奇跡の「馬官吏」・龍状元 2
「こ・・・皇太子様!」
先触れも無しに突然現れた百華国の皇太子・鳳翔に、御史台の官吏達が慌ててその場で膝をつき始める。
だが鳳翔は、「挨拶はよい。各自仕事に戻れ」と言い彼等を止めるや否や、いまだに泣き声を轟かせている麗宝に向かって、即座に雷を落とした。
「龍状元、何だこの騒ぎは!お前の泣き声が内朝にまで聞こえて来たぞ!先日、これが原因で幹林院から放り出されたばかりだというのに、まだ懲りていないのか!」
翰林院というのは、詔勅の起草や国史の編纂などを司る役所で、いわゆる超エリート官僚養成所だ。
通常、科挙試に一甲(状元・榜眼・探花の上位3位までのこと)で合格した者はここに配属される為、当然状元の麗宝と探花の青慎も、最初は翰林院で働き始めたのだが・・・。
青慎という許婚が居るにも係わらず、何度注意しても恵秀に求婚しては振られて大泣きする麗宝に、とうとうブチ切れた翰林院学士をはじめとする高官達が、彼女を追い出して欲しいと鳳翔に請願したのだ。
この度の恩科に合格した者は、全て太子付きの官吏とされる。鳳翔の手足となる配下が翰林院に居なくなるという事態は、朋党潰しを計画している彼にとっては、手痛い一撃だった。
他の朝廷組織と同様に、翰林院にも勿論、朋党の網の目は張り巡らされている。鳳翔太子の目論見は、既に全ての朋党に知れ渡っているのだ。今回の件は、麗宝の行状を正当な理由として先手を打った、朋党親分達の勝利だと言えなくもない。
鳳翔太子の機嫌も悪くなるわけである。面子を潰された上に、色々な意味で腹立たしい結果となったのだから。
しかし、何といっても一番気の毒だったのは、麗宝のとばっちりを受けて、一緒に仲良く御史台に左遷されて来た青慎であろう。
鳳翔は青慎に露骨な憐みの目を向けた後、この国の皇太子を無視していまだに泣き続けている麗宝に怒鳴りつけた。
「いい加減に李恵秀をあきらめろ!誰がどう見たって、珀青慎の方がいい男だろう?!それから、御史台でもこれ以上周りの者に迷惑を掛け続けるなら、地方へ飛ばしてやるから覚悟しろ!」
麗宝の泣き声が、ピタリと止まった。
(すごい!さすが鳳翔殿下!)
御史台の皆から内心、尊敬の眼差しを向けられているとも知らずに、鳳翔は彼等に訊ねた。
「この中で最近、黄華州から戻って来た監察御史がいると聞いたのだが・・・」
「はい、私です」
古株の御史が一人、皇太子の前に進み出て礼をとる。
「少し、話を聞かせて欲しい」
「はっ」
先輩御史が鳳翔を別室へと案内すると、紅御史の近くに居た齋同年が、小声で彼に話しかけてきた。
「龍同年が好きな李御史って、あの、状元で合格したという割にはボーッとして・・・いえ、思考の分散が得意な、やる気の無さそうな方ですよね?確か自ら翰林院での出世を蹴って、御史台に配属を願い出た変わり者だという噂のある」
「えっ、そうだったのか。俺はてっきり、ここには左遷されて来たのだとばかり思っていたが」
「・・・気配が薄いという点では、御史の仕事は適職なのかも知れませんよね。それにしても、一体どうして龍同年は、そんなに李御史の方がいいんでしょうか・・・?」
「そんなことは、どうでもいいさ。それにしても腹が立つよな、あの龍姉弟。百歩譲って、龍榜眼と珀探花の実力は認めてやるとしても・・・どうして春華府の郷試の経魁(注・郷試で上位五位までに与えられる称号)だったこの俺を差し置いて、あんな女が状元なんだ?!」
春華府はかつて白華帝の御世に栄えた学問の都で、古くから多くの大吏高官を輩出して来たことで知られている地だ。つまり一甲に合格する進士達には代々、春華府の経魁だった者が多いのである。
「それに、弟の龍榜眼なんか、体調不良を理由にこれまで一度も参朝していないっていうじゃないか!誰も朝廷で姿を見たことの無い『幻の龍榜眼様』だと?!ふざけるのもいい加減にしてもらいたいよな!」
壁勇は、春華府の名家かつ、十華の一門である紅家の長子だ。
