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その3

彼女の部屋はこじんまりとしていた。


袋の中から見上げると天井の白い光が水越しに滲んでいる。祭りの喧騒はもうどこにもなかった。


「ちょっと待っててね」


彼女はそう言うと部屋を出て行き、すぐに大きな瓶を抱えて戻ってきた。かすかに花の匂いがした。

人間はそこに花を入れて愛でるのが好きな生き物のようだ。


水を張ってそっと俺を沈める。


ひやりとした水が体を包んだ。袋の世界より広い。

底が丸く透明で部屋の灯りが屈折して面白い模様を作っていた。悪くはない。少なくともあの濁った屋台の水よりはずっとましだった。


「これじゃあ全然ダメだよね……」


彼女は花瓶の前にぺたりと座り込んで何やら四角く黒いものを触り始めた。



指先が忙しなく動いて俺には読めない文字をいくつも呼び出している。金魚 飼い方、初心者、フィルター 必要、水換え頻度、ダメな理由…。


「あ、やっぱり酸素が足りなくなるのか」


独り言を言いながら立ち上がり、また座り、また立ち上がる。


彼女は上着を羽織りどこかへと出掛けていった。


夜遅くまでやっているホームセンターというのは便利なものらしい。しばらく待っていると彼女は両手いっぱいの荷物を抱えて帰ってきた。

小さな水槽、砂利、フィルター、カルキ抜き。俺が小さな時にいた店にもあった俺たち金魚を育てるための道具…。


「ちゃんとセットするまでもうちょっとだけ花瓶にいてね」


また四角い何かを開きながら水槽を組み立てていく。何度か手順を間違えて、その度に首を傾げて、やり直して。


酸素が少ない水の中で少しずつ息苦しさを感じながらも俺は花瓶の中でゆったりと尾ビレを揺らしながら、その様子を眺めていた。


不思議な心地だった。


つい数時間前まで明日のことなど考えていなかった。なのに今、俺は彼女の次の独り言を待っている。

次の手つきを、次の表情を見ていたいと思っている。


「よし、できた」


彼女が小さく万歳をした。


なんということもない仕草だった。それだけなのに俺の胸の中で何かが静かに揺れた。


さて。


どうやら俺の新しい世界は、思っていたよりずっと広いらしい。


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