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 八時前になって帰ろうとすると、春紀が帰って来たら送らせるからそれまで待つように引き留められた。

 別にそんなに遅い時間ではないし、いつ戻って来るかもわからないから、断っていると、タイミングがいいのか悪いのか、春紀が帰ってきた。リビングに現れた春紀は、あんまり元気がなさそうに見えた。


「春紀、ちぃちゃん家まで、送って来て」

「なんか、ハル君、体調良くなさそうだよ。いいよいいよ、まだ八時だし」

「いや、平気、送る」


 陽子さんに言われて、春紀が断るわけもない。いつもは、リビングで別れるのに、陽子さんはわざわざ玄関まで見送りに来てくれた。


「ちぃちゃん、オムライス食べたくなったら、いつでも作ってあげるから、いつでもいらっしゃいね」

「わー、本当? ラッキー」


 わたしの食い意地のはった魂胆に、陽子さんは、気づいたのかもしれない。優しい人だ。春紀が、誰にも取られたくなかったのがわかる。

 玄関を出ると思ったより暗かった。この辺は大邸宅ばかりだから、静かで人通りも少ないし、街灯がぽつんぽつんとあるだけだ。駅を抜けて、わたしの家の方へ行けば、家までは道すがらにずっとコンビニやレンタルビデオ屋やらが並んでいて、夜でも明るい。


「今日は、自転車じゃないんだな」


 春紀が珍しそうに言った。千賀家に来るときは父と一緒なら車で、後は大体自転車だった。


「うん。今日お昼にケーキ食べたから、カロリー消費の為に歩くことにしたの」


 春紀は、黙ったままだ。カロリーを気にするなら食べなければいいのに、くらい思っているのだろう。


「あのね、太ると分かっていても誘惑に負けてしまう弱い心を馬鹿にするのはよくないよ」

「馬鹿になんかしてないよ。それ、一人で行ったの?」

「まさか、あの駅前のケーキ屋だよ? あそこに一人は厳しいでしょ。クッキング部の友達と一緒だよ。ハル君覚えてるかなぁ。パンケーキのお店で会ってるんだけど」


 春紀は、女子にあまり興味がないので、木部ちゃんのことを覚えているかは微妙だ。


「わたしと、まどかと、彩歌ちゃんと薫ちゃんと、もう一人いたでしょ。バナナクリップで三つ編み留めてた子だよ」


 バナナクリップと言ってもわからないだろうなと思った。


「あぁ、そうなんだ。そうか、クッキング部の女の子か」


 意外にも春紀は、妙に納得して言った。本当に覚えているのだろうか。


「ハル君は、どこ行ってたの?」

「え? あぁ、青葉の家」


 家に行くほど仲が良いなんて、今まで春紀にそんな友達はいなかった。


「家近いの?」

「電車で二時間」

「遠くない?」

「そうだな」


 あの学校は送迎車で通学する子が多いから、遠方から通っているというのも、結構普通だ。春紀と全く反対方向に家があるというなら、それくらいかかるのかもしれない。夏休みだし、木部ちゃんがわざわざモントレオリーブに来たように、春紀も青葉君のところへ行ったのだろう。(いつも行っているのかもしれないけど)


「高橋さんも、一緒?」

「いや、青葉だけ」


 春紀はどこか上の空だ。大丈夫なのか。無理して送ってもらうほど遅い時間でもないし、もうここでいいよと告げた方がよさそうだ。


「佐木さん達にストラップあげたのって、意味ないよ。誤解されると困るから、はっきり言っとくけど、佐木さんに特別な感情持ったことなんて、一度もない」


 春紀が急に、電子音みたいに規則的は波長で淡々というので、最初は何を言っているのかよくわからなかった。


「なんで、そんなこと急に言うの?」

「いや、高橋が、彼女以外の女の子にプレゼントするのは、最低だって言うから。あれは、本当にたまたまそこにいたからあげただけで、プレゼントなんて認識はなかったんだよ。でも、人はそう解釈しないんでしょ? オレ、浮気なんてしないし、彼女以外に他に好きな人なんてできないよ。そんな不道徳なことはしない」


