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新たな問題と風伯の気まぐれ

(いけない、しっかりしなくては……!)

 ただでさえ史明が抜けた上に、始めからこちらは分が悪いのだ。

 史明の言葉を信じるのならば、例え黒鳳凰を召喚したとしても、凱帝国側には龍の化身がいる。

黒鳳凰がそうそう負けるとも思えないが、万が一に備えて善後策は必要だ。

 この後の対応を、早急に決めなければならないというのに。

「史明、お願い、戻って来てってば――――っ!」

結界の端で麗宝が、次第に離れて行く弟を一際大きく呼んだ時。

史明が、初めて彼女の呼び掛けに振り向いた。

「麗宝。言い忘れておったが、御龍神山を下山したら、真直ぐに南陽に戻るがよい」

「南陽に? どうして?」

「それから、百華国中の銀鉱を直ちに調査させるのだ。よいな」

「どうしてそんな……?」

「凱帝国は、既にここ何年も百華国内で金貨を銀貨に両替し続けているというのに、市場ではいまだに壊滅的な混乱は生じておらぬ。なぜだか分からぬか」

「あっ…………!」

青慎と麗宝が、ほぼ同時に声を上げた。

(しまった……! その可能性があったんだ!)

幾ら混乱していたとはいえ、これまでそんな当たり前のことに気付けなかった二人が、己の失態に呆然となる。

鳳翔が、横から訝しげに口をはさんだ。

「何だ、何が問題なんだ」

青慎が、どこか悔しげに答える。

「これまで凱帝国は金貨を使って、百華国から相当な量の銀を入手して来た筈です。それなのに、百華国の銀の流通量はかなり減少してはいるものの、市場にはまだ壊滅的な影響を与えてはいません。その原因として、銀貨の放出量自体が大幅に増加していていることが考えられるのですが……」

「しかし、銀貨の鋳造量が増やされたとは聞いていない」

「問題は、そこです。金貨の流入量から想定される銀貨の流出量を考えると、あまりにも市場への影響が少な過ぎるのです。一体どういうからくりがあるのか……」

眉根を寄せた鳳翔に、青慎が続ける。

「金貨鋳造に関しては、黄家州のみが問題視されたのですが、銀貨の鋳造まで関わって来るとなると、調査範囲は百華国中に広がります。これほどの規模であるならば、恐らく戸部の中にも協力者が居る筈ですし、金貨の不正鋳造の件よりも格段に厄介なことになるでしょう」

鳳翔が、考えるだけでも頭痛がするとばかりに、片手で額を押さえた。

「まいったな……」

「とはいえ、銀貨の両替にしても、どこかに拠点は必要です。もしもそれが、凱帝国との国境の大部分が接する黄華州内に無いというのならば、次に可能性が大きいのは、南陽なのではないかと……」

青慎が、そう言いながらもチラリと麗宝の様子を伺う。

麗宝は、二人の会話には加わらないまま、いまだに心配そうに史明を説得していた。

史明は自分自身の周りにも結界を張り巡らせているとはいえ、いつそれが破られるかと思うと、今の彼女の心情としては、銀貨の不正鋳造どころでないのだろう。

黒龍と対峙して普通の人間が無事でいられる筈がないのだから、いくら相手が天下無敵の龍榜眼とはいえ、当然のことだ。

彼の姿をぼんやり眺めながら、ふいに青慎は、例の神鐘によって悪夢を見せられる直前の出来事を思い出した。

(そういえば、あの男は誰だったんだろう……)

史明は何故だかあの時、白い異国の衣装を纏った堂々たる体躯の男を、食い入るように眺めていた気がする。

「史明!」

青慎は麗宝の傍へ駆け寄ると、頭の隅で(くすぶ)っている疑問を、直接彼に投げかけてみた。

「史明……いや、龍榜(りゅうぼう)(がん)。先刻、正殿の(きざはし)で、確か白い衣装を着た男が神鐘を鳴らしていましたよね。龍榜眼は、あの男が誰だか知っているのですか?」

