コミカライズ記念① 恋した人は
宣伝になりますが、本作のコミカライズがwebコミック誌『MAGKAN』様にて2025年12月25日から開始します!是非ご覧ください〜!
以下コミカライズ記念の番外編です。
ロレッタから見た本編中のルクシオの話。
ルクシオ・アンブラーの想い人が己が姉のように慕う従姉であることは、薄々勘付いていた。
ガーデンパーティで従姉にプロポーズして玉砕したと叫んでいた彼は、ただ濡れ衣を着せられた彼女の不名誉を晴らすためそう言っただけで、プロポーズも何も今現在嫁探しの真っ最中であると当の従姉から聞き、ならば是非紹介してほしいと頼み込んだけども。
『俺の気持ちは一生変わらない』
夜会会場の裏庭で、きっぱりと言い切った彼の強い瞳。ただロレッタを好きにならないという宣言にしては響きが強過ぎる気がした。
まるでもうその心が既に誰か一人のものであるみたいに。
それでも諦めきれなかった。もし彼に他に好きな相手がいたとして、誰とも婚約していないのは事実。それどころか従姉以外に特に親しい女性すら見当たらない。だからきっと自分にもチャンスはあると。
それにガーデンパーティで颯爽と従姉を救った彼も格好良かったが、この日の仮面が剥がれた素の彼もクールで格好良かったのだ。
帰りの馬車でユーミアに次に会える機会をセッティングしてもらい、とても楽しみにその日が来るのを待っていた。
『わ、分かりました、俺はもう病める時も健やかなる時も一生この髪紐を解きません……!』
クールな彼はいなかった。
正確にはユーミアと言葉を交わしている時だけこう……ちょっと……端的に言うと馬鹿みたいな……少し髪型を褒められただけでこの極端な喜びよう。いやおそらく冗談だろうけども……。
ユーミア曰く、初めて会った時からあれこれ世話を焼いていたので、懐かれたとのことだった。
確かにユーミアは面倒見が良く、慕う気持ちはわかる。ロレッタだって実の姉よりユーミアに姉になってほしいと思っていたくらいだ。それにクールな彼のそういうちょっと抜けてる無邪気な一面もいいかなと、ルクシオのことをもっと知れたと思って嬉しかった。
違和感に気付いたのは、お礼の品を届けるためユーミアと共にルクシオの家を訪ねた日だった。
勿論お礼などただの口実で、ルクシオに会いたいがためにしたこと。知り合って早々家にまで押し掛けては迷惑かとは思ったが、迎えてくれた彼は思いの外優しく、来てよかったとロレッタは思った。
だからつい、彼の趣味である絵を見たいと我儘を言ったのだ。もっとこの人のことが知りたくて。
『……ここが、俺の部屋です』
通された部屋は、一面の空で覆われていた。朝焼けに染まる街。青空の下で咲き誇る花畑。夕暮れが沈む丘。そんな美しい空と街と自然の光景が、まるでそのまま切り取ったかのように額縁に納められ壁に飾られていた。
なんて凄い。なんて綺麗。この全てを今目の前にいるこの人が描いたのか。
この絵を描いているところを見てみたい。絵を見たい、部屋を見たいという我儘が叶えてもらったばかりだというのに、すぐにまた新しく望みが湧いた。初めて訪ねる好きな人の家で、興奮していたせいもあるだろう。是非見せてほしいと、またもや頼み込んだのだ。
『見て楽しいものじゃないが……』
ロレッタの方をちらりと見て、訝しげにそう言った彼。
しかし結果として、それはとてもとても楽しかった。一度集中すれば何も聞こえなくなるというのはその通りで、ロレッタが何度話しかけようとルクシオはほんの少しの反応も示さなかった。ただただ一心にキャンパスを見つめて絵筆を動かしていく。その真剣な目が、迷いのない筆捌きが、どんどん出来上がっていく風景が、とても格好良く美しかった。
だから本当に満足したのだ。好きな人の格好良い一面をまた見れたと。
ただ……ただ、彼の持つパレットを大きく占めていた『赤』と『金』が、どこかで見たことことがある色だと。そしてそれが今回一度も使われなかったことが、少し気になった。
そしてようやく気がついたのだ。
ルクシオとの博物館でのデートをセッティングしてくれた従姉が、あの『赤』と同じ色の髪と、あの『金』と同じ色の両の目をしていることに。
『……すまない、本当に悪かった。ロックハート嬢……』
目の前で膝をついて頭を下げる彼を見ながら、ロレッタはギュッとドレスのスカートを握り締めた。
