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悪口は襟首にぶら下がらない

 レイラが倒れ二日が過ぎた。

 体長は随分と落ち着き、もう仕事に戻れると思っていたが、キールはレイラにまだ寝ていろと言い、看病にやってきてくれる。

 暗い地下室の中では、いまいち時間の経過具合が把握しにくく、レイラからするともう何日も眠っているような感覚だったので、焦燥感に駆られていた。

 一刻も早く現場に戻りたい。カミツレ隊の一員として、少しでも力になりたいと考えていたこともあるが、自分が足手まといになってしまうことを何よりも恐れていたのが大きかっただろう。


 そんなレイラの焦燥感を知ってか知らずか、キールはいつもの冷淡な表情で、レイラに半端なまま戻っても余計に足を引っ張ると釘を刺して来た。

 地下室で寝ているだけなのはとても窮屈で、せめて魔術書でも手元にあれば、勉強はできるのにと歯痒く思っていた。

 元来のガリベン性格なレイラからすると、魔法に一切触れられない時間が続くのはとても退屈だった。


「あのう……、キールさん」

「なんだ」


 その日の昼過ぎ、様子を見に来たキールに、レイラはおずおずと訊ねてみた。


「宿舎に置いてある、私の荷物をここに持ってくることはできませんか?」

「……」


 キールはじっとレイラを見つめて来た。いまいち、彼の考えが読み取れず、どこか威圧感のあるキールの眼に見据えられるとレイラは緊張してしまう。

 キールは魔術師を嫌っているようだし、レイラの頼みに対して快諾してくれるとは思えないようにも思えた。

 むかし、魔術師の塔に見張りについたムスティスラフ隊の騎士たちも、魔術師を嫌っている様子だった。だから彼らからは嫌がらせばかりを受けていた。

 なんとなく、その時のことを思い出すと、魔法を嫌う騎士に対して、お願いをするというのは気が引けるが、今レイラが頼みを聞いてもらえる人は、彼しかいない。

 それに、カミツレ隊として何もできないわけではない。


 カミツレ隊は、魔法を国民に広めて理解を深めさせる架け橋の役割だってある。

 魔法を嫌う、カミツレ隊に参加した騎士キールに対し、いつまでも打ち解けられないのは問題だ。

 レイラは、せめて自分にできることはないかと考えあぐね、キールの心を紐解けないだろうかと考えてもいた。


「キ、キールさん?」

「分かった。持ってくる」

「あ、ありがとうございます。あ、あの……」

「まだ何かあるのか」


 言葉も少なく部屋から立ち去ろうとするキールを呼び止め、レイラは少しだけ言葉を捜した。

 もう少し、彼の人となりを知りたいと思った。人間の心は一色ではないとレイラは知っているから、きちんと話せばキールとも仲を深めることができると思ったのだが、キールは振り向いたままに鋭い目を向け、ほとんど背中を向けていた。

