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懐嘯《かいしょう》

1-039

 

――懐嘯かいしょう――

 

「隊長!」

 ダドリーが兎耳族のウーヴァ遺跡調査隊長の元に駆け込んできた。

 遺跡は熊族の作ってくれた丸太の塀に囲まれ中ね安全に調査が続けられていた。

 ゼルガイアの命令で警備部隊が数人残され周囲の魔獣の警備に当たっていたのだ。

「どうしましたそんなに血相を変えて。」

 ダドリーの表情を見てただ事では無いと感じ取ったウーヴァが尋ねる。

 

懐嘯かいしょうの気配が見えています。」

 猫耳族のダドリーはこの遺跡の砦を守る守備隊の斥候である、砦を魔獣から守る為に毎日周囲の状況を調査しているのだ。

 そのダドリーが血相を変えているのであるからこれは嘘や冗談ではありえない。

「なんですかー?周囲の魔獣はそんな状況なのですかー?」

「既に魔獣たちは街の方向に向かって移動を開始し始めています。」

 懐嘯かいしょうとは魔獣が一つの方向に向かってまとまって移動する行動の事である。

 理由は判然としていないが増えすぎた魔獣が起こす自殺衝動とも言われている。

 

「そ、そんな事?ここはどうなるのでしょうか?」

「ここも進行方向に入っています。無論ウルガルの街も含まれます。」

「た、た、大変な事態では有りませんか?ここには全員が逃げ出せる程の馬はいないのですよー。」

 遺跡調査の為にここに来ている彼らは定期補給の馬車が来なければ脱出は出来ないのである。

「我々の事もそうですが自分の見る所今回はかなり規模が大きいのではないかと。」

 ダドリーは更に恐ろしい現実を突き付ける。

 

暴走スタンビートの可能性も有ると言うのですかー?」

「全員を此処に集めて防御態勢を整える必要が有ります。」

 全員と言っても調査員が4人と警備隊が4人ではいかんともしがたい。

 手足を引っ込めて砦の中で嵐が過ぎるのを待つしかないのだ。

 

「自分はこれから外周部の砦まで早馬をかけます。」

「そ、そうですね、私達は運が無かったのかもしれません、せめてこの事を街に知らせる事だけはしなくてはなりません。」

「状況を残りの人間に知らせたらすぐに出発致します。」

「わ、わかりました。ご武運を祈っていますよ。」

 ウーヴァの声は既に歯の根も合わない程に震えていた。

「みんなで何とか生き延びて下さい皆さんの幸運を祈っております。」

 すぐにダドリーは砦に向かって馬を走らせる。砦に着けばその後は伝令が四方に情報を拡散してくれるからだ。

 

 ウーヴァは残った守備隊の指示によって荷物を洞窟に集め全員が必死で柵を補強する作業を続けた。

 幸い柵は生活圏を確保する外周の塀の他に初期に洞窟を囲った柵の2重になっている、運が良ければ助かるかもしれない。

 やがて遠くから地響きのような音が聞こえてくる。

暴走スタンビートだ………。」

 頭から血の気が引く、これに飲み込まれて多くの人間が死んでいるのだ。

 遺跡を囲う丸太の塀は彼らを守ってくれるだろうか?

 

 やがて調査団の砦は暴走スタンビートの獣の流れに飲み込まれて行った。

 

  ◆ 時は少し戻る。

 

 ゼルガイアがそれを聞かされたのは遺跡の防護柵が完成したと報告の有った同じ日であった。

 

懐嘯かいしょうだと!?」

「はい、その恐れが多いと思われています。」

 ミレイネが上げてきた報告書には魔獣の推移統計が示されていた。

 

 元よりゼルガイアにはその様な子細な数字には興味がない。

 肝心なのはいつ、どこで、どのくらいの規模で起きるかと言う事である。

「前回は10年前の物でしたがあの時は中規模の物で途中で暴走スタンビート化しました、街の中心部に被害は出ませんでしたが周縁部の畑と建物にかなりの被害が出ました。」

 

