表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/8

第八話 白い罰、透明な救い

 夜明け前の砂漠は、音がなかった。


 風も、ほとんど吹いていない。白い砂はひたすら冷たく、星の代わりに上空でドローンの薄い光だけが瞬いていた。


 タンクのパネルは、相変わらず赤い表示を灯している。


 生存者数:12


 蘇生したはずの男は、そこに戻されることはなかった。


 透は、その数字をじっと見つめていた。目の奥が痛いのは、睡眠不足か、熱か、それとも単なる怒りか。


 背後で、誰かがすすり泣く声がした。


「……二つに絞るしかない」


 橘の声だった。


 全員がタンクの前に集まっている。疲れと渇きと冷えで、誰もまっすぐには立っていられない。座り込んだり、膝を抱えたりしながら、それでも顔だけはこちらを向いていた。


「選択肢は、もう二つだけだ」


 橘は唇を噛んでいた。目の下に濃い隈がある。


「一つは……誰かを殺して水を得て、外縁の熱波を越えること。タンクを開ける。そのために、誰かを犠牲にする」


 誰も息を吸わなかった。


 もう一つ。と言葉が続くのを、皆が待っている。


「もう一つは、通信を絶つ。タンクとこの表示を繋いでいるラインを切る。水は永遠に開かない代わりに、“ゲーム”を止める」


 砂の上に、その二つの道だけが残された。


 ① 誰かを殺して水を得る

 ② 水を捨てて、ここを砂の墓場にする


 透も、頭の中で同じように並べていた。


「俺は……」


 橘は言葉を探すように宙を見た。


「大人として、①を許可できない」


 かすれた声だった。


「子どもたちの前で、“一人殺せば助かる”と、俺は口では言えない。思ってしまった時点で、もう十分汚れてるかもしれないが……最後の線まで踏み越えたくない」


 ましろが、小さく頷いた。


「わたしも。同じ」


「でも、②を選べば、ここで全員が……」


 誰かが言いかけた時、別の声が割り込んだ。


「じゃあ、②でいいだろ」


 隼人だった。


 夜明け前の暗さの中で、その顔はやけに静かに見えた。


「俺はもう充分、ここの人間だ」


 隼人は笑っていなかった。泣いてもいなかった。


「外に何があるかも分からない世界より、ここで終わる方が、まだ筋が通ってる気がする。少なくとも、“誰かを踏み台にして自分だけ助かる”っていう選択肢よりはな」


 カナが、薄い声で反応した。


「隼人くん……」


「勘違いするなよ。俺は聖人じゃない」


 隼人は肩をすくめる。


「ここまで散々、自分の生存のために汚ねえことも考えた。ナイフも握った。でも、その結果がこれだ。掟の“中身”にまでなりたくはないってだけだ」


 沈黙が落ちる。


 ①も②も、どちらも罰みたいだった。


 誰か一人に背負わせる罰か。全員が分け合う罰か。


 透は、喉の奥がひりつくのを感じながら、砂を握った。


 その時、ふっと、頭の奥で何かが繋がった。


 生存者数の表示。ドローンの色。今までのログの取り方。氷室が言っていた「観測系」の話。


 これは「生き残るゲーム」じゃない。


 「選択の仕方」を集めている実験だ。


 だったら――。


「もう一つ、道があるかもしれない」


 自分の声が、意外なほどはっきり聞こえた。


 皆の視線が、透に集まる。


「第三の道だ」


 透はタンクの表示を指さした。


「“生存者数:13→12”で開くシステムなら、逆もあるかもしれない。“13→0”まで落としたらどうなるか」


「ゼロ……?」


 ましろが目を瞬いた。


「全員、死んだことにするってこと?」


「そうだ」


 透はうなずく。


「タンクの表示を、“生存者ゼロ”まで落とす。全員が死んだと判定されれば、このステージは“終了”したことになる。観測は役目を果たしたと判断して、次の処理――“回収”を始めるかもしれない」


