広島県呉市④
2027年4月28日
四月二十八日。
九州から戻った俺は、一ヶ月ぶりにスーツに袖を通し、かつて這うようにして飛び出した会社へと向かった。
佐世保にいたあの絶望の夜、電話越しに「全部、有給扱いにしておくから」と無骨な優しさをくれた課長。その言葉に甘えさせてもらったお礼と、男としてのけじめをつけるための出社だった。
オフィスのフロアに入ると、一瞬だけ静寂が訪れた。身体が緊張で強張る。だが、課長がすぐに席を立ち、俺の肩をぽんと力強く叩いた。
「おい安村、みんな心配してたぞ。よく戻った」
「……課長。すみません、本当にご迷惑をおかけしました」
俺は心の底から、深く頭を下げた。すると、周囲の同僚たちも次々と席を立って集まってきた。
「安村さん、奥さんに離婚されたんだって? 大変だったね」
「急にいなくなるから焦ったよ。生きて戻ってきてくれて、本当に良かった」
そこには、冷ややかな視線も、腫れ物に触るような空気もなかった。あったのは、ただ不器用な男の挫折を、そのまま包み込んでくれる仲間の温かさだった。
かつて伝票の数字とばかり睨み合い、隣にいる「人」を見ていなかったのは、俺の方だったのかもしれない。みんなの言葉が、じんわりと胸の奥に染み渡り、嬉しくて目頭が熱くなった。
会社での手続きを終え、夕方、呉の我が家へと帰る。
鍵を開けてドアを押し開けた瞬間、「フゴフゴ!」「キャン! キャン!」と、家の中がひっくり返るような大歓声が上がった。
旅の相棒であるフォーンのボス。新しく家族に迎えた、白と黒のコントラストが美しいパイドのフレンチブルドッグ。そして、くるんと巻いた尻尾をちぎれんばかりに振っている、まだ小さなパグの仔犬――。
離婚して、一度は人生のどん底に落ちて一人ぼっちになった。けれど今の俺には、不器用な自分を案じてくれる元職場の仲間がいて、そして、何よりも愛おしい三匹の家族がいる。
「ただいま。さあ、みんな飯にしようか」
賑やかな足音と温かい体温に囲まれながら、俺は優しく微笑んだ。
この三匹のバディたちと、呉の街でのんびりと暮らしていければ、もうそれだけでいい。
俺の新しい人生の帳簿は、今、最高に満ち足りた数字で満たされ、ここから静かに始まっていく。
(第1部・完 / 第2部に続く)




