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神獣の花嫁〜かの者に捧ぐ〜  作者: 一茅 苑呼
陸 告げられる秘事(ひみつ) 【後篇】
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《十》無価値な供物──それがそなたの選択か。

 下総ノ国の神官であり和彰の育ての親でもある賀茂愁月が、咲耶に向かい微笑んでいる。


「……表から入れないようになされたのは、そちらですよね?」


 のどに声が張りつくような緊張からか、咲耶の声はかすれ、わずかに震えていた。愁月の笑みが、なお、深まる。


「おかしなことを。人であるそなたなら(・・・・・・・・・)問題なく入れたはずだが?」


 言外に、咲耶以外は屋敷に入れる気がなかったことを告げていた。咲耶は思わず両拳を握りしめる。


「和彰が……もう、一ヶ月以上、屋敷に戻ってないんです」

「あれの居どころを尋ねるために、このような方法を用いたと申すか」


 やわらかな口調に咲耶を責める響きはない。それだけに得体の知れない気味の悪さが愁月にはつきまとう。


 薄く笑い細められた目に咲耶を試すような光が宿っているのが見え、愁月がもつ独特の雰囲気にのまれそうになる。そんな自分をかろうじて押し留め、咲耶は単刀直入な返答を投げた。


「いいえ。私の知っている和彰(・・・・・・・・・)を、あなたから返してもらうために来たんです」


 咲耶の決意が示されたと同時に眷属たちの敵意が愁月へと向けられる。

 攻撃と防御が、いつでも行える態勢。愁月の応じ方次第で、どちらにでも動くのだという宣戦布告だった。


「……よく、手なずけておるな。あれにしても、そう」


 繰り返される『あれ』という呼び方(・・・)に、咲耶のなかにあった恐怖心は薄れ、嫌悪に変わっていく。


(親しみをこめて言ってるんだと思ってた)


 ──今までは。

 和彰から信頼され、愁月のほうも和彰を大切に想ってくれているのだと。だが、犬貴の推察通り、愁月が和彰を自らの私怨をはらすために利用したのだとしたら、その本質が、まるで変わってしまう。


(『尊臣の忠実な官吏』だって、百合子さんは言ってた)


 和彰たち神獣の存在を駒扱いする者の──。


「あれだなんて、言わないでください。和彰は、あなたの『物』なんかじゃないっ……!」


 咲耶の声がふたたび震えたが、今度は怒りのためだった。主の想いに同調した眷属らが、一斉に気色ばむ。

 ふっ……と、小さく笑った愁月が黒虎毛の犬を見やった。


「そなたなら気づいておろうな、クロよ。この空間の意味を」

「意味などっ……」


 うなるように言った犬貴の黒い毛が逆立つ。鋭い眼光が、愁月を見返した。


「それが、貴方様がなさる行いだというのなら、こちらも応じるまでのこと。我らが第一に考えるは、ハク様ただおひと方」

「──果たして咲耶は、そのように考えるかな」


 互いにだけ通じる会話をする、愁月と犬貴。思わず咲耶は、隣に控える精悍せいかんな顔立ちの甲斐犬を見た。


「どういうこと……?」


 疑問に思う咲耶と、問いかけにびくりと身を震わせる犬貴の間に、冷静な声が割って入った。


「軽率な行いをなそうとする主をたしなめ、正しい道に導くのも眷属の務め。判断材料となる進言も、必要ならばすべきであろう」


 教え諭す物言いに、彼らの常の関係性が見えるようだった。そして、その理路整然とした話し方は、和彰とよく似ていた。


(和彰……)


『師』として和彰が愁月を慕っていたことを思い、咲耶の胸がつまる。


(何かにつけて「師がおっしゃるには」って、言ってたっけ)


 いまにして思えば、それはまるで尊敬する『父親』を慕うようであった。誰に対しても不遜ふそんな口を利き、態度をとった和彰が、唯一敬っていた相手。


「──咲耶様」


 つかの間、物思いにふけってしまった咲耶の耳に、犬貴のいつにも増して堅い声音が入ってきた。はっとして顔を向ければ、黒虎毛の犬が心痛な面持ちで目を伏せている。


「我らが居りますこの空間は、愁月様の屋敷の幻のようなもの。我ら以外の者が存在しない、いわば屋敷の幻影なのです。ですが──」


 言いよどんだのち、咲耶を一瞥いちべつした深い色合いの瞳が憂いを帯びた。


「仮に今、我らが屋敷内で力を奮った場合……本来の愁月様の屋敷にも同じ現象が起こり……屋敷内の人間に害が及ぶ可能性は……残念ながら、否めません」


 チッ、と、犬朗が大きく舌打ちした。かすれた低い声がいら立ちを露わにする。


「自分トコの家人けにんを人質にしてんのかよ?」

「そ、そんな、ひどいっ……!」

「咲耶さまがウカツに手出しできないよう、企んでやがったんだ、このキツネ親父っ!」


 犬朗の言葉に非難を示した たぬ吉と転々を、愁月は変わらぬ笑みで見返した。庭にいる鈴虫の鳴き声でも、聞くかのように。


「これは異なことを。そなたらを我が屋敷に丁重に招くためにしただけのこと。……しかし、気に入らぬのなら別の手段を用いなければなるまいな」


 愁月の眼差しが、咲耶の返答を待つ。

 和彰を取るか、見も知らぬ愁月の屋敷に仕える者らを取るか。二択しかないような錯覚を起こさせつつも、その実、愁月が問うているのは別のことだと咲耶は気づく。


(私には、神力がある……)