「知っておる、ワシはあのときは最前線で魔獣を切り伏せておったからな。」

 数が多すぎて槍では埒が明かずに大ぶりの剣を2本持って次々と魔獣を切り伏せて行く姿は頼もしくも有り、恐ろしくも有ったと未だに語りぐさになっている。

 あの事件がゼルガイアを警備軍司令官に押し上げたのである。

 

 もっとも本人にとってはえらく迷惑な話だったらしい。

 

 ミレイネの前では有ったが体が小刻みに震えていた。

 他人から見れば恐ろしがっているように見えたかも知れないが(ふっふっふっ、また魔獣共を滅多切りに出来るのか。)実際はこう考えていた。

 どうも日頃の欲求不満が鬱積しているらしい。

 

「なに嬉しそうな顔をしておられるのですか?」

 ぐさっと本心を見抜くミレイネ、流石に優秀な秘書だけの事はある。

「い、いや。また街を上げての焼き肉パーティーが出来るのかと……。」

「人的被害が出たらそれどころではありませんよ。」

 やれやれと言う顔でミレイネが答える。

「はい……スイマセン……。」

 どうもゼルガイアは彼女が苦手なようである。

 

「それでどのくらいの規模が推定されるのかな?」

「規模的には小規模と思われます。方角は南西側と予想されています。」

 懐嘯かいしょうとは魔獣がある程度増えるとまとまって移動をする習性があり、その移動上に街があれば当然街にも侵入してくるのである。

 なぜその様な習性が有るのかは未だに分かっていない。

 様々な原因が研究されたが納得の行く説明は出来ていないが魔獣の個体数が増えすぎるのを防ぐ自然の摂理で有ると考えられている。

 

 やむを得ず町周辺の個体数を減らすのが唯一の対抗策である。

 それ故に魔獣が街に侵入してこないように警備軍の狩猟隊が常に魔獣を狩っているのである。

 現在の街の規模は直径100キロ程のエリアを支配下に置いている。

 街と呼ばれてはいるが一つの都市国家である。

 

 竜の巣のふもとに有る首都を中心に大小100程の町村が存在し大きな町は外部を城壁で囲んでいる。

 無論魔獣が人間を襲う例は外縁部の村ぐらいでしか起きない、魔獣が人を襲った場合は警備軍を集中させその付近の魔獣の掃討を行うので町の中の方までは魔獣はやっては来ることはあまり無い。

 もっとも小型の魔獣は町の中でも物陰に隠れてひっそりと生きている。しかしそれらは定期的に駆除され大きく数を増やさないようにしていた。

 人間と魔獣は危ういバランスの上で共存しているのである。

 

 唯一の例外が懐嘯かいしょうであり急速に数を増した魔獣がまとまって町に押し寄せるのである。

 一頭一頭はさしたる害をもたらさないな獣では有るがまとまって来られると対処が出来ない。

 通り道のあらゆる物を、人間までも食い尽くしながら移動していく。

 

 竜が大型の魔獣を捕食してくれているが小型の魔獣の駆逐を行ってくれる訳ではない。

 大型の魔獣でない限り人間に直接の危害を与えられる訳でもなく人間を見ればコソコソと逃げ出していく。

 しかし数は力なりの言葉通り生命力の強い魔獣がまとまって一つの方向に移動して来るとなればそれは大きな驚異となる。

 したがって街の周囲では魔獣の数を定期的に数を減らして置かなければそれは懐嘯かいしょうにつながることになる。

 

 警備軍狩猟隊の主要任務は都市外縁部における小型の魔獣の掃討となっている。

 その為に外縁部に沿って30箇所程の砦が作られておりそこに狩猟隊が常駐している。

 街に設けられた城壁は石で作った本格的な物から杭を打っただけの簡易な物も有るが付近住人の避難所を兼ねており懐嘯かいしょうが起きた際に住人はそこに避難し魔獣がが通り過ぎるのを待つのである。

