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第3話「砂に落ちる善意」

 第三日目の朝、透は、誰かの荒い息づかいで目を覚ました。


 すぐ近くから聞こえる。浅くて速い、引っかかった呼吸。夜の冷えは去り、代わりにじわじわと熱が肌に貼り付いてくる時間帯だ。透は上半身を起こし、音の方を向いた。


 カナがうつ伏せに近い体勢で丸くなっていた。肩が小刻みに震え、額にはびっしりと汗が浮かんでいる。頬は赤いというより、不自然に火照っている。


 嫌な予感が、喉の渇きより先に胃を冷やした。


 透は手の甲をカナの額に当てた。


「熱い……」


 掌がびりっと焼けるような体温だった。


 すぐにましろが駆け寄ってくる。眠れない夜を過ごした顔をしているが、目だけは鋭い。カナの脈と呼吸を確かめると、小さく首を振った。


「発熱。かなり高いわ。昨日の脱水と冷えの反動ね」


 透は思わず周囲を見回した。白い砂、伸び始めた影、頭上で低く唸るドローン。どこを見ても、熱を下げてやれるものはない。氷も、冷房も、冷たいタオルさえ。


 あるのは、あの小さな影だけだ。


 砂丘の陰にできた日陰は、まだ細い。けれど、それでも直射日光に比べれば天国のような涼しさがある。今は、列に従って数人がその中にいるはずだった。


 しかしましろは、迷わなかった。


「カナ、こっち。影に入ろう」


 彼女は自分がいた場所からすっと立ち上がり、砂丘の陰を指さした。順番を待っていた男が、驚いたように顔を上げる。


「おい まだ俺の番だろ」


「ごめんなさい。一時的に貸して。命に関わるから」


 ましろはそう言いながらカナを抱き起こし、ふらふらの足を引きずらせて影の中へ連れていく。影から追い出された男は不満げに眉をひそめたが、カナの顔色を見て口をつぐんだ。


 ましろはアルミブランケットを剝がし、自分の肩から外してカナの体にかける。熱を逃がすため、ただの布のように薄く広げた。


「透、水筒」


 呼ばれて、透は腰のそばに置いていた水筒に手を伸ばす。金属の表面は、朝だというのにすでに熱を含んでいた。


 栓を開けると、ほんの少しの水音がした。昨日からの配分で、水は残りわずかだ。橘が作った配分表は、もうほとんど余白がない。


 透は水筒を傾け――そこで、その手が止まった。


 この一口で、昼までの予定が崩れる。次に喉が裂けるように渇くのが誰か分からない。カナだけを優先すれば、他の誰かの首を締めることになる。


 透の躊躇を見て、ましろは眉を寄せた。


「透」


「分かってる。でも……」


 その一瞬が、やけに長く感じられた。透の指先が震える。水筒の口に、朝の光がちらついた。


 影の外から、橘がこちらを見ていた。疲れと迷いが混じった目だ。


 結局、透は水筒をそっと砂の上に置いた。


「今はまだ 配分表の通りでしか動けない。ここで全部崩したら、今度こそ誰が生き残るか分からなくなる」


 自分で言っていて、胸が痛くなった。正しさを選んだようでいて、その実ただの逃げかもしれない。


 ましろはほんの一瞬だけ睨むような目をしたが、すぐに目を閉じて深く息を吐いた。


「……いいわ。その代わり、熱だけでも下げる」


 彼女は自分の首に巻いていた布を外し、水筒の口にほんの少しだけ触れさせる。水を吸い込んだ布を、高く掲げて振った。熱風の中でも、わずかな蒸発冷却が生まれる。


 その布を、カナの首筋と脇の下に当てる。汗と混じった水が冷たく、カナの肩が小さく震えた。


「ましろ、あんた 影にいないと」


 透が言うと、ましろは影から一歩出た。


「大丈夫。私はまだ立てる。今はカナを優先」


 直射日光が容赦なくましろの腕を焼く。布を振るたび、彼女の額にも新しい汗が浮かんだ。


 透は、喉の奥に石を詰め込まれたような感覚を覚えながら、その光景を見ていた。


 善意だ。


 それが分かるからこそ、水筒に伸ばしかけた手が、余計重くなる。


     ◇


 午前中、皆の動きはどこかぎこちなかった。カナの熱、ましろの献身、透の迷い。それぞれが砂の上に薄い影を落としている。


 そんな中で、氷室だけはいつも通りに冷静だった。


 彼は砂の上に座り込み、頭上のドローンを見上げては、手元の砂に何かを書き留めている。小さな記号や矢印、数字。


 透が近づくと、氷室は眼鏡を指で押し上げて言った。


「ログを取ってるんだよ。あのドローンの行動ログ」


「行動ログ……?」


「いつ、どこに、何を落としたか。周囲でどんなことが起きていたか。細かくね」


 氷室の書いた砂のメモには、昨日からのケースの落下タイミングが列挙されていた。最初の空箱。隼人と透の取っ組み合い。その後の「確認」。篠崎が隼人に掴みかかった時の箱。中身のあった小瓶。殴打の直後に落ちた二つの箱。


