(4)雨後の景色
これで終わりです。
豪雨のピークは越えたようだが街にはいまだに雨が降りしきっている。
駅からやや離れた場所にある住宅が並んだ丘の道を、風に吹かれるようにして揺れながら登っていく紫陽花色の大きな番傘があった。
その下には、肩を寄せ合いながらひしめく5人の姿がある。
「さすがに傘1本に5人はキツイって!」
陽平は濡れた肩に触れてそう叫び、これ以上は濡れまいとして中心に向けてグッと身を押し込んだ。そのせいで傘の外へと押し出された浩次は、慌てて戻りながら陽平に向けて怒号を放つ。
「おい、大谷! やめろよッ!」
陽平を名字で呼びながら浩次は大きな身体を無理やり詰めてきた。お陰でますます密集度が上がり、「うわっ」「あ」「ヒッ」「おい」と口々に不満の声が飛んだ。
「あーもう、浩次! お前、この機会に痩せろ! ダイエットだ、ダイエット!」
傘を持った涼弥が苛立たしげにそう言い放ったのに続いて、「そうだそうだ」と陽平も便乗する。
「少しは雨に打たれて痩せて来い!」
「いい加減なこと言うなよ! 雨に濡れても痩せないだろ!」
「滝に打たれる修行だってあるわけだし、分からないよ」
先ほどの浩次の強行で髪が濡れてしまったことが不快だったのだろう、玲の声にもどこか怒りがこもっていた。
「ほら、玲も賛成してるぞ! なぁ、実」
「うん。江ノ島くん、あきらめて外に出よう」
諭すようだが言っていることは辛辣な実の口ぶりに思わず涼弥が吹き出し、陽平の豪快な笑い声が後に続いたが、当の浩次はもちろん納得いかないようである。大きな身体をねじ込んでは、相変わらず反感を買っている。
坂の上から流れてくる雨水は急流のような勢いで彼らの足元を通過していき、靴をぐしょぐしょに濡らしていく。道端に繁茂した草葉をかいくぐって大地へと浸潤した雨によって蒸し返された土壌は、土の匂いを孕んで大気へと香りを放つ。傘の内部では、ぼボぼボぼボ、と雨の演奏が絶えず反響していた。
「あのじいさん、最初から素直に傘貸してくれればよかったんだよ。そうすりゃ、カミサマがどうだとか変なやり取りをしなくてもすんだのによ」
浩次の脇腹を肘で押しながら陽平がそう口にする。
「ものすごい口下手だったという可能性もある」
ちゃっかり濡れない位置を確保している玲が口にした推測を、身体がはみ出して半身だけ雨に打たれている浩次が鼻で笑って一蹴する。
「口下手っていうか完全にボケてるだろ。自分のことカミサマとか言うんだぞ」
傘の持ち手という絶対的なポジショニングである涼弥が、ウンウンとうなずいた。
「たしかに、カミサマはないよな。子どもでも騙されるやつってそうそういないだろ」
「でもさぁ、本当によかったのかな、僕たちに傘貸しちゃって」
実の心配げな声が傘のなかに響いた。
「じいさんから進んで貸してきたんだから、いちいち気にすんなって。それにこの感じなら、もうすぐ止むんじゃねぇのか」
そう言って陽平が傘から手を差しだすと、
「お、さっそく止んできた」
あれほど街を恐慌に陥れていた豪雨が勢いよく閉じられた蛇口のように、みるみる力を失くしていく。
「もう小雨だね」
空にはまだ厚い雨雲が詰まっているが、降ってくる雨は目薬くらいの微力である。この程度の雨ならもう濡れても誰も文句を言わないだろう。涼弥が傘を折り畳むと、長らく密集していた彼らは縄がほどかれたかのように道に分散した。
「おい、市川」
背後を歩いていた浩次から呼ばれた涼弥は「ん?」と振り向いて反応する。
「忘れてないだろうな」
口元に手をやって飲み物を飲むような仕草をする浩次が何を暗示しているのかすぐに理解した涼弥であったが、「ん? 何やってんだ浩次」と、首を傾げてとぼけたフリをした。
「コーラだよ、コーラ。7倍にして返すんだろ。まさかウソだとは言わせないぞ」
「浩次……お前、信じてたのか?」
道端の雑草に付着していた雨粒を蹴とばして陽平が言った。
「え? おい、ウソなのか? なぁ」
隣まで小走りに走り寄って心配そうに訊ねてきた浩次から、涼弥はさっと顔を背ける。浩次から見えない位置にある彼の顔は、今にも笑い出しそうに歪んでいた。
