8 紫銀色 その三
皇帝陛下に謁見した日から数日は、わたくしは館で静かに過ごしていました。
五日間も眠っていたせいか、皇帝陛下への謁見なんていう精神的疲労のせいか、身体は怠く重かったので部屋で本を読んでおりました。
家にはほぼ使われていない書庫があり、誇りが積もった本をアルメリアと共に発掘し、日干ししながら読んでました。
改めて自覚しましたが、わたくしは“記憶”を思い出しました。わたくしではない“誰か”の“記憶”。恐らく前世の“記憶”を。
不思議なこともあるものです。
ですが思い出した“記憶”は断片的ではっきりしているのは、「視界一面の赤」、「暖かく優しい家族と特別な妹がいたこと」、「ここではない別世界のあやふやな情報」です。
なんて中途半端なのでしょう。
思い出すなら、全て思い出してしまえばよろしいのに。前世のわたくしは記憶力が悪かったのかしら?
そういうことではないわよね?きっと。ええ、きっと。
ふぅ、駄目ね。思い出そうとすると、酷く頭が痛むわ。
真っ先に思い浮かぶ“赤”が邪魔をする。
だから思い出そうとするのは止めることにする。
もう戻れない過去のこと。
あの暖かく優しい世界には帰れないのだから。
ああ、でも「妹」のことは割り切れない。忘れられない。だから一緒に生きていくの。
矛盾しているけれど仕方ない。
だって「わたし」が一緒に生きたいと望むのだから。
「…………ラティーニア様、残りの書物はこちらに置いておきますね」
「ありがとう、アルメリア」
自分の部屋のソファ座り、本を読んでいたわたくしに、両手に本を抱えたアルメリアが入ってきて側のテーブルに置いた。
わたくしは自然と笑顔になり礼を口にすると、アルメリアは驚いて一瞬止まり、けれど直ぐに慌てて頭を下げた。
皇宮から帰ってきてから今まで、何度も見た光景に思わず苦笑が漏れる。
以前のわたくしは笑うこともなく、ずっと無表情か不機嫌な顔だった。
使用人がわたくしの世話をするのは当たり前で、思い返してもお礼など口にしたこともない。
これでは両親や兄と同じように避けられて当然というもの。
だからこれからは、普通に話が出来るくらいの交流を持ちたいと思っている。せめて笑って挨拶が出来るくらいには。
この家では難しいかもしれないけれど。
わたくしの専属侍女のアルメリアに関しては、深く付き合いたい。信頼関係が結べるような相手に。
アルメリアは三つ年上のお姉さんだから、なんでも相談し合える仲になりたい。
というわけで目下、アルメリアを驚かせていますの。ほほほ。
下心満載でごめんなさい…………
「さて、アルメリア。そろそろ出掛けましょうか?」
「かしこまりました。では馬車の用意を……」
「必要ないわ。運動がてら歩いて行きましょう」
わたくしはこれから街にある図書館に出掛ける予定です。家にある本は読めるものが少なく、今日まででほぼ読んでしまった。後は先程アルメリアが持ってきてくれたもののみ。
皇宮への立ち入り許可証は、まだ届いていない。もう少しかかるでしょう。
尤も許可証を頂いても、直ぐには行かないつもりです。
何故なら皇宮の図書室には、多くの方が出入りしておりますし、彼処は文官の方達の仕事の場でもあります。
せめてすらすらと読めるくらいには語学力を身に付けないと。
同じ本を独占していたらいけませんからね。
更に自慢でもなんでもありませんが、わたくし集中力がそれほど高くないのです。物音や人の気配で直ぐに途切れてしまうのです。ですから訓練をする為にも、街の図書館に行きます。
一応父に許可を求めに行ったら、「好きにしろ」と吐き捨てるように言われました。
あれ以来、両親とは険悪の一言に尽きます。あの人達にとって、自分達の思い通りにならない“道具”など忌まわしいだけのようですから。
そのことに心に小さな悲しみが生まれました。
両親に愛されていない事実に対してです。仕方ないことですが、それでも悲しみが胸に過ります。
ふぅ、と小さく息を吐き、立ち上がる。アルメリアが外套を着せてくれたので、お礼を言う。
「でも危険ではありませんか?ここから図書館が近いとはいえ」
「勿論、護衛を頼むわ。もうすぐ門番の方が交代するはずだから頼んでみましょう」
今日は確か、アンシェシア家領騎士団の隊長が来ていたはず。彼とは何度か話したことがあるから、頼みやすい。
アルメリアと共に玄関へと行き門を目指すと、ちょうど交代のようで騎士が五人、集まって話をしていた。
「少しよろしいかしら?」
「ラティーニア様、なにかご用でしょうか?」
「図書館に行きたいのですが、護衛をお願いできますか?」
「それでしたらこの者がよろしいかと」
隊長は横にいた騎士を示しました。
「貴方は………初めまして、かしら?」
「はい、先日より配属されましたマグヌスと申します。よろしくお願い致します」
「そうでしたか。わたくしはラティーニア・ウェールディ・アンシェシアです。これからお願いしますね」
笑顔と共に騎士の礼をしたマグヌスに対し、わたくしも淑女の礼を返します。
マグヌスは十五、六歳の少年ですらりとした体型で、言われなければ騎士にはあまり見えない。チョコレート色の髪に深い碧の瞳、柔和な印象を与える優しげな顔だけれど、心意を読み取らせない笑顔でなんだか近寄りがたい。
失礼な感想だけれど、なんでも笑顔で誤魔化されそう。
でもこの年で騎士になれたのだから、実力的には相当強いのだろう。
「この者は年は若いですが、実力は十分です。貴女様のお役に立ちましょう」
「貴方がそこまで言うのです。信じましょう。ではそろそろ行きましょう」
騎士達に会釈をし、アルメリアとマグヌスを伴い図書館に向かって歩きます。
図書館までは子供の足でも三十分ほど。
そういえば、とふとあることに気付きます。
わたくしはこうして街に出掛けるのは初めてです。
思わずふふっと声が漏れてしまいました。
でも仕方ありませんわ。だって楽しいのです。気分が高揚しています。
まるで初めてのお使いの気分、ですわ!
読んで頂いてありがとうございました。