「見えてきたよ。投下条件」


 氷室は指で三本立てた。


「まず一つ目。死者。まだはっきりした死体は出てないけど、意識喪失や重度の失調に近い状態の時、反応が強くなる傾向がある」


「さっきのカナで、何か落ちたか?」


 透が聞くと、氷室は首を横に振る。


「まだそこまでじゃない、って判断されたのかもしれないね。あくまで“仮説”だけど。


 二つ目は、暴力の閾値。殴打や掴み合い、大声での罵倒。いわゆる争いの密度が一定以上高まると、あいつは近づき、赤いランプを点滅させる。その直後に箱が落ちることが多い」


 透の頭に、隼人と篠崎の喧嘩や、昼の殴打がよみがえる。あの時の、機械じみたタイミングの良さ。


「三つ目は?」


「合意の可視化だ」


 氷室はそう言って、昨日の影の列を指でなぞる。


「列。挙手。順番の表。そういう、人間の間の“ルール”が視覚的に整っている時も、投下率が上がってる。善意でも悪意でも、とにかく“見える形”でまとまると、あいつは何かを試しにくる」


「善悪、両方ってことか」


「そう。あいつにとっては、善と悪はラベルの違いでしかない。目に見えるかどうかが重要なんだ」


 氷室は砂に簡単な図を描いた。人のアイコン、矢印、箱。そしてそれらを囲むように円を描く。


「つまり あのドローンは、“見える善悪”に反応する機械ってことだよ。俺たちのやってることが、何かの評価指標に載れば載るほど、上から何かが降ってくる」


 透は空を見上げた。ドローンは変わらず一定速度で旋回している。そこに倫理も感情も宿っていない。


 ただ、見ている。


 善意も、悪意も、列も、札も、投げられた石も。


 橘がその話を聞き、しばらく黙り込んでいた。やがて、深く息を吐く。


「……なら、こっちも“見える形”を利用するしかないか」


「どうする気だ?」


 透が聞くと、橘は配分表とドローンを交互に見上げた。


「善意の募金だ」


「募金?」


「カナのために、水や影を“少しだけ”譲ってくれる人を募る。その意思表明を、ここで可視化する。名前と量を書いて、順番を決める」


 善意を募る。確かにそれは、人間として自然な発想だ。カナの状態を見れば、誰だって何かしたくなる。


 だが、その言葉に真っ先に笑ったのは、やはり隼人だった。


「善意の募金、ねえ」


 彼は砂の上を靴先で蹴りながら、鼻で笑う。


「いいじゃないか。泣ける響きだ。カナのためにみんなで少しずつ我慢して、少しずつ譲り合って。上から箱が落ちてきたら、きっとドラマティックだろうさ」


「何がおかしい」


 橘が睨むと、隼人は肩をすくめた。


「簡単な話さ。善意は、“確認箱”を呼ぶだけだ。今までだってそうだろ。誰かがきれいなことをした瞬間、あいつは『本気かどうか』を見に来て、空箱を落としたじゃないか」


 昨日の、何も入っていない箱。あの紙片の「確認」の文字。


 透は唇を噛んだ。


「善意の募金なんて始めたら、その“善意”そのものが試される。譲り合うふりだけして、実際にはほとんど出さないやつも出てくる。逆に、無理して出し過ぎて倒れるやつもな。面白いだろ」


