水ヨーヨー Ⅰ(体育教師・椎子)
水魔法が体内で発動! ひたすら美女、美少女たちが水ヨーヨーみたいにされ殺されちゃうって話です。
きびきびした歩調が宗像知蓮の下肢の長さを物語っている。
木造二階建て校舎の廊下に響くヒールの音は、知蓮の揺るぎない意志そのものである。
カラスの濡れ羽色のロングヘアに一見地味な黒縁眼鏡──。しかしそれらが醸しだすのはむしろ芳醇な佇まいだ。バブル期のキャリアレディースを思わせるボンキュッボンのパンツスーツに身を包んだ知蓮は、ジャケットを脱ぎブラウスの胸もとをさらすだけで大抵の男たちをKOしてしまう豊満ボディの持ち主だった。無自覚にフェロモンを撒き散らしゆく先々で「視姦者」の群れを発生させてしまう危険極まりないセクシャルマシーンなのだ。
そんな知蓮が抑制されてはいるが艶っぽさを隠し切れないメゾソプラノで、いった。
「学生たちは、いまどこに?」
問いに答えたのは見るからに教頭といった草臥れ切った男──。禿げてこそいないが胡麻塩頭が妙に埃っぽい。
「今日は休校に、とも考えたのですが、生徒たちにはとりあえず体育館に集まってもらっています」
その教頭風の男の言葉に知蓮のすぐ背後にしたがっている若手刑事、斑田直人が割って入る。往年の刑事ドラマの同一枠を思わせるイケメンかつ高身長な男である。
「当然なん人かには事情聴取をっていうことになりますから、助かります」
斑田のような刑事たちを数名、さらに鑑識課員たちを引き連れ知蓮はこの捜査チームの陣頭に立っているのだった。私立探偵──。あるいは刑事たちから観れば単なる情報屋ということになってしまうのかもしれないが、知蓮の正体は実は、いわゆる超能力捜査官だ。れいの教団の事件以来当局はひた隠しにしているのだが、0年代初頭頃から発生件数が激増しているスーパーナチュラルな事件のエキスパートなのだ。
一行はとある教室のドアの前に辿り着いた。
警備の巡査の制帽のうえ、クラスを示すプレートには「3-D」とある。会話のイニシアチブは斑田が無理矢理奪ってしまったが、知蓮に対する言葉遣いは一応敬語である。
「さあ先生、臨場しますか! マスクをお願いします!」
斑田が一歩前にでて、白手袋をした手をスライド式ドアの凹みにかけると、先述の教頭風の男が逆に一歩さがった。
「あのォ、私もなかに、入らなければならないでしょうか?」
その問いに斑田は微かに眉根を寄せ応じる。
「そうですね。現場保持の問題などもありますから──。とはいえもうすでに皆さんが手で触れてしまったものがあるかもしれません。そこで待機していて、私たちの質問にはできるだけ簡潔にお答えください」
教頭風の男は明らかにホッとした様子だった。
それをチラッと確認したあと、斑田は知蓮に横目の視線を送り、「では、臨場!」と僅かに声を高めていった。
斑田がスライド式ドアを引いた途端、ムーッと濃密な異臭があふれだす。
それは基本的に排泄物のニオイで、死体がある場所では特に珍しいものではない。とはいえこの現場のニオイは異常なまでに強烈で、慣れっ子になっている鑑識課員たちでさえ思わずウッと顔を背けたほどだ。そして一歩さがって立つ教頭風の男のところにも問題のニオイが届いたのだろう、男は顔を真っ青にしてブルブル慄えだした。
しかし、知蓮が被害者と同じ女性とは思えない辛辣さで、そのニオイに対し悪態をつく。
「腐って浮かびあがった土座衛門みたいな死体だって聞いてはいたが、まさかホントに腐ってんじゃないだろうな? なんなんだ、このニオイは……」
微かにポッチャリな唇が皮肉にゆがむ。
斑田は知蓮の言葉に思わず表情筋を硬化させる。
「そりゃないでしょう! 先生! 先生だって女性でしょ? 自分が同じ目に遭ったときそんな風にいわれたら、やっぱ切ないんじゃないですか?」
「私が同じ目に? それを想像させること自体セクハラってやつに当たるんじゃないかな? 本当に破廉恥な死体だよ」
斑田が顔を顰めながら廊下に残った教頭風の男を見ると、男はその場にしゃがみ込み、ゲーッと盛大に小間物屋を開いている。鑑識課員の誰かがチッと舌を鳴らした。
死体は教卓の向こうに転がっている。仰向けの大の字、……と表現するにはあまりに異様な死体だった。
まず眼に飛び込んでくるのはパンパンに膨れあがったビッグエッグ状の腹部──。ジャージのトップスとTシャツは襟巻のように顎、頬、鼻のしたに蟠まっていて、かつて顔だったらしい部分を上段にまるで鏡餅のようだ。どうやら眼球はどこかに吹っ飛んでしまったらしい。下半身もまた似たような惨状で、ボトムスは裂け、肥大し垂れさがった下腹部と大腿部が一体化してしまっている。ただ幸いなことに放送禁止になるような部分は肉とも皮ともつかない皺襞に埋もれ、モザイクなしでもどうにかこうにかといったところだ。
