゃん」だの「春風に誘われて舞い降りた私の妹」だのと呼んで抱きしめたりしてくる。――いまだしぶとく残る春風にはもはや何を言う気にもならない――
だが最近はそれだけではなく、なぜかレナードまでアマネに競うようにちょっかいを掛けてくるようになっていた。
頻繁に声を掛けてくるし、何をしているのかと部屋に尋ねてくる事も多い。髪飾りやら服やらをメイドに持たせてくるのは最近では毎朝の事になっていた。
「警戒しているのは分かるけど、それなら見張りを着けるなり行動制限を掛けるなりすればいいのに」
よく分からない、とステラが愚痴れば、執務机で仕事をしていたサイラスが苦笑を浮かべた。
場所は彼の執務室。仕事の手伝いをして欲しいと頼まれてそれに応じている。といっても国の根幹に関わる仕事をステラが担えるわけがなく、任されているのは誰でも出来るような雑務だ。
この仕事だってよく身元の分からない女に任せられるなと思ってしまう。言わずもがな、身元の分からない女とは自分の事なのだが。
それを話せばサイラスが苦笑を浮かべた。
「ステラの身元に関しては一応調べさせてもらってるよ。といっても、特に何も分かってないんだけどね」
「そうだろうね」
「でも少なくともステラ自身は危ない子じゃないと僕は判断してるよ」
「身元も何も分からないのに?」
ステラの記憶は相変わらず三年前より昔は存在しておらず、自分が誰だったのか、どこでどう生きてきたのか、全く覚えていない。それ以降の記憶だって朧気で、いまだ自分が所属していたであろう組織の事も思い出せずにいる。
頭の中にある情報は『聖女アマネと入れ替わるために必要な情報』これだけだ。
こんな存在のいったいどこに信じる要素があるというのか。ステラ自身、己が信用できない存在だと理解している。少なくとも、自分がサイラスの立場であれば『危ない子じゃない』等と温い判断は下すまい。
自分の信用性の無さをあけすけに話せば、サイラスの苦笑が強まった。
「お姉ちゃんが私を信頼してるからって理由にしても、聖女に右に倣えで同調するのはどうかと思うけど」
「いや、アマネの判断に倣ったわけじゃないよ。この二ヵ月ステラと一緒に生活して信じられると思ったんだ。もちろん、僕だけじゃ無くてレナードもステラの事を信頼してる」
「……よく分からない」
はっきりと疑問を口にすればサイラスがより笑みを強めた。まるで子供を愛でるような表情だ。
思い返せば、彼の態度もこの二ヵ月でだいぶ柔らかくなった。当初は多少なりステラに警戒をしていたというのに、今や二人きりになる事に躊躇いも無い。
「王子という立場でその警戒心の無さは問題じゃないか? 少なくとも、お姉ちゃんには負けた私でもサイラスぐらいなら倒せるけど」
まさか弱いと舐められているのではないか。
そう考えてステラがジロリとサイラスを睨みつければ、彼の笑みがまた違ったものに変わった。
笑ってはいるが若干頬が引きつっている。作業中の手を止めて軽く手を上げるのは戦いたくないという意思表示か。
「ステラ、物騒な考えは止めよう。それに、僕も一応鍛えてはいるから多少なり応戦できるよ。多分。……レナードが助けにくるまでの時間ぐらいは稼げるはず」
「それは誇って言う事じゃないと思うけど」
「僕の勝利条件は『レナードが助けにくるまで生き延びる』だからね」
「堂々と情けないことを……。まぁ良いや、それより書類チェック終わった」
纏め終えた資料を整えてサイラスに手渡せば、彼は気の抜けたような笑顔で受け取ると感謝を告げてきた。その表情にも仕草にも警戒の色は無い。
今この瞬間、資料を受け取る手を掴まれてもおかしくないのに……。
「この首輪、お姉ちゃんに危害を加えようとすると首が締まるようになってるけど、サイラス達に対しても効果があるとは限らないんだよね」
「ステラ?」
「たとえば今ここでサイラスの腕を掴んで、それどころか首を締めあげる事だって出来るんだけど」
脅すように話せば、サイラスが一瞬目を丸くさせた。まさかと言いたげな表情だ。
さすがにこれで警戒ぐらいはするだろう。
そうステラが考えるも、彼は何やら机を漁り……、
「はい」
と、目の前に梱包されたクッキーを差し出して来た。
ナッツが入った美味しそうなクッキーである。
思いもよらない美味しそうな焼き菓子の登場にステラは思わず目をパチンと瞬かせてしまった。
目の前のクッキーと、それを差し出すサイラスを交互に見る。彼はステラの反応が面白かったのかふっと軽く笑みを浮かべ、「あげるよ」と告げて軽くクッキーを揺らした。
「手伝いのお礼。それと、これ以上悪いことを企まないように」
サイラスの言い分も差し出してくる物も、これはもはや信じるどうの以前に子供扱いではないか。警戒どころか驚いている様子も無く、ならばとステラは彼の腕を掴もうとし……、手の進路を変えてクッキーを受け取った。
どうにもサイラスの穏やかな言動は毒気を抜く。
アマネの姉妹愛は厄介で、レナードが妙に接してくるようになったのも分からない。それと同様にサイラスも掴みどころがなくて対応に困る。
だが彼が一番まともだ。少なくとも、毎朝髪飾りだの洋服だのを押し付けたりはしてこない。
そうステラが考えた瞬間、扉がノックされた。ステラとサイラスが同時に扉へと視線をやり、サイラスが入室の許可を出せば勢いよく扉が開き……、
「私の可愛いステラちゃん、ここに居た!」
「なんだよ、兄貴のところか」
騒々しい声と共に一組の男女が部屋に入ってきた。言わずもがな、アマネとレナードである。
「見つかった」と忌々し気な言葉がステラの口から漏れた。
 




