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「天才」 第二部 奮闘  作者: ドライサーの小説の翻訳作品です
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第22章

 

 ユージンがそんな気分でぼんやりしたり、働いたり、夢を見たり、願い事をしていると、ある日リバーウッドの母親の家にカルロッタ・ウィルソン……引っ越し先での名前はノーマン・ウィルソン夫人……がやって来た。背が高いブルネットの三十二歳になる、イギリス風の美人で、スタイルがよく、優雅で、天性の知性とユーモアのセンスだけでなく人生の光と影の両面を見せてくれた幸運と不運の経験とが混ぜ合わされて作られた世の中の知識を備えていた。まず第一に彼女はギャンブラーの妻だった……しかもプロであり……紳士の務めを果たそうとし、その役割を演じ、付き合いのある仲間であっても油断している相手からは容赦なく金を巻き上げるというあの特殊な種類のギャンブラーだった。当時マサチューセッツのスプリングフィールドで母親と一緒に暮らしていたカルロッタ・ヒバーデルは、両親と一緒に見物していた一連の地方競馬で、たまたま別の用件でそこに居合わせたウィルソンに出会った。カルロッタの父親は不動産屋で、一時はかなり羽振りがよく、競馬には目がなく、名声こそなかったが価値ある経歴をいくつか持っていた。ノーマン・ウィルソンは自ら不動産の投機家を装い、いくつかかなり成功した土地取引を手掛けていたが、彼の本領と拠り所はギャンブルだった。街中のあらゆるギャンブルの場に精通し、ニューヨークやその他の地域のギャンブル好きを男女を問わず大勢知っていた。彼の幸運と腕前は時々驚異的だったが、そうでない時はかなり悲惨だった。最高のアパートに住み、最高のレストランで食事をとり、最高の地方の行楽地に出かけ、その他にも友だちとの付き合いを楽しんで、ゆとりのある生活を過ごせた時期があった。かと思えば不運に見舞われて、こういうものに興じる余裕どころか、財産を守るのに必死で、そのために借金をしなければならないときもあった。物事の解釈の仕方がどこか運命論者的で、自分の運は好転すると信じて頑張った。もちろん、必ず好転した。 問題がどんどん大きくなり始めると、ノーマンは盛んに考えて、いつも自分を救い出すのに役立つ何かのアイデアを生み出した。彼の計画はいつも、クモのように巣を張り、そそっかしいハエがうっかり飛んで来るのを待つことだった。

 

 結婚したとき、カルロッタ・ヒバーデルは、自分の情熱的な恋人のおかしな傾向と微妙な執着を知らなかった。彼のような男性はみんなそうだが、愛想がよく、説得力があって、情熱的で、熱心だった。ノーマンにはある種の猫のような魅力があって、それがまたカルロッタを惹きつけた。そのときカルロッタはノーマンを理解できなかったし、その後も決して理解することはなかった。後にノーマンがカルロッタだけでなく他の者にまで見せた放埒ぶりは、カルロッタを驚きあきれさせた。カルロッタは、ノーマンが身勝手で傲慢、自分の得意分野以外は底が浅く、芸術性、感性、詩情のかけらもないことを知った。お金があるときのノーマンは(彼の理解の及ぶ範囲で)周囲の物質的な優雅さにとことんこだわる傾向があったが、残念ながらカルロッタは彼がそいうものを理解していないことに気がついた。カルロッタや他のみんなに対するノーマンの態度は、頭ごなしで、尊大で、見下していた。ノーマンの大げさな物言いは、ある時はカルロッタを激怒させ、またある時は面白がらせた。最初の情熱が冷めて、ノーマンの虚像を見透かして彼の目的や行動がわかり始めると、カルロッタは関心がなくなり、やがてうんざりした。精神年齢が高すぎる女性だったので、ノーマンが相手では大した喧嘩にならなかった。彼女は人生全体に対する関心が薄過ぎたので本気で向き合うことができなかった。彼女の唯一の情熱は、ある種の理想的な恋人をさがすことだったが、彼を完全に誤解していた彼女は、果たして理想的な男性などいるのだろうかと思いながら目を外に向けた。

 

