その6 彼女は潤みます。
そう来たか……。
「おっはよー、映子ちゃーん」
午前十一時。家にやってきた泉美の恰好に、ワタシはため息をつくしか出来なかった。
「ちょっと泉美、何よその恰好」
「えー、可愛いでしょー」
確かに可愛いし似合っている。それは認めるわ。でもね、ゴスロリって……。季節無視のスケスケコーデで来られるよりはマシなのだけれど、これはこれで危険な香り。芳樹君、こういうの好きそう。
「それに映子ちゃんだってー」
何よ。
「気合入れ過ぎー。その気になるのはいいけど、魂胆も見え見えなんだけどー」
くっ、早くも言われてしまった。そう、今ワタシが着ているのは、男の子だったら無視できないはずの胸元ゆるゆる系。芳樹君の視線をこの谷間に吸い込むつもり。
「ブラはちゃんとしているもの。問題ないでしょ」
チラリズムは王道よね。どの角度が効果的かも鏡見ながら研究したんだから。
「そうなんだー。付けているんだー」
ん? もしかして……。
「ちょっと泉美、まさか……」
「大丈夫だよー。ちゃんと付けてるよー」
ほっ。泉美のことだから、またノーブラかと思った。
「ニップレス」
こらぁ!
芳樹君の家までは歩いて十五分弱。意外と近かったことに驚いた。もっと早くに知っていれば、一人で押し掛けていたのに。これが臍を噛むということなのね。
そうしてワタシの家で時間調整を兼ねた打ち合わせ。もちろん勉強会のね。試験範囲の確認と互いのヤマの情報交換などなど。
そして予定通りに出発。男の子の家に行くなんて初めてだなと少々興奮気味。
それにしても、ゴスロリ少女と並んで歩くことになるとは思っても見なかったわ。ワタシはちょいギャル系だし、傍からはどう見えるのかしら。……うーん、考えないようにしよう。
「あれ?」
もうそろそろと言うところで泉美が声をあげた。
「どうしたの?」
すると泉美はスマホを取り出して、画面に地図を広げた。
「あそこの家のはずなんだけど……。前に来た時と……」
そうして指差した一軒の家。
「えっ、嘘?」
泉美の戸惑いが一瞬で理解出来た。
空き家?
そう、その家は周囲の家とどこかが違っていた。家そのものは外観もキレイだし、窓が閉め切られているわけでもない。でもどこかが……。
近付いてみると「寺山」という表札がかかっていた。間違ってはいないみたい。
でもなんだろう、この違和感。
「緊張しちゃってるのかなー。芳樹君の家が何だか特別に見えるー」
泉美の言葉にワタシも無理矢理自身を納得させた。気が高ぶっているせいだろう。気のせい気のせい。そう、余計なことは考えないで勉強会を楽しまなきゃね。
そして午後一時ぴったりに、泉美と一緒にインターホンを押した。
「「コンニチハー」」
休みの日の芳樹君てどんな感じなのかな? 寝ぼけ眼で髪はボサボサ。まだ着替えてもいなかったり?
すると、中から足音が聞こえすぐにドアが開けられた。出てきたのは、長袖Tシャツとジーンズといういたってシンプルな恰好の芳樹君。
やだ、何? ちょっとカッコいいわ。爽やかさが素敵。
「いらっしゃい」
あーダメダメ、こっちが見惚れてどうするの。ここは主導権を握らないと。
「ねぇ、何か一言あってもいいんじゃない?」
ふふん、どう? この露出高めのコーデは。ほら、この色香に惑わされなさい!
