0010. 初クエ前にルール説明を
「――というわけで支部長。いつまでも威厳のない姿を晒していないで、さっさと執務室に戻って仕事を進めてください。琴音さんへの冒険者ギルドのルール説明は、受付リーダーである私が責任を持って行いますから」
「お、おう……わかった。琴音、また何かあったらわしを頼ってくれてええからな」
若菜さんの絶対零度の視線に耐えきれず、ヨルム支部長は逃げるように訓練場から去っていった。
本当にどっちが偉いのかわからないわね、このギルド。
「琴音さん、お見苦しいところをお見せして申し訳ありません。では、ホールの方にはまだ人が多いですので、先ほどの個室に戻って、今後のギルドの利用方法やルールについてご説明いたしますね」
「はい、よろしくお願いします!」
私は腕の中に狐火ちゃんをしっかりと抱き抱えたまま、若菜さんの後をついて個室へと戻った。
移動中も、私の手は狐火ちゃんの背中から尻尾にかけての極上の毛並みを撫でるのを止められない。
あぁ……なんて滑らかで、それでいて芯からじんわりと温かいんだろう。これがSSR……これが正三位のぬくもり……!
「クーゥ、クゥ!」
狐火ちゃんも気持ちよさそうに目を細めて、私の腕の中でゴロゴロと喉を鳴らしている。
はぁ、幸せ。もうここで一生撫でていたい。九本の白く輝く尻尾が、私の腕や膝を包み込む。ああ、この重み、この温もり。これこそが私の求めていたスローライフの極みだ。
個室のソファに向かい合わせで座ると、若菜さんが居住まいを正して説明を始めた。
「……さて、琴音さん。幸せそうなところを邪魔して非常に心苦しいのですが」
正面に座った若菜さんが、ぴしりと背筋を伸ばして手元の書類を整理した。
「最初のクエストに出ていただく前に、最低限のルールと『状況』を理解していただきます。他国での騒動……SR持ちの異邦人が傲慢な振る舞いをして街を半壊させた事件、あれを繰り返すわけにはいきません」
「はい。私は別に自慢したり暴れたりするつもりはありませんよ。ただ静かに暮らしたいだけですから」
「ええ、琴音さん的にはそうなのでしょう。……ですが」
若菜さんの目が、すうっと細められる。
「……あー、琴音さん。幸せそうなところを大変申し訳ないのですが、まずは冒険者ギルドの基本ルールについてご説明します。
冒険者のランクは、一番下の『F』から始まり、『E、D、C、B、A、S』までの7段階に分かれています。琴音さんは登録したばかりですので、Fランクからのスタートとなります」
「ふむふむ……(まずは9本ある尻尾の付け根からだね。うわっ、指が埋もれる!なにこの極上の密度!)」
「クエストの受注は、ご自身のランクと同じか、一つ上のランクまで受けることができます。ただし、一つ上のランクのクエストで失敗した場合、違約金が発生したり、最悪の場合は一定期間の受注停止処分などのペナルティがありますのでご注意ください」
「なるほどー……(次は耳の裏側ね。くんくん……あぁっ、お日様の下でふっかふかに干したお布団の匂いに、ほんのり甘いお香が混ざったような香りがする……!浄化される……!)」
「続いて、街の外での活動についてです。六花の街を一歩出ると、そこは魔物が生息する危険地帯です。万が一、魔物に倒されて命を落とした場合……あなた方『異邦人(神々の尖兵見習い)』の方々は、神殿で復活できると神託で伺っております。ですが、その際に魂の記憶……あなた方の言葉で言う『経験値』が減少し、所持している荷物の一部をその場に落としてしまう代償があるそうです。いくら蘇るとはいえ、最初のうちは絶対に無理な戦闘は避けてくださいね」
「へぇー、そうなんですかぁ……(ああっ!前足の肉球!ピンクじゃなくて、ほんのり深いベリー色!しかも弾力がただのグミじゃない。これは最高級のフルーツマシュマロだわ!ぷにぷに、ぷにゅぷにゅ……!)」
「また、魔物だけでなく『他の異邦人』の方々にも警戒が必要です。この街の中は神々の結界で守られていますが、外に出れば、あなた方同士で傷つけ合うこともできてしまうと聞いています。もし悪意を持って他者を襲うような同郷の者……ええと、『PK』でしたか。そういった行為を行った場合、冒険者カードに『犯罪歴』が記録され、我々街の衛兵に捕縛されるだけでなく、一部の施設が一切利用できなくなります。琴音さんも、怪しい方には近づかないように」
「うんうん、悪い人には近づいちゃダメってことですね……(んふふ、お腹を撫でたら足がピーンって伸びた!あぁ、可愛い!世界の宝!私の天使!)」
「――ですので、まずはFランクの安全な『採集』クエストで資金を稼ぎつつ、ギルドに素材を買い取ってもらって……琴音さん?」
「…………(すーはー、すーはー。モフモフの過剰摂取で脳が溶けそう……)」
「……琴音さん?聞いてますか?」
若菜さんの少し呆れたような、それでいてどこか冷ややかな声で、私はハッと現実に引き戻された。
いけない、狐火ちゃんのモフモフが気持ちよすぎて、完全に意識が「あっちの世界」へ飛んでいた!
