0046. 調合準備を始めよう
「……いい、琴音さん。今のままこの『虹晶スライムの神核』を、ギルドの最高機密倉庫に入れるわけにはいかないわ。このコアが放つ魔圧のせいで、隣の棚に置いた薬草が全部勝手にバグ進化して、倉庫が一日で『古代の魔境ジャングル』になっちゃうから」
机に突っ伏していたアンネさんは、ゆっくりと顔を上げ、こめかみを押さえながら重々しい口調で告げた。
どうやら私の拾った綺麗な石は、ただ置いておくだけでも周囲の生態系に多大な影響を与える「歩く(石だから歩かないけど)環境破壊兵器」のようなものらしい。
「えぇっ、そうなんですか? 川を流れていたスライムさんは、そんなに元気じゃなかったのに」
「神格クラス(狐火ちゃん)に九本の尻尾で超高速お手玉されて、概念から書き換わった後なんですもの、当たり前よ。……だから、まずはこのコアの力を外に漏らさないための『安定化溶媒』を作るわ。これが、虹光の零位になったあなたの生産ギルドでの最初の仕事よ」
(BGM:『38. 厳かな実験室 〜沸騰するフラスコの音〜』開始)
※フラスコの「コトコト」という沸騰音や、ガラス同士が触れ合う繊細な音をリズム(パーカッション)として取り入れた、神秘的で没入感のあるアンビエント楽曲。生産ギルドの深部に漂うプロフェッショナルな緊張感と、未知のポーション(あるいは至高のおやつ)が生まれる直前の静かな熱狂を、低く響くストリングスと共に描き出す、調合師たちの聖域を象徴する調べ
アンネさんに案内されたのは、同じ部屋の中でも一段と厳重な、特殊な防魔結界が何重にも施された調合スペースだった。
中央にはピカピカに磨かれた銀色の大きな錬金釜(鍋)と、見たこともない複雑な形状のクリスタル製蒸留器が並んでいる。
「よし、琴音さん。まずはベースとなる『中和水』を作るわ。リストにある材料をカゴから準備して」
アンネさんから渡されたメモには、先ほどの規格外の端材とは打って変わって、ごくごく一般的な材料が並んでいた。
清らかな湧き水:1リットル
月光草の粉末:少々
魔力安定のハーブ:一掴み
「これなら初心者(エンジョイ勢)の私にもできそうです! まるでお料理の準備みたいでワクワクしますね!」
私が鼻歌交じりにカゴから湧き水を取り出そうとすると、アンネさんが悲鳴のような鋭い声で制止した。
「待って!! その『清らかな湧き水』の横に、さっきの『王の雫の残りカス』が入った小瓶を絶対に置かないで! 蓋が閉まっていても、揮発した成分のオーラが混ざるだけで、ただの湧き水が死者を蘇らせる『超神水』に化けちゃうわ!」
「えっ? でも、ほんのちょっと近づいただけですよ?」
「その『ちょっと』がこの世界の物理法則を根底から殴り倒すのよ! ……いい、琴音さん。今からあなたがやるのは『極限の引き算』よ。あなたのインベントリに入っている贅沢すぎる神話級の端材たちを一切混ぜずに、いかに『どこにでもある普通の薬品』を作るか。それが今回の最大の課題よ」
【System Warning:周辺の魔素密度が異常上昇中。原因:所有者の『愛着バグ』が、無意識に凡庸な素材のポテンシャルを強制的に引き上げています】
【Stability Control:Manual Mode Required(安定制御:完全手動での抑制を推奨)】
【Target Purity:Standard(目標純度:凡庸)】
【Current Expectation:Chaos(現在の完成予想図:混沌)】
私はアンネさんに「一粒でも神聖な灰を落としたら、虹光の零位でも即出禁よ!」と念を押されながら、慎重にまな板の上でハーブを刻み始めた。
でも、なんだか不思議ね。
狐火ちゃんが作業台の隣に座って、「クゥ(……私の魔力を少し混ぜたほうが、もっと美味しくなるのに)」とつまらなそうに尻尾を揺らして見守っているせいか。ただのハーブが、包丁(※ギルド支給のミスリル製ナイフ)を入れるたびに、キラキラと黄金色の粒子を纏って輝き始めている気がする。
「アンネさん、お水、沸騰してきました!」
「よし、温度を一定に保って。変な祈りや魔力を込めるんじゃないわよ、ただ無心で『混ぜる』だけ。いいわね? 普通の、どこにでもある市販レベルの安定剤を作るのよ……!」
ような必死な願いとは裏腹に、調合室の空気は次第に神々しい虹色の輝きを帯び始め、銀色の釜の中からはお腹が空きそうなほど美味しそうな、そしてあまりにも神聖な香りが漂い始めていた。
「……ハーブの準備、整いました! アンネさん、次はいよいよお鍋に投入ですね!」
私はワクワクしながら、シャカシャカと月光草を混ぜる手を早めた。
これが、後に生産ギルドの歴史を(悪い意味で)塗り替える『琴音の初調合』のカウントダウンだとは、まだ誰も思っていなかったのである。