って、やだ、そこまでじっくり見ないでぇ。
「ねぇねぇどうかなぁ、芳樹君の趣味に合わせてみたー」
泉美ぃ、芳樹君を変な世界に連れて行かないで。
「うん、二人とも良く似合ってる」
あら、随分とお上手になっちゃって。前だったらしどろもどろだったのにね。でも嬉しいわ。ワタシって単純。
「えーと、とにかく上がる?」
ついにこの時が。くぅ、苦節十六年、ワタシの人生の新たな一歩。
「あ、そうね。上がらせてもらうわ」
「お邪魔しまーす」
「リビングでいいよね。飲み物とか用意するから、適当に座ってくれる?」
「「はーい」」
逸る気持ちを抑えつつ案内された部屋へ入ってみると……。
あれ、まただ。
普通のリビングで、テレビを始め調度品はちゃんとそろっている。それなのに何だろう、この違和感。
あーダメダメ。よそ様の家のことをあれこれ詮索するのは礼儀知らずよね。ウチと違ってキレイに片付いているだけのことじゃない。勘違いよ、きっと。
「そう言えば二人とも昼メシは?」
うぅ、あれこれ見て回りたい。いろいろ聞きたい。でも落ち着きがないって思われるのもなんだし……。うん、ここは自重自重。
「大丈夫。早めに済ませてきたから」
「私もー」
これは事前に泉美と打ち合わせ済。満腹状態だと頭も働かなくなるからね。
「そう言えば泉美、コーヒー苦手って言ってたから紅茶用意したんだけど、アールグレイじゃなくてもいい?」
あれ、何でそんなこと知っているの? あ、そうか、この間桜田先輩と会った時か。たしかにそんなこと言っていたっけ。でもよく憶えていたわね。
「あ、覚えていてくれたんだー。嬉しい、ありがとぉー。何でも大丈夫だよー」
むむむぅ。泉美の嬉しそうな顔はまぁ仕方ない。でも……。
「何?」
「ちょっとぉ、何でワタシには聞いてくれないの?」
「あれ、映子はダージリンじゃなかったっけ? だからそれ用意したんだけど」
「あ、そうだったんだ。ありがとう」
うわぁ、頬が緩みそう。芳樹君てば、意外に女の子喜ばせるの上手。
「えー、映子ちゃんばっかりずるーい」
ズルくないわよ。だいたい泉美は好みがうるさ過ぎるの! その点ワタシは扱いやすいでしょう、ねぇ芳樹君。
「じゃあ他のにする? と言ってもアールグレイは切らしているからセイロンかアッサムになるけど」
あれ、もしかして芳樹君てば紅茶に詳しい? 女の子ウケばっちりなんですけど。
「芳樹君が好きなのは?」
ここは芳樹君の好みをしっかり把握する場面よね。いつか家に来てもらった時にはそれを淹れてあげよう。
「あ、オレはコーヒー派だから」
ちょっとぉ、いきなりそれはないでしょ! 泉美も分かりやすくプンプンしている。
「とりあえず、勉強しよう。一緒の科目? それとも各自?」
あ、逃げた。
でも仕方ない。その為に来たのだし、あまり関係のないことで時間を潰してもね。さぁ切り替え切り替え。
「ワタシ数学やる、一番苦手だから。分からないところ教えて」
「じゃあ私もー。次のテストでは絶対百点取りたいから教えてー」
テスト範囲になりそうなところから、いくつか芳樹君に質問してみる。
さぁ、本日のメインイベント。胸元チラリ大作戦。ほらほら、ブラも可愛いの着けてきたよ。見て見てぇ。
……。
って、何で見てくれないのよー。
泉美は泉美で、あの大きなおっぱいをさぁ触れと言わんばかりにテーブルに乗せているけれど、それにもノーリアクション。
ワタシ達の色ボケっぷりだけが空回りしている。あー何だろう、この挫折感というか罪悪感。
ごめんなさい、ワタシが悪かったです。真面目に勉強します。
……。
芳樹君の説明はとても分かりやすい。すんなり頭に入って来た。
やっぱり頭良いんだ。それが何だか嬉しくて、今度は問題を解くことに熱中してしまったり。
「こんなものかな?」
「そうだねー」
何だろう、すごく集中出来た。泉美も満足そうな顔をしている。一時間が短く感じるなんて久し振り。キリもいいし、ここらで休憩かな?
「そうだ、私クッキー焼いてきたー。一緒に食べよー」
おやつ係の泉美。きっと上手に出来ているだろう。でもね……。
「ワタシも作って来たんだけど……」
泉美にばっかりいい顔はさせないんだから。ワタシだって少しは出来るってところ見せてあげる。
って芳樹くーん、その顔は何?
「ちょっとぉ、ワタシだってお菓子くらい作るわよ。というかこれからは料理だって頑張るんだから」
昨日の悪戦苦闘の成果をとくと御覧じろ!
泉美の作った可愛らしいクッキーの横に、袋からコロコロッとベビーカステラ。
「最初マフィン作ろうと思っていたのよ、そうしたらたこ焼きプレートしか見つからなくて……」
後で聞いたら、マフィンプレートは茶色のシリコン製で、食器棚にちゃっかり収まっていた。黒色鉄板製だとばかり思っていたから、アウトオブ眼中になっちゃったのよね。
あの時のお母さんの呆れ顔ったら……。あ、思い出したら恥ずかしくなってきた。
と、芳樹君がその一つを口に運ぶ。ドキドキ。
「うん、うまい」
やった!
