初恋のしくじり『サンドイッチ』
「好きな人ができたの」
ひぐらしの鳴く帰り道、甘理は言った。
「お……おぅ?」
幼なじみの思わぬ告白に、鼓動が跳ねたのを覚えている。
あれは、高校二年の夏。
二人で互いの家へと向かって帰る途中のことだった。
長いふたつの影が歩道のアスファルトに伸びる。自動販売機と地蔵堂のある曲がり角。神社を囲む黒々とした鎮守の森と、まばらに立つ家々――。
田んぼと畑のむっとするような、土と緑の匂いが肺腑を満たしてゆく。
「サッカー部のね、葵くん。同じクラスの」
やや沈黙があって、甘理はいった。
好きになった相手はイケメンサッカー部員、葵だという。
相手は同じクラスの男子という事実に驚きつつも「あー」と納得する。
三浦葵はサッカー部に所属し、明るくて元気のクラスの人気者だ。リーダー格のイケイケクラス女子たちによる『男子勝手にランキング』によると堂々の三番手。それがまた控えめで良いという声もあるらしい。まぁこれは、こっそり甘理が教えてくれた豆知識。
ちなみに俺は二票を獲得し十位にランクインしていたらしい。「よかったね七味」と言ってくれたが、まったくもって無用な情報、知りたくもなかった話だが。
甘理の所属する吹奏楽部は、サーカー部や野球部の試合の応援によく遠征する。
俺の剣道部には吹奏楽部なんて来たこともないのに不公平だ。いや武道だから応援がそもそもダメだろ。などとどうでもいい考えがぐるぐると頭の中に渦巻く。
葵とは遠征の時に、同級生なので話すようになったとか、好きになったいきさつをポツポツと説明してくれたのだが、頭には殆ど入ってこなかった。
「葵……か、意外だな」
「……だよね。わたし吹奏楽部で地味だし。釣り合わないかも」
「そういう意味じゃなくてさ」
二年になるころには部活が充実し、それなりに楽しく過ごしていた。
俺も甘理は相変わらず、気兼ねなく話せる友人、昔なじみの同級生。そんな居心地の良い関係はそのままだった。
甘理は高校に入ると同時にメガネをやめ、コンタクトになった。すこし可愛くて、最近は綺麗にさえなったように思った。
でも、お互いにいつまでも子供のままではいられない。そんな事実をあらためて突きつけられたに過ぎない。なのに軽いショックを受けたというのが正直なところだった。
「それでね、思い切って告白したの」
「したのか」
「うん」
「そうか」
軽い目眩に似た感覚を覚えた。
正直なところ、彼女を異性として意識していなかったか、と自問自答すれば、そんなこともないわけで。二人は仲がいいよね! とか他の女子に言われると満更でもない気がした。だけど正面から自分の気持ちに向き合うことはしなかったのだ。
「付き合ってもいいって、返事もらった」
「お…………おめでとう」
「うん」
一緒にいると楽しくて、自然に笑えて。当然のように、こんな関係が続いていくものだと思っていた。でも、俺はその居心地のいい関係に甘え、漠然と、漫然と、大切な時間を無為に過ごしてきたのだと思い知らされた。
甘理の好きだという相手が、自分じゃないという事実を突きつけられた挙げ句、それを正直に報告してくる幼なじみ。
俺は隣で、どんな顔をしていたのだろう。
「部活の後ってお腹すくでしょ。こんど簡単な軽食を作っていってあげようかと思ってるの」
「それはいいな。料理うまいもんな、甘理は」
「サンドイッチなんていいよね」
「いいかもな」
俺に聞くな。
嬉しそうに、楽しそうに語る彼女のなんと無神経なことか。恋は盲目。俺の気持ちなどどうでもいいようだ。話に相槌を打ちつつ、最後の方はもう上の空だった気がする。
幼なじみの恋を応援する。俺は家に帰ってから気持ちに整理をつけ、そう決めた。
決めた、と自分に言い聞かせた。
それから俺は彼女と距離を置くようにした。
彼氏ができたのだから、俺と話しているところを見たら葵も良い気がしないはずだ。同じクラスメイトなので知っているが、葵は良いやつだ。気さくに誰とでも話すし、楽しい。だからこそいらぬ波風は立てなくない。
甘理と葵はクラスでは付き合い始めとはいえそんなに言葉をかわさなかったが、放課後は甘理がサッカー部の部活の終了を待っていたり、一緒に帰ったりしていたようだ。
俺は二人に遭遇しないよう、回り道をしたり、「新しい必殺技を会得する」と宣言をし、竹刀の素振りの自主練の時間を増やしたりした。
会わないようにするのも意外と疲れる。誰かを追い回すストーカーの反対だ。
というか、何故にこんな苦労をせねばならんのだ……。
だんだんと腹立たしく思い始めた、ある日。
甘理が帰り道、一人で歩いていた。
ちょうど自動販売機の前、地蔵堂と大きく青々とした葉を広げた桜の木のあたりだ。
「……甘理?」
「七味くん……」
サッカー部の練習の終わりを待っていたのではなかったのか?
