75 環境改善活動【衣食住の住1】
そして次に、ひとつ飛ばして衣食住の住。
その中でもとくに、トイレと寝具とお風呂が問題だった。
古来、物語に登場する主人公は、お姫様ならばとくに、シンデレラでも白雪姫でも親指姫でもオーロラ姫でも、あるいは日本のかぐや姫であっても、物語の中でトイレの話をされることは決してない。幼い子供たちは『うんち』の話が大好きであるにも拘わらず、お姫様がトイレに関わる話は殆ど無い。しかし、そういうのは教育上良くないのではないだろうか。普通の文学作品とかを読むようになって、便所とかお手洗いとか化粧室とか洗面所とか、あるいは古い言い方で厠、雪隠、ご不浄、はばかり、東司や後架、あるいは英語でバスルームとかレストルームとかラバトリーとかウォータークローゼットと書かれたものが何なのか分からないことにならないのだろうか。
子供たちだって疑問に思う。だから、子供たちは、絵本を読み聞かせてくれるお姉さんに訊くことがある。
「あんなドレス着てうんちするときに困らないの?
ロミちゃんみたいに、全部脱いでからトイレ行くの?
それともダサン先生みたいに、大人なのにオムツしてるの?」
そういうときに、お姉さんが言うことは決まっている。
「あのねー、アイドルとお姫様はトイレには行かないの。
なんなら食事しなくても平気なの。
それと、ロミちゃんやダサン先生の秘密を他で話したら只じゃ置かないからね!」
そうやって子供たちは、実しやかに言いくるめられたりするのだ。
しかし、それに真正面から対抗するかのごとく、和製異世界ファンタジーではトイレ事情に触れるのがお約束になっている。もっとも、日本には古事記や日本書紀がある。日本最古の歴史書というより、小説や文学の原点と言った方がしっくりくる両作品には、伊邪那美命の大便から波邇夜須毘古神(埴安神、あるいは埴山姫)が化生したという挿話がある。だから、日本人は糞便に纏わる話に馴染みがあるだけなのかもしれない。DNAに刻まれた思いが、作品に現れているのだろうか。
そしてユリはといえば、DNAに関係なく、異世界でトイレの話をしたくなる気持ちがよくわかった。ユリがこの世界に来て、何より一番困っていることが、和製異世界ファンタジーによくある、トイレ問題だったからだ。生前(まだ死んでないが)は、口の悪い男子から運動音痴を揶揄されることが多かったユリであったが、まさか異世界に来てからも『うんち』でこれほど悩むとは思っても見なかった。
ユリが祖父母の家で育てられ始めた頃は、まだ和式の汲み取り式トイレだったから、異世界で汲み取り式トイレであることは、まだ許容範囲であった。我慢できないのは、用を足した後に全身に纏わりつく悪臭だ。この世界のトイレは臭いがきつい。凄まじいと言ってもいい。とくにハンターは、肉とニンニクを主食にしているような奴らが多いので、その界隈は悪臭で満ち満ちている。それが服の繊維や髪の毛の一本々々に染みついて、トイレから出た後も長い間その臭いを漂わせるのだ。
これにはトイレの構造も関係している。ユリの祖父母の家のトイレの便槽には排気のための煙突が立てられていて、昔は風力で、その後電動で排気していたので、常に室内から便槽に向かって空気が流れていて、それほどトイレの室内に臭いが籠ることは無かった。しかし、この国のトイレの便槽には煙突が無くて、臭いが人の方に競り上がってくる。もしかしたら街中特有の事情であって、田舎の方がマシなのかもしれないのだが、実際のところは分からない。