自分を待ってくれているわけじゃないだろうことはわかっていた。きっと行き違いがあったのだろうと。ユーミアとルクシオのどちらか、あるいは両方の言葉が足りず、互いにデート相手を勘違いしたまま今日になってしまったのだと。
ロレッタが待ち合わせ場所についた途端、驚愕したルクシオの表情が蘇る。明らかに、あの顔はロレッタが来るとは思ってもいなかったような顔だ。どう考えても待ち侘びたデート相手に向ける顔ではない。
そしてユーミアが今日をルクシオとロレッタのデートだと思っていたとして、では、ルクシオが想定していた相手は誰か。そんなもの火を見るより明らかである。どうして一番最初に気づけなかった。
他に好きな人がいるのだろうと問えば、コクリと頷く初恋の人。苦手としている日光や人の多い場所にも自ら飛び込んで、降りかかる悪意の盾になって、約束の時間の何時間も前から待つくらいに好きな人がいるのだ。この服が汚れるのも厭わず地に膝をつく彼には。
それでもせめて、このデートだけは。一縷の望みをかけていたこのデートを最後の思い出にするくらいは許してくれていいだろうと、その男性にしては細く白い手に縋って頼んだのだ。
それがまさか、こんなことになるとは思わなかった。
ブツンと不穏な音と共に館内全ての照明がその光を失ったのだ。よりにもよってロレッタ達がミイラに囲まれた部屋にいる時に。
右を見ても左を見ても襲いくる恐ろしいミイラに囲まれて、急に失った視界。
怖かった。とても怖かった。今にもあの朽ちた骸骨達が意思を取り戻し、カチャカチャと音を立てて動き出すんじゃないか。そんな幻影がまぶたの裏に浮かんだ。逃げ出したくてもこの自由の効かない視界ではたった一歩足を動かすことすらできない。
そんな中、不意に抱き上げられて告げられた言葉。
『一度通った道だ。俺は覚えてる』
この時の安心感をどう表現すればいいだろう。ほんの数瞬前までの恐怖が嘘のように消えた。危険だ何かにぶつかったら大変だと慌てて止めたロレッタに、誰に向かって言ってるのだと、こともなげに言いのけてみせた彼。
ああそうだこの人は。ロレッタが好きになったこの彼は。
一度見たものはどんなに細かいことだって忘れない、とてもとても頼りになる人だった。
◆◆◆
あれから、数週間が経った。
「男なんて星の数程いるでしょ、気にすることないわロレッタ!」
「うん……そうだね」
クッキーの大皿が乗ったテーブルを挟んだ真向かい、ロレッタの実の姉であるブリジットが力強く言う。
「ジョナスに誰かいい人紹介してもらえないか頼んであげようか?」
「んー……」
ジョナスとはブリジットの婚約者である。親同士の紹介で引き合わされた彼らだが、ロレッタが知る限り二人はとても仲が良く、いい夫婦となりそうだと思えた。
「ジョナスのお友達なら、明るくて優しくて良い人ばかりよ」
「明るくて優しくて良い人……」
明るくて優しくて良い人。確かにロレッタも何度か会ったことのある姉の婚約者は明るくて優しくて良い人であった。類は友を呼ぶと言うし、きっとその周りの人も同じように良い人が多いだろう。
「ね?興味でてきた?」
「ごめん、やっぱりいいよ。今はまだそんな気分になれないもの」
しかし今は、その“明るくて優しくて良い人”を好きになれるとはとても思えなかった。
「もー!だからその失恋のショックを癒そうって話なのに!」
だってあのルクシオは全然明るくなんてなかったし、優しいどころか素っ気ないばかりだったし、セカンドコンタクトの時は好きな人の前だからと猫を被って、その目がなくなったらあっさり仮面を外して、デートではロレッタを置いて他の人のところへ行ってしまうような人だった。
「絶対その土下座事件のアンブラーの人より格好良い人ばかりなのに!」
「もう、ブリジット姉様!」
それでもロレッタにとってはそれが初恋だったのだ。
「わかんないなあ。たいして顔も良くないし、背が高いわけでもないし、男爵家だし、貴族としては三代目で歴史もないし、実はお金を持ってるとかでもない……それで性格もいいとは言えないならどこが良かったのよそんな人?」
「でも姉様だって見たじゃない。ガーデンパーティであの人がユーミア姉様を助けるところ!」
「まあ確かにそこだけはちょっと格好良かったかもしれないけど……体調崩して木陰で休んでた時の方が長かったしねぇ……変なことも叫んでたし、最初の暗い印象が覆るほどじゃないわぁ」
理解できないと首を振るブリジットに言い返そうとしてやめる。元々ブリジットは彼女の婚約者のような、見た目も中身も爽やかで明るい人が好みなのだ。ロレッタとは相容れない。