「おい、どっちなんだよ! 答えろって!」
浩次は涼弥の正面に回って大きな体で進路を塞いだ。仕方なく立ち止まった涼弥が浩次へと顔を向けたときだった。
「あ――」
涼弥が発したその声に、彼らは何事かと思って歩みを止めた。
「あれ、見てみろよ」
涼弥は浩次の肩越しに雨雲を指さした。
浩次は話を濁されていることを気に掛けながらも振り返って示された空を見上げた。
雲集した灰色の雲から、ぽっつりとのぞいた濃橙の空。その穴からこぼれ出た夕日の光芒。空に建てられた柱のようなその光の周辺を落下していくわずかな雨粒は、液面を琥珀に輝かせながら大地へと沈んでいく。
「なんか、コーラの色みたいだな」
あきらめのこもった浩次の呟きを馬鹿にするものはいなかった。皆一様に黙りこくり、その景気を瞳に収めていた。
夕日に醸成されたコーラの雨。
そこに本物のコーラのような味も匂いもない。舌で弾ける炭酸も当然ない。
けれどその雨を見上げる彼ら5人のなかには、甘くて刺激的な味わいがシュワシュワと音を立てて注がれていく。
「あー、コーラ飲みたい」
浩次がボソッと呟いた。
「俺も飲みたくなってきた」
言って陽平が空に向けてあんぐりと口を開き、降り残りのような雨を口内へと落とした。
「やっぱコーラの味しねぇーよなー」
嘆息する陽平に玲が言う。
「陽平、雨のなかには大気中のチリとかが含まれているんだよ」
それを聞いた陽平はペッと入ってきた雨粒を吐き出し、陽平の真似をしようとして口を開きかけていた実は慌てて手の平でふたをする。そんな実を見て玲がクスっと笑った。
コーラのことを考えれば考えるほど頭から離れなくなっていった実は、この坂の上にある雑貨屋でむかしコーラを買ったことをパッと思い出した。
「そう言えば、坂の上に雑貨屋さんあったよね」
「よしっ――」
間髪入れずに涼弥が叫んだかと思うと、
「ビリのやつのおごりなっ!」
全力で坂を駆け上がっていった。
すぐに状況を理解した陽平が彼を追いかけ、玲も続いて坂を上がっていった。実と浩次はポカンとしながら顔を見合わせ、きっちり2秒後に慌てて先行する3人を追いかけた。
真っ先に坂上の到着した涼弥は、そのまま住宅に挟まれた雑貨屋へと直行し、入り口の前で大袈裟にガッツポーズをする。二番手は陽平と玲、そして実、浩次の順にやって来た。
突然、店舗に向かって走ってきた子どもたちを見て、店番をしていたアルバイトの大学生が何か事件に巻き込まれたのかと勘違いして店外へと飛び出してくる。そんなことお構いなしに彼らは入れ違いに入店し、一目散に飲料の一角へと向かった。
「あ、そうだ」
店の半ばまで歩んでいた涼弥が入口へと引き返し、手に持っていた番傘を大事そうに傘立てに置いて仲間たちのもとへと戻っていく。
「あの傘、どうやっておじいさんに返すの?」
「今度、あのスーパーの傘立てに戻しておけばいいだろ」
「だな。あんなデカくて目立つ傘、盗むやつもいねぇよ」
「長期間放置されていたら、店側が処理してしまう場合もあるよ」
「それはじいさん災難だな」
「他人事だね」
「他人事だし」
「だねー」
それぞれがコーラを片手にレジへと向かう。レジに置かれた5本のボトルは、まるで雨に打たれたかのように涼やかな露が滴っていた。アルバイトの大学生がバーコードを読み取り5つ分の値段を告げると、4人の視線が1人に集まる。
「絶対に嫌だからなッ!」
会計を前にして揉め始めた小学生5人組に呆れながら、アルバイトの大学生は疎らに雨が降る外の景色をぼんやりと眺める。
空に降るはコーラの雨。
味はなくとも匂いあり。
匂いなくとも味はあり。
何もなくても想いあり。
街に降る降るコーラ雨。
こういったのんびりとした結末を書くことが少ないので結構戸惑いながら書き終えました。
どうなんだろう、上手く出来たのかなぁ。
よくは分からないですが、自分の幅を拡げられたような気がする一作でした。
感想、意見、アドバイス等ありましたら是非お願いします。