「回収……」


 橘がその言葉を繰り返す。


「そんなプロトコルが存在すると、本気で思うのか」


「少なくとも、俺たちが“死ぬまでここで観測が続く”って設計の方が、よほど非効率だ」


 透は言った。


「誰かがこれを作ったとする。その誰かは、俺たちに延々とここで苦しませたいわけじゃない。選択のデータがほしいだけだ。全部揃ったと判断したら、回収したくなる」


「その“誰か”を、ずいぶん信用するのね」


 ましろの声には、皮肉が混じっていた。


「信用はしてない。でも、“仕事の終わらせ方”だけは、どこの世界でも似てる。終わったら片付ける。壊すか、収納するか」


「理屈としては……ありえる」


 静かな声が加わった。


 氷室だ。


 彼はタンクの下部の小さな箱に耳を当て、何度も指で触れていた。その彼が、今は透の方を見ている。


「心拍、動作、熱源。あいつは今、俺たちの“生きてる証拠”を総合して、生存者数を出しているはずだ。さっきの蘇生で分かったけど、“一度ゼロになったもの”は、戻さない」


「つまり?」


「全員が“限りなくゼロに近い状態”になれば、システムは“全滅した”と判断するかもしれない」


 氷室は砂に図を描く。


「心拍も、動きも、体表の熱も。最低限まで落として、観測系に“死んだ”と思わせる。いわば、“全員で死んだふり”をするんだ」


 冷たい言い方だったが、その奥にある危険度は誰にでも分かった。


「そんなことしたら……」


 ましろが唇をかむ。


「本当に死ぬかもしれない」


「だから、危険だって最初から言ってる」


 氷室は淡々と続けた。


「でも、“誰か一人確実に殺す”のと、“全員でギリギリを踏む”のと、どちらを選ぶかは、俺たち次第だ」


 橘は目を閉じた。


 隼人は空を見上げた。


 カナは膝に顔を埋めたまま、震える肩を止めようとしていた。


「やってみたい」


 透ははっきりと言った。


「俺は、誰かを犠牲にする水も、ここで干からびて終わる墓場も、選びたくない。掟を殺すって言ったのは、俺だ。なら、掟の外側に飛び出すための道を、試してみたい」


「……」


 橘はしばらく何も言わなかった。


 やがて、目を開く。


「全員が同意するなら」


 それが答えだった。


「さっきの投票みたいに、無言の賛成に頼るやり方はしない。今度は、一人ずつ口で言ってほしい。“やるか、やらないか”」


 最初に口を開いたのは、意外にも隼人だった。


「俺は、やる」


 短い言葉だった。


「ここまで付き合ったんだ。最後まで見たい。“掟の外側”ってやつを」


「わたしも」


 ましろが続いた。


「看護師としては、全員にそんな危ないことさせたくない。でも……ここで誰か一人に殺す役を押し付けたまま終わるより、ずっとまし」


「俺も」


 氷室が言った。


「これは、観測系に対する最後の反抗だ。ここで何もしなかったら、一生後悔する」


 カナが顔を上げた。


「わたしも……やる。もう、ずっと選ばれてきたから。今度は、自分で選びたい」


 次々に「やる」の声が重なっていく。


 誰も、「やらない」とは言わなかった。


 橘は最後に、深く息を吸ってから、うなずいた。


「じゃあ、やろう」


 教師としての顔ではなく、一人の生存者として。


「全員で、掟の外に出るために」


     ◇


 準備は、夜明け前の一時間で一気に進められた。


 まず、発熱板をできる限り掘り出す。


 砂の下に埋められていた黒い板を、一枚、また一枚と見つけては、周囲の砂ごと掘り起こす。板の裏側に巻き付いた配線は切らない。代わりに、断熱材で包む。


 断熱材は、保温シートやタープの切れ端だ。数枚を重ね、板をすっぽりと巻き込む。その上から砂をかぶせて、熱も振動も外に逃さないようにする。


 砂文字の発光は、目に見えて弱まっていった。


 殺せば奪える

 奪えば選べる

 選べば裁かれる

 裁けば進める

 誓えば奪われる


 その下に、新しい文は増えない。


「観測の“感度”を落としてるだけだけどね」


 氷室は言った。


「完全には止まらない。でも、“どこで何が起きてるか”の精度は確実に下がってる」


 同時に、鏡面片の配置も行った。


 保温シートを小さく切って、砂丘の上や斜面に貼り付ける。壊れたケースの反射部分も使って、さまざまな角度に向ける。


 太陽が昇ってきた時、その光はきっと、ドローンのレンズに乱雑な情報の洪水を送り込むだろう。