 二人のアパートにはいろいろな人がやって来た。ギャンブラー、享楽に飽きた上流階級の男たち、採鉱の専門家、投機家などで、夫人を同伴するときもあればしないときもあった。カルロッタはこういう人たちや自分の夫や自分の観察から、あらゆる種類の悪党、身分の釣り合わない夫婦、気質の不一致に見られるおかしな症状、性欲に駆られた変人たちについて学んだ。カルロッタは容姿端麗で、気品があり、付け込まれやすい態度だったので、彼女に向けられる申し込み、口説き、ほのめかし、遠回しな誘いは後を絶たなかった。そういうのにはとっくの昔に慣れっこになっていた。夫が公然と自分を捨てて他の女に走り、しかもそれを事もなげに告白したものだから、他の男性から自分を遠ざける正当な理由を見出せなかった。彼女は微妙なセンスで慎重に恋人を選んで、熟慮の末に自分を大いに楽しませた相手と関係を始めた。ある種の能力を兼ね備えた、洗練さ、感性、知力の持ち主を求めていたが、そういう人はそう簡単に見つからなかった。カルロッタの長い不倫遍歴はこの物語には関係ないが、彼女の性格に与えた影響は大きかった。

 

 カルロッタはほとんどいつも、ほとんどの人にそっけない態度をとった。うまい冗談や話をすると心から笑った。とても例外的な性格を有する作品……写実主義……以外の文学に興味がなく、こういうものは特定の購読者以外には許可されるべきではないと考えた。それにもかかわらず他の本には全然興味がなかった。絵画……真の名画……には心が惹かれた。レンブラント、フランス・ハルス、コレッジオ、ティツィアーノの絵が大好きで、カバネル、ブグロー、ジェロームの裸体画なども、分け隔てせずに官能的な観点からとらえた。カルロッタにすれば、彼らの作品にはリアリティがあり、偉大な想像力によって光があてられた。彼女が関心を持つのは主に人間で、人間の心の気まぐれ、性格の特異性、嘘、ごまかし、取り繕い、恐怖だった。カルロッタは自分が危険な女であるとわかっていて、モナ・リザの口元に見られるような薄笑いを浮かべながら猫のように静かに歩いた。しかし自分のことは心配しなかった。ありあまるほどの勇気があって、同時に寛容で、欠点を大目に見る、情け深い人だった。寛容も度が過ぎると言われてカルロッタは答えた。「どうしてだめなの? 私はこんなにすてきなガラスの家に住んでいるのよ」(訳注:ガラスの家に住む人は石を投げてはいけない。石を投げ返されたら自分の家がこわれるから)

 

 今回実家を訪れた理由は、夫が一時的にカルロッタを事実上見捨てたからだった。彼女の推測どおり、夫がシカゴにいたのは主にニューヨークの大気が彼にとって熱くなりすぎてきたからだった。カルロッタはシカゴが嫌いなのと、夫と一緒にいるとうんざりしたので、一緒に行くのを断った。ノーマンはカルロッタの不貞を疑って憤慨したが、彼にはどうすることもできなかった。カルロッタは冷淡だった。それにカルロッタには夫の財産の他にも金の出どころがあり、金なら手に入れることができた。

 

 ある金持ちのユダヤ人がカルロッタとの結婚を望んで、何年もの間彼女に離婚を迫っていた。相手の車もお金も自由にできたが、カルロッタはどうとでもとれる儀礼的な応対しかとらなかった。男がカルロッタに電話をして、車でお邪魔してもいいですかと尋ねるのは普通の日課になった。男は三台持っていた。カルロッタはすげなくこの大半を受け流して「何の御用?」と問い返すのが常だった。夫は時々、車なしで出かけることがあった。カルロッタには好きな服を着て好きな時にドライブする金があり、面白い外出にもたくさん招待された。母親は、娘の独特な態度も、娘の結婚の問題も、娘の言い分も、娘の浮気性もよく知っていた。離婚して再婚して次こそ幸せをつかむ権利を娘に残しておきたかったから、最善を尽くして娘に自重させた。しかし、ノーマン・ウィルソンは有力な証拠が自分に不利に働いても、やすやすと法的な別居を認めるつもりはなかった。もしも娘が自分の立場を危うくすれば望みはなくなるだろう。娘はすでに自分の身を危険にさらしてしまったかもしれないと半信半疑だったが、自信は持てなかった。カルロッタのことはよくわからなかった。ノーマンは家族の反目の原因を公然と訴えたが、大部分は嫉妬に基づくものだった。彼にも確かなことまではわからなかった。