 それが騎士が魔術師に対する今の距離感だと言わんばかりだった。


「え、ええと……! その、キールさんは、どうして騎士になったんですか?」

「なぜ訊く」

「……ペトロツクで育ったキールさんが鉱山夫ではなく……、お父様が錬金術師をしているのに、医師にならず……騎士を目指したのには、強い理由があると思ったからです」


 レイラは魔術師特有の理論的な理由でそう返した。

 キールはそのレイラの言葉に、きちんとこちらに向き直り、改めて、レイラを見つめていた。

 どうやら、彼の気持ちを振り向かせるだけの質問の理由になったのだろう。

 きっと、ここでカミツレ隊のために仲良くしたいから、などと言ったら、キールはそのまま背を向けて退室していたように思う。

 ベッドの上のレイラを見つめるキールの眼は、先ほどよりは冷たいものがなくなっていたようにも思えた。


「……この街を出たかったからだ」

「ペトロツクを?」

「私はこの街で生まれ、育った。この石と山の街でだ。この街で育った男は皆、鉱山夫になることが当然のように暮らしている。周りの知人もみな、鉱山夫になった」

「ペトロツクの皆さんが、鉱山夫として働くことを誇りに思っているのは、伝わっています」

「……排他的ではあるがな」


 キールは、フっと笑みを浮かべていた。自虐の笑みだと分かる。美しいかんばせで作り出すその笑みは、薄氷のようにも見える。

 彼自身も、この街に蔓延する昔ながらのしきたりに、どこか辟易としているのかもしれない。


「このまま、この街の中しか知らず、一生を過ごすのかと思うとぞっとしたのだ。だから私は王都へ行き、騎士になることを夢見た」

「意外です」

「そうか?」

「ご、ごめんなさい。なんだか、キールさんは秩序と規律を重んじる方だと思っていたので……」

「騎士として、当然のことだ。騎士になるまでは、その精神は養われていなかった」


 つまり、キールも幼い頃はやんちゃだったのだろうか。現在の彼の振る舞いは、騎士として鍛え上げられた賜物によるものなのかもしれない。

 なんだか、ユーリみたいだと、レイラは考えてしまって、直ぐにその考えを仕舞い込んだ。ユーリの幻影を求めているのが、自分の弱さのように感じたから。


「では、キールさんも、王都の御前試合に挑んだんですか?」

「ああ、苦戦はしたが、どうにか優勝を獲得した」

「す、すごい……!」


 ユーリが御前試合で優勝した時のことをしっかりと覚えているレイラは、そのすごさをよく分かっているつもりだ。キールもまた、確かな実力を持った騎士なのだろう。

 王都で行われる御前試合の優勝者は、ユーリのように即座に騎士として抜擢される。そこから見習い騎士として厳しい鍛錬を繰り返し、一人前の騎士として育っていくのだ。

 ユーリは見習い騎士の過程を終えると共に、親衛隊に抜擢されたが、それはかなり特殊なことだとは分かっていた。

 ユーリ自身もまさか親衛隊に抜擢されるとは思っていなかったと言っていた。

 本来ならば、親衛隊に選ばれるのは、由緒ある家柄を持った貴族であったりするものだからだ。


 キールは、その後見習い騎士として過酷な訓練を乗り越えて、騎士としてここにいるのだと語った。


「あの……、良かったら、見習いの時のことを、色々と教えてもらえませんか?」

「興味があるのか? 汗臭い男のサバイバル生活だぞ」


 汗臭さとは無縁のような涼しい顔をしているキールの問いかけに、レイラはこくん、と子供みたいに頷いた。

 いつしか、レイラはキールの話題に興味津々になっていた。

 それは、心の奥底に押し込めようとしたユーリへの幻影が、キールの語る言葉の端々が、引っ張り出してくるせいだったかもしれない。

 ユーリと同じに、キールも御前試合の優勝者で、見習い騎士になった。

 レイラが知らないユーリの見習い騎士だったころに触れることができるみたいで、キールの見習い騎士時代の話に、レイラは御伽噺を待ちわびる幼子みたいに、彼の言葉を待っていた。

