第26話 「氷姫ユリア」
宣戦布告があってから、数日。拠点の防御強化と、トムたちの訓練に追われる日々が続いていた。
「――マスター、北の村から救援要請だ!」
ある朝、見張りに出ていた新人の一人が、慌てた様子で駆け込んでくる。
「何があった」
「魔物の襲撃、らしいんですが……どうも、様子がおかしいって話で」
「様子がおかしい?」
眉をひそめながら、装備を整える。ロビン、メイ、リオンも、すぐさま準備を始めた。
「詳しくは分からねぇのか」
「はい、報告に来た村人も、かなり動揺していて……ただ、『氷の魔法使い』が村を襲ってる、とだけ」
その言葉に、嫌な予感が走った。
「氷の魔法使いねぇ」
記憶を辿る。フィリアから聞いた情報の中に、確か、そんな異名を持つ者がいたはずだ。
「四天王の一人か」
「可能性は高いですね」
メイが、冷静に補足する。
「氷姫ユリア。神託連盟四天王の一人で、氷魔法の使い手だと、以前フィリア様から伺いました」
「よし、行くぞ」
剣を腰に差し、北の村へと急いだ。
* * *
現場に到着すると、村が一面、凍りついていた。木々も、地面も、うっすらと氷に覆われている。
村人たちは、遠巻きに避難し、恐怖の表情で状況を見守っていた。
「あら」
凍りついた村の中央に、一人の女性が立っていた。青みがかった銀髪に、冷たい印象の美貌。手には、精緻な装飾が施された杖を携えている。
「噂の星屑の誓約が、わざわざお出ましとはね」
女性ユリアは、こちらを見下すような視線を向けてきた。
「お前がユリアか」
「あら、失礼ね。氷姫ユリアと呼びなさい」
傲慢な口調で、ユリアが答える。
「ガルドを倒したって聞いて、どんな猛者かと思ったら……思ったより、冴えない顔してるじゃない」
「余計なお世話だ」
「ふふ、口の利き方も、随分と粗野ね。神託連盟の品位を見習った方がいいんじゃないかしら」
馬鹿にするような笑みを浮かべながら、ユリアは杖を構えた。
「でも、まあいいわ。あなたの実力、この目で確かめさせてもらう」
「その前に、村を襲ってる理由を聞かせてもらおうか」
「理由? そんなの、決まってるでしょう」
ユリアは、肩をすくめながら答えた。
「あなたたちを、おびき出すためよ。村人を人質にすれば、すぐに来ると思ったの。案の定だったわね」
その言葉に、怒りが、静かに込み上げてきた。
「村人を、道具扱いか」
「あら、怒った? でも、効果的な方法だったでしょう?」
ユリアは、悪びれる様子もなく、くすくすと笑う。その余裕に満ちた態度が、余計に神経を逆撫でした。
「メイ、ロビン、リオン。村人の避難を優先しろ。こいつは、俺が相手する」
「大丈夫か、セロ?」
ロビンが、心配そうに尋ねてくる。
「問題ねぇ」
短く答えて、剣を構えた。ユリアは、その様子を見て、小さく笑う。
「一対一で挑むつもり? 随分と余裕ね」
「余裕とかじゃねぇ。お前を、ここで止める。それだけだ」
「それじゃ――始めましょうか」
ユリアが、杖を高く掲げた。その瞬間、彼女の周囲の空気が、目に見えて変わる。気温が急激に下がり、吐く息が白く染まった。
「見せてあげる。これが、神託連盟四天王の、本当の力よ」
杖の先端に、淡い青白い光が収束していく。光は、次第に輝きを増し、やがて、彼女の頭上に、巨大な魔法陣として展開した。
一つではない。
二つ、三つ、四つ――ユリアを中心に、次々と魔法陣が虚空に浮かび上がっていく。それぞれの魔法陣が、複雑な氷の紋様を刻みながら、青白い光を放っていた。
「な……!?」
思わず、息を呑む。これほどの規模の魔法陣を、同時に展開する魔法使いなど、ゲーム時代でも、滅多にお目にかかれなかった。
「氷晶乱舞――降り注げ」
ユリアが、静かに詠唱を紡ぐ。
その瞬間、八つに増えた魔法陣から、無数の氷の礫が、一斉に放たれた。
「ッ――!」
咄嗟に、地を蹴って横へと跳ぶ。直後、先ほどまで立っていた場所に、鋭い氷の礫が、雨のように突き刺さった。
ガガガガガッ!