「横たわる場所は、北側の斜面がいい」


 氷室が砂丘を指さした。


「直接日光が当たりにくいし、風も少しだけ遮られる。砂に半分埋まれば、体表の熱も抑えられる」


「半分埋まるって……」


 誰かが顔をしかめた。


「窒息しないようにだけ、気をつけてくれ」


 氷室は真顔で言った。


「鼻と口の周りは開けておく。目も閉じて。体を固くしていると、どうしても痙攣が出るから、力を抜いて、呼吸を浅く、ゆっくりに」


「そんな器用なこと、できるかな」


 隼人が苦笑した。


「やるしかない」


 透は握りこぶしをほどき、開いた。


 これから、自分の心臓の鼓動を、意識的に遠ざける。


     ◇


 太陽が、白い輪郭を空に描き始めた。


 砂漠の東の端が、淡い橙色に染まる。


「時間だ」


 氷室が短く言った。


 全員が砂丘の北側斜面に移動する。そこは、これまで何度も風を避けるために座った場所だ。今度は座るのではなく、横たわる。


「透くん」


 ましろが袖をつかむ。


「怖い?」


「怖くないと言ったら嘘になる」


 透は苦笑した。


「でも、誰か一人を選ぶよりは、ずっとましだ」


「そうだね」


 ましろは手を握ってから、離した。


「じゃあ、行こうか。死んだふりの練習なんて、病院でもなかったから、新鮮だわ」


「どんな冗談だよ、それ」


 少しだけ笑いが漏れた。


 砂の上に横たわる。背中にひんやりとした感触。頭を少し砂に沈めると、耳のすぐ横で、砂粒がざらざらと音を立てる。


 隣にはカナがいる。目をぎゅっとつぶり、唇を結んでいる。


「カナ。大丈夫か」


「うん……。透くんが起きたら、起きる」


 カナは小さく笑った。


 橘は皆の顔を一人一人見てから、自分も砂に身を沈めた。隼人は腕を組む癖をやめ、だらりと両腕を広げる。


「呼吸を合わせよう」


 氷室が言った。


「吸って……吐いて……。一分間に、十回も吸わないくらいのペースで」


 全員が、それに合わせるように息をする。


 吸う。吐く。吸う。吐く。


 やがて、誰の息も聞こえなくなっていく。


「体表の熱を抑えるために、砂を少しだけかける」


 ましろと橘が、互い違いに砂を掬っては、皆の上に薄くかけた。胸と腹と脚に、さらさらと砂が降り積もる。布団の代わりに、墓標の下ごしらえのようだった。


「もう動くな」


 氷室が最後に言った。


「これから先は、一つ一つの動きが、“生きてる証拠”になる。全員で、完全に止まるんだ」


 透は目を閉じた。


 暗闇の中で、自分の心臓の鼓動だけが大きく感じられる。


 ドクン。ドクン。


 すぐ近くで、カナの小さな呼吸の気配。ましろの微かな体温。隼人の存在感のある気配。


 吸う。吐く。吸う。吐く。


 それ以外を、全て捨てる。


 砂の重みが、少しずつ体に馴染んでいく。冷たさが、むしろ安心に変わる。


 時間の感覚が薄れていった。


     ◇


 ドローンの音が、変わっていくのが分かった。


 最初は、いつも通りの一定の唸り。やがて、それが上がったり、下がったりし始める。強くなったり、弱くなったり。


 目を閉じていても、光の変化が瞼の裏から伝わってくる。


 赤い点滅。黄色。白。


 やがて――青。


 透は瞼を閉じたまま、ほんの少しだけ目を細めた。


 青。今まで一度も見たことのない色。


 ドローンの中の何かが、状態を切り替えた証だ。


 タンクの表示はどうなっているか。誰も見に行けないが、想像はできた。


 十三。十二。十一。


 ゆっくりと、数字が減っていく。


 生存者数:10

 生存者数:7

 生存者数:3


 透は、自分の心臓の鼓動を、もっと遠くへ追いやろうとした。


 吸う。吐く。


 体内の熱が、砂に吸い取られていくような感覚。指先の感覚が消え、頬の皮膚がしびれる。


 喉が焼ける。乾きが一つの塊になって、喉元にへばりついていた。それでも、咳をしないように必死に堪える。


 呼吸を止めるのではない。限界まで浅くするだけだ。線のような呼吸。


 いつの間にか、ドローンの音は遠ざかっていた。


 もはや、上下する音もしない。ただ、遠くで機械がかすかに震えているだけの気配。


 それすらも、やがて消えていった。


     ◇


 どれくらい時間が経ったのか、透には分からなかった。