「おう、どうしたんだ」
「早めに終わったから帰ってきたの」
「あ、そう。じゃ」
ごく自然に会話を交わし、短い返事を返す。それ以上、交わす言葉も見つからなかった。足早に追い越して家に帰ろうかとした、その時。
「ちょっと、まってよ」
「なん……?」
「どうしたの、とか何か聞くこと無いの?」
「別に……」
甘理と葵ののろけ話を聞かされたら堪らない。
「お腹すいてない?」
唐突に甘理が俺の顔を見て、思いついたように言った。
「空いてるよ。いつも」
部活の終わった帰り道。空腹だが買食いするようなコンビニも果てしなく遠い。さっさと家に帰って冷蔵庫を漁ったほうが早い。
「なら、そんな七味くんに丁度いいものが」
ごそごそと巾着袋を広げ、中から四角い、可愛い弁当箱を取り出す。すぐに蓋をあけて俺に見せる。
「お……? サンドイッチか、すごい」
「でしょう?」
そのドヤ顔が懐かしい、とさえ思った。ほんの二週間ほど疎遠にしていただけなのに。
「食べる?」
「いいのか?」
「七味くんさえよければ」
サンドイッチといっても意外と本格的だった。緑色のレタスとチーズに薄切りのトマトが挟まったトマトチーズサンド。タルタルソースみたいなたまごサンドもある。量はそこそこだが手間がかかっているとみた。
「ラッキー、いただきま……」
遠慮なく食べようと手を伸ばしたが、はたと思い至る。
これは彼氏の、葵のものではないのか、と。
視線を甘理の顔にちらり向ける。笑っていたけれど、どこか悲しそうな、そんなふうに見えた
「サンドイッチ」
もう一度、甘理はいった。
「いただきます」
何も問わず、俺はそれを食べた。たまごサンドが実に美味しそうだ。
「美味っ……! いいじゃん、最高」
次にトマトサンド。ジューシーなトマトにチーズの濃厚な風味。しっかりと味付けもあって小腹を満たしてくれる。
悔しいことに、あいつは、葵はこれを食べているのか。
俺にだって作ってくれたことはないのに。
「……美味しい?」
「うん、美味しい。上手だな」
「よかった」
「まさかお前……試作品を俺に」
ありえる。彼氏に食わせる前の実験。それに気がついた俺はしまった、と悔やんだがもう遅い。空腹な男子高校生の思考回路は、食欲が優先されるのだから。
「ち、ちがうの。あのね……食べてもらえなかったんだ」
「葵に?」
「うん……」
唇をきゅっと噛む。
「なんで!?」
こんなに美味しいのに。腹が減っていなかったのか、お腹が痛かったのか。部活を終えた後なら、今の俺のように食いつくはずなのに。
「気持ち悪いっていわれた」
「きっ……」
気持ち悪い、だと? 何が?
俺は一瞬理解できなかった。
「他人が作ったものは食べられない、無理って」
憤りを覚える。
無理とはなんだ、ふざけんな。甘理が一生懸命作ったんだぞ……!
お門違いだとわかっていても、腹がたった。
「しくじったみたい、私」
「そんなこと……」
「でも、七味くんは美味しそうに食べてくれるんだね」
ぽろりと、甘理は涙をこぼした。
戸惑った俺は、それ以上なんと言葉をかけていいかわからなかった。
甘理はショックだったのだろう。大好きな彼氏のために、早起きして作ったサンドイッチを、無理の一言で払い除けた、葵の行動に。
「こんなに美味しかったのに、馬鹿なやつだな」
「七味……くん」
「上手だな、甘理は」
「…………うん。ありがと」
笑顔を無理矢理に作っているのが痛々しいほどにわかった。
「おう」
「七味くん」
「なんだよ?」
いいからもう早く帰れよ。なんて言葉をかけていいかわからないから。
「口のまわりに白いのが付いてるよ」
「あっ? くそ」
甘理は笑って手を振ると、踵を返す。
夕日に照らされた彼女の髪が淋しげに揺れていた。
それからしばらくして「二人は別れたらしい」と、クラスの他の女子に聞かされた。
「葵くんが、七味君の愛に負けたって。そう言っていたって噂だよ」
「なんじゃそりゃ」
「ま、甘理ちゃんを大事にしてあげて」
「なんのこっちゃ」
俺は窓辺の席で頬杖をつきながら、きゃいのきゃいのと煩い女子たちから顔を背け、校庭に目を向けた。
声を掛け合いながら、元気に走り回るサッカー部員たち。
俺の複雑な胸中なんてどこ吹く風。勢いよくボールを蹴る音が、青い空に吸い込まれていった。
<つづく>
次回、最終回となります★