まるで機関銃の掃射のような音が、連続して響き渡る。地面が、瞬く間に、無数の氷の切っ先で埋め尽くされていった。
「おいおい、マジかよ……!」
転がりながら躱す。礫の一つが、頬を掠めた。鋭い痛みとともに、一筋の血が流れる。
「どう? これが、範囲攻撃の本領よ」
ユリアが、余裕の笑みを浮かべながら、次の魔法陣を展開していく。先ほどとは、また違う紋様が刻まれていた。
「まだまだ、これからよ」
ユリアの杖が、地面を指し示す。
「氷結の牙――突き上がれ」
その瞬間、足元の感触が、異様なものに変わった。
「――ッ!」
反射的に、横へと跳躍する。直後、自分が立っていた地面を突き破って、巨大な氷の尖塔が、轟音とともに突き上がった。
一本だけではない。
走る進路の先々で、次々と、地面を突き破って氷の岩が生え上がってくる。まるで、進む道そのものを、氷の牙で塞ごうとしているかのようだった。
「くっ……!」
右に跳び、左に跳び、転がり、再び跳ぶ。一瞬でも判断を誤れば、串刺しにされていただろう。
全身の感覚を研ぎ澄ませながら、氷の牙の隙間を縫うように、走り抜けていく。
「あら、思ったより、動けるじゃない」
ユリアが、少し驚いたように眉を上げた。だが、その表情に、焦りはない。むしろ、楽しんでいるようにすら見えた。
「それなら――これはどう?」
ユリアが、杖を大きく振るう。空中の魔法陣が、さらに数を増し、今度は、十二の陣が、ユリアを取り囲むように展開された。
「氷の嵐、吹き荒れろ」
その言葉とともに、全ての魔法陣から、同時に、氷の礫と、氷柱が、複合的に放たれ始めた。
上空からは、鋭い礫の雨。
地面からは、突き上がる氷の牙。
二つの攻撃が、同時に、しかも連続して襲いかかってくる。
「――これは、さすがにキツいな!」
思わず、本音が漏れた。回避だけに専念しても、全てを躱しきれるかどうか、分からない。
剣を構え直し、迫る礫の一部を、斬り払った。甲高い音とともに、氷の破片が飛び散る。
だが、その隙に、足元から新たな氷の牙が突き上がってきた。
「ッ――!」
咄嗟に、剣を地面に突き立て、それを支点にして体を跳ね上げる。間一髪、氷の牙が、すぐ足元を掠めて突き抜けた。
着地と同時に、頭上から降り注ぐ礫の雨を、横に転がって躱す。息をつく間もない、連続した攻防だった。
「はぁ……はぁ……」
荒い息を吐きながら、改めて、戦況を分析する。
(このままじゃ、防戦一方だ。どうにかして、攻勢に転じねぇと)
だが、迂闊に距離を詰めれば、集中砲火を浴びることになる。かといって、距離を取り続ければ、いずれ、どこかで対応しきれなくなる。
「あら、まだ立ってるのね。さすが、ガルドを倒しただけのことはあるわ」
ユリアが、感心したように言いながら、新たな魔法陣を展開していく。
「でも――そろそろ、終わりにしましょうか」
彼女の頭上に、これまでで最大の魔法陣が、ゆっくりと形成されていった。
他の全ての陣を上回る規模の、巨大な氷の紋様。
「氷帝降臨――全てを、凍て付かせなさい」
その瞬間、巨大な魔法陣の中心から、極太の氷の柱が、天を衝くように出現した。
それが、ゆっくりと、こちらへと傾いていく。まるで、巨大な氷の刃が、そのまま振り下ろされるかのように。
(あれを受けたら、さすがにヤバい)
直感が、そう告げていた。真正面から受け止められる攻撃ではない。かといって、この規模の一撃を、単純に避けきれる保証もなかった。
周囲の地形を、瞬時に見渡す。凍りついた地面。先ほどの攻防で、既にあちこちに突き立った、無数の氷の牙と氷柱の残骸。
(――あれを、利用する)
考えるよりも先に、体が動いていた。地を蹴り、迫る巨大な氷柱の軌道から外れるように、斜めに走り出す。
「無駄よ! その規模の一撃、避けきれるわけ――」
ユリアの言葉が、途中で止まった。
目の前に立ちはだかっていたのは、先ほどの攻防で突き立った、氷の牙の残骸だった。
それを、剣で斬り崩しながら、足場として跳躍する。
「――ハァッ!」
氷の破片を蹴り砕きながら、空中で体を捻る。巨大な氷柱が、すぐ脇を轟音とともに通過し、地面に突き刺さった。大地が、大きく揺れる。