 犬貴の言うとおり、和彰を第一に考え眷属たちの力を借り、強引に愁月から引き離し、自分のもとへと連れ戻す。そうすることによって仮に犠牲者が出たとしても、咲耶は己のもつ『治癒と再生』で救うことができるのだ。


 だが──。


(それは、道幻が私にさせたことと同じ)


 たとえどんな大義名分があろうとも、なんの罪もない者を傷つけておいて救うなど、思い上がり以外の何物でもない。


(和彰)


 心のうちであっても、名を呼べば咲耶のもとに来るはずの存在。来ないのは……いや、来られない(・・・・・)のは愁月が何らかの妨害をしているからだろう。


(和彰……!)


 咲耶は白いあとのある右手の甲を左手でぎゅっと包みこんだ。大きく息をつき、和彰が慕っていた目の前の男を見据える。


「……力づくで、あなたをどうこうする気はありません。私はただ、和彰と会って、話がしたいんです」


 咲耶の呼びかけに応えず、咲耶を感情のない瞳で映す者となっていたとしても──。


「それがそなたの選択か。……では、共に屋敷内へ参ろうぞ」


 満足そうにうなずき、衣をひるがえす。愁月のあとに、咲耶と眷属たちも続いた。

 ──一触即発。その空気がゆるんだと、誰もが感じたであろう一瞬だった──ただ一人を除いては。


「咲耶。私が用があるのは先ほども申した通り、そなただけ」


 やわらかな口調でささやくように告げたのち、りんとした声音を放つ。


「“約定の名付け”において真に扱うは、我なり。付した決まりにて、我がもとへと封ずる」


 振り向きざま、愁月の手指から数枚の短冊が、ひゅんと勢いよく飛び立った。

 眷属それぞれの頭上で浮遊すると、そこからまばゆい光が差し込む。さながら、光でできたおりに囲まれたかのように。


 背後にいた彼らに向かい咲耶がとっさに足を踏み出した時にはすでに、眷属は皆、光につつまれ消え去っていた。


「犬貴! 犬朗! タンタン! 転々!」


 呼びかけに応じるモノは誰ひとりとして居らず、咲耶の声がむなしく宙を舞う。

 あとに残されているのは、薄い紙が四枚。地に落ちたそれらを、無造作に愁月が拾い上げる様を、咲耶は呆然と見つめていた。


「──では、参ろうか、咲耶」


 事もなげに微笑む男を、我に返ってにらみつける。


「犬貴たちを、どうしたんですか!」

「……“約定の名付け”を行った同種の札に封じさせてもらった。激情に駆られた眷属らの力が、罪のない者に及ばぬようにな」

「だからって」

「主命を下し、あのモノらを確実に止めることを怠ったはそなたぞ? ──感情の高ぶりによって、風を巻き起こし雷を落とすことさえ、危ぶまれるモノたちなのだから」


 愁月の指摘に、咲耶は歯がみした。図星だ。けれども、口実ともいえる言い分に、咲耶の気が収まらない。


「衝動だけで、彼らは動いたりはしません!」

「──常ならばそうであろう。だが、いまの主の姿を見て、正気でいられるかは難しかろうな」

「……え……?」


 淡々と話す愁月に、咲耶は思いきり顔をしかめた。愁月の言葉が指す彼らの主が咲耶ではないことに気づいたからだ。

 吐き気がしそうなほどの嫌な予感に、咲耶の呼吸が荒くなる。


「かず、あき、は……?」

「──のちほど、必ずそなたと対面させることを約束しよう。その前に、こちらへ付いて参れ」


 愁月の顔から笑みが消える。表情のないおもては、咲耶を惑わす言動を繰り返した今までよりは、なぜか信ずるに足るものに思えた。


眷属みんなも和彰も……この人に奪われてしまった)


 咲耶が頼れるのは、己が身ひとつだけ。そして、代行者としてもつ神力のみ。


 愁月のやり方は狡猾こうかつだ。

 咲耶の性格を知っているからこそ、咲耶自身ではなく、周囲の者から手玉に取ったのだろう。犬貴や犬朗の警戒を解かせるために、あえて咲耶に眷属たちの力を遣わせない選択(・・・・・・・)をさせたのだ。


(進むしかない)