 話しながら、声のボリュームはどんどん小さくなった。

 相変わらず、自己防衛が強い。自分が悪くないと言い張るのは昔からだ。

 そういえば、高橋さんは、パンケーキの店で、薫ちゃんが春紀にお礼を言っているのを見ていた。高橋さんに注意されたとしたら、それを何故このタイミングで言ったのだろう。高橋さんの名前が出たから、思い出したのだろうか。春紀は、彩歌ちゃんを好きじゃなかったのか。彩歌ちゃんに彼氏が出来たから、そんなこと言い出したのではないのかとも思ったけど、そもそも、わたしが勝手に勘ぐっていただけで、誰も何も言っていなかったから、春紀が違うと言うのだから違うのだろう。

 だけど、別にそんなことは関係ない。わたしは、春紀が、ちゃんと恋愛したいと思っていることを知ってしまった。彩歌ちゃんが相手じゃなくても、そういう風に考えているということは、いずれ誰かを好きになるということだ。名目上の彼女じゃなく、理想の彼女を作るのだろう。好きな彼女ができたら、浮気はしないとか、わたしに言われても知らないよ。すごく不愉快だ。わたしに、堂々とそんなことをよく言う。


「ハル君ってさ、わたしの気持ちとか考えたことある?」


 言うと春紀はその場で停止した。

 返事がない。考えたことがないということだろう。きっと一度も無い。

 わたしが春紀に振られたことを、今でもこんなに引き摺っていることも、春紀は微塵も思っていない。

 そうだ、わたしは、春紀に拒絶されたことを、ずっと根にもってきた。だって、いつもいつも、わたしは春紀の傍にいた。誰よりも近くにいたし、春紀はそれを受け入れてくれていると思っていた。あんなに頑なに拒絶されるなんて考えもしなかった。

 拒否された後も、春紀の傍にいたのは、仕返しするためだった。傍にいれば、そのうち春紀はわたしを好きになるかもしれない。春紀がわたしを好きになるように願っていた。いつか春紀がわたしを好きだと言ったら、今度こそ、わたしは嫌いだと言い返してやろうと思っていた。いつか、春紀を振りたかった。

 でも、予想とは裏腹に春紀はどんどんわたしに無関心になって、どんどん格好良くなって、もうわたしの手には負えないなと思った。復讐できなかった。いつまでも子供の頃のことを根に持って馬鹿だった。しかたないから、もう忘れようと思っているのに、春紀は、彼女になってとかわけのわからないことを言いだした。わたしはそれに腹が立った。相変わらず、わたしにお構いなしで、わたしがどう思っているかとも考えない。最悪だった。

 でも、それよりもっと嫌だったのが、自分だ。わたしは春紀に仕返しするふりをして、春紀がわたしを、好きだと言うなら、好きになってあげるという準備があったのだ。

 だから、彼女になることを断らなかったし、このままずっと続けばいいなと思っていた。春紀はしょうがない人で、誰も好きにならないし、面倒くさいからわたしを選んだのであっても、他の女の子よりは、わたしを好きなのだから、いいかなと思ってしまった。

 でも、春紀が、わたしの知らないところでは、まともで、ちゃんとしていて、格好良い男の子で、普通に好きな女の子を作って恋愛しようとしていると知った。知ってしまって、その事実に目を背けられなくなった。

 わたしは、また春紀に振られるのだろう。

 わたしが振りたかったのに、出来なかった。

 わたしは、春紀をずっと好きだった。

 わたしは、片思いじゃなくて、もうずっと失恋中だ。

 春紀は、隣を歩いていたけれど、立ち止まったまま硬直状態を解かない。

 二軒先のコンビニの明かりがかろうじてここまで届いているけれど、春紀はいつも以上の無表情で何を考えているかは読めない。彼女が出来るまで、ぬるま湯に浸かっているつもりでいたけれど、もう無理だ。とても残念だ。怒りにまかせて紐を引いたら、全部引っ繰り返ってしまった。