「は……?」
ユリアが、呆然とした声を漏らした。自分の最大の一撃を、躱されたことが、信じられないという様子だった。
「残骸、利用するなんて……」
「お前が、散々、地面に氷の牙生やしてくれたおかげだよ」
着地しながら、短く答えた。
「足場にはちょうど良かった」
ユリアの顔に、初めて、明確な焦りが浮かぶ。
「くっ……まだよ、まだ終わってない!」
再び杖を構え、新たな魔法陣を展開しようとする。だが、その動きは、先ほどまでと比べて、明らかに精彩を欠いていた。
(好機だ)
地を蹴り、一気に距離を詰める。
氷の牙が、慌てたように足元から突き上がろうとするが、既に、その軌道は読み切っていた。
一つ、二つと、斬り払いながら突き進む。
「な、近づ――」
「終わりだ」
剣の間合いに入った瞬間、迷わず、剣の腹で、ユリアの杖を弾き飛ばした。
杖が、宙を舞い、地面に突き刺さる。
「あ……」
ユリアが、呆然と立ち尽くす。武器を失った彼女に、それ以上、戦う術はなかった。
「……負け、たの? 私が?」
信じられない、といった様子で、ユリアが呟く。
「終盤、だいぶ雑になってたな」
静かに告げた。
「最初の方は、本当に厄介だった。空中の魔法陣から礫の雨、足元から氷の牙。あの二段構えは、正直、肝が冷えたよ」
「それなのに……なんで」
「お前が、最後の一撃に、全部賭けすぎたんだよ」
剣を鞘に収めながら、続けた。
「あれだけの魔法陣を同時展開して、さらに最大規模の一撃まで撃とうとすれば、魔力にも、集中力にも、限界が来る。その隙を、突いただけだ」
ユリアは、唇を噛みしめながら、こちらを睨みつけてきた。
だが、その目には、先ほどまでの傲慢さは、もう残っていない。
「……村人たちを、巻き込んだことは、謝らねぇのか」
改めて尋ねると、ユリアは、わずかに視線を逸らした。
「……総帥の指示、だったから」
「指示だから、何でもやるのか」
「仕方ないでしょう。神託連盟で生き残るには、結果を出すしかないんだから」
その言葉に、込められた何かを、少しだけ感じ取った気がした。
傲慢な態度の裏にある、組織の中で生き残るための、必死さのようなもの。
「――行け」
静かに、告げた。
「え?」
「今日のところは、見逃してやる。だが、次に村人を巻き込むような真似をしたら、容赦しねぇからな」
ユリアは、しばらく、信じられないといった表情で、こちらを見つめていた。それから、杖を拾い上げ、無言のまま、踵を返す。
「セロ、だったわね」
去り際、ユリアが、一度だけ振り返った。
「覚えておく。あなたの名前」
それだけ言うと、ユリアは、森の奥へと姿を消していった。
* * *
「村人たちは、無事です」
避難誘導を終えたメイが、戻ってきて報告する。
「怪我人もいません」
「そうか、よかった」
安堵しながら、改めて自分の体を見下ろした。頬の傷以外は、目立った怪我はない。
だが、全身が、ひどく重かった。
「にしても、マスター、見事な戦いっぷりだったな」
ロビンが、感心したように言う。
「あの氷の嵐、遠目に見てただけでも、尋常じゃねぇ威力だったぞ」
「力押しじゃなく、ちゃんと戦術で勝負してたし」
リオンも、興奮気味に付け加えた。
「最後の、氷柱を足場にした跳躍、マジでかっこよかったぜ!」
「褒めすぎだ」
苦笑しながら答えた。
「正直、途中までは、防戦一方だった。あの魔法陣の数と、礫と氷柱の同時攻撃には、さすがに肝を冷やしたよ」
「でも、ちゃんと勝ったでしょう」
メイが、静かに言う。
「力だけじゃ、どうにもならねぇ相手もいるからな」
肩をすくめながら答えた。
「それより、気になることがある」
「気になること?」
「ユリアの最後の態度だ。あいつ、最初は余裕たっぷりだったが、最後は、何か迷ってるような感じがした」
メイが、静かに頷く。
「神託連盟内部にも、一枚岩ではない何かがあるのかもしれませんね」
その言葉に、小さく頷いた。神託連盟という組織の中にも、様々な思惑や葛藤が渦巻いているのかもしれない。
(この対立、ただの力比べじゃ終わらねぇかもな)
そんな予感を抱きながら、村を後にした。




