オウ博士のコメント
宇宙ステーションという科学技術でコントロールされた環境で生きる人類にとって、その環境の外に出るというのは自殺行為だ。行方不明になった男は自殺したのか。
ユマ教授の研究室メンバーは事件の可能性について会話を続ける。
ケンが気にしていた失踪した男の動機は何だったのか。ケンは研修室メンバーの言葉に耳を傾け続けます。
そして意見を求められたオウ博士が語った事とは?
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「自殺か。エリック君の言う通り、それを出されるともう何でもアリになっちゃうけど、その可能性は比較的高めに残ってはいるよね。でも……」
ユマ教授はエリックに対してうなずきつつも、俺たち研究室メンバーにも目線を向けて言う。
失踪事件の結論としては最悪の結果ともいえるので(それを笑顔で言うなんて)という教育的指導に近い、薄っすらとしたあきれ顔にも見える。
「エリック……お前、そんな物騒なことを笑顔で言うなよ」
俺はユマ教授の語尾を補完するようにツッコミを入れる。
「そう、ケンの言う通りだよ。さすがにそれを笑って言っちゃダメだよ」
リコも同調してくる。とはいえ、この場にいた全員が謎解きゲームのように好き勝手に行方不明の男の行動の推理をしていたので、程度の差はあれど皆等しく不謹慎だった。
これまでのゼミでの議論の勢いは、急に思い出された倫理観によっていったん落ち着きを取り戻した。
これだけ決定的な情報の無い事件について、これ以上の議論ができるのだろうか。
研究室のメンバーが皆、そんな思いで次の言葉を用意できずにいる中、ユマ教授は窓際のオウ博士の方を向いて静かに口を開いた。
「オウ博士は、今回の事件をご存じですか。何かお気づきの点はありますでしょうか」
窓際の席で足を組んで座っていたオウ博士はいつも通りの穏やかな顔のまま、スッと立ち上がると「えぇ、事件の概要はニュースで知っていますよ」と言った。
片手でスーツのボタンを留めながら、彼は会議スペースの中央に置かれたテーブルにゆっくり近づきながら続けた。
「皆さんのお話された内容は、可能性としてはあり得ると思います。ただケンさんがおっしゃるように行方不明となった男性が何を思って、何の目的でそのような行動を取ったかは不確定ですから、自殺かどうかは断定できないですね」
彼は両手をテーブルについて一呼吸入れた。
「それにその男性が自殺をするには、いくつかクリアしなければならない問題が残っています。彼がその問題をどのようにクリアしたかの仮説はいくつか立てられますが、それを立証するための情報が今は不足しています」
オウ博士はそう言うと、改めて研究室のメンバーを見渡した。
「そもそも、その男性に目的や動機がない場合もあります」
「目的や動機がない? なんとなく思い付きで行動したということですか?」
リコが反射的に質問する。リコの頭と口の回転は本当に早い。
「もしくはその男が病気や事故によるケガ、飲んでいた薬などの影響によって錯乱して意味不明な行動を起こした可能性をおっしゃっていますか?」
ユマ教務もリコの言葉に被せるように身を乗り出して聞いた。
ともかくこの研究室のメンバーはこういった謎に接すると、非常に貪欲に真相に迫ろうとする。
「その可能性もゼロではありませんが、どうでしょうねぇ。自殺ではなく、他殺の場合は本人の意思や意見に関係なく状況は変化するものです」
会話のテンポが上がってきていたところで、一気に皆が口を閉じた。
昔の言葉に冷や水をかけられるという言葉があるが、まさにそんな感じだった。
瞬間的な冷却で、熱くなった考えは固く大きな結晶となってその人の胸の内に固定される。
オウ博士はいつも通りの紳士的な落ち着いた口調で話していたのだが、その中で突然出てきた『他殺』というキーワードはこの事件をただの興味と好奇心から議論していた研究室のメンバーの頭を一気に冷やした。
「そもそも、先ほどエリックさんが教えてくださったコンスキーでのバラストエリアへの移動ですが、これもステーション管理局はすでに事実を把握していると思います。第一居住区ですからね」
オウ博士はそう言うと足元を指さした。今俺たちがいるのはネット上のバーチャル環境なので、ここは第一居住区ではない。一瞬、意味が分からない俺の横でリコが声を上げた。
「あぁ、そうだ。そうでした。質量センサーか……」
「そうです。ステーションの管理局は男性がその区画から移動の痕跡はなかったと言っています。第一居住区からバラストエリアに抜ける、つまり第一居住区の質量センサーのトータルの値が変化することがなかったということです」
各居住区が回転することにより疑似重力を得ているこのステーションは、その特性として回転の最外周部となる第一居住区での質量物の移動が最も回転に影響が出やすい。
そのため回転するステーションの内周部に近づく他の居住区よりも厳密に質量センサーのチェックがなされているのだ。
指摘をされたら当たり前すぎてため息が出るが、そうか、その線で考えるとバラストエリアに抜けたという仮定は否定されるのか。
エリックは相変わらずの笑顔だ。この雰囲気で笑顔というのは、さすがにあいつのアバターが壊れているのか表情読み取りセンサーが壊れているかのどちらかだろう。
研究室メンバーはそれぞれが再び考えの整理と再構築に入ったのか、口をつぐんでいる。
窓の外からずっと聞こえていた部活動らしい学生の掛け声のBGMはもう消えていて、下校時刻を知らせる鐘の音が響いていた。
結局、今日のゼミはこれで終わるんだ……と俺は思った。