 どんなに傍にいたって、好きにならないものはならない。そろそろ現実を受け入れなくては駄目だ。どうせ一回みんなの前で振られているし、誰もいないこんな道端で、断られるくらい軽い。


「考えたことないみたいだから言うよ」


 告白なんてドラマでしか知らない。春紀は告白をされ慣れているから、断る定型文がある。

「誰とも付き合う気はない」だった。それに、対応させるなら「付き合ってください」か。なんで、答えに合わせて告白の言葉を選ばなければならないのだ。告白くらい好きにしよう。


「いい。聞かない」

「は?」

「聞かない。関係ない。そんなの意味ない。早く帰ろう」


 春紀は早口に言って、がんがんと家への帰路を歩き始めた。意味ない? なんだよそれ、信じられない。


「ハル君、待ってよ」


 追いかけるけど、追いつけない。呼びかけるけど、振り向かない。冬は春を追いかけてばかりいる。まるでわたし達の関係を具現化したようだった。

 小走りでずっと付いて来たから、マンションの前に着いたときには、息が上がっていた。緊張でドキドキしているのか、運動量に比例した正当な動悸なのか不明だ。


「ちょっと聞いてよ」

「だから、嫌だって言ってるだろ」

「話くらい聞いてくれたっていいじゃない」


 いくらなんでも、酷い。人が気持ちを話すというのだ。嫌でも聞いてくれたっていい。


「本当に、無理なんだ。ごめん」

「無理って何が? まだ何も言ってない」


 わたしが言うと、春紀は少しだけ間を置いて、また謝った。

 エントランスの灯りの下で見る春紀の表情は硬い。あれだけ早足で駆けて来たのだ、体調が悪いわけでもないだろう。帰って来たとき、元気がなかったから、青葉君と喧嘩をしたのかもしれない。それで、わたしの気持ちなど聞いている場合ではないということか。


「人の話はちゃんと聞かないと駄目だよ」

「ごめん」

「もういい、わかった。じゃあ、もう帰るから。送ってくれて有難うございました」


 いくら落ち込んでいるからって、こっちだって意を決した告白なのだ。ちょっとくらい聞けばいいのに。もう諦めた。心が完全に折れた。もう、二度と言わない。腹が立つ。完全に、これはもう手に負えない。

 マンションの入り口に向かう。家は五階だけど、エレベーターを待っていて、春紀が付いてきたら嫌だから階段を上がることにする。


「千冬ちゃん」


 春紀がエントランス手前の三段ある階段の下から、それを上ったわたしを呼び止めた。


「何?」

「明日、待ってるから」


 それだけ言うとまた黙った。こっちの言い分は聞かず、自分の意見は主張するとか、そんなことがまかり通ると思っているのか。無茶苦茶だ。


「行かないよ。もう終わり」

「ダメだよ。別れない」

「別れない?」

「彼女になってくれるって、言っただろ。じゃあ、ちゃんと会ってよ。一ヶ月に一回会うくらい、付き合ってよ」

「ハル君さ、それ、いつまで続ける気なの? もう終わりにした方がいいよ」


 告白するのを拒まれたのに、まるでわたしが振っているみたいじゃないか。変な展開で念願が叶ってしまった。全く嬉しくない。


「よくない。別れない。だって、無理だよ、そんなの。こんなこと言うつもりじゃなかったんだ。もっとちゃんとする気でいたのに」


 春紀は、右手で自分の両目を覆った。いつもは右目だけ押さえるのに、違和感があった。ピリッとこめかみに電気が走った。その衝撃で心臓が早鐘を打ち始める。まずい。見ないふりをしたほうが賢明かもしれない。でも、このまま置き去りにするのは非人情すぎる。

 どうしよう。泣かせてしまった。

 わざわざ家まで送ってくれた人間を泣かせるとか、急に申し訳ない気になった。

 一体なんだというのか、こっちの告白を拒んでおいて、別れないとか意味がわからない。情緒不安定すぎる。人に対して「どうして泣くの?」と聞く人間は、よほどのサイコパスだと思ってきたけれど、ちょっと本気で聞きたい。むしろ、泣くのはわたしの方だ。別れないと言うなら、わたしの告白を受け入れてくれたらいいのに。わたしは、また何か読み違いをしているのだろうか。

