61話:琥珀―真名
七月の中盤。時期は、夏。学園も休みに入った。帰省することの出来る夏休みは、寮から人がいなくなる。咲耶は、《PP》に戻っているし、藍と姉さんも《PP》にいる。周は、実家に帰った。ヘッドホンの少女は、部屋に引きこもっているらしい。お嬢様は、そもそも学園にいない。加奈穂は、家族で海外旅行。生徒会長も、沖縄に行くと言っていた。賢斗は知らない。晴香先輩についても聞いていない。しかし、大半の生徒は、もう、寮にはいない。残っているのは、少数。丙は、俺とともに残るらしいが。
丙とともに寮を巡回する。俺たちは、六階に来ていた。六階には、ほとんど人が居らず、閑散としている。しかし、ある一室のドアが急に開き、中から猫と人が飛び出してくる。そこは、六一○号室。琥珀と晴香先輩だ。
「あ、信也くん。それと……丙ちゃん?」
丙ちゃん?もしかして、晴香先輩と丙は親しい間柄なのだろうか。
「晴香?」
「やっぱり丙ちゃんだ。軍隊に入ったって聞いてたから、学校とかに来ないのかと思ってたよ」
丙は《PP》に来るまでは、自衛隊に所属していた。その当時のままなら縁もゆかりもないままだっただろう。しかし、今は、きちんと学園に通っている。
「ワタシは、軍を抜けましたので。まあ、晴香には関係ありません」
「ん?軍を抜けたの?初耳だよ」
どうやら昔から知り合いらしいが、最近は交流がなかったようだ。
「ええ、話してませんから。貴女達には、感謝はしていますが、それだけです」
貴女達?どうやら、晴香先輩と他の誰かのことを言っているようだ。それは、一体誰だ。そう思った瞬間に、目の前が緋色に輝く。
気がつくとそこは、病院だった。
「ここは、どうやら、記憶の空間のようじゃのう」
老人のような口調の少女が現れる。歳は七、八歳くらい。銀髪に空色の瞳をした、美しい少女。おそらく、ロリータコンプレックスの人が見たら大層興奮するであろう容姿。俺は、ロリコンではないので、欲情はしないが。
「ん?ああ、儂じゃよ。琥珀じゃ」
琥珀?あの猫か。待てよ、そういえば、猫は、「仮の姿の仮の姿」といっていた。つまりは、この姿の仮の姿が猫。つまりは、仮の姿。
『このままだと、目が見えなくなる……』
不意に声が聞こえた。これは、幼い丙の声だ。今の丙の姿をそのまま縮めた感じ。しかし、左目が藍色だ。だが、光を捉えていない。
『ひのえちゃん。私のお兄ちゃんが、目を使ってって』
『苑也お兄ちゃんが……?』
どうやら、丙は、左目が見えないようだ。そして、言葉と状況から察するに、苑也という人の目を移植するのだろう。
景色が変わった。ここは、原っぱ?そこにいるのは、青年と幼い丙と晴香先輩と、もう一人。そのもう一人は、《銀狼》?!間違いない。お嬢様の車を襲撃した、あの男だ。だが、若い。少なくとも、数年前。青年は、ナイフで刺されていて、《銀狼》は逃げていく。必死に、何かを叫ぶ少女達。
病院に戻る。そこには、丙がいた。左目が緋色に染まっている。それは、おそらく、苑也の、彼の神の力が、左目だけ、丙に受け継がれたのだろう。
「これは、晴香先輩と丙の記憶?」
「そうじゃ。過去の記憶が、《緋王》と《緋姫》で無意識に共有されたのじゃろ」
つまり、晴香先輩の強い意志や思いが無意識に俺に流れ込むってことか。
そして、寮の廊下に戻る。時間は、一秒も経っていないようだった。
「そっか。感謝はしてくれてるんだね。お兄ちゃんも、きっと喜ぶよ」
晴香先輩は、俺のほうを向く。きっと、話についていけてないだろうと言う、俺への配慮だろう。
「それで、二人は何をしてるの?」
「巡回です」
俺が答える前に、丙が答える。しかし、苑也という青年はどうなってしまったのだろうか。少し気になるな。
「丙。晴香先輩と話があるから、先に一人で回ってくれ」
「……了解」
少し間があったが、そのまま丙は去っていく。
「私に話って?」
「苑也さんについて、気になりましてね」
俺は、晴香先輩の方を向く。いきなり苑也と名前を出したのは、直接いろいろと聞きたかったり、確認したかったりしたからだ。
「お兄ちゃんの?別にいいけど。今は、どこに居るかもわかんないよ……………………って、信也くん、お兄ちゃんのこと知ってるの?」
ずいぶんと間があった。気がつくのが遅すぎるだろ。だが、苑也という人物が生きているのは分かった。それと、俺に記憶を見せたのは、無意識であると言う確認も取れた。
「琥珀」
俺は、晴香先輩の質問に答えず、琥珀に声を掛ける。
「何じゃ?」
琥珀が声を出す。つまりは、晴香先輩はこいつが喋ることを知っている。でなかったら、猫らしく鳴くだろう。
「わあぁ!ちょっ!琥珀。ダメだヨ喋っちゃ!」
「心配するでない。この小童も儂の事は知っておる」
慌てる晴香先輩を、琥珀が止める。
「この小童は《緋王》じゃ。お主と似通った存在じゃよ」
「ふぇぇええ!そ、そ、そうだったの?」
晴香先輩は驚き、目を丸くする。そんなにも意外だったのだろうか。
「まあ、俺自体《緋王》とか言う自覚はないけど」
「それは、そうじゃろう。元より、《緋王朱雀》は、朱光鶴の子孫のものなのじゃから。朱光鶴と関係のない御主は、元来《緋王》にはなれぬ」
どういうことだ。《緋王》とか言ってたくせに、なれないというのは。
「元来は、貴様は、儂の持ち主なんじゃよ」
ますます謎の発言。
「貴様、姓は何という。もしかしてじゃが、小童、五人目なのではないか?」
そう、琥珀が見つけられなかった五人目。それは、俺。漣信也、否、東雲佳美弥だ。