一瞬だけ、史明の白皙の面に暗い影が差す。

だが彼は、すぐにいつもの能面に戻ると、無表情のままとんでもない爆弾を落としてくれた。

「我の考えが正しければ……あの男は恐らく、凱帝国の新皇帝だ」

「凱帝国の新皇帝だと?!」

鳳翔が、驚きのあまりに黒鳳凰の羽根を落としそうになった。

「それは、確かなのか?!」

「我も確認したわけではない。だが、あの自尊心の強い旺李が凱帝国で人間に使われて働くなどということは、考えられぬ。人に命じられるくらいならば、いっそのこと皇帝として君臨しておるであろう」

まるで旧知の相手について語るような口ぶりを、(いぶか)しげに思いながらも、皆が史明の言うことを事実と仮定して受け止める。

「それが本当なら、凱帝国の皇帝は赤龍を守護神獣として使役出来るわけか……厄介だな」

「いや、厄介なのはむしろ、赤龍よりも彼自身の方だ」

「どういう意味だ」

史明が、相変わらず能面のまま、淡々と応じる。

「彼は龍界で最も貴いとされている白龍の、元王子だ。しかも武勇に優れておる。姜乎(きょうか)は……あの赤龍は単に、彼の手駒に過ぎぬ」

「何だと?!」

「何ですってえ?!」

「何だって?!」

その場で彼等の会話に耳を傾けていた者が、それぞれ驚愕とも絶望ともとれるような声を上げた。

「凱帝国の皇帝は、人間ではないのか……」

怖い物知らずの猛亮や瑠夏にすら、隠しきれない緊張が走る。

皆が置かれている状況を瞬時に悟った青慎の顔も、みるみる色を失って行った。

(つまり、ここには今、凱帝国の龍が二頭も……! まずい、どうしたらいいんだ?!)

尚も史明と会話を続けようとする麗宝をよそに、今更ながら青慎は、灰色の脳細胞を総動員させて解決策を模索し始めた。

これまでは皆、例え赤龍がいても、黒鳳凰を召喚すれば勝機は十分にあると、希望を抱いていた節があった。

赤龍を黒鳳凰に任せ、残りの兵士達の方は猛亮達ならば何とか出来るのではないか、と。

けれども、黒龍は除くとしても、御龍神山にいる凱帝国の神獣が一頭だけではないとなると、話は全く違ってしまう。

ただでさえ、頼みの綱だった史明が黒龍への対応で不在になるのだ。こうなって来ると形勢はもう、不利などというものではない。

ほとんど絶望的だ。

現在、史明から結界の維持を任されている()天籟(てんらい)も、ウサギの着ぐるみの下で、「う~~~~ん、困った」などと呻き声を上げている。

麗宝が、たまらず弟に泣きごとを言った。

「史明、それなら余計に戻って来て! このままじゃ皆、黒鳳凰もろとも全滅だわ。ねえ、どうすればいいの?! 史明ってば!」

だが史明は、白磁の如き美麗な鉄面皮をピクリとも動かさぬまま、麗宝の後方を黙って指差すと、徐に口を開いた。

「策ならば、先程からそこに紛れておる仙人に訊ねてみればよい」

「えっ、仙人ですって?! どこに?!」

麗宝の言葉に、青慎が我に返って思わず彼女の視線を追う。

後ろを向いて仙人の姿を目で探し始めた麗宝に、史明が忠告した。

「よいか、麗宝。何があろうと絶対に、この結界から出るではないぞ。それから…………」

「結界から……? あっ、史明! ねえ、待ってってば!」

(変ね、史明ったら。結界なんて、出ようとしても出られるわけがないのに)

踵を返すと史明は、彼に群がって来る凱帝国の兵士達を結界で押しのけるようにしながら、再び正殿に向って歩き出す。

その後も続く麗宝の呼びかけに、二度と振り向くことなく去って行く史明の後姿が、とうとう凱帝国の兵士達に遮られて視界から消えた頃。

それを無言のまま眺めていた青慎には、彼の微かな呟きが、風伯の気まぐれで耳許へと運ばれたような気がしていた。

((それから…………すまぬ、麗宝……宝珠(、、)))



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