生徒が逃亡した(中編)
感想なので、どうしても俺が一方的にしゃべることになる。
聞く側は苦しいだろうが、やむをえない。
そろそろまた持ち上げるようなことを言ってやらないと落ちこむかな。
自主的に小説を書いて持ってくるだけでも立派だ。とくにクリエーターというのは受動的ではやっていけない職業だ。自分が直接手を動かさないと、絶対に何も完成しない。
「問題点はあるが、改善する場所がわかりやすい問題点だ。ここに注意して――」
「……いですう」
ほとんど聞き取れない声でミクニがぼそぼそと言った。
いつのまにかミクニはうつむいていて、顔もよく見えない。
ふっと、前回、ミクニがひらに言いように言われていた場面がオーバーラップした。
嫌な予感だ。
「悪い。声がかぶって、よく聞き取れなかった」
ミクニの肩がふるえている。
「もう、いいですう! お前みたいな三文小説家に聞いたミクニがバカだったですう! そうですう、バカなのはミクニなんですう! 苦労して時間かけて書いて好き放題言われて、何も報われないなんて、我ながら最悪のことをやってるですう!」
これは怒りだ。
だな。俺が偉そうなことを言うから腹も立つよな。
でも、この痛みは耐えるしかないものだ。
「この程度で傷ついてたらプロには一生なれんからな」
それにミクニが怒ってるからって、いきなり慰めにまわったんじゃ、俺の言葉は何も信用されなくなる。
「お前の痛みも苦しみもわかる。それでも――」
――受け入れろ、と俺は言った。
でないと、小説家にはなれない。
ミクニは目をうるませて、右手で原稿を握り締めると――
バアァァァンッ!
それを床に投げつけた。
ミクニは原稿を放り出したまま、部屋から出ていった。
「待て、ミクニ!」と追いかけようとしたが、足が止まってしまった。
自分から逃げたい相手を追いかけるのが正しいのか、わからなかったのだ。
小説書き方教室は義務教育じゃない。嫌な奴が授業を放棄する権利だってある。
それに――
もう、始業時間が迫っている。
ミクニ一人のためにほかの生徒にまで迷惑はかけられない。教師として授業を聞きたい生徒を優先するべきだ。
そんなに簡単には割り切れないけどな。
窓のほうに目をやると、ミクニが通りを走っていくのが見えた。
あいつのプライドをへし折ってしまっただろうか。
絶賛してもらえると思っていたものが酷評で聞いていられなかっただろうか。
俺は投げ捨てられた小説を整えると、部屋の机に置いて、授業に向かった。
●
「では、今日の授業を進める。みんな、準備はしてきたよな」
ミクニの席はぽかりと空いている。どうしてもそれが気になるが、授業を適当にするわけにもいかない。
こんなことなら、授業のあとにミクニの原稿を読むべきだったな。それなら、気兼ねなくミクニを探し回れた。あとの祭りもいいとこだけど。
生徒が一人ずつ、本を持って教壇の前に立つ。
まずは男子生徒のヌクイーだ。
「ええと、この本は、一言で言うと、信じられないほど読みづらいんです。悪文ってこういうのを言うのかってのがよくわかる本です。リズムが悪くて何度も詰まります」
今日の授業内容は、これはダメだと思う本のプレゼンをしろ。
生徒が順番に本をディスっていくという、相当に異様な授業である。
基本的に王国の本だから俺はほぼ読んだことがないが、聞いているだけでこれは本当に酷いとわかるものもある。ヒロインの名前を堂々と間違えていて、一人しかいないはずなのにダブルヒロインのように感じる作品とか。逆に読みたいぞ。
「この作者、経歴不明で一冊しか出てないので、誰かの変名だと思うっピー。本人も世に問うのが恥ずかしかったっピー」
ハーピーのサッサーの読みもけっこう妥当だ。文章だけで個性を見抜くのは大変だから、小説家は名前を誤魔化すという手がとりやすい。
「面白いとかつまらないとか以前に、露骨に特定の作品をモロパクリしたのが見え見えでプロとして恥ずかしい行為に感じられますわ」
ユサの発言もそのとおりだと思う。あまりに品のない小説は読者にバレる。
「その点、先生の作品は一ページ目にヒロインが死んだりしてオリジナリティにあふれていますわ!」
「そんなの書いたことねえよ!」
また違う小説と間違えてるだろ!