 隼人の声には、わずかな興奮が混じっていた。善意の歪みを観察するのが、楽しくて仕方ないような。


 橘は拳を握りしめた。


「それでも、何もしないよりはましだ。俺たちはゲームをしているんじゃない。生き残ろうとしているんだ」


「生き残るためにゲームをしなきゃいけない場所なんだよ、ここは」


 隼人の言葉は、乾いた現実の音をしていた。


 結局、善意の募金表は半分だけ埋まった。名前と、水筒からの提供予定量。そして影の順番の一部を、カナに回すという印。


 それは確かに「善意の可視化」だった。


 同時に、それは「誰がどれだけ善意を出したか」のランキング表にも見えた。


     ◇


 昼下がり。太陽は頭上で白く膨らんでいる。


 カナは相変わらず高熱だったが、ましろの冷却のおかげか、意識だけは保っていた。目を開けたり閉じたりを繰り返しながら、浅い呼吸を続けている。


 影は少し広がり始めていたが、それでも全員を収容するにはほど遠い。列に並ぶ者たちは、善意と打算の境界で足踏みしている。


 そんな中で、透はふと視界の端に入った光景に気付いた。


 影の形。


 砂丘の陰が伸びる先に、小さな三日月型の部分ができている。大きな影から少しだけ離れた、細い日陰。


 そこに座っているのは、誰もいない。


 透は立ち上がり、橘に声をかけた。


「なあ、提案がある」


「何だ」


 透はその小さな日陰を指さす。


「影の端に、“こども枠”を作らないか」


「こども枠?」


「カナと……あと、体調の悪いやつ用の、専用スペースだ。列に関係なく、そこだけは優先して使える。決め方は みんなの前で話し合って、札を立てるとかして可視化する」


 氷室の仮説が頭にあった。合意の可視化。善意の可視化。それを、こちらから利用する。


「ただの情けじゃない。これは“ルール”だ。こども枠に誰を入れるか、みんなで決める。決まったら、あのドローンに見せてやる」


 橘はしばらく黙っていたが、やがて頷いた。


「……やってみよう」


 善意の募金表と同じように、今回も反対意見は出た。自分だってしんどいのに、なぜカナだけ特別扱いなのか。こども枠ができたら、大人枠との境界で揉めるだろう。


 それでも、実際にカナの顔を見てしまえば、中傷は長くは続かなかった。体の小ささ。汗だくの髪。荒い息。


 それに、札を立てるという「手続き」が、感情の衝突を少しだけ和らげる。


 氷室が砂を平らにならし、透が小さな木の枝を拾ってくる。布切れで作った即席の旗に「こども」と書き、影の端の小さなスペースに突き立てた。


 列から一本だけ枝分かれした、特別な枠。


 その前に、カナを連れてくる。


「ここ、座ってみる?」


 透が言うと、カナは弱々しく笑った。


「えへへ……なんか、特等席みたい」


 彼女は布団代わりのブランケットを抱きしめながら、小さな三日月の端に腰を下ろした。顔の半分に影がかかり、残り半分に光が当たる。


 列に並んでいた大人たちが、その様子を見つめている。妬みと納得と、少しの安堵が混じった目だ。


 透は胸のあたりが締め付けられながらも、旗と列とカナの姿を見渡した。


「これで あいつに見せつけてやれる。俺たちのルールを」


 頭上のドローンは、さっきから少し高度を下げていた。赤いランプはまだ点灯していないが、旋回軌道は明らかにここを中心に取っている。


「来るぞ」


 氷室が小さく呟いた直後だった。


 空から、二つの影が落ちてきた。


 金属の光。落下の軌跡。砂を叩く音。


 一つは影のすぐ手前。もう一つは、カナの座る「こども枠」のすぐ横だった。


「ケースだ!」


 誰かが叫び、数人が駆け寄る。橘が手を広げて制した。


「落ち着け! まず中身を確認してからだ!」


 透も一緒に走り、カナの横の箱に手を伸ばす。カナは驚いて目を見開いたまま、固まっていた。


 蓋を開けた。中には、水筒が一本。


 透は息を飲む。


 隣で、橘がもう一つの箱を開ける。中身は、同じ形の水筒だった。


「あった……水だ!」


 歓声が上がった。誰かが手を叩き、誰かが空を見上げて「よっしゃ」と叫んだ。砂漠に似合わない、短い喜びの爆発。


 透は胸の奥で何かがほどけるのを感じた。


 見えた。こども枠。札。列。みんなの顔。あいつはそれを認識して、「報酬」を落とした。


 善意が、実際に形になったのだ。


 水筒の中身を少しだけ確かめる。透明な水。電解質のラベル。冷たくはないが、それでも救いの塊だ。


「カナ、飲もう」


 透が差し出すと、カナは小さく頷いて水筒を両手で持った。唇に当てる。ごくり、と喉が鳴る。さっきまで焼けた石みたいだった喉が、少しだけ柔らかくなる。


「……おいしい」


 その一言だけで、透の背中を支えていた力が抜けた。膝から崩れ落ちそうになるのをこらえる。


 善意の募金表は、ただの自己満足じゃなかった。可視化された善意は、機械に届いた。


 そう信じた瞬間、透は初めて砂漠で胸をなで下ろした。


     ◇


 しかし夜になると、その安堵は別の形を取る。


 風が冷たくなる。砂丘の影は広がり、人々はその中で体を寄せ合って眠ろうとする。


 カナはこども枠の旗のそばに寝かされていた。熱はまだ完全には引いていないが、昼よりはましだった。呼吸も少し落ち着き、汗の量も減っている。


 透はそのそばに腰を下ろし、空を見上げた。ドローンは今日も変わらず高い高度をぐるぐると回っている。あの黒い球体には、感謝の念を抱くべきか、憎しみを向けるべきか分からない。


 ぼんやりと考えていると、カナが目を開けた。


「透くん……」


「起きてたのか」


「うん」


 カナは辺りを見回し、旗を見て、影の境界線を指先でなぞった。


「ここ、いい場所だよね。みんなが見える」


「嫌なら、旗の場所を変えるか?」


 透が冗談めかして言うと、カナは小さく笑った。それから、少しだけ真剣な顔になる。


「ねえ 透くん」


「何だ」


「見られてるんだよね。私たち」


 カナはゆっくりと空を見上げる。


「あの、お空の丸いのに。今日 私ここに座ってたら、すぐ水が落ちてきたでしょ。なんか……誰かに『よくできました』って褒められたみたいで」


 そこで言葉を切り、薄く唇を震わせた。


「気持ち悪い」


 透は返す言葉を失った。


 カナの言っていることは、ただの子どものわがままではない。あの「こども枠」は、カナを守るためだけに作ったものじゃない。それを通して、俺たち自身の善意を見せつけている。


