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神獣の花嫁〜かの者に捧ぐ〜  作者: 一茅 苑呼
漆 禍つびの神獣(かみ) ─前篇─
49/73

《一》御珠と共に──私、神獣ノ里に行ってくるわ。

❖作者より❖

この作品は、日本の歴史的背景を参考にしております。が、用語・様式など本来の意味とは違う単語もあります。

この作品において通用する語句として捉えていただければ幸いです。


 寝殿造りの広い邸内には、自分と下総ノ国の神官である愁月しゅうげつの他に、人は存在しない。邸の幻をつくりだした者が、護り手である眷属けんぞくたちも排除してしまった。


 あまりにも静か過ぎるその異空間で、自らの不自然な息づかいだけが無用に響く。


「……私が神力しんりきを失っている……?」


 言われた内容に、理解が追いつかない。咲耶さくやは、右手の甲にある白い痕に目を向けた。


 白い花嫁である咲耶と、白い神獣である和彰かずあきをつなぐ、目に見えるあかし。象徴するは、『治癒と再生』。代行者として得ているはずの神力が、いまの咲耶にはないという。


「そんな……何を言ってるんですか」


 ぎこちなく笑い飛ばす。これも、愁月お得意の惑わし戦術ではないのかと。


「あんなこと、と、そなたは申したな。ならば、あれが為した行いを目にしたはず──人をあやめ、血に染まった、白き神獣の化身けしんを」


 にわかに受け入れ難い事実に、呆然と立ち尽くす咲耶を、目を細めて愁月が見上げてくる。


「血のけがれを受けた白虎はくこは、もはや『治癒と再生』を司どる神獣たりえない。代行する者である花嫁のそなたに神力が宿らぬのも道理であろう」


 未だ事態がのみこめずにいる咲耶に、愁月が続けて言った。


「信じられぬのなら、綾乃あやのの神ノ器に、治癒をほどこそうとしてみるがよい。己の身の内に、神力がないことを実感できるはずだ」


 一瞬、綾乃を『再生』させるため、愁月が咲耶に神力がないと思いこませ、けしかけているのかと考えた。しかし、和彰と眷属の身を掌握している愁月が、そのような無駄な策を用いる必要がない。

 だとすれば──。


(私の神力は本当になくなっているの……?)


 半信半疑のまま、綾乃の傍らにひざまずく。刃を受けた痕跡のある首筋へと、右手をかざした。白い痕のある手の甲が熱くなる、神力の発動する兆し──。


「……そんな……」


 いつもなら感じるはずの熱が、右手に集まってこない。


 咲耶は、ふたたび自らの証に目をやった。変わらずにある三本の白い筋。和彰に契りの儀でつけられた痕。だが──この身に確かに宿っていた神力は、嘘のようになくなっていた。


「……納得できたか?」


 和彰とは違う種類の冷たい視線は、咲耶を突き放すような厳しさを含んでいた。


「その上で──酷なようだが、そなたに渡す物がある」

「渡す物……?」


 拠り所であった神力ちからを文字どおり失った咲耶は、ぼんやりと愁月を見返す。すっ……と立ち上がった愁月が、咲耶の側でかがみこむと、懐に入れた手を差し出してきた。


 袱紗ふくさに包まれた形からして、丸い物のように見える。愁月の指先がおもむろに開き、自らの手のひらで広げてみせた。

 小さく蒼白い、玻璃はりの玉だ。ごく最近、目にしたような気がして、咲耶は眉を寄せた。


(あの時、道幻どうげんが飲みこんだ玉に、似てる……)


 気づいた瞬間、咲耶の身に寒気が走る。しかし、それよりももっと恐ろしい事実を、愁月が口にした。


「これは、ハクコの魂──精神体を具現化したものだ。正しくは、“御珠みたま”というのだがな。

 咲耶、そなたは、この“御珠”と共に神獣ノ里へ行き、みそぎをせねばならぬ」






 どこをどう歩いて来たかは覚えていない。

 何も考えられなかった。


「『裏の道』から来たのだから、『裏の道』から送り届けようぞ。……迷うこともなかろうが、気をつけるがいい」


 最後にそう愁月から声をかけられたが、咲耶の耳に聞こえはしても、言葉として咲耶の胸に届けられはしなかった。


 ふらふらと、夢遊病者のような頼りない足つきで、咲耶はようやく自らの屋敷にたどり着く。


「姫さま……!?」


 そんな咲耶を見て、椿つばきが血相を変えて駆け寄ってきた。


 愁月の所へ眷属たちと共に向かったのを見送っている椿は、咲耶の身に、何か良からぬことが起きたのではないかと察したらしい。懸命に咲耶を気遣い屋敷内へと導き、とにかく温かい物をと、芋がゆを差し出してきた。