 暴走スタンビート化しない限り壁の中に入っていれば危険性は少ない。

 

 問題は暴走スタンビートを起こした場合であるその場合は興奮した魔獣は凶暴化し周囲のあらゆるものに攻撃を仕掛けその結果自分が傷つき死ぬことも有る。

 元より魔獣は非常に生命力が強い、足がもげ内蔵を引きずりながら暴走する個体すら有るのだ。

 狩猟隊の任務は外縁部の魔獣の狩猟と同時に魔獣の生息数の掌握である、懐嘯かいしょうの前兆を確実に捉えるのが彼らにとって非常に重要な仕事なのであった。

 

 ゼルガイアは南西部とは反対側の10箇所の砦から半数の狩猟隊を南西部の砦に回すように指示を出した。

 移動には少なくとも一週間はかかるがそのくらいの余裕は有るとの予想がなされていた。

 それでもあまり余裕が有るとは言えない状況の様である。

 

 南西部の住人には懐嘯かいしょうの恐れが有ることを伝達するように指示をする。これもまた一週間くらいはかかる。

 各村や集落にはたいてい地下室や壕を作っておりそこに避難してやり過ごせば人的被害は最小に留められる。

 長い間の魔獣と人間の戦いの結果備えられた設備である。

 ゼルガイアは警備軍本体を連れ砦に向かった、目的は魔獣の掃討である。

 

 狩猟隊を集めたのは魔獣との戦いのためではない、魔獣の情報集めと懐嘯かいしょうが起きた際に周辺への伝令、避難指示を行うためである。

 懐嘯かいしょうの際には小型魔獣に釣られて中型、大型の魔獣の侵攻も有るわけで、狩猟隊だけで対処できるわけでは無いのだ。

 とは言え小規模な懐嘯かいしょうは魔獣を狩る絶好のチャンスでも有る。

 森の中に分け入らず向こうから猟師の元にやってきてくれる獲物はとてもありがたい物である。

 

 規模にもよるが懐嘯かいしょうが起きれば街で消費する肉の3ヶ月分位もの肉を手に入れられる場合が有る。

 警備軍が次々と魔獣を狩っているその後ろで狩猟部隊とその予備役が一生懸命解体を行うことになり、即席の燻製庫が作られ次々と燻製に加工されて倉庫に保管されていくのである。

 かくも人間とは逞しい生き物であるのかと驚かされる。

 

 掃討の最中は新鮮な肉が食べ放題にふるまわれ、内臓は塩漬けに加工される。

 そして掃討が終わったあとは新鮮な肉で近所周辺全部合わせての大焼き肉パーティーとなる。

 余った内臓は穴を掘って埋められるが血の匂いを嗅ぎつけた獣たちが掘り返して食っていく。

 

 仕事の後のことを考えてゴクリと生唾を飲み込む隊員が多いのもむべなるかなである。

 街の外縁部にキャンプを張ったゼルガイア達警備軍討伐隊総勢500名は狩猟隊からの報告を待っていた。

 侵入コースがずれていた場合直ちに移動しなければならないので全員が装備をしたままの待機である。

 

 そこに1台の馬車が到着するとゲルドが降りてくる。

「これはゲルド先生ご苦労様です。」ゼルガイアが頭を下げる。

「今回は小規模な懐嘯かいしょうと聞いている、ゼルガイア殿だけでも十分じゃろうが一応対処要項にあるのでな、顔だけ出しにやってきたよ。」

 太った体をゆさゆさと揺らしながらゼルガイアの方に歩いてくる。

 

「恐れ入ります、先生に鍛えられた隊員達の活躍をご覧になってください。お疲れでしょうとりあえずテントの方でおくつろぎください。」

 テントの中では作戦司令本部となっていた。

 周辺の地形と樹木の様子が描かれた地図が広げられている。

 

