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20.あなたの願いはこれ?

ある朝、橘生三がなにか気がかりな夢から目をさますと、自分がベッドの上で一体の機械人形に変わっているのを発見した。

それからどうしたって?

自営業で時計の修理をする傍ら自動人形制作に没頭する祖父と実父に見つかったが最後、

分解清掃されてめでたく機械人形として時計店の看板娘になり橘時計店は繁盛ました。

とっぴんぱらりのぷう。


…なんて、アホな夢から目が覚める。繁盛とかむしろ、めっちゃ縁起がいいな。


「…あれ?」

いつもの天井。

いつものカーテン。

いつもの掛布団。

いつものパジャマ。

いつもの机の上に、いつもの楽譜とマーカー。


「あ、…夢かあ…」


鏡を見る。ぼさぼさな頭。

目覚まし時計を見ると、時間より12分ほど早く目が覚めた。あー、12分もったいない。

今日は目覚めが良い。ベッドがふかふかで枕があるのが、何故か凄く久しぶりな気がする。

いつもの発声練習を…しようと思って、やめる。

代わりにんーーと小さく唸るように音程を取りながら、洗面所に向かう。

あ、良いにおい。魚…鮭だ。鮭やいてる。やったー!


洗面所で顔を洗う。

鏡をのぞいたら、いつもの顔が真顔でこちらを見つめている。

手を振っても、同じように動作を返すだけ。


「…何やってんだ、お前」

後ろから声がした。振り向くと、人間のおっさんがいる。

「………。……あっ!お父さん!」

じっくり見つめた後、ようやく父の顔を思い出した。久しぶりに会った気がする。

いつぶりだ?なんかもう、半年、一年?いやそれ以上会ってない気がするけど。

「なんだ、目悪くなったのか?」

「ううん。一瞬誰だかわかんなくなっちゃった。」

「…母さん、母さん。大変だ、生三がおかしくなった!」

父は眉をひそめて、後ろを振り返って声を張り上げる。

「寝ぼけてるだけでしょ、いいから早く洗ってきなさいよ。冷めるから」

そんな母の声がして、諭されて戻ってくる父。

歯磨きをしながら待っていると、父はしぶしぶ顔を洗う。

れー(ねえ)おほうはん(おとうさん)

「んー?」

りひーはーっへ(リピーターって)ふふえう(つくれる)?」

「…磨き終わってから聞くから、先ゆすぎなさい」

「ふぁーい」


そのままリビングに移動する。

ご飯とみそ汁と焼き鮭と、お香々。あと昨日の残りの煮物のあっためたやつ。

「うーーわーーー!おいしっそーー!!」

なんだろう、この湧き上がる幸福感。色とりどりの朝食に、バランスのとれた理想的なご飯!

鮭。鮭、なんて心地いい響きと匂い!

「いただきまーす!」

皆がそろって、手を合わせる。

鮭に手を伸ばし、口に入れる。


うーん、このじゃりじゃり感。砂を噛んでるような、なんとも食べるのが辛くなってくる…


…砂?