 褒められるための善意。ポイントを稼ぐための優しさ。水が落ちてきた瞬間、歓声を上げた誰もが、そのことに少しだけ目をつぶった。


 カナは目を閉じながら続けた。


「誰かが見てて、『いい子だね』ってボタン押してるみたい。私が勝手に嬉しくて笑ったら、また上から何か落ちてくるのかなって……それ考えたら、変な感じがして」


 透は、胸のあたりにうっすらとした嫌悪が広がるのを感じた。


 可視化された善意は、救いであり、同時に搾取だった。


 こども枠に座るカナの姿も、氷室のログも、橘の募金表も、全部が上空の何かにとっての「データ」であり、「実験条件」なのだとしたら。


「……ごめん」


 思わずそう口にしていた。


「何で透くんが謝るの?」


「お前をここに座らせたのは、俺だからだ」


 カナは不思議そうに首を傾げる。それから、少しだけ笑った。


「でも ありがとうも言っていい?」


「え?」


「ここに居なかったら、私 今日、水飲めなかったから」


 その言葉には、純粋な感謝と、わずかな諦めが混じっていた。


 透は決めた。少なくとも、この子の前では、善意を「見せるための道具」として扱わないと心に誓った。


 たとえそれが、上からの報酬を減らすことになったとしても。


     ◇


 深夜、砂漠の温度はさらに下がった。風は鋭くなり、砂丘の形を少しずつ削っていく。人々はいびきをかき、うめき声を漏らしながら、それぞれの不安を抱いたまま眠っていた。


 透は浅い眠りと覚醒を繰り返していた。喉は相変わらず乾いている。目を開けるたびに、頭上のドローンが月を横切るのが見えた。


 そんな時、小さな声がした。


「透くん。起きてる?」


 氷室だった。彼は薄い布を肩にかけ、砂の文字の方を指さしている。


「ちょっと来てくれない?」


 透は立ち上がり、足音を殺しながらついていった。文字が掘られている場所は、昨日と同じだ。月明かりが砂の表面をかすかに照らしている。


 氷室はしゃがみ込み、文字の端を指でなぞった。


「ここ。かすれてる」


 確かに、「奪えば選べる」の最後の字の横に、何かが中途半端に削れたような跡があった。誰かが足を滑らせて踏んだのかと思ったが、氷室は首を振る。


「違う。これは……書こうとして、書きかけて止めた線だ」


 氷室は慎重にその部分の砂を払う。指先で、少しずつ、少しずつ。


 やがて、砂粒の下から黒いものが顔を出した。


「……何だ、これ」


 透も膝をつき、覗き込む。


 そこには、薄い黒い板が埋まっていた。手のひらに収まるほどの大きさの、金属とも樹脂ともつかない板。表面には細かい凸凹があり、よく見ると規則的な線が刻まれている。


 氷室がおそるおそる指先で触れた。


「熱い」


「熱い?」


 透も触ってみる。じんわりとした熱が伝わってくる。真夜中の砂漠の冷たさの中で、この板だけがかすかに熱を帯びていた。


 耳を澄ますと、かすかな振動音がする。砂粒が微妙に跳ねるような、微小な震え。


「あいつら……今もここに“書き続けてる”」


 氷室が呟いた。


「誰かが、だろ。機械か、人か」


「どっちにしても、文字は自然に変わってるわけじゃない。更新されてるんだ。あの板を通して」


 氷室は砂を元に戻し、黒い板を隠した。その上から、指で慎重に線を引いていく。


 ちょうどその時、頭上のドローンが、いつもより一瞬だけ低く降りた気配がした。プロペラ音が耳を圧する。


