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(第三部) 奇跡の「馬(鹿)官吏」・龍状元

百華国の王都・(おう)華府(かふ)の中心で、ひときわ威容を誇る()(りゅう)(じょう)

官吏達の政治的謀略が日夜繰り広げられる、その宮城の()(ちょう)中に、

今日もまた三歳児顔負けの盛大な泣き声が、元気に響き渡っていた。

 「うわあああん、(せい)(しん)のばかあああああーっ!」

 朱塗りの戸を勢いよく全開して、泣きながら御史(ぎょし)(だい)の一室に飛び込んで来たのは、(はく)(せい)(しん)の親戚の子供などでは勿論ない。

 彼の生まれながらの婚約者であり、この度の恩科(おんか)試をトップの状元(じょうげん)で見事に突破した超エリート官僚・(りゅう)(れい)(ほう)だ。

 紺地に補子(ほし)と呼ばれる豪華な刺繍を前後に施してある、『着るだけで百華国高官としての威厳を醸し出せる』と評判の官服の衣装効果を見事に台無しにし、強面(こわもて)(ぞろ)いの御史台を一瞬にして彼女の人生相談所に変貌させられると評判の、奇跡の『()(鹿)官吏(かんり)』である。

 「うえっく・・・ひっく・・・青慎の・・・青慎のせいでまた、恵秀兄様に・・・!」

 いつものように自分の机に突っ伏して、独り言を呟きながら泣き続ける彼女を見ながら、昼餉を終えたばかりの御史(ぎょし)(だい)の官吏達が、小声で囁き合った。

 「龍状元、また今日も()(けい)(しゅう)御史(ぎょし)求婚(プロポーズ)して、玉砕したんだな・・・」

 程無くこれまたいつもの通り、麗宝が恵秀の部屋に置き去りにした昼餉(ひるげ)の重箱その他を抱えた青慎が無言で戻って来ると、いまだに「青慎なんて大っ嫌い!」と泣きじゃくっている麗宝の横に、そっとそれ等を残して自分の仕事へと戻って行く。

 今度は皆の同情の視線が、一斉に青慎に集まった。

 ((珀探(はくたん)()も気の毒に・・・))

 初めの頃こそ、青慎が麗宝に何か(ひど)いことでもしたのかと誤解して、彼にきつく当たっていた御史台の面々だったが、実際には青慎はむしろ被害者であり、麗宝の八つ当たり専用サンドバッグなのだと気付いて以来、元々人当たりが良く謙虚な青慎への好感度は急上昇した。

 いつの間にか御史台では昼餉の後、麗宝が泣く度に青慎の肩を「ポン、ポン」と無言で叩いてから席に戻る習慣まで出来てしまった。

 「若いうちは何事も経験だよ・・・」ポン、ポン。

「頑張れよ。珀御史の方が百倍いい男だぞ!」ポン、ポン。

 「君、婚約を解消するのなら、今の内だよ」ポン、ポン。

 「・・・・・・・・・」

 当の青慎にしてみればいい迷惑で、また一つ新たな受難が増えたようなものなのだが、純粋に好意から出た、しかも上司達からの言葉なので何も言い返せない。

 一方(いっぽう)、同じ部屋の隅で、「同年(どうねん)」と呼ばれる同じく恩科で進士(しんじ)となった同輩達も、声をひそめて噂話(うわさばなし)をしていた。その中の、紅壁(こうへき)(ゆう)という恩科では四位、つまり青慎の次点で合格した新米御史が、大きな声で聞えよがしに言った。

 「なあ、(さい)同年、龍状元って本当に状元だったのか?!もしかすると初の女性官吏だから、手心(てごころ)を加えて(もら)ったんじゃないのか?!」

 「しいっ、紅同年・・・」

 齋同年と呼ばれた、華奢(きゃしゃ)で童顔の官吏が(いさ)めるのを無視して、紅同年が続ける。

 「だってあれ、どう見たって馬鹿のすることだろう?!彼女、二日置きくらいに李御史に求婚(プロポーズ)してるんだぜ!これまで既に1000回以上は振られているっていう話なのに、毎回懲()りずに突撃した挙句(あげく)玉砕(ぎょくさい)して泣きわめいているんだからな」

 鼻息も雄々しくそう吐き捨てる紅御史に、まるで少女のように可愛らしい(さい)春萌(しゅんほう)同年がおっとりと返す。

 「でも、彼女が優秀なのは確かだよ。いいかい、見ていて」

 彼が素早く紙に何かを書き付けると、麗宝に向かって問いかけた。

 「ねえ、龍同年。89540掛ける632129はいくつ?」

 「・・・ひっく・・・5652570660ですわ・・・ぐすっ・・・」

 いまだに泣きじゃくっている麗宝が、(かん)(ぱつ)を入れずに答える。

 「ねっ」

 彼が紅御史に向き直って、紙片に書いてあった答えを見せた。

 (本当だ、合ってる・・・!)