「じゃあ、ロレッタはどんな人が好みなの?さすがに顔とか性格が良い人が嫌いなわけじゃないんでしょ?」
「それはそうだけど……」
「顔が良い人、スタイルが良い人、家柄が良い人、性格が良い人、この中で一番良いのは?」
どうやらブリジットはロレッタに他に良い人を紹介するのをまだ諦めていないらしい。
本音を言えば放っておいてほしいところだが、まあ、ここ数日ずっと落ち込んでいたので心配をかけてしまったのは事実である。
「……記憶力」
「え?」
ただ突っぱねるだけでは諦めてもらえないだろう。とりあえずここは適当に選んで答えれば。
「記憶力が、いい人……」
「記憶力……?ああ、頭が良い人ってこと?」
どんな人が好みか。どんな長所を持ってる人がいいか。
当たり障りないことを言おうとして、ロレッタの口から溢れた答えはそんな言葉だった。
「一度会った人の顔は、忘れなくて」
「うんうん。人付き合いは大事だものね。会ったことのある人の顔をうっかり忘れてても夫が覚えててくれたら心強いわ」
記憶力と聞いて一瞬首を傾げていたブリジットだったが、続くロレッタの言葉に納得したように頷く。
「服装や髪型やアクセサリーや靴に至るまで全部詳細に覚えてて」
「それは……凄いけどちょっと気持ち悪くない……?ううんでも役に立つことの方が多いかしら……」
しかしまたもや納得しがたくなってきたらしく首を傾げだした。
「一度見た景色をキャンパスの上に完璧に再現できて、建物の中で急に全部の照明が消えても難なく来た道を戻れるくらい、記憶力が良い人」
「無茶言わないでよ!」
そしてロレッタがふざけてると思ったのだろう、ついにサジを投げるブリジット。ソーサーに置いた紅茶のティーカップの水面が大きく揺れた。
「わかったわよ。そんな無理難題言うくらい今は新しい恋なんて気分じゃないことはわかったわ」
そんな人どこを探したっているわけないからと、ブリジットが肩を竦める。
「ごめんなさい、ブリジット姉様」
いや、いるのだ。どこかを探さなくてももういるのだ、そんな人は。一度見たらどんな細かいことだって忘れない人。
ただその人はもう、出会った時からたった一人しか目に入っていなかった。
「ロレッタが謝ることじゃないわ。でも気が変わったらいつでも言いなさいね」
「うん、ありがとう」
思えばガーデンパーティの時も、博物館でも、一番印象に残っているのは彼の背中だ。あの時館内に取り残されていたのはユーミアだろう。
「それにしても……そんなに好きだったのね、その人のこと」
彼女を庇って前に出たその背中がとても頼もしく見えた。彼女を迎えに暗闇に飛び込むその迷いのない後ろ姿が泣きたいくらい格好良かった。
「正直趣味悪いと思ってたけど……人の好みはそれぞれだしねぇ」
「ううん。私も自分で自分に呆れてるよ」
つまりロレッタが好きになったのは、ユーミアを好きで一心に追いかけているルクシオだ。こんなの最初から負けが確定している恋である。趣味が悪いとしか言えない。
「相手が悪かったなぁ」
「そうねぇ。そりゃあユーミア姉様はもう行き遅れって言われる年齢だけど、本人に問題があって行き遅れたわけじゃないし、本当だったら美人で面倒見も良くて家柄も良くて引く手数多だった人だもの」
ふとロレッタが呟いた台詞を、恋敵が強敵だったという意味で受け取ったのだろう。ブリジットが同意を示した。
「相手が悪かったの、本当に」
しかしそれには応えずにロレッタがもう一度言う。
恋敵が、じゃない。恋した相手が悪かった。
アンブラー家の噂は聞いたことがある。恋で身を立て恋で身を滅ぼす、代々恋に狂う家系。その成り立ちと二十数年前の現当主の失態を面白おかしく脚色しただけのただの噂だと思っていた。
「ユーミア姉様が幸せになるなら応援したいけど……ロレッタをフッた男だと思うと……せめてこれが沢山の女の子が懸想しても仕方ないくらい格好良い人ならともかく、あんな辛気臭い男なんて……」
「ルクシオ様は格好良い人だよ」
ただの噂じゃなかった。本当のことだった。やっぱりあの家系は全身全霊で恋をする家系なのだ。そんなところが好きだった。
「とっても一生懸命で素敵な人だもの」
「あのワカメみたいな髪の暗そうな人が……恋は盲目ってこのことねぇ」
その恋する姿が格好良かったのだと言ったらまた呆れられそうで、紅茶に砂糖を溶かしながらロレッタは曖昧に笑った。




