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『3Dプリンタから生まれた妖怪姫は世界を壊したい』  作者: 矢行宮 重彦


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1/8

プロローグ:『積層された地獄』

 ――また、来た。


 月代幽(つきしろゆう)が、参考書から顔を上げた瞬間、天井の隅から「それ」が滴り落ちてきた。

 ……いや、正確には「参考書」ではなく、つけっぱなしのテレビから流れる経済ニュースから、目を離した瞬間、だった。


『――次世代インフラを統括する新進気鋭のIT企業、デジタル・モンスター社の朱知圭(あけちけい)CEOが、本日――』


 画面に映る、爽やかな笑顔の青年。整った顔立ち、自信に満ちた眼差し。まるで未来を掴んでいるような、輝かしい姿。


「胡散臭いな……」

 

 だが、幽がそれ以上見る暇はなかった。

 湿ったシミのような「影」が、重力を無視して、ゆっくりと、確実に、幽の首元を狙って落ちてくる。


「――っ!」


 反射的に、首元の護符――Amazonで三枚セット二九八〇円(税込)だった「本物」だと謳う怪しい代物――を握りしめ、床を転がる。


 ドチャッ。


 生肉を叩きつけたような音が、六畳一間の部屋に響いた。幽がさっきまで座っていた椅子が、ドロドロの粘液で侵食され、白煙を上げて溶けていく。


「……七回目、か」


 声が震える。

 今月だけで、七回。

 死に片足を突っ込んだ回数が、七回。

 普通の高校生が送る生活じゃない。

 幽には、魔力なんてない。

 霊感も、ない。

 オカルト研究は趣味でやってるだけで、本当に「見える」わけじゃなかった。

 なのに。

 得体のしれない化け物たちは、毎晩のように幽を狙ってくる。

 理由はわからない。

 わかるのは、「狙われている」という事実だけ。


 「……もう、限界だ」


 幽は、床に散らばった魔除けの護符を見つめた。

 どれも効かなかった。

 Amazonで買った安物も、怪しげな霊能者から買った高額なものも、全部。

 ――頼れる大人はいない。

 高校生の一人暮らし。

 事情があって、実家には戻れない。

 友達にも、先生にも、こんな話は信じてもらえない。

 つけっぱなしのテレビからは、相変わらず経済ニュースが流れている。


『朱知圭CEO率いるデジタル・モンスター社は、全国の公共インフラのデジタル化を推進し――』


 画面の中の青年は、華やかなスタジオで、笑っていない目をしたまま笑っている。

 表舞台で、堂々と。


「……いいよな。あんな風に、表舞台で活躍できる奴は」


 幽は、誰もいない六畳一間を見回した。

 安いフローリング。

 壁の染み。

 一口コンロのキッチン。

 高校生が一人で住むには、あまりにも狭く、あまりにも寂しい部屋。


「……俺は、一人だ。誰も助けてくれない」


 そして、気づいた。

 ――このままじゃ、いつか死ぬ。

 それは、確信だった。


  ◯


 守れない。

 逃げられない。

 頼れない。

 なら――。


「……怪異を、飼えばいい」


 幽は、部屋の隅で唸りを上げる「3Dプリンタ」を見つめた。

 馬鹿げた発想だ。

 でも、それしかなかった。

 怪異に勝つためには、「怪異に勝てる怪異」を召喚する。

 守護霊、使い魔、式神――呼び方は何でもいい。

 とにかく、自分を守ってくれる「何か」が必要だった。

 二次元の魔法陣では足りない。

 紙に書いた円では、守れない。

 ならば――三次元に、高密度に、呪いを「積層」すればいい。

 3Dプリンタが、静かな夜に駆動音を響かせる。

 樹脂の焦げる、嫌な臭い。

 画面には、幽が半年かけて作り上げた「積層型立体魔法陣」の進捗が表示されている。


 255回。

 失敗した回数だ。

 魔法陣の形を変え、素材を変え、出力の精度を上げ――それでも、何も起きなかった。


「……頼む。256回目こそ」


 奇しくもデジタルが扱える極限の階調。

 最後の一層が、プリントされる。

 画面に「完了」の文字が表示された、その瞬間――。


「――溢れた」


 その言葉が、幽の口から漏れた。


 パキィン!!