 風が吹き、砂が舞う。


 目を細めて見開いた瞬間、文字が変わっていくのが分かった。


 殺せば奪える

 奪えば選べる


 その下に、新しい行が刻まれる。


 選べば裁かれる


 透は、背中を殴られたような衝撃を受けた。


「裁かれる……?」


 今までは、「奪えば生きられる」「奪えば選べる」と、奪う側に力が与えられていく感じだった。しかし新しい行は、その力の先に、「裁き」が待っていると言っている。


 氷室は顔をこわばらせた。


「善意も悪意も、“選択”も、全部評価されてるんだよ。誰かが、何かを基準にして」


「裁かれるって、誰が、誰を」


「さあ」


 その答えを知っているのは、黒い板と、頭上のドローンだけだ。


 透は、自分の胸の中をさらわれるような感覚を覚えた。今日、自分が選んだこと。カナをこども枠に座らせたこと。瓶を誰に渡したか。善意の募金に名前を書いたか。


 それら一つ一つが、どこかの帳簿に記録され、「裁き」の材料になっている。


 砂の上の文字は、静かにそこにあった。


     ◇


 翌朝。


 透は、悪夢から抜け出したような重さを体に感じながら、目を覚ました。頭の中で「裁かれる」という言葉が何度も反芻されている。


 最初に確認したのは、こども枠だった。


 旗はまだ立っている。砂丘の影もある。薄くなりつつあるが、カナの体を十分に覆えるだけの幅は残っているはずだ。


 しかし、そこにカナの姿はなかった。


「……カナ?」


 透は思わず声を上げた。周りで寝ていた数人が顔を上げる。


「どうした」


「カナが……」


 こども枠の寝床には、ブランケットだけがくしゃくしゃになって残されていた。ましろが飛び起きて駆け寄る。


「カナ?」


 彼女は布をめくり、周囲を見回した。少し離れた場所にもいない。影の外にも、砂丘の上にも、小さな体は見当たらなかった。


 透の心臓が嫌な音を立てる。


 その時だ。ブランケットの上に、何かが落ちているのに気付いた。


 小さな、白い羽根のようなもの。


 透はそれを指先でつまんで持ち上げた。


 羽根ではなかった。薄いポリ素材の破片だった。光に透かすと、うっすらと焦げたような跡がある。端は丸く溶け、細い線が走っている。


 氷室が近づいてきて、それをじっと見つめた。


「……ドローンの外殻だ」


「外殻?」


「あの球体のパーツの一部だと思う。素材も、色も、一致してる」


 じゃあ、この真上で――


 誰かが石を投げたのか。昨夜のうちに、誰かが密かに抵抗を試みたのか。あるいは、上空で別の何かと接触したのか。


 透は顔を上げた。


 ドローンは、今も同じように旋回している。目に見える傷はない。白い羽根のような破片が一枚落ちたぐらいでは、その動きは止まらないらしい。


 こども枠の寝床だけが、ぽっかりと空いている。


 殺せば奪える

 奪えば選べる

 選べば裁かれる


 砂の上の文字が、やけにくっきりと目に入った。


 裁かれたのは、誰だ。


 こども枠に座らせた俺か。善意を募った橘か。ログを取った氷室か。影を売った隼人か。それとも、ただそこに「子ども」として座っていた、カナなのか。


 透は、掌の上の白い破片を握りしめた。


 砂漠に、朝の熱が戻ってきつつあった。

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