機嫌とる『色欲』
絶対にやらん。
そう格好良く独白したはずなのに、僕はこれから瀬能の私物を貰いに行く。
もう本当にどうしようもないくらい格好悪い。
しかし、それには理由がある。
僕が格好良くモノローグをキメていると、不意に苦々しい表情の薫が動き出した。
行動を起こした、といった方が良いかもしれない。
「……これだけは出したくなかったが」
そう前置きしておもむろにケツポケットから大事そうに封筒を取り出した。
……大事なものならせめて胸ポケットに入れてくれないかな。
なんとなくイヤな臭いを発していそうなので受け取りたくないのだけど、僕に押し付けてくるので、仕方なく受け取った。
そして、よくよく見てみるとそこにはとある印が押してあった。
「こ、これはっ!?」
その印に驚愕した。僕の喉はからからに干上がって、動悸がする。耳鳴りが酷い。頭痛で頭がキリキリする。
僕が女性達を見学するために開いていた窓から入ってくる風が妙に肌寒く感じるくらい、体感温度が急激に下がった気がする。
「円翔会の指示だと……っ!?」
薫が取り出した封筒に押されている捺印は僕らがつい去年まで在籍していた円山中学OB会――通称円翔会の署名が入った封筒だった。
封を開くとそこには「住吉高良に瀬能仄の私物を頂戴してくる任を与える」とある。
「薫……お前、なんて汚い手を……」
「なんとでも言え」
いいながら中学連盟の署名入りの書状を見せてくる。これを見せられて行動を行わなかった場合中学連盟の共有財産であるお宝本や会費によって買い集めた収集品の観賞が出来なくなる。
そうなってしまえば、僕はもはや中学の友達を失ったといってもいい。というか友達以上に大事なものを失うことになる。
こうなった以上、癪だがやるしかなかった。
本日、快晴ナリ。
けれど、僕の心には黒い雲がかかっている。今にも雨が降り出しそうなこの心境にしっかりと蓋をして、僕は本日登校した。
日頃、学校に来ることに不安や面倒を覚えない僕でも、今日ばかりは胃がキリキリと痛んでいる。
そんななか、ターゲットを発見。
いつもなら何も気にせず話しかけられる彼女に対してどうにも声をかけるのが憚られる。
しかし、席は目の前。
話しかけないわけにもいかないし、なにより円翔会からの指示は全うしないことには僕に明日は来ない。
なので、僕は努めて冷静にいつもの調子で話し掛ける。
「ヤァ、セノウサン。キモチノイイアサダネ」
「…………変なクスリでもキメてきたの?」
まったく調子が出ない。
僕の言葉から異様な雰囲気を察知したのか、はたまた殺されやしないかと青くなった僕の顔を見たからか、引き気味のお言葉が返ってきた。
しかし、僕はめげずに話し掛ける。やはり、私物を頂こうというのだからここは褒めて気持ち良くなってもらおう。
「イヤァ、ボクハイツモドオリサ。ソシテ、セノウサンモイツモドオリキレイダネ」
「――っ!? わかったわ、貴方、スミキチの偽物ね!」
僕の褒め言葉に身悶えしながら、顔を指し云った。
「ふっふっふ、私を欺こうったってそうはいかないわよ。本物のスミキチはそういうキザったらしいことは云わないわ。アイツの口から出るのはいやらしい言葉ばかりだもの」
「その認識には苦言を呈す!」
僕はそんなにいやらしいことを云った覚えはない。特にコイツの前では。恥ずかしいとか効果がないとか以前にコイツの前で女子をそういう視線で見ているのがバレると鉄拳制裁があるからだ。
「あら……その微妙におざなりなツッコミは本物ね」
ほっとけ。
「で、どういう風の吹きまわし? アンタが私を褒めるなんて? ……そう、ついに私の魅力にクラリときっちゃったのね。まぁ、アンタがその気なら男除け用のダミーの彼氏にしてあげてもいいわよ?」
「――っ!?」
雰囲気演出のためか顔をほんのり赤くして、流し目でそういう彼女はとてつもなく可愛い――というかセクシーな色気があった。中学の頃の何も知らない僕じゃなくても、これはころりといってしまうそうな魅力がある。
が、これが軽口だったり罠であったりすることはお見通しだ。これで本気で落ちるようなら、彼女は僕との交友をやめるかもしれないし、最低でもこの件をネタに僕をからかって遊ぶことは明白だ。
「魅力的なお誘いだが、僕はみんなのものなのさ」
フッ、とニヒルな笑みを返す。
すると、瀬能の視線がスッと冷静なものに戻った。
……これはアレだよ。絶対的な零度だよ。エターナルでフォースなブリザードだよ。
僕の心が凍りつくわずか手前で瀬能が口を開く。
「あっそ。……じゃあ、一体その不可解で不愉快な朝の挨拶はなんなのよ?」
「いやー、ははは……」
さて、ここで本題にいくべきか。流れ的には悪くない。いや、正確に云うならば良くはないがタイミングとしては切りだしやすい。
しかし、機嫌的にはそこまで良くもなさそうだ。
僕が何を言おうかと考えあぐねていると、見かねた様子の瀬能が口を開く。
「まぁ、どういうつもりか知らないけれど、やめてよね。なんか変な気分になるから」
「それはつまりアレか? 僕の言葉にときめいてしまったと?」
「…………」
「ごめんなさい。黙ります」
顎を引いて目を伏せて怒っている様子の瀬能を見て、僕は自分の軽口を一刀両断した。なんだよ! お前がやったことと同じことをしただけだろ! と抗議しようかとも思ったが、今彼女に機嫌を損ねられるのはよろしくない。
僕の大事な知的財産が閲覧禁止になってしまう。その事態は避けなければなるまい。その為にも苔の一念で押し通る。
……『苔の一念』の使い方あってるっけ?