 3Dプリンタの筐体が、内側から爆ぜた。

 飛び散るのは樹脂ではない。

 沈丁花の、あまりにも高貴で、鼻をつくほどに濃密な香り。

 そして――漆黒の「虚無」。


 幽は、息を呑んだ。


 部屋の温度が、急激に下がる。

 窓の外の街灯が、一斉に明滅する。

 空気が、きしり、と音を立てて歪んでいく。

 そして、その中心に――彼女はいた。

 幾重にも重なるフリル。

 夜の闇を織り上げたような、漆黒のゴスロリドレス。

 月明かりを吸い込むほどに白い肌。

 少女が、瓦礫と化した3Dプリンタの上に、おしとやかに腰を下ろしていた。

 

「あら、あら……」

 

 鈴の鳴るような、透き通った声。

 貴族令嬢を彷彿とさせる、穏やかで、しかし一切の感情の揺らぎを感じさせない微笑。

 幽は、声が出なかった。

 美しい、なんてものじゃない。これは――「格」が違う。

 人間と、同じ次元の存在じゃない。

 

「随分と、不細工で愛おしい(おり)で、わたくしを招いてくださったのですね」

「……成功、したのか?」

 

 幽は、震える声で問いかけた。


「お前が、俺の『使い魔』か?」

 

 少女は、ふふ、と上品に口元を隠して笑った。

 

「使い魔? 面白いことをおっしゃるのですねえ」

 

 彼女は立ち上がり、優雅に一礼する。

 

「わたくし、白夜(びゃくや)と申します。六万五千五百三十六の妖怪を束ねる、妖怪王の姫ですわ。お見知り置きを」

 

 ――六万五千、五百三十六。

 その数字の重みに、幽の背筋が凍った。

 

「……魔法陣で呼ばれたのではなく、ただ――」

 

 白夜が、幽を見つめる。その瞳は、深い深い闇を湛えていた。

 

「――あなたのその『首』があまりに美味しそうだったので、自らこちらへ這い出てまいりましたの」

 

 パチン、と彼女が指先を鳴らす。

 瞬間、幽が半年かけて作り上げた積層型立体魔法陣が、青い炎に包まれ、一瞬で灰へと変わった。

 唯一の希望が、彼女の「退屈しのぎ」にすらならなかった。


  ◯


「俺の『首』? どういう――」

 

 幽は、反射的に自分の首筋に手を当てた。

 

「あら、そちらではございませんわよ?」

 

 白夜が、幽の手を優しく退ける。

 そして、その白い指先で――幽の「顔」を、ゆっくりとなぞった。

 額から、眉間。

 鼻筋を通って、唇。

 顎のラインから、そして首へ。

 

「ふふ……完璧ですわ」

 

 白夜の瞳が、恍惚とした光を帯びる。

 

「この『比率』。この『均整』。……ああ、素晴らしい」

 

 彼女の指先が、幽の喉元で止まる。

 

「本当は一刻も早く、この美しい『首』を刈り取って、わたくしのコレクションに加えたいのですが」

「ちょ、待て! 刈り取るって、まさか――」

「ええ、『首級』ですわ」

 

 白夜が、さらりと言い放つ。

 

「『顔』では軽すぎますもの。わたくしたちにとって、価値があるのは――『首』から上、全てですの」

 

 幽の背筋に、氷のような悪寒が走った。

 自分の「首」を蕩けるような視線で見つめる美女。ここまで戦慄を感じたことは、初めてだった。

 

「さて、そんなことより他にやらねばならないことがございますの」

「なんだそれは? お前は何をしに来たって言うんだ!」

「『お前』……?」

 

 白夜が、少しだけ目を細める。

 

「故郷ではわたくしをそう呼べるのは、父上だけでしたわね」

「い、いいだろ別に。それで、何をする気なんだよ!」

「わたくしの故郷の掟ですわ」

 

 白夜は、明日の天気を語るような軽やかさで、告げた。

 

「十六歳の誕生日までに、こちらの世界をすべて『お掃除』……いえ、滅ぼさなくてはなりませんの。しきたりですから、仕方ありませんわね?」

 

 世界滅亡。

 その言葉が、幽の頭の中で何度も反響した。


  ◯


「ふざけるな!」

 

 幽が叫ぶ。

 

「世界を滅ぼされたら、俺が生き残る意味なんてないじゃないか! なんのために俺は魔法陣を描いてきたっていうんだよ!」

 

 半年間。

 一人で。

 誰にも頼れず、誰にも助けてもらえず。

 それでも必死に、生き延びるために足掻いてきた。

 それが全部、無駄になる。

 

「それを回避する方法は……ないのか?」

 

 白夜は首をかしげ、幽の「首」を、うっとりと見つめた。

 

「あらあら、そんなに必死になって……。可哀想に」

 

 彼女は、幽の鼻先まで顔を近づける。

 冷たい。生きている人間の温度じゃない。

 

「……そうですね、一つだけ、わたくしの気が変わる方法があるとするならば」

「方法が、あるのか!?」

「ええ」

 

 白夜が、微笑む。

 

「わたくしが、あなたのことを『好き』になってしまえば――」

 

 白夜が、初めて真剣な顔をする。

 

「――掟を破る理由になりますわ。わたくしの父、妖怪王に逆らってでも、あなたを……いえ、この世界を守る理由になりますの」

「本当に、そんなことできるのか?」

「ええ。ただし――」


 白夜が、幽の瞳を真っ直ぐ見つめる。


「――わたくしが本気で惚れた場合に限りますわ。生半可な好意では、掟は破れません。……わたくしの心の底から、あなたを『愛する』と思えた時だけ」


 幽の背筋に、冷たいものが走る。


「だから、頑張ってくださいな、幽さま。わたくしを――本気で、『惚れさせて』みてくださいまし」

 