「咲耶に用がある」というのは紛れもない愁月の本心に違いない。ならばまだ、咲耶にも交渉の余地はある。


「……分かりました」


 必死に自分自身にそう言い聞かせて、屋敷内へと向かう愁月のあとに続いた。






 いくつもの几帳きちょうが立ち並ぶ奥。一段高くなった畳敷の上に、単衣ひとえを掛けられ横たわる若い女性の姿があった。


「……この人……」


 見覚えのある目鼻立ち。美しいというよりは、可憐な少女といった感じだ。眠っているようにも見えるが、咲耶はすぐに、その者が息をしていないことに気づく。


 精巧に造られた人形のような少女の側に、愁月が腰を下ろす。伸ばされた手が、掛けられた単衣をめくった。


「……綾乃あやのを知っておるのか?」


 白いうちぎをまとう少女の首筋には、刃物で裂かれたような傷痕がある。痛々しさに顔をそむけかけた咲耶は、愁月の口からでた名前に動きを止めた。


「綾乃……?」


 瞬間、咲耶の頭のなかで、犬貴から聞き及んだ話と自らの記憶のなかの若い女の姿がつながった。あれは──。


「神獣ノ里で……」


 初めて和彰の真名なまえを口にした時。瀕死ひんしの和彰と“仮の花嫁”という立場から抜け出そうとしていた咲耶の前に、妖しげな半透明の存在が現れた。


「和彰の名前を……在り来たりだって……」

「綾乃が申しそうなことだな」


 くっ……と、のどの奥で笑う愁月は、心なしか本当に(・・・)愉快そうな表情を浮かべた。咲耶は混乱しながら愁月に問いかける。


「綾乃、さんは……いまは現世うつしよにいないって、犬貴が……」

「──その通り。これは綾乃の“神ノ器”だ」

「肉体って、ことですよね? それが、どうしてここに……?」


 頭のなかの情報を整理しながら確認をしたものの、さらなる疑問符が浮かびあがってしまう。


「え、でも待って。それなら私が見た人は、本当に綾乃さんなの……?」


 咲耶の目の前にいる人物と、あの時、咲耶と和彰の前に現れた人物が、同一人物ではないように思えてくる。それは単純に、眼差しの強さの有無かもしれないが。


(よくよく思いだしてみると、もう少し大人びてたような気もするし……)


「神獣ノ里で出会ったというのなら、綾乃であろうな。今の綾乃は、常世とこよにも現世にも居れぬ存在ゆえ」


 咲耶の不審をよそに、愁月があっさりと断定する。付け加えられたひと言に、咲耶はこめかみを押さえた。


「常世にも現世にもいられないって……まさか」


 昨日、犬貴から聞いた“神逐らいの剣”の話。“神ノ器”に唯一、再生を許さない傷をつけることが可能だと、言っていなかったか?


(私の神力でも再生できないのかって、私、犬貴に訊いた……)


 愁月の顔に、ふたたび微笑が浮かぶ。咲耶の思考を読み取ったように。


「そう、この傷痕は“神逐らいの剣”によって付けられたもの。綾乃は、再生を許さないと言われる剣に、魂魄を切り離されてしまったのだ。

 この“神ノ器”に宿るははく──“核”と呼ばれる生命の源があるのみ。そなたが出会った綾乃はこん──“精神体”だ」


 咲耶にも解るようにとの配慮からか、説明しながら話す、愁月の言葉の行き着く先。


「私に……綾乃さんの『再生』を行えってことですか」


 咲耶がこの世界にやって来て、和彰の名を呼べるようになってから、繰り返し告げられる自分の利用価値。それを、今回ほど苦く思ったことはない。


「どうしてっ……」


 一度は押さえ込んだ、自分のなかにある、愁月に対する憎悪にも似た憤り。咲耶の身のうちが、燃えるようにたぎった。


「どうして和彰に、あんなことをさせたんですか! 綾乃さんを『再生』させたいのなら、私に言ってくれれば良かったじゃないですか! それを、こんな風に……和彰や犬貴たちを操って……私を従わせようだなんて……!」


 確かに、誰かれ構わず『再生』の神力をふるい、よみがえらせることには抵抗がある。だからこそ、順序立てて話をしてくれさえすれば、咲耶とて無下に断りはしなかっただろう。


 このように傷つけられた姿から察すれば、何か理不尽な暴力にさらされたのかもしれないと、想像できるのだから。


 ふうっ……と、愁月が深く息をついた。


「……咲耶、そなたはまだ、気づいておらぬようだが」


 感情に任せ、憶測のまま愁月を責め立てた咲耶に、無慈悲な神官が低く告げた──思いもよらぬ、ことを。


「そなた自身には、今はなんの価値もない。そなたも自覚しての通り、神力があればこその花嫁。それを失っているそなたは『無価値な供物』でしかない」


 向けられる眼差しは、熱くなった咲耶の心と身体に、冷水でも浴びせるかのような非情なものだった。





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