第3章 7、真実
「父と母は世界中を飛び回っていてね。ああ、そんなことはどうでもいいか。……きみたち金の腕輪の所有者を知ったのも、知人の商人から聞いた話なんだ」
「そう、ずいぶんとあたしたちに詳しい人間がいるのね」
「世の中は広いからね、いろんな人がいるよ。……っと」
かちゃん、とテオフィールが紅茶の器を皿に戻し損ねた。
器はガラスの机に転がり、紅茶の湖が広がっていく。勢いをつけた器は机の上で一回転して、そのまま床に落ちた。
ガシャン、と陶器がかける音がする。
すぐさまテオフィールが手を伸ばすが、すぐにその手を引っ込めた。
慌てて侍従が紅茶を片付けはじめる。
見れば、テオフィールの指から、血が出ていた。
「見せて」
アニカはソファから立ち上がり、テオフィールの傍に膝をついた。
その瞬間、テオフィールの顔にはっきりと怯えが走った。
アニカは察する。
テオフィールと面談するとき、法術師を常に配置しているのは、アニカが怖いからだと。
(それが普通よね)
人に非ざるものを前にして、怖くないはずがない。
だから、テオフィールの反応は当然なのだ。ここ数日、ヴァルターが傍にいたせいで、感覚が麻痺していた。
アニカは重苦しい何かを感じながら、テオフィールが怪我をした手を取った。強張る少年に気づかないふりをして、指先の怪我に意識を集中する。
治癒はあまり得意ではないが、この程度の傷ならば治すことができるはずだ。
(……化け物よね、やっぱり)
す、と指先に一本、線のように通っていた怪我が消えていく。
アニカはテオフィールの手を持ち替えて、怪我が治ったか確認しはじめて――ふと、気づく。
どくん、と心音が高鳴る。
触れた手のひらから伝わってくるのは、偽りの情報だった。
テオフィールは、病人なんかじゃない。健康体そのものの、人間ではないか。
どうして、という気持ちを隠して、さらに意識を読みとるために集中する。
そして、真実を知る。
目の前が怒りで真っ赤になった。テオフィールは、アニカが産んだ子どもを商品にするつもりなのだ。
金の腕輪の所有者が産んだ子どもの血が、万病薬になるのは本当らしい。少なくともテオフィールはそう信じている。
彼の記憶からさらに意識を引き出せば、身分ある人間の誰かが病気にかかっているらしい。
その人間の病気をテオフィールが万病薬を用いて治せば、テオフィールの名は一気に国中に轟くだろう。
そうなれば、貴族位を手に入れるのも時間の問題である。
つまり、テオフィールが貴族位を手に入れるために、アニカは利用されようとしているのだ。
なにかを察知したように、テオフィールが慌てたように手を引っ込めた。
「……傷治してくれたんだね、ありがとう」
やや引きつった笑みで、テオフィールが言う。
アニカは黙って頷くと、向かい側のソファに戻った。
ここには法術師がいる。
真実に気がついたことを悟られるのはよくなかった。
だから、平然なふりをする。
頭がくらくらした。
騙されていた――たかが、人間に。
それからどうやって部屋に戻ったのか覚えていなかった。
ただ、ヴァルターはこのことを知っているのだろうか、と思った。
よろしくお願いいたします。