‐Ⅶ.悪の総統は相当な悪‐ 9
立て続けに出現するアンデッドの木偶は、武器を手放したヨキを見逃しはしなかった。それに気付いたセラフも、助け舟を出すには遠くに飛ばされすぎた。シャオリンはテトラを気遣って動揺していて敵の出現を察知していない。
彼は敵を睨みつつも、窮地に陥ってさえ左手を地面に向けたまま先ほどから一歩も動かずにいた。
「エメラルド、離れていろッ」
「いいえ、伯爵。きっと私はこの日のために、あなたに『サルベージ』されたのよ!」
ヨキの鋭い叱責にも、彼の前にその身を盾にして立ちふさがるエメラルドは一歩も引こうとはしなかった。一メートル四方にも満たない結界だけをまとい、か弱い体を暴虐の前にさらす。能力、スーツユニットの機能、ほぼ全てを結界の維持に費やしているため、彼女には攻撃手段は残されていなかった。
そして、彼の言葉を信じているエメラルドは、結界の維持を緩めるつもりはなかった。それがヨキにはひしひしと感じられた。
「守ってあげるわ。あなたが、私を目覚めさせてくれたから──今度は、私があなたを守る番!」
なんとも心許ない小さな結界。それが心の昂ぶりに応じて強い光を放っていた。緑碧の光は障壁となって敵の巨大な腕による攻撃を遮りながら、目には見えない圧力を生んで敵の侵入を阻む。小さくとも堅牢であったが、エメラルド自身に疲労の色が濃く、猛攻に耐え切れずに一歩また一歩と押し込まれていく。
「もういいエメラルド、下がるんだッ!」
「ねぇ、伯爵」
とうとう、エメラルドの背中がヨキの胸にぶつかる。
陶磁器のように白い細腕が、無残にも鮮血と裂傷にまみれていた。いかに頑丈な障壁でも、支えきれなければ肉体に負荷がかかるのだ。
「あなた、『我が意を得たり』って言ったわよね。あれでハッとなったんだけどね」
「下がれと言っているんだ!」
「あなたは、あなたの王の命令で行動しているんじゃないのよね、きっと」
巨大な敵は群れをなして、怒り狂ったような怒濤の攻撃を繰り広げている。狂騒の暴風雨が吹き荒れる中で、不思議とエメラルドの凛とした声はよく通って聞こえた。
「私も多分、ずっとそうしたかったのよ。この世界の人々と触れ合って、数え切れないほどたくさんのステキなものをもらったわ。そしてそれは、木が成長するように、枝葉を伸ばすように、どんどん増え続ける」
顔は埃で汚れ、腕は裂傷だらけ、髪は煤けて、せっかくの美貌が台無しになっていた。
しかしなぜだろう、その覚悟の炎を灯した双眸は、力強く立つ足は、けして引かない真っ直ぐな背中は、とても美しく見えた。今にも押しつぶされそうなのに、何者にも屈しない気高さが感じられた。
「そんな世界を、私は、私の意志で守りたいのよ!」
もうヨキは、彼女をとめようとするつもりはなかった。
「そう、だな。白状すると私は当初、王がこの地を我らの世界に創り変えるおつもりだと考えていた」
「あら怖い。本当に悪の総統──いえ、悪の手先だったのかしら」
肩越しに振り返るエメラルドは、冗談めかしてそんなことを言いながら舌を出して笑った。
してやられたヨキは、おどけたように肩をすくめる。
「だが私にはそんな権能はなく、王は新たなご下命も残さずに姿を消してしまわれた。今なら分かる。新たなご下命がなかったのは、私の本来機能を遂行しろとの果せだったのだ」
「あなたはこの世界を、あなたの王の意志で守るのかしら?」
「私に与えられた役割は、いつしか私の目的にもなっていた」
「それは──」
ダメージを蓄積させたエメラルドの体が、大きく揺らいだ。
だが次の瞬間には、彼女の肩を片手でヨキが抱きとめていた。彼はもう一方の腕で小さな結界を支え、敵の攻撃をしのいでいる。
「私は私の意志で、王命を、この世界を守る」
漆黒の魔法陣は周囲を覆うドーム状の結界にも刻まれて、全方向を埋め尽くしていた。ヨキが一歩も動かずに展開していた魔法陣が、完成していたのだ。
「エメラルド、場を固着しろ」
たった一言の短い指示で意思疎通し、全てを把握する。
エメラルドは自分の胸で手を重ねると、スーツユニットとは別の法則で働く力を解き放った。
「聖なる輝きよ、歪みなき悠遠の世界を導きたもう」
──〔【 聖輝 ( ユークリッド ) 】〕──
どこからともなく響く電子音声が、力を呼び覚ます。それは結界の中に結界を敷き詰め、敵と認識したありとあらゆるものの自由を奪う。敵が動きを止めると、そこは悪趣味な巨大人形館と化した。
エメラルドはほとんどの力を使い果たし、ヨキの助けを借りながらその場にへたり込む。極度の体力消耗が見て取れたが、顔色は悪くない。いつもの柔和な笑みを浮かべ、肩で呼吸をしながらも優しく語りかける。
「ねえ伯爵。私たちもっとお互いを分かり合う必要があると思うの。あなたが何を見て、何を知って、何を感じたのか聞かせてくれるかしら。みんなで心ばかりのおもてなしもするから、今度ゆっくりお話しましょう?」
「……せっかくの誘いだ、袖にするのは」
後に続く言葉は飲み込んだ。それは肯定とも否定ともつかない、実に曖昧な返答だった。彼の表情はいくばくか固くなっていたが、だからこそエメラルドは強く引き止めることはできなかった。そう、彼女にはヨキが何をしようとしているか分かっていたから。
そんな顔をさせてしまうと分かっていたのに。
彼が断りきれないことを知っていたのに。
困らせたくなんてないのに。
エメラルドは、ヨキの決心を揺さぶるようなことを言わずにおけなかったのだ。彼女は優しい腕に抱かれながら、どんな名優にさえ演じることのできない、目に涙を溜めた極上の笑顔でこう告げた。
「ヨキ伯爵……乙女の誘いを断るなんて、悪い人ね」
「そうだな。こんな悪夢は次に目を覚ますまでに忘れてしまうがいい。それで全て元通りだ」
「ばかね……元通りなんて、そんなのウソじゃない」
広大な敷地を全て内包する結界に力を使い切り、役目を果たしたエメラルドは目を閉じる。その姿は完成された美術品のようだった。ヨキが彼女を静かに横たえ、手櫛で繊維質な髪を整えてやると、エメラルドは安らいだように口元を緩ませた。
戦場が凪いだ。
それはまるで、嵐の前に訪れる、つかの間の静けさのようだった。