 春紀は、わたしが自分を好きだなんて少しも思っていないだろう。わたしに興味がないし、わたしも好きなことがばれないように注意してきた。由夏ちゃんのことだって、まるで気付いていなかった。他に頼める女の子がいないから、彼女役を頼んだのに、なぜ急に辞めるのか、酷いじゃないかということか。それで、泣くとは思えない。(春紀だから言い切れないけど)

 大体なんでわたしの告白をこんなに拒むのだろう。「気持ちを言う」と言ったから、好きであることを気づかれてしまって、だから、わたしの好きをないことにして、合理的な関係を続けたかったのか。わたしが、自分を好きだとはっきりわかったら、名目上の彼女が、本当の彼女になってしまうから困る。それは望んでいないということか。悪魔か。

 流石に、自分を好きだとわかった相手に、理想の彼女が出来るまでの繋ぎの彼女を頼むほど、卑劣じゃない。惚れた弱みに付け込むような真似はしない。

 春紀は鈍感で空気は読めないけど、人をわざと傷つけることはしない。やり方が独特すぎてわかりづらいけど、ちゃんと優しい。自分が傷つきやすい分、優しいのだ。

 目の前で泣いている春紀は、まるで子供だ。昔のことを思い出す。

 春紀は、思っていることを全部口にしないから、少ないヒントで汲み取らないといけない。勝手に拗らせて、変な解釈をして、自分の殻に引き籠るけれど、隠していることは単純だった。陽子さんが好きなのに、嫌われていると勝手に思い込んでいただけだ。

 だったら、これも、同じで、別れないのは、別れたくないからで、別れたくないのは、好きだから。ちょっと待ってよ。それはない。そんな馬鹿なことはない。そんなことが起こったら、わたしが、今まで春紀にしてきたことって、あんまりな態度じゃないか。ぞっとする。


「ハル君って、まさか、わたしのこと好きだとか言わないよね?」

「ごめん」


わたしのぶしつけな問いかけに。春紀は、手で、目や鼻や口をしきりに拭いながら、小さく言った。


「え? 言わないんだよね?」


 肯定を求める口調で、強く言ったから、春紀は本当に叱られた子供みたいにびくびくして、さっきより更に小声で答えた。


「だから、ごめんって」 


 ごめんって何? 言わないことに、ごめんか、言うから、ごめんか。ここで、取り違えたら、わたしは、人をおざなりにした罪で地獄に落ちる。


「好きじゃないんだよね?」


 春紀は涙を拭い終えると、右手で胃のあたりをしきりに摩り始めた。三段上からじっと見ているわたしから目を背けて、まるで命を削られているような苦悶の顔で、小さく首を振った。

 悍ましい。悪魔は、わたしだ。


「ごめん」


 さっきまでの春紀の台詞をわたしが奪うと、春紀は、完全に開きなおって、態度を硬化させた。


「謝られても、別れられない。明日、来るまで待ってるから、じゃあ」


 ごめんって、そういう意味じゃない。

 春紀は、言いたいことだけ言って、即座に立ち去るので、一言も返せなかった。

 一人になって、両手で顔を塞ぐ。もう、何がなんだかわからなかった。これから春紀にしてきた酷い仕打ちを全部思い出して、明日もう一度ちゃんと謝らなければ駄目だろう。

 とりあえず、家に帰ろう。両手を離すと、走り去ったはずの春紀が眼前に立っているので、全部夢かと思った。


「え? 何?」

「千冬ちゃんは、何も悪くないよ。オレがどうしようもないだけだから」


 そんなこと、わざわざ引き返して来て言うなんて、本気で止めてほしい。春紀って実は結構な策士なんじゃないか。わたしは、そのどうしようもないのが良いのだ。




 順番がバラバラすぎて、並べ方がわからない。

 告白せずに振られて、思いに気付かず付き合って、告白しようとしたら拒否されて、わたしを好きだということを無理矢理に聞き出してしまった。じゃあ、今は、両思いかというと違う。春紀は、わたしが自分をどう思っているか知らない。