はっと気がつくと、目の前に座っている母の唇が、声を出さずに動いた。


「あなたの願いはこれ?」


「…え?」


突然、パン!と弾ける音がした。


一瞬にして目の前が暗くなる。



照明が壇上を照らしていた。

強い光が幾重にも重なって、先生の影を、私たちの影を、何重にも映し出す。

舞台の先には薄暗い観客席。

他の学校の生徒たちがずらりと並び、その他学校関係者や地元の新聞記者やテレビ局、中央やや手前の審査員席も埋まっている。

近場の席はひとりひとりの顔が全員見えるけど、目に入らないように出口通路を見る。

先生が一礼する。人数分なりの拍手が短く湧いて、先生が振り返る。

先生が両手を上げると同時に私たちが歌う準備に入ると、観客の声が消えて静かになった。

全員を一瞥し、準備ができたことを確認して頷くとピアノの方に軽く体を傾けて、4拍を打つ。

ピアノの伴奏が流れてくる。考えるまでもない、課題曲だ。

そろそろ前奏が終わる。

先生の左手が我々に向けられ、緊張気味に両隣、後ろ…皆が一斉にスッ、と短く空気をお腹に入れ、揃えて声を観客席へ送り出した。

先生の指揮を見つめながら、小刻みに出される指示通りに声を伸ばしたり、トーンを抑えたり。

とにかく指示だけを見つめ、指示通りに集中して声を乗せる。

パート毎に誰かの声だと解らなくなるくらい、周囲と自分の声が溶けあうように。


どこまでも綺麗に主旋律を伸ばしていくソプラノ。

主旋律に合わせ、和音を作り出し魅了するアルト。

1オクターブ下げて重ね、より響かせるテノール。

集音器官の奥底まで震え渡り、力強く支えるバス。


それらが指揮に合わせて、一つの"音"として会場中に響き渡る。

楽譜を読み込んで、指揮者の元、皆で曲の解釈を一つにした。

何度もああでもない、こうでもない、と先生に厳しく指摘された。

そうして生み出された私たちの和声に、会場中が息をのんでいるはずだ。


先生がこちらに目線を送る。

皆の作った流れを一心に受け止めて。

伴奏が少しだけゆっくりになる。

少しの間ただ一人、私だけの声で、広い会場に響かせなくてはいけない。

肺が震える。体が震える。手の甲がしびれて、指先に力が入らない。

暑い。ただでさえ暑い舞台照明の真下、私たち全員の緊張と熱気も相まって汗だくだった。

頭の中にあるのは、流れるピアノの音が消えた最初の一音と一文字。

先生の指揮が一番上につく前に、全神経を、喉を、整える。

頭の中の音と喉の音がずれれば、声がうわずる。

これだ、という音を探り当て、喉がそれに合わせていく。

私の喉は、管楽器。

私の目には、指揮の指先しか見えない。

私の声は、鐘の音。


…鐘の音…


指先が頂点に達したとき。先生の顔が、こちらを向いて唇が動いた。


「あなたの願いはこれ?」


パン!と弾ける音がした。



一瞬にして、目の前に砂漠が広がる。



顔まですべて覆った全身赤いタイツの上に灰色ローブ。

長い斧を引きずって、砂漠の上を人形が近づいてきた。


「あなたは?」

人形が尋ねる。私は答えられない。

「ここはあなたの居るべきところじゃない」

人形が続けてそう言った。

「今帰らせてあげるから、もう二度と迷わないで。二度とこないで」

人形は悲しそうに、苦しそうに呟いて、自分の首をかき切った。


「あなたの願いはこれ?」


カァン、と澄み渡った金属音が鳴った。


とても悲しい音がした。


「助けて。俺にはもう、耐えられない」


足元の砂が滑り落ちる感覚に巻き込まれる途中で、人形の声が聞こえた気がした。



巡っていく。

廻っていく。

世界が、

私が、

全てが、

交錯していく。




「お願い、タンタル。私を見て」

女性の声がした。…違う、私だ。

「白金、俺はもういやだ。誰もが俺を苦しげに見る。誰もが俺に悲しそうな目で見る。誰もが俺を恨んだ目で見る。誰もが俺に、助けを乞う目で見る」

数えきれないほどの迷い人を送る鐘を鳴らしてきた。

「俺はそれをさらにひどく歪ませる事しかできない。それが助けることだとわかっていても、更に彼らの望まない、嫌な音を強いることしかできない」

その鐘をきいて、一度たりとも笑った迷い人はいなかった。

「何も知らないままだったら、それでも良かった。でも、俺は知っている。みんなが笑うことができることを。俺が鐘を鳴らす前まで、皆笑っていたんだ」

「タンタル、お願い、こっちを見て」

声が届かない。

「何故創造主はこんな風に俺を作ったんだろう?いっそ、本当にただの機械人形でさえあれば、こんな気持なんか理解できなかったはずなのに!」

彼の見えない悲鳴が突き刺さる。

「誰か助けて。俺にはもう、耐えられない」

それでも彼は歩き出す。

目の前の大きな穴に向かって。

「だめよ、タンタル、おねがい、駄目!」

咄嗟に駆け出した。

彼の片足が、ぽっかり空いた穴に一歩踏み出した時、私は彼の裾を掴んだ。


気が付いた時にはもう遅かった。


彼と一緒に落ちていく。

一緒に、どこまでも深い穴に落ちていく。

「白金、どうして、」

落ちながら、微笑んでみせる。

「あなたにだって、誰かを笑わせることくらい出来るのよ」

「そんなことより、早くここから出ないと!」

「ねえ、タンタル。今から私、歌うから続けて」

必死で、迷い人から教えてもらった歌を歌う。

「なにやってんの!?こんなときに!!」

くずかごの中にはたくさんのくずが犇めいていた。

私たちを取り込もうと、ぐちゃぐちゃと蠢いている。

「白金、頼むから、くずかごから出て!」

「いいから続けて、タンタル」

「…」

星の歌だった。単調で、けれどとてもやさしい歌。

おぼつかない声で、私の後にタンタルは続けた。

合わせて歌う。

「…ね、ほら、全然大丈夫。歌になったでしょ?」

「白金」

「ねえ、お願い、タンタル。自分から自分を壊そうとしないで。私はあなたが初めて私たちの前に来た時、とても嬉しかったのよ」

「でも、皆を傷つけたのは変わらない。俺が役立たずのカジモドだから、この先もずっと皆を不快にさせる!」

「それなら私が絶対に、あなたの音を好きになるわ!」

「そんなの、」

「本当よ。どれだけ時間が掛かっても、きっとあなたの音を好きになるから、どうか、壊れないで」

「いやだ、それなら、一緒に」

「ねえ、鐘を鳴らして」

そう笑ってみせる。

「そんなことしたら、白金は、」

「いいから、早く!」

タンタルが鐘を鳴らす。


頭に響く。

苦しくて、張り裂けそうな、頭を揺らす、聴いてはいられない音。


「…やっぱり、白金!」


どうにか、精いっぱい笑顔を見せる。

それがただの作りものだと、タンタルも重々承知している。


くず達が集まる。群がる。


体がどんどんくずに飲み込まれ、圧迫され、きしんで、割れて、壊れていく。

幸い、くずたちが群がってきたのは私の方だけだった。

先程響いた鐘の音にひるんで、タンタルには近づこうとしない。


良かった。彼が壊れることはないんだ。


体がくずの肉で埋まっていく。

タンタルはそれを止めようと、必死にくずにしがみついているが、くずはタンタルを弾き飛ばすだけで、取り込もうとはしない。


そう、それでいい。

絶対に、諦めない。


視界がすべて埋もれ、壊れていく。

じきに思考も何もかも止まるだろう。


けれど私は朽ち果てたりしない。私は、永久カレンダー。

何があっても、私は私を貫いてみせる。

私はこの祈りを抱えて天を目指そう。

私自身が、私の願いをかなえるために。


「あなたの願いはこれ?」


遠くから声が響いた。


「ええ、…そうよ」

初めて頷く。

そうだ、私は"不朽(くちなし)"だ。


パン!と弾ける音がした。

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