生徒が逃亡した(前編)
授業準備もあるので、四十五分ほど前に学校に行った。
徒歩数分の通勤時間なので助かる。家がもうちょっと立派だとうれしいが、そろそろ愛着も湧いてきつつある。住めば都というやつだ。
建物の前でミクニが膝を抱えて座っていた。俺が鍵開けないと締まってるからな。
「別に待ってなんてないですう! 今来たばっかりですう! 十五分前に来てイライラしてたりなんてしてないですう!」
「まだ何も言ってないぞ……。ていうか、なんでこんなに早いんだ?」
授業開始時間より大幅に早く来られると俺の出勤時間も早くなってしまうので困る。だいたい、二十分前には開けるようにしているが。
「話はあとですう。とにかく入れるですう。女の子の体を冷やすとは男のクズですう」
「やっぱり待ってたんじゃないか……」
鍵があるのに立ち話するのも愚かなので、とっとと中に入った。
だいたい予想はついていたが、二階の講師控え室にミクニもついてくる。
ここで「ついてくるなよ」というのは人間としてどうかと思うので、そのままにした。普通に考えて、俺に用があるんだろう。
ミクニは部屋でしばらくもじもじと鞄を後ろ手に持っていたが、やがて、
「実は……小説を自主的に書いてみたのですう……。前に堀松ひらに出したのとは違う短編ですう……」
と、原稿用紙の束をゆっくりと俺のほうに捧げるように出してきた。
左上が紐で綴じられている。ちなみに原稿用紙といっても、王国なので横書きだ。
「二週間前の授業で堀松ひらにいいように言われて、自分なりに新しいのを作ったのですう……」
すごい。あの永久凍土ほどに不毛に思えた授業に価値があった。
「お前の意見に毛ほどの価値があるかも疑問ですが……先達は先達だから尊重して聞いてやろうと思ったですう……。感涙して読みやがれですう……」
言葉の割に、ミクニの表情はおぼつかない。
新人賞に送る時と同じで、結果がわからないから、不安にもなるのだ。
ははあ、そういうことか。
「小説の感想が聞きたくて、お前、早く来たんだな。この時間なら、授業開始前に読み終わる。となると、すぐに感想も聞けるから、どういう評価なんだろうと悶々としながら授業を受けずにすむ」
「いちいち勘繰らないでいいですう! お前はミステリ小説の探偵役じゃないんだから、とっとと白か黒か言いやがれですう!」
原稿を持つ手がぷるぷるふるえていた。
これ以上じらすのは意地が悪すぎるか。
「わかった。ただし、思ったことを言うぞ」
「あほですかあ。でなきゃ、意味がないですう。だいたい、お前なんかにお世辞言われてもうれしさのかけらもないですう」
「俺にはいいけど、ほかの目上の人間にはもっとソフトに接しろよ……」
俺が原稿を受け取ると、やっとミクニの表情が救われたといったものになった。
こいつ、言葉は別として、顔に気持ちが出すぎるよな。
枚数的に授業までには間に合うかな。準備がばたつきそうだが、できなくはないか。
読むと決めれば、すぐにとりかかる。
ふむ。異能力とか特殊な設定は一切なしの年頃の男女の恋愛小説だな。
舞台だけ、王国的なファンタジー世界なので、日本の中高生の話と異なる部分もあるが
、年頃の男女が関心を持つことと言えば恋愛なわけで、違和感なく読める。
途中で誤字を見つけたが、まあ、指摘する必要もないだろ。
少し長めの短編というほどだから、話が二転三転ほどして、ちょうど終わるという感じ。ストーリーは下記のとおり。
・ある街にラブラブに見える若いカップルがいる。そのカップルの少女のほうをいつも見ている幼馴染の少年がいる。
・実はカップルの男は嫌な人間で、少女を殴ったりするような奴。このへんは鬱展開。
・そこに出てくる幼馴染の少年。幼馴染の少女を助けて、めでたし、めでたし。
この分量ならストーリーとしてはこんなものだろう。
「読み終わった」
と言って俺は原稿をすぐにミクニに返す。これ、手書きだからな。紛失は許されん。
「ど、どうだったですう!?」
自分にとっての「玉稿」を胸に抱えこんで、ミクニが叫ぶように言った。
「まず、文章はちゃんと書けてるな」
「そ、そんなの当たり前ですう! ミクニをなんだと思ってるですか!」
実際のところ、まともに文章書けてない応募原稿も存在はするが、たしかに書ける側からすれば、テニスプレーヤーがラケット握ってることを褒めるようなもんだな。
「ストーリーもよくできてる。ちゃんと起承転結もあるし、ひっかかるところもない」
「プロットを作ってから書きましたですからね」
ミクニは次第に得意げになっている。
「じゃあ、百点満点で言うと八十五点ぐらいは固いですね!」
俺は渋い顔になった。
手加減なしの審査を俺は求められたからな。
「まだ五十点だ」
「えっ……?」
ひび割れたガラスみたいに、途端にミクニの表情が曇った。
「な、なんでそんな低いですう……?」
「これって、つまるところ、青春小説だよな。キャラの心を上手く見せるのが目的なはずだ。だけど、読者に感情移入させる暇がない。キャラは自分の考えてることをそのまましゃべって、すぐに次に進む。つまり、台本的なんだ。展開と事実が列挙されてるだけで、読者を引きこむための工夫がない」
好きな相手に、すぐに「好き」と言ってしまうなんてことをやってるのも、減点だ。
その感情をもっと違う言動で伝えないと恋愛小説にならない。A子がB男に好きだと言って二人は結ばれる――とだけ書いてる文章を読んで感動する読者は一人もいないのだ。
退屈な話というのは、概してストーリーは破綻していない。
むしろ、凡庸なストーリーがそのまま展開されるだけだから退屈なのだ。
そのあたりのことを抽象的にならないように注意しながら説明した。
たとえば、「お前の小説は肉がない」なんて表現は言われたほうが混乱する。「お前の小説は文章が簡素すぎるから、今以上にキャラの心理や動きをたくさん書くように改稿しろ」と言わないといけない。
ミクニがもっと子供だったらやさしく伝える。書くことが嫌いになったら、元も子もないからだ。
けど、本気で小説家になりたい相手に対してなら、言葉も厳しい。ここで満足したら小説家になんてなれない。読者の心をまったく動かせない作家に存在意義はない。
もちろん、稀に、このレベルでデビューさせていいのかって新人もいる。賞は運の要素もあるし。まして、表紙イラスト次第でそういう奴がほかの新人より売れたなんてこともしょっちゅうある。
だが、運で世に出てきた奴はたいてい長く続かずに消えている。実力が伴わないから、ひずみが大きくなってこらえきれなくなるのだ。読者もいずれ気づく。
それで一番傷つくのは作家本人だ。デビューしたあとだと挽回に費やせる時間も決して長くない。戦争の最前線に送りこまれた未熟者はすぐれた戦士になる前に大半が死ぬ。
なのでミクニも甘やかさなかった。
作家になるべきじゃなかった――だなんて作家になった奴に絶対言わせたくない。
逆に言えば、人をいかに話に引きこむかが課題になる場所までミクニは来ている。
今、頑張るかどうかで、退屈な小説か面白い小説かが分かれる。
「現段階だと、書いてるお前は楽しかったかもしれないが、読者を楽しませるところまではいけてない。暇つぶしにはなるが、暇つぶし以上の価値がない。だから、五十点なんだ。自分が感動した小説を読み直したりして研究してくれ」