「あっ、はい!もちろん聞いてます!
ええと、Fランクからで一個上まで受けられて、死んだら魂の記憶が減ってアイテム落としちゃって、悪いことしたら衛兵さんに捕まるんですよね!バッチリです!!」
私が慌てて早口で復唱すると、若菜さんは小さくため息をつきつつも、どこか優しい微笑みを浮かべてくれた。
「……まあ、大事なところはご理解いただいているようなので良しとします。琴音さんは、わざわざご自身からトラブルを起こすような方には見えませんしね」
本当にしっかり者のお姉さんって感じだ。受付のクラッガさんとは大違いである。
私がトラブルを起こす?まさか。私はこの世界に血みどろの戦いをしに来たわけじゃない。
スローライフと、至高のモフモフを堪能するために来たのだから。
「ありがとうございます!私、狐火ちゃんに美味しいご飯を作ってあげたり、ブラッシング用のグッズを作ったりしたいんです。だから、戦闘みたいな危ないことじゃなくて、安全にお金を稼げる採集クエストをやりたいな」
「ええ、素晴らしい心がけだと思います。幻獣との絆を深めることは、何よりも大切ですからね。しかし、あなたの膝の上で甘えているその子は、存在するだけで周囲への『暴力』になり得るのです」
若菜さんが指を弾くと、部屋の明かりが少し落ち、空中に古い巻物のような光のリストが浮かび上がった。
「我々はこの国の伝統に従い、幻獣を朝廷の位階になぞらえて呼びます。下から数えて八位、七位……と続き、三位からは『貴位』。つまり、人ならざる神の領域に足を踏み入れた存在と見なされるのです」
「……三位からですか?」
「ええ。そして、その狐火さんの位は『正三位』。……わかりますか?かつては大納言や公卿、つまり国政を司る最高幹部と同じ位です。現代で言えば、大臣クラスがあなたの膝に乗っているようなものなのですよ」
(……若菜の内心:……というか、大臣どころか『国を護る大結界』の一部が歩いているようなものよ。この人、それを抱っこして『耳が柔らかい〜』なんて悶えてるけど……どんな神経してるの!?)
「大臣……。狐火ちゃん、そんなに偉い人……じゃなくて、狐さんだったの?」
「きゅう?」
狐火ちゃんが不思議そうに首を傾げる。可愛い。
あまりに可愛すぎて、正三位がどうとかいう難しい話は、私の脳内から右から左へ受け流されてしまった。偉かろうがなんだろうが、私の可愛いモフモフに変わりはないのだ。
「……まぁ、琴音さんのその様子では、今の忠告も『馬の耳に念仏』のようですが」
若菜さんが諦めたように眼鏡を指先で押し上げた。
「では、形式上のルール説明は以上です。次に実務的な準備に入りましょう。クエストを受けるにあたって一点、確認があります」
「はい、何でしょう?」
「初期装備の受領についてです。ギルドの規定により、異邦人の皆様には、身を守るための『護身用具』を一つ選択していただくことになっています」
護身用具。まぁ、森に入るならクマ除けの鈴とか、登山スティックみたいなものが必要になるのかな。私はそんな風に軽く考えていた。
「ええ、ちょうど良かったです。何か護身できるものがあるなら安心ですね」
「ご理解が早くて助かります。では、訓練場へ移動して『武器』の選定を行いましょう」
「えっ……武器、ですか?」
私は思わず顔をしかめた。
武器。つまり、何かを叩いたり斬ったりする道具。
リアルでも包丁くらいしか握ったことがない私に、そんな物騒なものが扱えるのだろうか。
「はい。初期装備として、ギルドの訓練場にある初心者用の武器を一つ、無料でお渡しできます。剣、槍、弓、杖など様々な種類がありますので、一度訓練場で素振りをしてみて、ご自身に合うものを選んでみてください」
うわぁ……戦闘は極力避けるつもりだったのに、いきなり武器選びの試練が来てしまった。
でも、狐火ちゃんを守るためと言われたら、やらないわけにはいかない。
「わかりました……とりあえず、訓練場でいくつか試してみます」
私は狐火ちゃんを抱えたまま、少しだけ重い足取りで、若菜さんに案内されて再び訓練場(今度は初心者用のエリア)へと向かうのだった。