 無音の世界で、自分がまだ生きているのかどうかも、はっきりしない。


 だが、地面の下から伝わってくる振動だけは、確かにあった。


 ゴウン。


 低い音。


 タンクのポンプの音ではない。もっと深いところから響いてくる。


 ゴウン。ゴウン。


 地中のどこかで、巨大な装置が動き出した。


 砂丘の向こうで、空気が変わる気配がした。冷たい風が、一筋、頬を撫でる。


 透はまだ目を開けない。


 誰かが合図を出すまで、動いてはいけない。


 じきに、氷室の声が、砂の向こうから聞こえた。


「……いい。起きて」


 その声は、今までで一番弱々しかった。


 透はゆっくりと瞼を持ち上げた。


 世界が、少しだけ違って見えた。


 さっきまで、上空に張り付いていたドローンの影が、どこにもない。空は白く、ただ太陽だけがそこにある。


 代わりに、砂漠の一部が、変わっていた。


 ポンプ施設の横、タンクの裏手の砂地が、大きく陥没している。まるで地面が口を開けたようだった。


 その口の中から、冷たい空気が吹き上がっている。


「……開いた」


 橘が、息を呑んだ。


 口を開けた地面の中には、階段が見えた。白いコンクリートの壁。整然と並んだ照明。地下へと続く感じの悪い整然さ。


 その壁の一部には、銀色のプレートが取り付けられている。


 選択の観測終了

 協力に感謝する


 透は、その文字を何度も読み返した。


 誰の選択だ。誰の観測だ。誰の感謝だ。


 そこで初めて、タンクの表示を見た。


 生存者数:0


 赤い数字は、ゼロを示していた。


 この世界のログ上では、彼らは全員、死んだことになっている。


「……そういうことか」


 隼人が、笑うでも泣くでもない声で言った。


「俺たちは、モルモットとしての役目を終えた。だから、餌箱に戻されたわけだ」


 階段の下からは、人工の風の音がする。発電機の低い唸り。機械の冷たさ。汚れ一つない人工の影。


 中には、確かに水があった。


 階段の途中から、透にはそれが分かった。冷たい湿気の匂い。金属と消毒液の匂い。その奥に、医療資材の整然とした気配。


「救い、ね」


 ましろがぽつりと言った。


「ここを“救い”って呼ぶなら、きっとこれは白い罰なんだろうね」


 壁も床も、白かった。


 病院の廊下みたいな白。汚れが目立つからこそ安心させる、管理された白。


 透は頷いた。


「罰でいい」


 自分でも驚くほど、はっきりと言えた。


「掟の下で誰かを殺して得た水より、ずっとましな罰だ」


 カナが透の袖を引いた。


「行こう……?」


「ああ」


 透は頷いたが、その前に、一度だけ振り返った。


 砂丘の向こう。陽炎の揺れる地平線。


 そこに、うっすらと緑色の帯が揺れていた。


「……まだ、見える」


 あの、最初の日に見た、オアシスの幻。


 本物だったのかもしれない。別の出口だったのかもしれない。もしかしたら、そこに向かい続けていたら、まったく別の形の終わりにたどり着いていたのかもしれない。


 だが、彼らはそこを選ばなかった。


 目の前に穴が開き、「観測終了」と刻まれた扉が用意された今も、彼らは自分たちの選んだ道の意味を抱えたままだった。


 掟を殺すために、彼らは「全員死ぬ」という記録を受け入れた。


 ドローンの目の届かない場所へ行くために、彼らは観測の外側に、自分たちの身体を運ぶ。


「これも罰だね」


 ましろがもう一度そう言った。


 透は笑った。


「罰でしか、終われないだろ」


 この世界では。


 唯一、透明な救いを選べたのだと、信じるために。


 彼らは、ひとり、またひとりと階段を降りていく。


 白い光の中へ。


 影と水と医療資材が待つ、地下の施設へ。


 ドローンの目が届かない、透明な罰の中へ。


 最後に、風が砂丘を撫でた。


 砂上の文字が、少しずつ削られていく。


 殺せば奪える

 奪えば選べる

 選べば裁かれる

 裁けば進める

 誓えば奪われる


 その全てが、風にさらわれ、跡形もなく消えた。


 白い砂漠には、もう掟の言葉は残っていない。


 ただ、誰も知らないログの中に、「十三からゼロへ」という数字だけが、静かに残り続ける。


 地平線の彼方で、うす緑の帯が、まだ揺れていた。


《了》

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