幼少から、状元の栄誉を手に入れるべく努力して来た彼にとって、自分を差し置き状元と榜眼をかっさらって行った麗宝達の官吏らしからぬ振る舞いが、ことさら神経を逆撫でするらしい。
齋同年が、ちょっと困ったように苦笑いをしながら、頷いてみせた。
確かに彼の言い分にも一理ある。恐らく翰林院や御史台だけではなく、数多の官吏達が多かれ少なかれ同様の反感を抱いているということは、想像に難くない。
史明に関しては、ほぼ全ての官吏達が彼に弱みを握られているせいか、不気味なほどあからさまな批判は出て来ないのだが、麗宝に対する彼等の評価は、かなりはっきりと二分された。
彼女に反感を抱いている者には年長者や高位の官吏達が多く、男尊女卑の風習が根強い百華国にあって、女性官吏の進出に反対する者や、麗宝の奔放な言動に眉をひそめる者達が中心だ。
しかも自分の婚約者どころか、皇帝や皇太子よりも恵秀を優先させる麗宝の態度に関しては、珀家や龍家、そして黄皇后を失脚させられ恨みを抱いている黄家を筆頭とする全ての者が、こぞって批判しているのである。
これに対して、麗宝に好意的な者は比較的若い下級官吏に多い。
彼等の意見はこうだ。
「龍状元って、十華の超名門・龍家のお嬢様だし、超エリートのはずなのに、全然えばらないよね。官位に関係なく誰にでも親切だし」
「相手が美男だろうと金持ちだろうと十華の名門・珀家の息子(注:青慎)だろうと、李御史以外の男は見事に恋愛対象外だっていうところも、(自分も対象外だと分かっていながら)いっそ清々しく思えるよな」
「僕はあの、何度振られても、果敢に李御史に求婚しに突進して行く見上げた根性が天晴れだと思う」
「鳳翔殿下にすら言いたい放題の神経の太さと、李御史にだけはメチャクチャ弱いっていうギャップに萌えるよね」
「自分は彼女が、李御史に持って行く茶菓子を毎回おすそ分けしてくれるところが好きかも・・・」
「弁髪廃止万歳!感謝!龍状元」
そして彼等の内、多くの者が心の中で密かにこう思っていた。
(出来ることなら、龍状元をお嫁さんにしたい・・・!)
なにしろ名門龍家の娘を嫁に貰えれば、自分の将来は約束されたも同然なのである。
それに何といっても麗宝は可愛いのだ。口には出さなくても、麗宝に淡い想いを寄せる官吏は決して少なくはなかった。
唯一の例外は、御史台の面々(めんめん)くらいなものである。
麗宝は以前、御史台に任官された恵秀を追い、氾寧悠という宦官の官吏に化けて御史として働いていた。
当然ながら彼女を男だと思っていた彼等は、通常男達が女性に対して必死に隠そうとするあんな事やこんな事などを、氾御史に余すところなく見られていたのだが・・・。
名門龍家の令嬢・龍状元として再び彼女が御史台に姿を現した時、御史台には嵐が吹き荒れた。
「なあ、俺の気のせいなのかな・・・龍状元がどうしても氾御史に見えてしまうのは・・・」
「ははは・・・君もかい?でも、そんなはずは無いよね。いくら御史台に李御史がいるからって、深窓の令嬢が、下手すれば一族郎党死罪になるのを覚悟で身分詐称の上、わざわざあの孫中丞の下でこき使われに来るなんて・・・」
「うん、そうだよな。まさかだよな、ははは・・・」
「気のせいだよ、ははははは・・・」
けれども、心の奥底で彼等は呟いていた。
((あの、『氾御史』ならやりかねない・・・!))
「でも・・・じゃあ何で彼女、まだ紹介されてもいない御史達の名前を全部知っていたんだろうね・・・」
「きっ、気のせいだよ!きっと!彼女が僕の春本(エロ本)の隠し場所を知っていたのも、孫中丞の頭頂部の毛が実は髢だと分かっていたのも、誰にも案内されずに李御史の御史部屋に真直ぐ行けたのも、みんな気のせいだって!あははははは」
「そういえば俺、いつも氾御史の前で着替えてた・・・!」
「・・・俺も・・・!」
「だっ、大丈夫だよみんな!気のせいだ、気のせい!ははははははははははは!」
御史台の官吏達は、一概に麗宝に対して好意的だ。
だが氾御史に目撃されたと思われる数々の出来事の記憶は、彼等の見た目によらぬデリケートな男心に、確実に深いトラウマを植え付けていたのだった。
(続く)