その凄惨な光景を前にまたしても知蓮が不謹慎な言葉の刃を放つ。
「これじゃいろいろでちまったってしょうがないか? ニオイのもとは要するにそういうこったな──」
そして知蓮は、いってみれば先任将校の刑事たちに先んじ、死体の傍へと歩み寄っていった。
それらは膝からしただけの短いものになってしまっていたが、両脚のほうから死体を観あげるロケーションだ。普段は趣きがあるだろう床の木目も死体から噴きだした体液とも内臓ともつかないものでベチョベチョになってしまっていて、そのうえさらに、もはや毒ガスといっていい既述のニオイの拡散装置にもなってしまっている。
「これでこうなる前は生徒たちから大人気の美人教師だったんだよな?」
今日の知蓮の言葉にはいちいち棘がある。
斑田は溜め息だ。知蓮も美人だが、まさか被害者と張り合っているわけでもないだろうに……。
“美人教師”という個人の趣味判断はともかく、霊視のBGMに被害者の為人がぜひとも必要だった。それは儀式的なものだ。しかしれいの教頭風はまだゲーゲーやっていて到底当てにならない。これまでに斑田が訊き込んできた情報をかい摘んで話していくしかないだろう。
斑田は意識して顔の筋肉の動きを押さえ、さらにその意識を己が脳へと集中させる。
現場の悪臭は本当に凄まじいもので、マスクの化学繊維を粉砕し、鼻腔の奥の細胞群をどす黒く染めあげてゆく勢いだ。それらが関係者たちから訊いたかつての被害者の可憐な姿をブクブク膨らませ、眼の前のクサい肉塊へと変えていってしまうのが哀しい。
「被害者は流川椎子、二十五歳──。独身──。体育担当で体操部、バスケ部の顧問もしていたようです。新卒三年目ながら生徒たちから絶大な人気で、まぁいわゆるマドンナ先生ですね。ここ数年で赴任してきた教師たちのなかでも特に慕われていて、男女問わず、憧れの的だったようで……」
斑田は言葉を選び、できるだけ客観的に話そうと努めるのだが、それがなぜか、被害者への賛辞へと変わっていく。もっとも斑田は関係者たちの証言をそのまま伝えているだけなのだが……。
視線を床の死体から外し、知蓮の背中を視つめる。肩が微かに震えているように観える。
「……都会のミッション系大学を卒業しこの島にやってきたという点も被害者のマドンナ性に拍車をかけていたようで、その立ち居振る舞いは洗練され、島の住人たちにとってまるで映画のスクリーンから飛びだしてきたかのような存在だったとか……」
斑田の脳裏に関係者たちから訊き取った被害者のイメージが浮かびあがってくる。生徒たちの涙、その遥か彼方に紗がかかって輝く微笑……。そんなイメージが斑田の記憶を疾走させる。
被害者が初めてこの学校の狭い校庭の演台に立った日、教師たちを含め、そこにいた誰も彼もが息を呑んだのだという。南洋の陽光を受け輝くセミロングの髪──。均整が取れたしなやかな姿態は当日ライトグリーンのスーツに包まれていたのだそうだ。
「今日から体育を担当する流川椎子です! よろしくお願いします!」
元気いっぱい挨拶した声は春風が吹き抜けるようだった。被害者がバスケットボールを手にするとその掌から繰りだされるボールの音はまるで音楽のよう──。ロングシュートが決まるたび生徒たちから拍手喝采があがる。
東京へでるか? それともこの島で生きていくのか? 孤島ならではの生徒たちの悩みにも必死に耳を傾け、ときに厳しく、しかし常に愛情をもって接する姿はまさに聖女だった。
運動会で生徒たちと一緒に汗を流し、地域の祭りでは伝統の踊りを完璧にこなし、被害者の周囲は常に明るい笑顔と活気に満ちあふれていた。──孤島のマドンナ!
「普段はジャージ姿が多かったようですが、ハレの日にはファッション誌のモデルかと見まがうばかりの私服姿も披露していたようで……。生徒たちのなかには被害者に憧れ体育教師を目指す子も多かったようです」
斑田は被害者の為人を語りながら、ふと視界の端で知蓮の動きを捉える。知蓮は死体から僅かに距離を取り、しかし視線は、後頭部の傾きから察するに、膨らんだ腹部に固定したままのようだ。細い指先が豊かに張りだすヒップの左右で何かを掴むかのようにピクピク震えている。
その声もまた、微かに震えている。
「それじゃ旦那を盗られたように思ってた奥様連中も、結構いたんじゃないかな?」
「いまのところそういった話は……。でもなぜ、これだけ慕われてた先生がこんな無残な姿に……」
斑田が言葉を濁した瞬間、知蓮の全身がブルブルと激しく震えだした。
記念受験的投稿になっちゃったけど、「夏のホラー2025」、今年は完結させたいですねぇ……。




