ぽとり
『六花彩湯国』の第一の首都の『藤』。
十~二十センチメートルと花序が短く、花が大きく、上の方の花から先端の花までほとんど時間差なく咲くので、たわわに花を咲かせているような印象を受ける山藤。
紫色の花を咲かせる山藤に囲われている秘湯に、温泉用の衣に身を包んだ芽衣と聖月は入っていた。
水位が浅いこの秘湯は腰を下ろして足を伸ばした状態で、芽衣の太股の部分、聖月の腹の部分までしか浸からなかった。
酔いしれそうなほどに咲き誇る藤に囲われているにもかかわらず、甘い香りは優しくこの空間を満たしていた。
「何故わたくしは秘湯に入っているのでしょうか?」
「さあ?」
芽衣が聖月を背負ってあの場から離れて少しして、聖月はもう止まっていいと言ったのだが、芽衣は止まらず走り続けてはこの秘湯に辿り着いたのである。
芽衣曰く、ここに秘湯がある事も知らなかった、秘湯に入った方がいいと思った、との事。
芽衣に説明を求めても無駄だと悟った聖月は、入ろうと迫る芽衣から逃れる事ができない事も分かっていたので、抵抗せずに温泉用の衣を召喚しては、紫色の藤が明確に水面に映るこの秘湯に入ったのだ。
(ああ、嫌だ)
聖月は目を瞑った。水面に映る藤も頭上に咲き誇る藤も見たくはなかった。
『『聖月』』
べったりと、
悍ましい声音が身体に纏わりついて離れない。
漸く忘れかけていたというのに、
(いえ。いいえ。忘れかけてなどいない。忘れたいのに、呪いのように刻まれて、消えない。わたくしを追いかけて来た? まだ諦めていなかった? あの人たちから離れて五年も経つのに。やはり、この世界に居たら、あの人たちから離れられない。早く、癒院に戻らなければ。骸骨の姿になって戻ったら、流石の癒院長も勇者一行に追いやろうとはしないはず)
ぽとりと、
一輪の紫色の藤の花が膝を抱えている腕に落ちたような気がした聖月。腕を振っては、秘湯に落としたのであった。
(2025.1.19)