「猫さんのクッキー、可愛い」
「ベビーカステラって久し振りー。縁日以外じゃ見掛けないもんねー」
泉美のクッキーも美味しい。サクサクと軽い食感がちょうどいい。うん、次はこれ作ろう。
「二人ともお腹大丈夫? ケーキ用意してあるんだけど食べる?」
えっ、ケーキ? やだ、ここでそんなこと言われたら……。
「「食べる!」」
あ、思わず。でもこれは仕方がない。その単語には抗えない魔力があるのよ。
「バナナケーキのほうは焼き立てだよ。レアチーズも多分うまく出来ていると思う。どっちがいい? てか両方出すな」
意外過ぎる言葉が飛び出した。焼き立て? 上手く出来た?
「ちょっと待って。焼き立てって? もしかして作ったの?」
「芳樹君、ケーキとか作れるのー?」
「時々な。この頃はあまり作らなかったんだけど、ちょっと張り切ってみた」
えー! 何だか普通に言っているけど、ケーキ作るのって大変だよね。
「あ、バナナケーキは半分がチョコで半分がアーモンドね」
運ばれてきたのはホールのレアチーズケーキと、シフォン型に入ったバナナケーキ。
「「うっそぉー!」」
目はケーキに釘付け。お店に並んでいてもおかしくないクオリティーの高さだわ。
「ねっねっ、コレ本当に芳樹君が作ったの?」
「すっごーい。私なんかよりずっと上手ー」
鳴れた手付きで皿に移してナイフを入れる芳樹君。バナナケーキからはふわっといい匂い。
「映子がレアチーズ好きみたいだったから。泉美、ごめん。モンブランはちょっと材料なくて……」
えっ?
「ううん、バナナケーキも大好きだよー。ありがとー」
そうか、ワタシのために作ってくれたんだ。
……。
えっ、やだ、視界がウルウル。ちょっとぉ何よコレ? 込み上げてきちゃったじゃない。
慌て顔の芳樹君に何とか今の心境を説明する。
「だってー、これってアレでしょ。この間のこと覚えていて、わざわざ作ってくれたんでしょう。こんなの嬉しくて泣いちゃうに決まっているじゃない」
言葉にしたら、余計に波が押し寄せてきた。
あ、涙落ちた。超感動。サプライズ過ぎるわ。もしかして夢でも見てる?
「とりあえず味見してくれる? もっと甘い方がいいとか、そういうのあったら今度作るときの参考にするし」
ケーキを皿に並べたかと思ったら、バナナケーキには生クリームを添えている。うわぁ美味しそう。
とワタシのお皿のケーキには赤い……、ベリーソース? すごいすごい、キレイ。
「さ、存分にご賞味あれ」
コレ食べなくても分かるわ。絶対美味しいに決まってる。
「「うっまーい!」」
もう想像以上。こんなにおいしいケーキ、今まで食べたことないよ。
「ちょっとちょっと、どうやったらこんなの作れるの?」
「これじゃまた太っちゃうー」
もう何よ、その包み込むような笑顔は?
学力だけじゃなくて女子力もワタシより上とか、ちょっと許せないぞぉ。芳樹君てば何者?
「良かったよ、美味しいって言ってもらえて。ほら、作るのはいいけど他の人に食べてもらう機会ってあまりないから、実は心配だったんだ」
味見役だったらいつでもワタシが引き受けるわ。って、家族の人に食べてもらったりはしないの?
「ねぇ、そう言えばさ、今日はご両親って? お仕事?」
「帰ってきたら食べてもらえばいいのにー」
芳樹君の両親てどんな感じなのかな? 会ってちゃんと挨拶したい。
「ああ、オレん家、父子家庭ってやつ? なんだよ。で、親父は今出張中でね。月に一度帰ってくるかどうかでさ」
「「えっ!」」
言葉を失うとはまさにこのこと。「親父はゴルフ、お袋はカルチャースクール」的な返事を想像していたところにこれだもの。脳内処理が追いつかなくて、ちょっとパニック。
えっ、お母さんは? えっ、じゃあ今一人暮らしってこと? えっえっ、えー!