いや、それでも、そういったトイレがあればまだいいほうだ。宿屋や貴族の屋敷では、室内はもちろん屋外のトイレすら無くて、『携帯式便器』を出されて、そこにしなければならないことがあった。ユリが元いた世界でも、中世の貴族が携帯式便器を使っていたことは有名で、庶民がそれを使っていたとしても何の不思議もない。ただ、その知識には少しばかり誤解がある。中世を通り過ぎて近世の建築物であるベルサイユ宮殿には、建築当初はトイレが無かったという話だ。それ自体は間違いではない。間違いは汚物を庭園に無造作に捨てていたとか、花園の中で好き勝手に用を足していたという話だ。糞尿を肥料にするには、発酵という工程を経なければならない。そのまま草木の根本に撒けば、それを枯らしてしまう。だから宮殿の中では場所を決めて捨てていたし、花園の好きな場所で排泄することもない。宮殿の庭園には、数か所の囲われた場所があり、実際はそこに持ち込んだ携帯式便器に排泄していたとされている。
この世界はベルサイユ宮殿の文化文明より数百年前の中世前期の文化に近いのだが、携帯式便器は貴族も使う立派な便器であったわけだ。とは言うものの、自分の排泄物を他人に見られる屈辱感を考えると、出るものも出なくなって本当に困った。日本だって昔の殿様は、健康管理のために毎度々々出したものをチェックされてたと聞くが、ユリは殿様でも貴族でもない。
それに、女性なら月に一度、血を流す期間がある。そんなものを、なんで人に見られなければならないのか。
後になってユリはトイレを持ち歩くようになったのだが、それ以前は、しかたないので『携帯式便器』を出されたときは、自分で処理するようにしていた。具体的にはアイテムボックスを使うのだが、食品も収めるアイテムボックスにそのまま入れるのは、入れる先は全く別の空間だし、機能的には全く問題ないのだが、精神的に強い抵抗がある。なので、排泄物を防御結界で囲んでおいて、魔法を使って二千度で焼いて灰にして、僅かに残った灰だけを収納するようにしていた。灰なのだから暖炉に捨ててもよさそうなものだが、灰になってるとはいえ自分の排泄物を衆目に晒すことには抵抗があった。そんなことするなら、アイテムボックスに入れる方がマシというものだ。
そして更に、この世界のトイレで困ったのは、出すものを出した後の尻の処置だった。
初めてこの世界のトイレに入ったとき、トイレットペーパーも落とし紙も置かれていなかった。江戸時代の日本の長屋の便所では藁縄で拭いていたというが……あったとしてもユリは使わないが……そんなものすら無かった。仕方ないから、元の世界から持ち込んだティッシュペーパーで拭いて出ていたのだが、ある日の夜、マリエラに尻の処置を普段どうしているのか訊いたことがあった。
「マリエラさん、トイレで出した後はどうしてるんですか?」
「はあ? あんた何言ってんの?」
「いえ、私のいたところでは、毎回お湯でお尻を洗って、その後、温風で乾かすってことをしてたんですけど、ここじゃお湯もお水も用意されてないし、汚れたお尻をどうやって奇麗にしてるのかなって」
「お湯でって、どこのお貴族様の話してるのよ。
湯浴みじゃないんだから、そんなの聞いたことが無いわよ。
だいたい、そんな事したら服が濡れちゃうじゃない。
まさか毎回服脱いでしているの?」
「いえ、服は着たままですよ。
まあ、私の知り合いの中には、全裸で排泄して、そのあとすぐにお風呂場で身体を洗うって子もいましたけどね」
「あんたの知り合いって大金持ちなの?
そっちの風習のことは知らないけど、こっちだとね、棒の先に海綿を括りつけた道具が便器の脇に置いてあったでしょ?
普通はね、それを使って汚れをこすり取るのよ」
「えええええっ!?
あれって、便器掃除のトイレブラシじゃなかったんですか!?」
「普通はあれを使うのよ。
あんた、まさか、お尻拭かないで出て来てるの?
ちゃんと奇麗にしてこなきゃだめよ」
「あんなもん、誰が使うかーーーっ!!
あんなの使ったら、余計に汚れちゃうじゃないですか!
病気になっちゃいますよ。
それに私は使い捨ての薄紙を使って、ちゃんと拭いてます!」
「ちょっと、夜中に叫ばないでよ!