 白夜が、楽しそうに笑う。

 

「……あ、言い忘れておりましたわ。幽さま、それと」

 

 白夜が、不意に窓の外を指さす。

 

「わたくしがここにいるだけで、周囲の(ことわり)が壊れてしまいますの」

 

 幽は、窓の外を見た。

 そして――凍りついた。


  ◯


「……嘘、だろ」

 

 隣の家の窓から見えるのは、いつもゲームをしている同級生の後ろ姿のはずだった。

 でも、そこにあったのは――「石像」だった。

 いや、石像じゃない。

 人間が、そのまま石になっている。

 ゲームのコントローラーを握ったまま。

 画面を見つめたまま。

 生きていた瞬間の姿のまま、灰色の石へと変わり果てている。

 

「……あいつ、昨日の朝、挨拶してくれたのに」

 

 幽の声が震える。

 一人暮らしの幽にとって、隣人との他愛もない挨拶は、数少ない「普通」だった。それが、今――。


「……今のところ、半径100メートルほどですわ。時間が経てば、この街全体が――いえ、もっと広がるかもしれませんわね」

 

 幽は窓の外を見た。

 隣の家だけでなく、通りを歩いていた人々も、車も、全てが石になっている。

 

「お急ぎにならないと、明日にはこの街の『地図』が変わってしまっているかもしれませんわよ?」

 

 白夜が、楽しそうに微笑む。

 

「……待て」

 

 幽の拳が、震えた。

 

「元に、戻せ。……その、隣の奴を、元に戻してくれ!!」

 

 白夜は小首をかしげ、不思議そうに微笑んだ。

 

「あら、どうして? 壊れた玩具を直すことに、何の意味がございますの? 幽さま。放っておけば、すぐに塵となって風に溶けますわ。それがこちらの世界の『寿命』というものですもの」

「うるさい!」

 

 幽が叫ぶ。

 

「俺のせいで、俺がお前を呼んだせいで、あいつがそんな……石になるのは、耐えられないんだよ!」

 

 幽が縋るように白夜の細い肩を掴むと、彼女は一瞬、驚いたように目を見開いた。

 それから、獲物を見定めるような、深い、深い悦びに満ちた笑みを浮かべる。

 

「ふふ、ふふふ……。面白い方」

 

 白夜は、幽の頬に手を添える。

 

「……よろしいですわ。わたくしを『惚れさせる』と仰るのならば、そのくらいの我が儘、聞いて差し上げましょう」

 

 白夜が、虚空を指先でなぞる。

 その瞬間――白夜の顔色が、ほんの少しだけ青白くなった。

 

「……っ」

 

 白夜が、一瞬だけ息を呑む。

 幽には見えなかったが、彼女の指先が微かに震えていた。

 窓の外の「石像」に、ヒビが走る。

 パキパキ、と音を立てて、灰色の表面が剥がれ落ちていく。


 数秒後。

 隣の同級生は、何事もなかったかのようにゲームを続けていた。

 

「……ふう」

 

 白夜が、小さく息をつく。

 

「"直して"差し上げましたわ」

 

 白夜が満足げに微笑むが、その額には、うっすらと汗が浮かんでいた。

 

「……ただし、完全とは申しませんわよ? わたくしの力で『戻した』ものは、必ず何かが欠けますの。……そして、わたくし自身も、少しばかり代償を支払いますわ」

「代償?」

「ええ。この世界で力を使うたびに、わたくしの本来の力が削られていきますの。……ですから、あまり多用はできませんわね?」

 

 白夜の指先が、幽の頬をやさしく撫でる。

 

「……さあ、幽さま、おっしゃってくださいな。このわたくしに”代償”を払わせた今、わたくしをどうしてくださるの?」

 

 自分が召喚()んでしまったのだ。この、現世を喰らおうとする化物を。

 そして、自分の首をも狩ろうとしている。

 迷っている時間は、ない。

 

 ……幽は奥歯を噛み締め、彼女の瞳を真っ直ぐに見据えて、吼えた。

 

「――やってやるよ! 惚れさせてやる!」

 

 声が、震える。でも、引けない。

 

「世界も、俺の日常も、隣のあいつの命も、全部守るために……お前を、俺にメロメロにさせてやるよ!」

「まあ……」

 

 白夜が、心底楽しそうに微笑んだ。

 

「楽しみにしておりますわ、幽さま」


 白夜が満足げに微笑んだ瞬間、部屋の明かりがパッと消えた。

 闇の世界から現れた「妖怪姫」は、漆黒の闇の中で静かにかつ、不穏に微笑んでいた。


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