 キールは、そんなレイラに小さく溜息を吐き出した。


「少しだけだぞ」


 そう言ってキールはレイラの傍に椅子を持ってきて、腰掛けたのだった。



 ※※※※※



「隊長、これを……」


 カミツレ隊宿舎の奥、アントンの私室にて、ベラは隠すように持っていた書簡を上司のアントンへと手渡した。

 ベラのその声は、緊迫していてその表情は強張っている。

 アントンは、その書簡を受け取り、ベラとは対照的なほど、普段通りの重たそうな瞼を半開きに中身を読んでいく。


「ふーん」

「ふーんって……! これが本当なら一大事ですよッ?」


 アントンの間延びした声に、ベラは思わず声を大きくしそうになって、寸前で思いとどまった。この話題は誰かに聞かれてはならないのだ。


「まぁ、そうなるかなあとは思ってたからねぇ。ベラ君も、想定はしていたでしょ」

「そ、それは……」


 アントンは顎を撫でさすりながら、小さな灰色の眼を書簡に向けたまま、飄々と言う。

 その書簡は王都から早馬で届けられた重要文書だった。

 内容はカミツレ隊に対しての反対組織であるレジスタンスが暗躍している可能性が高まっているというものだった。

 十分を気を付けろと記載はされているが、まだそのレジスタンスの存在がどのようなものなのかは掴めていないらしい。

 魔法技術を広めるための活動組織であるカミツレ隊を疎ましく思う存在が居るのは分かっていた。


 魔法を毛嫌いする人々は多くいるし、魔法技術が発展することで追い込まれていく産業分野もあるだろう。

 王都から遠く離れた辺境で日々戦っている騎士たちもまた、鬱憤があるらしいと、アントンもベラも、以前のムスティスラフ隊の一見で把握している。


 カミツレ隊が大々的に動き出すことで、少なからず、波風が立つわけだ。

 それが波乱となる気配が高まりつつある。場合によっては内乱の可能性さえ出てくるのだ。騎士が王都に対し、反旗を翻すというのは、クーデターに他ならない。


「……これは念のために、色々と準備しておいたほうが良いかもねぇ」

「どうしますか?」

「初志貫徹ってわけじゃないけど、ペトロツクの任務にきっちり当たっていこうか」

「で、でも……住民は非協力的ですよ。それこそカミツレ隊の反対運動に火を注ぐのでは……」


 不安そうな顔をするベラに、アントンは手紙を懐にしまい、寄り添った。

 触れることはなかったが、それは単なる上司と部下の距離感ではなく、心を許したものでなければ踏み入れない互いの香りが届くような、そんな空間だった。


「怖いかい?」

「いえ、私は平気です」


 アントンは静かな声でベラに問いかける。昼行燈な表情をしている彼の顔を見上げたベラは、アントンの顎にヒゲの剃り残しがあるのを見付けた。

 ベラは、今はカミツレ隊の副隊長だ。それなりの立場にある人間として、不安な姿を誰かに見せてはならない。唯一、それを見せることができるのは、傍にいるだらしない上司――。


「君のことは、命に代えても守って見せるよ」


 アントンの特徴的な言葉のイントネーションは、真面目にそんなことを言っても、どこか腑抜けて聞こえてしまう。

 どこまで本気か分からない彼らしいその声に、ベラは不思議と安心感を覚えてしまう。


「ヒゲ、剃ってください」

「このジョリジョリ感が、触ってて心安らぐんだけどなァ」

「隊長、私は大丈夫です。でも、他のみんなは……」

「もどかしい気持ちはあるだろうけど、今は不安にさせても仕方ない。このことは我々だけの秘密にしとこうか」

「……はい」


 アントンの指示に、ベラも同意せざるを得ない。ただでさえペトロツクの排他的な対応で参っている魔術師は多い。それに合流した三人の騎士もまだどこか打ち解けていないところがある。

 カミツレ隊に援助を申し出てくれた豪商のシャムシン家の当主が傍に居る以上、まだ余裕はあるだろう。

 大商連の一員であるマルクは、方々に顔が利くので、彼を通じて人々に協力を申し立てていくのが今は安全にも思えた。

 幸いにも彼は魔法技術に関心を示しているので、悪いようにはしないだろう。当面は、このペトロツクの開発のために尽力していくという最初の目的を果たすために頑張っていくだけだ。


「あー、ところでベラ君。レイラ君の容態はどうなってる?」

「レイラ自身はもう大丈夫だと言っているようなのですが、医師はもう暫く休ませたほうが良いと……」

「ふぅん。じゃあ、もうちょっとレイラ君は休んでてもらおうか」


 アントンは感情の読めない口調で、そのまま椅子に腰かけると、胸元から小さなネックレスを取り出した。

 それは首から下げた輪につけられた小さな指輪で、随分と古いものにも見えた。

 アントンはそれを軽く、指先で突いて小さな金属音を立てる。キン、と儚く散った音色は集中していないと耳に届かないほど小さい。


「隊長、レイラはやる気はあるんです。今回の事は……」


 ベラが、レイラの評価を落とさないようにとフォローしようとした。確かに、体調不良で仕事も始めたばかりの頃に倒れてしまったのは彼女の落ち度かもしれないが、レイラはそれだけで斬り捨ててしまっていいような人材ではないと信じている。


「うん、だからね。彼女は今は、休んでいて欲しいんだ」

「……? どういうことですか?」

「保険かなぁ。言ったでしょ。念のための準備だって」


 アントンの言葉の意味が把握できず、眉を寄せるベラだったが、彼が指先で弄ぶ指輪をじっと見つめていた。

 その指輪は、アントンの結婚指輪であることを、ベラはなんとなく分かっていた。

 アントンの亡くした妻の形見だということも。


「……キナ臭いんだよねえ、彼」


 ぼぞりと呟いたアントンだったが、その声はベラにもきちんと聞き取れなかった。


 水面下で蠢く何かの思惑が確かに迫っていることだけは感じていたが、カミツレ隊は今は人々の関心を得るためにも献身的に活動していくしかない。

 人の心を動かすのは容易ではない。それも多くの人間となるととても難しい。

 だから、積み重ねが大事なのだ。

 悪事が積み重なれば信頼を落とすように、善行を積めば、人は自ずと惹き込まれていく。

 そういうことができる少女だと、アントンは信じていた。

 このカミツレ隊で最も新米な魔法使いのことを――。

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