まぁいい。そんなものは些事だ、些事。
「で? どういうつもり?」
さて。なんというべきか。
考えあぐねる僕。
それを見て瀬能が一言。
「これ以上ヘンな冗談を続けるなら、命はないとおもいなさい」
「じつは中学の連中に頼まれて、瀬能の私物を頂きに参りましたー!」
命の危機と云われてはそれはもう本当のことを話すしかないじゃないか。「ノ―エロス、ノーライフ」を信条とする僕といえど、流石に比喩でなくノーライフになる気はさらさらない。
え? こんな正直に言ったら何も貰えない? そしたら、共有財産を手放すことになる?
大丈夫、共有財産が死んでも個人財産はいるもの。
女の子可愛い可愛いと云っておきながら、結局わが身が一番可愛いということである。フェミニストの風上にもおけないような僕のであったが、死んでしまっては元も子もない。
いや……死んで幽霊になれたら女子風呂除き放題じゃね? という素晴らしいパラダイス計画が脳裏をよぎったが、それよりも生身で女子と物理的にお近づきになる方が良いことに気がついた。
こうなっては仕方がないと洗いざらい吐き出した。
腸をぶちまける勢いで。
「瀬能にぶちまける」というフレーズでなんとか平静を保っていたことをここに明記しておこう。いや、別に深い意味はないが。
僕の話を聞き終えた瀬能はしばらくだんまりを決め込んだ。
いかなジャッジが下るのか戦々恐々とその時を待つ僕。
幻覚でギロキンが見えてきた辺りでなんかダメだと思った。
しかし、帰ってきたのは意外な答え。
「はぁ……仕方ないわね。消しゴムとかでいい?」
「え?」
「なによ、消しゴムじゃダメなの? 注文が多いわね」
「いやいやいや、消しゴムで十分ッス! っていうかくれるの?」
予想ガイです。
ここにきてまさかのデレ期キターーーー!!!! とか思ったがそれを口にした瞬間、物凄い勢いで掌返しをされそうだったので心の内で呟くに留める。
「まぁ、ちょっと気持ち悪い気もしなくはないけど。消しゴムくらいなら別にいいわよ。ちょうどそろそろ新しくしなきゃと思ってたし。その代わり、ちゃんと新しいの買って返してよね」
「そりゃあ、勿論!」
その程度の出費ですむなら安いものだ。
「じゃあ、早速……」
「ちょい待ち。次の授業中、私に何一つミスるなって言うつもり? 放課後まで待ってなさい」
「俺の分けてやろうか?」
「なんで、わざわざ余計使いにくそうなの使わなきゃいけないのよ……けど、そうね。一応貰っておこうかしら。アンタの私物も結構使えそうだし」
最後の一行が僕の耳に鮮明に入ってきた瞬間、頭の中で種が割れた。
「それはつまりアレか! 僕の私物を欲しがる女子がいるということか!」
「……悔しいけど、その通りよ」
苦々しげにそう呟く瀬能。
「ついに僕の時代が来た!」
ふざけた時代へようこそ。わが生涯に一片の悔いなし!
拳を天にかざし、今にも昇天してしまいそうな心地だぜ。
「これを人形の中にいれて五寸釘で打つんですって」
「丑の刻参り!?」
最大級の嫌われようだ。一体、今の時代でなにをしたらそこまで嫌われるのであろう。
「ちなみにそれ以外の用途で使いたいという女子も多いわ」
「……一応聞いておくがどういう利用を?」
「そんな悪いことじゃないわ。『祝い事』に近いは……字面は」
「呪い事!」
五寸釘以外でもやることは変わらないらしい。
これがただの彼女の嫌がらせだと信じたい。
「ん」
意気消沈の僕の前に手が差し出される。
綺麗で細い手だ。
条件反射のようにそれ手を掴み、握手する。
すべすべしていてまるで陶器のような肌だ。
「……なにしてんのよ」
「お前の手を観察している」
「あんだけ言われたんだから、ちょっとは落ち込んだりしょげかえったりしてみなさいよ」
「馬鹿野郎。それはソレ、これはコレだ。目の前に美少女の手を差し出されたら掴まない理由がない。たとえそれが僕の心に傷を与える相手の手であっても、だ」
「一言多いわよ……って、一応心に傷は負ってるのね」
地味に致命傷である。
「じゃあ、これは仲直りの握手かなにかか?」
「違うわよ。そもそも喧嘩してたつもりはないんだけど」
俺も別に喧嘩のつもりはない。
「じゃあ、この手はなんだ? 握手会か?」
CDを買った覚えはないが。
「違うわよ。消しゴムを寄こしなさい」
「女王様かよ……まぁいいけどよ」
約束だからな。
しかし、瀬能が僕の消しゴムを受け取るということはそれ即ち、先ほど話した内容は本当なのかもしれない。
ただの悪ふざけとばかり思っていたが、そう安心してもいられないようだ。
僕は筆箱から消しゴムをひとつ取り出して手渡す。
「じゃあ、お前のくれよ」
「後でね」
「なんだよ、代わりのやったから、もういいんじゃないのか?」
「女には色々と準備が必要なのよ」
「消しゴム渡すのに必要な準備ってなんなんだよ……」
とはいうものの強くいうことは出来ずに、僕は結局昼休みまで待つことになった。
その日の帰りにお隣の薫の家へと瀬能の消しゴムを届けにいった。
「ありがとな! 一生恩にきる!」
玄関先で床に頭突きする勢いでジャパニーズ・ドゲザする残念な幼馴染を可哀想な目で眺めて、帰宅した。
結局、瀬能のいう「準備」とやらが何なのかは僕にはわからなかったが、ミッションはクリアしたのでよしとしよう。