「現在魔獣の先触れはこの辺りにいるようです、森と畑との間は牧草地帯となっておりましてかなり距離を取れます。そこでこの一帯を使って狩りを行います。」

「丘はどこかな?」

「こことここが丘陵部となっており魔獣の侵入してくる方向から考えますとこちらの丘の方が全体を見渡せるかと思いますが。」

「そうかそれじゃそこに陣取らせてもらうかの。」

 一休みするとガルドは馬車に乗って丘に向かった、その頃からぼつぼつと魔獣の姿が森から現れ始める。

 

 皆同じ方向を見て歩きながら時々何かを食べている。

「どうやら先触れのようだな、本体が現れるまでひきつけてから攻撃に入ろう。」

「はい、今日は子どもたちも来ておりますので腕によりをかけて肉を焼きたいと思っています。」

 ナンナが槍を取り出し柄の部分の滑り止めの布の締付け具合を確認している。

 

「子供たちはどこだ?」

「あちらの解体場におります。」

 ナンナが槍で方向を示す。そのへんには数多くのやぐらが建てられと車が並べられていた、たくさんの熊族の若者たちも一緒である。

 台車で魔獣を運びやぐらから吊るして解体を行うのである。

 

 獅子族の子供が大ナタを振っているのでゼルガイアも手を振る。

 獅子族に限らず多くの子供は小さいときから魔獣の解体を覚えさせられる。

 魔獣を恐れず魔獣の体を府分けすることによりその体の構造を知るのである。

 

 若者たちは一定の年齢になると狩猟隊に参加し希望するものはそのまま警備軍に入隊する事も出来る。

 警備軍全員が武器と装備の点検を始める、その時空を見上げる者がいた。

「隊長、竜神様であります。」

「なんだ?あれは。」

 服を来た竜神の子供が2柱人間を抱いたまま空を飛んでいる。

 

「ほう、これは竜神様もずいぶんと酔狂をされるようになったものだな。」

 ゼルガイア自身は竜神達が子供を引き取って暮らすことが彼らと人間との友好に取って非常に好ましいことだと考えていた。

 竜神が服を着ようと思ったのもあの娘達の影響なのだろう。

 

「キララ殿、今日は可愛い服をお召になられて、懐嘯かいしょうの見物でしょうか?」

 パタパタと羽ばたいて降りてきたキララの腕から女の子が飛び降りる。

「こんにちはゼルガイアさん。」

「ユキ殿も一緒でしたか。」

「クエッ。」

 しっかりと自己主張を忘れないクロちゃんである。

 

「こんにちはゼルガイアさん。」

「お兄さんも立派なズボンをお履きですな。」

「はい、竜神様にもお洒落心は必要かと思いまして。」サキュアが答える。

「お忙しいところをごめんなさい、みんなが懐嘯かいしょうを見たいと言うものですから。」

 キララが丁重に挨拶をする。

 

「危なくなったらボクも手伝ってやるよ。」

「おおそうですか?期待させていただきますよ。間もなく掃討が始まります、あちらの丘にゲルド殿がおられます。巫女殿もおられます故そちらのほうが安全かと思われますが。」

 早い話がゲルドに押し付けて厄介払いである。

 

「わかりました、そういたします、それで宜しいですねキララ様。」

「いいわよ、サキュアちゃんみんなを危険な目に合わせるわけには行かないもの。」

「大丈夫だよ、いざとなったら僕がみんなをひっかついで飛び上がるからさ。」

「期待しておりますぞ、お兄様。」

 ガルドの所に飛んでいくとゲルドが椅子に座って観戦していた。その横にはミレイネが立っていた。

 

「おやおやキララ様その服が気に入られたようですね。」

 服を来て飛んできたキララを見てミレイネが微笑む。

 キララもお兄ちゃんもこの服が気に入ってあれ以来外出時にはいつも着るようになった。

 

「だいぶ服を着ることに慣れてきましたから。」

「これはこれは、どこのレディかと思いましたぞ、キララ様よくお似合いですな、」

 ゲルドが愛想よく挨拶をする。




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