第1話 開眼 掟 喉
砂がざらりと音を立てた。まぶたの裏に光が差し込み、透は反射的に顔をしかめる。目を開けた瞬間、視界が白で満たされた。砂。どこまでも続く白い砂が、海のように広がっている。照り返しが強く、息を吸うだけで喉が焼けた。
ゆっくりと体を起こすと、周囲に人影が見えた。十三人。男も女も年齢もばらばらで、誰もが円を描くように倒れていた。全員、生きてはいる。胸が上下し、微かな呻き声が風に混じる。
透は額を押さえた。頭が痛い。まぶしさと熱のせいだけじゃない。記憶が途切れている。気付けばここにいた。それ以上もそれ以前も、薄い膜の向こう側に押し込まれたようだった。
耳の奥で低い唸りが続いていた。風かと思ったが違う。一定のリズムで空気を震わせている。音の方向を見上げると、空に黒い球体が一つ浮かんでいた。鈍い金属光を帯び、光沢はほとんどない。プロペラらしきものは見えないのに、確かに漂っていた。
その無機質な球体が、決まった軌道で透たちの頭上を旋回している。
ただ一つ、その存在感だけが、ここがただの砂漠ではないと告げていた。
透はふらつきながら立ち上がり、倒れている十三人のうち何人かを確認した。知った顔はない。けれど、全員の意識はぼんやりと戻りかけているようだ。
やがてその中の一人、白い帽子を被った女性が動き出した。ましろという名札が胸についている。看護師なのだろう。彼女はすぐに周囲を見回し、職業柄の反射らしく、手早く脈を取り始めた。
ましろが透の方を見た。
軽い脱水症状。あと日射の兆候ね。全員同じよ
透は頷いたが、実感は一瞬で喉に刺さる。息をするたびに、砂を吸い込んでいるようだ。舌が張り付く。唇が割れそうだ。
水はない。食料もない。影は短い。
誰かの声がした。
これ 落書きか
透はそちらを振り向く。砂の上に、ごく浅い溝の跡があった。指で掘ったような雑な線。それらが並んで一つの言葉を作っている。
殺せば奪える
透の背筋が冷えた。
誰が書いたのか。どういう意味か。わからない。けれど十三人全員に共通するのは、今この瞬間、喉の渇きだけだ。だからこそ、その掟の言葉が妙に現実味を帯びていた。
ましろは他の者も確認し終え、小さく息をついた。
今すぐ動くのは危ないわ。まず日陰が必要
砂丘の陰に、金属の反射があった。橘という落ち着いた雰囲気の男が、何かを掘り出した。小さな金属ケースだった。砂を払い、開けてみると、中には水筒が二本、乾パン三枚、薄いアルミブランケット一枚。
数秒、空気が止まった。
透も思わず喉の奥が鳴る。全員の視線が水筒に吸い寄せられた。
橘は一呼吸置き、静かに言った。
公平に分けよう。それしかない。日陰も交代で使う。夜まで動かずに体力を温存する
納得できる案だ。誰も異論を言わずに済むなら、それで良かった。
しかし別の声が笑いを含んで響いた。
公平ね。夜までに誰か倒れたらどうするんだよ。それが補給ってことだろ
隼人だった。目つきが鋭く、声の奥に挑発があった。
橘の表情が強ばる。周囲もざわりと揺れる。
その時、頭上のドローンの赤いランプが一瞬だけ点滅した。軌道が少し下がったように見えた。
氷室という眼鏡の青年が言った。
今 動いたな。集まって騒ぐと機体が寄ってくる
意味が分からないが、確かにあの球体は近づいていた。
昼になると影はさらに短くなり、乾パンを巡るささいな口論が起きた。透はそれを止めようとしたが、相手の焦燥は消えない。喉の渇きが、理性を薄く削っていく。
夕刻、事件が起きた。
最年少の少女カナが透の袖を引き、かすれた声で言った。
水 もう一口だけ
透は胸が痛んだ。カナの唇は青白く、汗が乾ききっている。水を渡したい。しかし橘の割り振りに逆らえば争いになる。昼に揉めたばかりだ。
その一瞬の迷いを、隼人が横から奪い取った。
その水筒 俺が飲む
ごくりと流し込む音がした。
透は反射的に隼人の胸倉を掴んでいた。
おい待て
隼人も殴り返し、二人は砂の上で転がる。誰かの怒鳴り声。誰かが止めようとする手。砂が舞い上がり、視界が揺れる。
その瞬間だった。
ゴトンという鈍い衝撃音が落ちてきた。
背中に横たわる隼人のすぐ横に、小さな金属ケースが落ちていた。ドローンが投下したに違いない。
全員の動きが止まった。
だが誰も死んでいない。
橘が恐る恐るケースを開けた。
中には空の水筒。そして小さな紙片。
確認
ただその一言だけ。
橘の顔色が変わる。
試されてるんだ
夜が訪れた。気温が急に下がり、さっきまで汗だくだった体が震えを始める。アルミブランケットは一枚しかなく、それをどう使うかでもまた議論が起きた。
眠れない夜だった。風が吹くたび、砂がさらさらと音を立てた。
その中で、氷室が突然声を上げた。
文字が変わってる
月明かりの下で、昼間の掘られた溝を見る。それは確かに書き換わっていた。
殺せば奪える
奪えば生きられる
透は息をのんだ。胸の奥が冷たくなる。
ルールは生きている。従えば従うほど、意味を持ち始める。
喉の渇きは痛みを越え、恐怖へと変わっていった。
ここは生き残るための場所じゃない。
選ばせるための場所だ。
透は両手を握りしめた。
夜の闇の中、頭上のドローンが微かに唸り続ける。その音が、彼らの誰かの運命を測る砂時計のように思えた。
明日 誰が倒れるのか。
誰が奪うのか。
誰が奪われるのか。
透は乾いた喉に手を当て、目を閉じた。
生き残る。
だけど 奪う側にはならない。
そう願った瞬間、風がまたひと吹きした。白い砂が夜空へ舞い上がり、音もなく落ちていった。




