18「合宿開始とお兄ちゃん」
走る。山の中を走ったり、追いかけっこをしたり、体育館みたいな所で護身術を習ったり。この一日で私は凄まじくパワーアップをした気がする。
そう、今は風紀委員曰く恐怖の夏合宿の最中なのである。想像していた合宿よりもキツく、辛いものであったりする。
合宿は風紀委員の体を鍛えるのが目的である。だが学生の本分は勉強なので勉強をする時間も設けられている。その時間で宿題したり、勉強したりするのだ。
今は夏合宿一日目の夕方で、夕食まで休憩時間もとい自由時間だ。宿泊する旅館でみんな休息を取っていた。
自由時間になった途端にみんなは温泉に入りに行ったので、私もみんなに習い温泉を入る。やっぱりあんなに汗をかいていたから温泉は気持ちよかった。
温泉から上がり、ロビーを歩いているとソファーに座っている雅先輩を見つけた。雅先輩はどこかを見ているようで私には気付いていない。
視線を追うと、そこには三年生の女子の先輩と話している湊先輩の姿だ。そういえば、前に終壱くんが雅先輩はブラコンだと言っていた。
「あっ、海砂ちゃん」
近くに来ていた私のことにやっと気付き、雅先輩は微笑む。その笑みに返すように私を笑った。
「湊先輩のこと好きなんですね」
「えっ?」
ずっと見てましたよね?そう付け加えると雅先輩は照れたような表情を見せる。照れた表情の雅先輩も美人でこっちの胸が高鳴ってしまう。
「ええ、兄さんは私の理想なの。兄さんと兄妹でよかったってよく思うのよ」
「理想なんですね」
「付き合うなら兄さんみたいな人がいいわ」
湊先輩みたいな人。それはそれで大変そうだと思ったが、口には出さずに心の中でツッコミを入れた。きっと雅先輩が見ている湊先輩はフィルターが入っているんだ。
湊先輩は湊先輩で、終壱くんの親友であるだけの性格である。嫌味っぽい言い回しをする時が多い。人を引っ掻き回すことが大好きだと前に聞いたこともあったりする。
「あれ、二人で湊先輩鑑賞中かなぁ?」
後ろから聞き覚えのある声が聞こえ、振り向く。そこにはお兄ちゃんが笑みを浮かべながら、立っていた。
しばらく三人でおしゃべりを楽しむが、雅先輩が湊先輩に用事を思い出し、その場を離れる。雅先輩がいなくなり、この近くに風紀委員のみんながいなくなっていた。みんな思い思いに夕食までどこか暇を潰しにいったのだろう。
「海砂ちゃんは風呂上がりかなぁ」
そっと髪先に触れ、お兄ちゃんは呟いた。首を傾げ、お兄ちゃんを見るとふふっと微笑まれた。
「昔から海砂ちゃんは髪の毛が半乾きで、いつもおれがきみの髪を乾かしてたなぁって思ってね」
「そうだった」
家にいる時はいつもお兄ちゃんがドライヤーで私の髪を乾かしてくれた。面倒くさがりである私は髪を乾かさずにいるからだ。
「お兄ちゃんは相当なシスコンだよね、妹の髪を乾かすなんて」
雅先輩も流石に湊先輩の髪の毛は乾かさないと思うし。そう付け加えるように言葉を発すると、お兄ちゃんはまだしっとりしている私の髪を優しく撫でた。
「雅のブラコンはただの家族愛の延長みたいなものだから、ねぇ」
ソファーに座っていた私の顔を覗き込む。髪を撫でていた手はそっと私の頬に添えた。
「だけど、おれは海砂ちゃんのことが好きだよ?」
「うん、知ってる」
お兄ちゃんの言葉に時間も置かずに頷くと、はぁと思いっきりため息を吐き出された。それと同時に頬から離れる手。
立ち上がったお兄ちゃんは上から私を見下ろす。その瞳は真っ直ぐと私を見つめていた。
「おれは海砂ちゃんが妹でよかったって思っているよ」
「うん?」
さっきからお兄ちゃんは何を言っているのか分からない。好きだよ、などの言葉はいつも聞く言葉なのに、今日はお兄ちゃんの様子が少し違う気がした。
そんな私の様子に気付いたのか、お兄ちゃんは困ったように笑い、さっきのように優しく私の髪を撫でた。
「もうすぐ夕食の時間だよ、行こうか」
髪を撫でていた手を離し、私の方へ差し伸べる。その手を取ると、優しく手を握られる。
側から見たら私達兄妹の関係はどういう風に映るのだろうかと疑問に思うが、すぐにそんなことないかと首を振る。私達はただの兄妹だ。少しだけ兄がシスコンであるだけの。まぁ、私の方も多少はブラコンが入っているのだと思うが。
「夕食楽しみだね、お兄ちゃん!」
「そうだねぇ」
こんな仲がいい兄妹は滅多にないと思っている。お兄ちゃんには絶対に言わないが、私はお兄ちゃんのことを尊敬している。頭も良くて運動神経も良い、不得意なことがないお兄ちゃんは私の自慢の兄だ。
無意識に零れた笑い声にお兄ちゃんは不思議そうに私を見る。何を考えていたの?と問いかけてくるお兄ちゃんに人差し指を立てた。
「秘密だよ」
「ひどいなぁ、おれは海砂ちゃんに隠し事なんてしないのに」
「いやいや、お兄ちゃんは隠し事しかしないじゃん!」
そう言うとお兄ちゃんは私の真似をするように、唇付近で人差し指を立て「秘密」と呟いたのだった。