「そして二ページ目で再生したかと思うと三ページ目で死亡、四ページ目でまた再生と息つく暇がありませんわ! 先生、すごすぎます!」
「俺も読みたいわ! 鬼才すぎるだろ!」
そのあともディスり授業は続いた。
「主人公の行動理念が無茶苦茶で、わずかなりとも感情移入できません」
「三分で寝ました。睡眠薬よりよく効きます」
「ヒロインがほかの男とキスしてた設定があるのでゴミ」←それはお前の都合だ……。
授業はこれまででもトップレベルで笑いの絶えないものになった。
悪趣味だけど、ダメなところをネタにする笑いというのもたしかにある。
日本でも、デブであることやハゲであることを逆手にとって笑いをとる芸人はたくさんいる。一般的に欠点とみなされがちなことは、笑いにつながる。
イジメや差別に近いから危うい要素もあるが、裏を返せばイジメや差別を人間は間違いなく楽しいと思う心を持っている。他人をバカにしたことが一度もない人間はきっといな
い。
ミクニはずっと戻ってこなかったが、授業は全員の発表が終わった。
「なんか、いつもよりみんな輝いてる気がしたな。それもどうかと思うけど、楽しんでもらえたようでなによりだ」
最後に俺がまとめる。
「ところで、この授業って何の意味があったと思う?」
みんな、きょとんとしている。
「さて、ここで想像してみてくれ。自分がダメだと言った小説、それがもし自分が書いたものだったとしたら? 誰かにボロカスに言われてるところを想像してくれ。あっ、俺はこんな下手なのは書かないっていう仮定は、この場合はナシな。想像するのが課題だからな」
生徒の笑顔がだんだんと曇っていく。
一部、深刻に考えすぎて、蒼白になっている奴までいる。
やっぱりだけど、本気でけなしまくってた奴ほど、効いているみたいだ。
もう、いいか。
――ぱんぱん。
俺は手を叩く。
「はい、終わり。ということで、この授業の真意は『作品に文句をつける時は作者の気持ちになって考えましょう。駄作だからといって悪口を言うのやめましょう』――――だなんてくだらんものじゃない」
ヒロインの名前を間違いまくる小説も、本文をよそからパクった小説も、カスだ。それは客観的事実だ。悪く言われて当然。
「みんながプレゼンした本の大半は、内容を聞くに正真正銘どうしようもない代物だ。みんなも誰が読んでもこれはダメだとわかるように発表してくれてたと思う」
俺は王国でも有名な小説や、大ヒットしているライトノベルを教壇に置く。
発表で出た本とは一冊もかぶっていない。
世間的にはすぐれたものとされている作品群だ。
「重要なのは、評価の高い本も売れてる本も、こんなふうに文句をつけられてるってことだ。みんなの愛してる本もこの世の誰かは時間の無駄だと思ってるかもしれない。ノーベル賞作家の本だって悪口の対象になるし、むしろ有名な作家をバカにしてプライド保ってるようなどうしようもない人間だっている。世の中そんなもんだ」
俺が並べた本のファンがいたのか、ちょっと教室が騒然とした。
「小説というのは、ほぼ確実に誰かに非難される。それが世に出るということだ。みんなは小説家を目指してる。なら、将来プロになった時に、絶対に誰かに非難される。それは小説家の宿命だ」
俺は自分がプロになってから見なくなった作家を何人か思い浮かべた。
なかには、明らかに自分よりすぐれた小説を書けると感じた奴もいた。
小説家であることに疲れたのだろう。
なにせ、小説家というのは会社員じゃない。クビになることなどない。
「本を出すというのは、言いたいように言われるリスクを背負うということだ。有益な批判だけじゃない。見当はずれな誤読をされることも、耳が腐るような罵声を浴びせられることも、作品じゃなくて人格まで攻撃されることも、ある。自分の責任と関係ない点まで悪く言われることだってある。努力したのに受け入れてもらえないこともある。プロになるからには、それに耐えろ。今はその覚悟だけはしておいてくれ。今日の授業はそれを伝えることにあった」
少しばかり脅しすぎただろうか。フォローも入れよう。
「心配しなくても、褒めてくれる奴だってこの世にはたくさんいる。小説ってけっこう消費に時間がかかるジャンルだろ。なのに、読者はわざわざ自分の作品を選んでくれたわけだぞ。それは一種の奇跡だし、光栄なことだし、その時点で勝ってるようなもんだ」
評価も反響も一切なかったら、小説を書き続けるのは難しいだろう。
都合よく、評価の声だけを上手く聞いて、エンジンに変えていけばいい。
その程度の図々しさは作家に必要だ。
「ただ、少しでも傷つくのが怖いほどにガラス製の心を持ってるなら――プロを諦める、それが一番幸せかもしれない」
俺は心構えを教えることはできるけど、他人の心を作ることまではできない。
「まあ、どうせ、何をやったって失敗するかもしれないんだ。だとしたら、せめて誰に見せても恥ずかしくないって信じられるものを作れ。でないと、後悔がデカくなるぞ」
その時、ふっと思い当たることがあった。
大きな、大きな思い違いをしていたかもしれない。