「どうぞ、召し上がってくださいませ。……多少なりとも、姫さまの『お力』になるはずです」


 愁月から突き付けられた『現実』に、倦怠感に似た思いをいだかされていた。


 けれども、椿が差し出すわんと、咲耶を見つめるけなげな眼差しに、咲耶の食指が動く。胃のがじわじわと暖まりだすと、凍りついていた思考力が咲耶のなかに徐々に戻ってきた。


「……ありがとう、椿ちゃん。ごちそうさま」


 小さく笑って礼を言えば、椿は首を大きく横に振った。しばしの間ためらったのち、咲耶を見上げてくる。


「姫さま。わたしでは、頼りにならないかもしれませんが……何があったかを、お聞かせ願えませんか?」

「椿ちゃん……」


 眷属を封じられ、神力を失った事実を突き付けられ……何より、和彰に会えなかった(・・・・・・)ことが、咲耶を強く打ちのめしていた。しかし、ここにまだ、花子の椿が残ってくれている。咲耶は、自分が何もかもを失ってしまったような心持ちでいたことを恥じた。


「これ……見てくれる?」


 言って、愁月から渡された和彰の“御珠”だという物と、眷属が封じられた札を三枚、椿の前に並べてみせた。


犬貴いぬきたちは……この札に封じこめられてしまったの」


 精悍せいかんな顔立ちの犬、眼帯をした隻眼の犬、タヌキ耳の気弱そうな少年。札には彼らの姿が墨一色の筆で描かれている。


 ……猫の描かれた物はない。人質ならぬ猫質として、愁月が持ったままだった。


「それから……この、玉は……」


 和彰、なの──。そう口にした咲耶の瞳から、涙がひとしずく流れた。椿が目を見開いて、自らの口もとを両手で覆う。


「そんな……! これが、ハク様だなんて……。いったい、どういうことなのですか?」


 咲耶は、愁月から聞いた話を椿に伝えた。


 血の穢れを受けた和彰をそのままにしておけば、邪神となり、“神逐かむやらいのつるぎ”に葬られてしまう。それを避けるため、和彰の肉体である神ノ器と和彰の魂である精神体を、愁月が特殊な呪法で分けたらしい。


「では、こちらは……ハク様の御魂みたま……お心ということですね?」

「うん……愁月の言うことを全部信じれば、そういうことになるわ」


 いきなり布に包まれた玉を見せられ、これが和彰だと言われても易々と信じられるものではなかった。


(だけど……愁月の言葉には、説得力があった)


 血の穢れに弱いとされる白い花嫁。失われた神力。


(和彰が穢れてしまって神獣としての清い力を無くしてしまったからだって)


 つじつまは合う。しかし──。


「会えると思ってたのに……」


 ぽつりとこぼれ落ちたのは、叶わなかった再会のこと。


「なのに……こんな姿になってしまっただなんて……」


 胸の奥がしめつけられて、息をするのも苦しくなる。


 たとえ咲耶のことを忘れてしまっていても、瞳を見交わし話をすれば何かしらの反応があって、いつかはまた、咲耶を思いだしてくれるかもしれない。そんな漠然とした希望が、咲耶のなかにはあったのだ。


「……和彰……」


 真名なまえを呼びかけても応えてくれないはずだ。応じられなかったのだから。


「──姫さまっ」


 椿の驚いた声に、咲耶はうつむいていた顔を上げる。椿の視線の先は、袱紗の上にある蒼白い玉だった。


「姫さまがハク様の御名を口にされた時、“御珠”が光りました!」

「え……?」

「まるで、姫さまのお声に応えるかのようでした」


 ぎゅっと胸の前で両手を握りしめ、興奮したように椿が咲耶を見つめる。期待がこめられた眼差しを向けられ、咲耶はとまどいながらも、この場にいないはずの愛しい者の名を呼びかけた。


「かず、あき……?」


 今度は、玻璃の玉を凝視しながら。すると、弱々しい輝きだが椿の言う通り、小さな光を放ったのが咲耶にも分かった。


「和彰」


 もう一度、名前を呼びながら“御珠”へと手を伸ばし、目の高さに上げる。じかに触れた玉から、わずかな発光と共に、ぬくもりが感じられた。


 ──言葉はない。確固たる証もない。にもかかわらず、咲耶のなかでその“御珠”が、真実、和彰の『こころ』なのだという確信が、もてた瞬間だった。


「椿ちゃん」


 手にした玻璃の玉を胸にそっとあてがい、咲耶は言った。


「私、神獣ノ里に行ってくるわ。……和彰と、一緒に」


 感極まったように、うるんだ瞳で椿が咲耶を見返した。


「姫さま……! はい、姫さま、はい……!」


 小さく何度もうなずき返しながら。





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