第二十四話:自覚
朝。
講義室。
いつも通りのはずなのに、
七瀬は少しだけ遅れて入ってくる。
神谷は気づく。
(……遅いな)
七瀬は何も言わず席に座る。
いつも通り。
距離も同じ。
視線も同じ。
でも。
“何かが違う”
「珍しいな、遅刻気味」
神谷が軽く言う。
「……ちょっと考え事」
それだけ。
短い。
(考え事?)
神谷は少しだけ引っかかる。
講義が始まる。
だが――
七瀬は、聞いていない。
(昨日の、あれ)
“取られそうなの、嫌だった”
自分の言葉が、
頭の中で何度も再生される。
(……何あれ)
分析しようとする。
いつもの癖。
・外部干渉による感情発生
・一時的な優先順位の書き換え
・本来の自分とは無関係
結論。
(ノイズ)
そう処理する。
なのに。
(……でも)
残っている。
“嫌だった”という感覚だけが、
消えない。
講義が終わる。
ざわつく教室。
神谷が立つ。
「飯行こう」
七瀬は一瞬だけ止まる。
(行かない選択肢)
考える。
(……別に、行く必要はない)
なのに。
「行く」
即答。
神谷
「即決だな」
七瀬
「いつも通り」
でも、
その「いつも通り」は少しだけ違う。
・移動中
並んで歩く。
距離も同じ。
速度も同じ。
ただ。
七瀬の意識だけが違う。
(……なんで隣にいる)
今までは理由があった。
・安全
・干渉回避
・効率
でも今、
そこに一つ増えている。
(……楽)
思考が止まる。
(……いや)
否定する。
(それは違う)
でも、
否定するほど強くなる。
神谷が言う。
「なんか静かだな」
七瀬
「別に」
短い。
神谷
「昨日のやつ引きずってる?」
一瞬、間。
「……少し」
嘘じゃない。
でも、それだけじゃない。
神谷
「感情支配って言ってたし、まぁ初見であれはな」
「対応無理だろ普通」
七瀬は黙って聞いている。
神谷は続ける。
「あのまま支配されてたら、どうなってたんだろうな」
「怖ぇ~っ 男側がそれを使ったら犯罪だよ」
七瀬
「神谷君がそれを言う? 似たようなもんだよ」
軽い。
完全に軽い。
さらに、ぽつりと。
「クジ引きで当たり引いてるんだろうな、あれ」
軽い調子。
その軽さに、
ほんの少しだけ違和感。
(……なんでそんな普通なの)
昨日、
“取られかけた”のに。
(……あ)
そこで、気づく。
“取られる”って何?
止まる。
足が。
神谷
「どうした?」
七瀬は答えない。
ただ、
一つずつ整理する。
・神谷君は物じゃない
・誰のものでもない
・取られる、という概念はおかしい
なのに。
(……嫌だった)
結論がズレる。
(……これ)
言葉を探す。
ずっと避けてきた分類。
感情の名前。
(……独占?)
違う。
(……依存?)
近い。
でも違う。
もっと単純で、
もっと厄介なやつ。
(……好意)
その瞬間。
理解してしまう。
思考が止まる。
「……は?」
声に出る。
神谷
「何」
七瀬
「……なんでもない」
でも、
全然なんでもよくない。
心拍が上がる。
(……私が?)
(こいつに?)
ありえない。
でも、
否定できない。
・沈黙
そのまま歩く。
七瀬は一言も喋らない。
神谷が少しだけ気にする。
「マジで大丈夫か?」
七瀬
「……大丈夫じゃないかも」
珍しい返答。
神谷
「珍しいな」
七瀬
「うん」
少し間。
七瀬
「……神谷君といるとさ」
止まる。
言うか迷う。
「……退屈しない」
神谷
「それ前も言ってたな」
七瀬
「うん」
小さく続ける。
「……それだけじゃなかったみたい」
神谷
「何が」
七瀬は、
少しだけ視線を逸らす。
「……多分」
一拍。
「……ちょっと、好きかも」
沈黙。
神谷
「“ちょっと”で済ませるなよそれ」
七瀬
「うるさい」
でも。
その顔は、
ほんの少しだけ赤い。
七瀬(内心)
私には干渉耐性があるから他人を好きになるなんてないはずなのに…。
これまでも…これからも…。
“干渉耐性での無効化”
その前提が、崩れた。
でも同時に。
(……悪くない)
そう思ってしまった時点で、
もう戻れない。
神谷
「……面倒なことになったな」
七瀬
「うん」
でも、手は離さない。




