‐Ⅵ.自分探しの旅って言うけど旅なんか出なくてもお前はそこにいるんだぜ‐ 3
「自らを正義と称したいなら確かに悪と敵対するのが手っ取り早い。だが世界は正邪が入り乱れて成り立っている。打倒すべき絶対悪などと都合の良い、分かりやすいものもこの地上にはないし、手ごろな巨悪など存在しない。正義の味方とは、そも正義とは、一筋縄では捉えられん。だから常に問い続けることが重要なんだ」
得体の知れない男の言葉なのに、何か言い知れない予感を感じた。
「あんた結構おもしろいこと言うじゃない」
「ちょっと、そぁらちゃん。誰だか分からない人にあまり接触しないほうが」
けねぁは心配そうに声をかける。その懸念は実は別のところにあったが、口にすることはできずにいた。
男は素振りをやめていた。
黒髪の少女からタオルを受け取って汗を拭き、長く吐息する。
「フゥ――――」
寒さが厳しい時期にあっても、長時間続けられた運動で男の肉体に蓄えられた熱はいまだ冷めやらない。まだ晴れない霧の中で、わずかな明かりに照らされた精悍な肉体からゆるゆると蒸気が立ち昇っているのが見て取れた。
彼は袴に袖を通し、居ずまいを正す。
「敵を探す必要はない。陳腐なようだが、それは己の中にある。ただ見えないだけだ。それこそがもっとも厄介な問題なのかもしれんな」
神妙な顔つきの男にあれこれと疑問を突きつけるのがはばかられたのは、なぜだったろうか。物怖じしない男は、傍若無人というよりも泰然自若と感じられた。傍らの少女は男から木刀を受け取ると、神妙な顔でしばらく見つめ返してから足早に公園を去った。
手すりに近づき、街を見下ろしながら男は続ける。
「そしてそれは、間もなく強大な悪意によって試されることになる」
「? あんたナニ言って……」
言葉が途切れる。そぁらは茶化されたのかと思ったが、そうではないことは男の顔を見返して分かった。続く言葉を求めて怪訝に見返しても、男は眼下の街に目を落としたままだ。
「ま、まさかっ!」
男の言葉が理解できないそぁらとは、けねぁの表情は対照的だった。
つられて街を振り返る二人は、何か直接に『知覚できない現象』を眼にしていた。ぐにゃり、としか表現できない景色。
「これは『綻び』!? あなたがファイヤーマンだったのね! でもなぜあなたが事前にこのことを……?」
けねぁは驚きながらも、どこか腑に落ちた面持ちで男を振り返った。
話についていけないのはそぁらだ。
「ちょっと、何よこれ! 何が起こっているの!?」
視界が――いや、世界が、レンズを通したように歪んで見えた。
あるいは全体が歪んで見えたら、空気のレンズ効果を疑ったかもしれない。しかし実際には規則性がなく、そこかしこに点々とバラバラな歪みが浮かび上がっていた。
「こんな大規模な『綻び』が察知できなかったなんて!」
「どういう意味よ! 何か知っているの?」
打ちひしがれるけねぁに、そぁらが詰め寄る。
その足が止まったのは、巨大な歪みが公園の中央にも出現していたからだった。