 どうして昨夜、告白を聞いてくれなかったのだ。そうしたら、こんな暗い気持ちで、カレー屋に向かうこともなかった。

 春紀はいつからわたしを好きだったのだろう。わたしは、どこから間違って認識していたのか。邪険にされて、拒絶されて、無関心で、いきなり「好きな人ができたら振ってやるから、彼女になれ」と言われてきたのだ。どこに「わたしのことが好きなのね」と解釈できる余地があったのか。

 春紀もわたしと同様に、最近になって自分気持ちを整理したのだろうか。

 本当に春紀はわたしを好きなのか、もう自分に自信がない。

 考えることも、聞きたいことも、山ほどある。早くわたしの気持ちを伝えないと、春紀はまた、とんでもない思い込みをして、遠くへ行きそうな気がする。

 春紀の思いに気付けなかったわたしと、わたしの気持ちを読み飛ばしてきた春紀のどちらか一方がどうということは、きっとない。今から会って、昨日のことをなかったことにされていたら、と考えると足が竦む。でも、仮に春紀が昨日の全てをなかったことにしても、わたしはわたしのやるべき事をしようと思う。

 駅を通りこして一〇分の道を、一時丁度に着くように調整して歩いた。

 わたしは基本的に五分前行動で、春紀は時間きっちりに来るから、待っているのはいつもわたしだった。今日は出来れば一時〇分の同着がいい。スマホで時刻を確認しつつゆっくり歩いた。

 遠目に、カレー屋のマンションの前に、春紀が立っているのがわかった。時計は五八分を指している。春紀はわたしが来るまで待っていると言っていたけど、いつもより早く来ているなんて思わなかった。

 やっぱり五分前に行って待っておけばよかった。なんて声をかけたらいいのか、第一声は大事だ。

「昨日のことなんだけど」といきなり切り出すか、春紀の出方を待つか。下手に話すとまた「聞かない。言わなくていい」と全面拒否される気がする。(それでいつまで通すのか興味あるけど)後三メートルくらいまで近づいた時点で、春紀はこっちに気付いた。


「潰れたらしいよ」

「え?」


 春紀が、入り口を指差して言った。張り紙が出ている。

‘勝手ながら、閉店します。インドのデリーにお越しの際は、是非本店の方へお立ち寄りください’

 白いA四用紙にボールペンの細い汚い文字で書かれてあった。


「インドのデリーのどこ?」

「いや、嘘だから」


 誰もが言うのを憚かっていた事実を、平然と言うので笑ってしまう。

 春紀は、わたしが笑っている意味がわからなかったようで、不謹慎さを諭すような目でこっちを見ていた。わたしが黙ると、当然ながらの沈黙が流れる。


「この辺に、カレーの店なんて他にある?」


 意外にも、春紀が口を開いた。これは、完全スルーの方向じゃないか。 


「カレーはもういいよ」

「なんで? 探せばあるでしょ。カレーくらいどこでも」

 春紀が狼狽して言う。なんかまた変な風にとったのだろう。


「いや、本当にもうカレーはいいんだって、ハル君何か食べたい物ないの?」

「昨日のこと、怒ってるの?」


 春紀は、しょんぼりしたくぐもった声で言った。こういう態度に出られると弱い。なかったことにするつもりはないらしい。


「別に、何も怒ってないよ。ハル君こそどうなの?」


 春紀は、一体自分がわたしにどう思われていると解釈しているのだろう。

 嫌いな人間の彼女役をする女の子なんていないのだ。何故わからないのだろう。散々いろんな告白をされてきたくせに、惚け過ぎていないか。こんな明るい場所で人目もあるのに告白は、ハードルが高すぎる。腹をくくってきたつもりが、昨日のことを思い出して、なんだか、もう言いたくない気持ちになっていた。春紀だって、結局何も言っていないのだ。