 それでもまだ納得がいかない様子の紅御史の為に、齋御史が再び麗宝に訊ねた。

 「龍同年。この間、尚書省(しょうしょしょう)故黄皇后(こおうこうごう)に関する判決を不服だとして、黄太(たい)(かん)が上奏していたけれど、どうなると思う?」

 「ひっく・・・公式令(こうしきれい)訴訟(そしょう)(じょう)によれば、三司による会審(合同審査)で認められれば陛下に上訴出来ますけれども・・・ぐすっ・・・三司のうち少なくとも中書省(ちゅうしょしょう)(ほう)(しょう)殿下がおられる限りは、不可能ですわ・・・」

 紅御史が、今度はぎょっとして齋御史に言う。

 「おい、まさか彼女・・・」

 「そう。先日孫中丞(そんちゅうじょう)が僕達に、『頭によ~く叩き込んでおけ!』って厳命した公式令訴訟条を、もう全部覚えちゃっているんだ」

 「全部だって?!あれからまだ5日しか経っていないんだぜ?!」

 齋御史が、彼ににっこりと(うなず)いて見せた。

 「・・・信じられん」

 「他の高官達ならともかく、あの厳格な鳳翔殿下に限って、無能な者を女性だからって状元に合格させることは無いと思うよ」

 「・・・ふんっ、その立派な記憶力と計算力に見合った、立派な思考力が備わっているかどうかは怪しいところだがな。それにしても、こう頻繁に泣かれては五月蠅(うるさ)くてたまらない。あの打たれ弱さじゃあ、この先到底(とうてい)官吏としてなどやって行ける訳がないさ」

 「でも彼女、あのおっかない孫中丞に、いくら怒鳴られても平気な顔をしているよ。孫中丞よりも怖いと評判の太子様にも、しょっちゅう余計な独り言を(つぶや)いて怒られているけれど、全然こたえてないみたいだし」

 (そういえば、そうだった・・・)

 「だ・・・だからって、こう毎回李御史にフラれて泣きわめいて、他の官吏達に迷惑を掛けていいわけないだろう?!(はた)からどう見たって望みなんかゼロなんだから、いい加減にあきらめろよな!」

 「しいっ、声が大きいってば!」

 齋御史が口元に指を立てて(ささや)いたが、遅かった。

 彼の良く通る声はしっかりと、御史部屋の隅々まで届いていたらしい。

 机に突っ伏して泣いていた麗宝が、きっと顔を上げて彼を睨んだ。

 「のっ・・・望みが無い訳じゃありませんわ!しっ・・・史明だって、0.1パーセントは可能性があるって認めていましたもの!」

 「0.1パーセントって、要するに千分の一だよな。龍同年は、既に千回以上も李御史に求婚して玉砕しているそうだから、実際の確率はもっと低いはずだろう?とどのつまり、可能性は限り無くゼロに近いっていうことじゃないのか?」

 「で・・・でも、ゼロじゃありませんわ!」

 「そう思っているのは、恐らく龍同年だけだと思うけど」

 麗宝が、周りでハラハラしながら二人の会話に聞き耳を立てている御史達に目を向けると、皆が一斉(いっせい)に視線をそらした。

 「ほらな」

 麗宝が、爆発寸前の火山のように、ぷるぷると震えた。

 「う・・・うわああああああん、青慎のバカーッ!」

 再び大きな声を上げて、状元様が泣きじゃくり始める。

 彼女の八つ当たりを耳にした青慎が、しごく理不尽だという顔でこちらを見た。

 先輩御史達が、こぞって紅御史を非難する。

 「馬鹿っ!せっかく龍状元が泣き止みかけていたのに・・・!」

 「そうだ!この騒音・・・いや、泣き声を、隣の席であと四半刻は聞かされる俺の身にもなってみろ!」

 他の御史達が、麗宝をなぐさめるべく言った。

 「きっと大丈夫だよ、龍状元。李御史も状元だったから、当時は高官達が競って婿(むこ)がねに迎えようとしていたけど、どんな美女を見ても彼、糸目ひとつ動かさなかったっていうし、望みはあるよ!」

 「そ・・・そうだよ、元気出して!大体あの、ものぐさで覇気(はき)の無い李御史が、嫁をもらうなんて面倒なこと、金輪際するわけがないじゃないか・・・あっ!」

 「う・・・うわあああああん、やっぱり結婚出来ないって言ってるーっ!」

 一層声を張り上げて泣き出した彼女の姿に、半ば呆れながら紅同年が呟いた。

「まったく、打たれ強いんだか弱いんだか・・・」

 恵秀がからむと途端に打たれ弱くなる麗宝の背後で、バタンと扉が大きく開くと、麗宝にかまけていた御史達の間に、さっと緊張が走った。


(続く)


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