周りの部屋から怒られちゃうじゃないの!」
あんまりな事実に大声で叫んでしまって、マリエラに怒られてしまった。
この部屋はユリが防音を施してあるので音が漏れる心配はなかったが、内緒でやっていることなので、ユリは素直に怒られることにした。マリエラが怒りに感けるあまり、薄紙を使うというブルジョワな行為をスルーしてくれたというのに、思い出させるようなことは避けなければならない。
「素材にもよりますけど、紙って普通は固いですよねぇ。
ユリさんが使った薄紙って、どんなものなんでしょうかぁ?」
「えっ?」
スルーしてくれない奴がいた。
バレては仕方がない。ユリは、ポケットティッシュを二人に見せることにした。
「まあ、その~、こういうやつなんですけど~。
私がこれを持ってることは内緒ですよ」
「凄く薄く出来てるのね。
これだと指の方に染み出して来そうだけど大丈夫なの?
絹のハンカチも数回洗ったら破けちゃうけど、これだと一回でダメになっちゃうんじゃない?
ユリ、あんたやっぱり、いいとこのお嬢さんなんじゃないの?」
「いえ、私は働かないと食べて行けないド平民ですよ。あと、その紙は使い捨てで、お尻を拭くときは数枚重ねて使うから大丈夫です。
そのあと、魔法で手や指を洗浄してますしね」
「こんなのを使うなんて驚きだわ。
排泄の度に使ってたら、お金がいくらあっても足りないじゃない」
「私には、マリエラさんやミラさんが、あのトイレブラシみたいなのを使ってるのが信じられません」
「わたくしは使ってませんよぅ」
「えっ?」
「ああ、御免。じつは、あたしも使ってない」
「ええっ? じゃあ、どうしてるんですか!?」
「それ専用の布を用意してあってね、それで拭いて、汚れた布は後で水洗いしてる」
よくよく訊くと、マリエラたちも、あれを使うのは嫌なのだという。布で拭くのは、赤ん坊の布製のおむつとか、西洋人がハンカチで鼻をかむ感覚と同じなのだろう。
その話を聞いてから、ユリも専用の布を用意して、使用後は魔法で洗浄、清浄、乾燥を行うようになった。温水洗浄便座のように魔法のお湯でお尻を洗って、魔法の温風で乾燥させることも可能なのだが、便壺の容量が小さかったりして、その方法が使えないことが多かったので、布で拭くことで落ち着いた。しかし、たまにハンカチと間違えて、その布で顔の汗を拭いてしまい、特殊用途専用の布だった気づいて大慌てしたりする。困ったものだ。
話を戻そう。
トイレ関連で、ユリがさらに困ったのは、ダンジョンに潜っているときの排泄問題だ。
森の中なら、草むらで穴を掘って排便することも可能だった。しかし、ダンジョンの中だと人が行き交う通路の隅とかでしなければならなくなる。しかも床が大理石で、穴を掘ることが出来ないような場所でだ。ダンジョンの中では照明がないから、暗くしておけば他人から見られる可能性は低いものの、悪臭のするものを仲間の近くで排泄するのは、女性陣には辛いことだった。
ユリはそれがとてつもなく嫌だったので、コロシアムのダンジョンに潜る前に、携帯小屋の収納バッグを新規に作成していた。異空間に床板と壁板を張って小屋にして、その隅に簡易便所を設置したのだ。それも最初は携帯式便器の上に便座を被せたようなものだったのを、後になって花火大会で設置されるっような仮設トイレに、その後さらに仮設簡易水洗トイレに進化させた。そしてそれをダンジョンに持ち込んで、便所を持ち歩くという荒業に出たのだった。収納バッグを振り回そうが、ひっくり返そうが、中身が零れる心配はない。使うときも、壁や柱に密着させるようにしてドアを開いて、その奥に部屋が現れるようにすれば、それほど目立つことはない。
それをミラとマリエラに披露したとき、二人には酷く呆れられてしまったが、二人にも使っていいと言ったらものすごく喜んで貰えたので、二人もこれまでは、かなりの苦痛だったのだろう。