「オレが、千冬ちゃんに、怒ることなんて、何もないだろ。オレは、その、昨日の、そういう感じで思ってるんだから」


 春紀は手の甲で口を隠して歯切れ悪く言った。この期に及んで、そういう感じで逃げるとは、春紀らしすぎる。本当に策士なんじゃないかと思う。わたしも、そういう感じで思っていると言えば伝わるだろうか。それも、何か悔しい気がする。 


「カレーパンの美味しいお店があるんだけど」

「え? あぁ、うん」


 わたしが、話を戻したので、春紀は拍子抜けしたような、安堵したような顔をした。


「ハル君、カレーパン好き?」

「あぁ、まぁ」

「嘘言っちゃ駄目だよ」

「別に嘘じゃないよ。カレーパンを好きとか嫌いとかいう対象で見たことないよ。あれば食べるよ」


 春紀は、なんでカレーパンについて、いちいち考える必要があるのかという口調で言った。あまり食べ物に執着がないのだ。


「揚げない焼きカレーパンなんだけど。雑誌にも載ってて、有名らしいよ」

「食べたことないの?」

「うん」

「じゃあ、丁度いいんじゃないの。そこにしたら?」

「うん、でもわたしは食べないから」

「え? なんで?」

「わたしは、ケーキを食べるから」

「ケーキ? カレー食べるつもりで来たんでしょ? そんな口になる?」


 春紀は心底驚いた顔で聞いた。甘い物が好きじゃないから、尚更考えられないのだろう。


「なるよ」

「ふうん、まぁ、別にいいけど。どこの店? パン屋なのにケーキも置いてるの?」

「駅の前だよ。ケーキ屋なのに、パンも置いてるの」


 わたしが答えると、春紀は急に黙って、如何わしいものを見るような目つきでわたしを見下ろした。


「それって駅前のケーキ屋?」

「うん」

「食べるのって、ホワイト何とかケーキ?」

「ホワイトマカダミアチーズケーキだよ。嫌なら別の店でもいいよ?」


 春紀はわたしから目を背けるとと、掌で口元を隠して「いや、いいよ、うん。そこで」とぼそぼそ答えた。


「ふうん。じゃあ行こうよ」


 駅の方へ向かう。

 並んで歩けばいいのに、春紀は後から付いてくる。敢えてわかりにくい方法を取ったから、鈍い春紀には伝わらなかったのかもしれない。わたしも意外に屈折していると言ったまどかの言葉を思い出した。ちらっと振り向いて春紀を見ると、右手で右の目頭を押さえながら下を向いている。

 わかっても、わからなくても、こんな風に思い悩む感じになることはないだろう。意味不明だ。ややこしい人間に、ややこしいことをしてしまった。

 わたしは、結構どきどきして言ったのに、残念な結果だ。

 やっぱりちゃんと告げないと、伝わらない。当たり前なのだけど、わたし達らしくない気がして、躊躇ってしまう。でも、逆の立場なら、こんな針のむしろみたいな状態は耐えられない。わたしだって、勘違いされたままなのは不安だ。ちゃんと言うしかない。前置きしたら、また逃げ出しそうだから、雰囲気も何も関係なく、いきなり言うのがいい。


「千冬ちゃん」


 呼ばれて振り向く。

 そのまますぐに伝えようとしたけれど、春紀が真っ直ぐに見つめてくるので、言えなかった。


「一つ、聞いていい?」


 春紀が真面目な顔で言う。

 心臓がきゅっとなった。世の中には、笑顔がとても輝くという人がいるらしいけれど、春紀は、真顔が一番光る。無表情で淡々としているのが、揺るぎなくて、良い。とても好きだ。


「何?」


 春紀は誰もが抱く当然の疑問を尋ねるみたいに言った。


「カレーパンは、甘い物ではないよね?」


 わたしの意図は伝わっていたらしい。安心したけれど、これはちょっと、しょうがなさすぎる。


これにて完結です。

読んで頂き有難うございます。


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