 

 カルロッタ・ウィルソンはユージンについて聞いたことがあった。ユージンの評判までは知らなかったが、彼と彼の存在についての母親の慎重な発言と、彼が芸術家であることと、彼が病気であり健康上の理由で肉体労働者として働いている事実は、彼女の関心を呼び覚ました。夫の留守中はナラガンセットで友人たちと過ごすつもりだったが、その前に自分の目で確認するために数日実家に戻ることに決めた。母親は直感で、娘がユージンに好奇心を持ったと疑った。娘が興味をなくすことに期待して、彼は長くはいないかもしれない、とそれとなく口にした。奥さんだって戻ってくることになっていた。カルロッタはこの牽制を見抜いた……これは自分を遠ざけたいのだ。カルロッタは行くことに決めた。

 

「こんなときにナラガンセットへ行くなんてごめんだわ」カルロッタは母親に言った。「疲れちゃった。ノーマンのおかげで神経がすり切れたわ。一週間ほど帰ろうと思うんだけど」

 

「いいわよ」母親は言った。「でも、これからは自分の行動に気をつけなさい。ウィトラさんはとても立派な方のようよ。それに幸せな結婚をされているわ。無闇に彼の方を見るんじゃありませんよ。あなたがそんなことをするようなら、彼をここに置いてはおきませんからね」

 

「まあ、ずいぶんな物言いね」カルロッタは怒って答えた。「少しは娘を信頼してほしいわ。私はその人に会いに行くわけじゃないのよ。疲れたからだって言ったでしょ。来てほしくないんなら行かないわよ」

 

「そんなつもりじゃないわ。歓迎するわよ。でも、あなた、自分の立場をわかっているわよね。慎重に行動しないで、どうやって自由を手に入れるつもりなの? わかってるわよね、あなたは……」

 

「ねえ、お願いだから、古い話を蒸し返さないでよ」カルロッタは予防線を張りながら叫んだ。「そんなことをして何の役に立つの? 散々話し合ったわよね。どうせ私はどこにも行けないし、お母さんが騒ぎたがってること以外は何もできないわ。静養でもなきゃ今さらそんなところへ行くもんですか。どうしてお母さんはいつも何でもつぶしにかかるのかしら?」

 

「でも、まあ、これでお前にも十分伝わったよね、カルロッタ?」母親は繰り返した。

 

「じゃあ、やめるわ。私は行きません。何よ、あんな家。私はナラガンセットへ行くわ。お母さんにはうんざりよ!」

 

 母親は背の高い自分の娘を見た。優雅で、美しく、黒髪をふっくらと畳んで分けていて、苛ついているが、それでも力と能力に満足していた。もし彼女が慎重で用心深くなりさえすれば、さぞかし立派な人物になるかもしれない! 顔の色はオールドローズ系のアイボリー、唇は濃いラズベリー、目は青みがかったグレイで、眉間が広く、ぱっちりしていて、思いやりがあって、優しそうだった。最初にどこかの立派な大物と結婚しなかったことが悔やまれた。たとえセントラルパークウェストに住み、比較的豪華なアパートを持っていたとしても、あのギャンブラーと結ばれたのは間違いだった。それでも貧乏やスキャンダルよりはましだが、自己管理を怠れば両方ともありえる話だった。母親は娘と一緒にいたかったから、娘にリバーウッドに来てもらいたかったが、節度はわきまえてほしかった。おそらくユージンなら切り抜けてくれるだろう。確かに彼は態度も発言も十分に控えめだった。母親はリバーウッドに戻った。カルロッタは矛を収めて母親の後を追った。

 

 ユージンは仕事に行っていたからカルロッタが到着した日の日中に彼女に会うことはなく、カルロッタもユージンが夜帰宅したとき彼に会わなかった。ユージンは古いひさし帽をかぶり、しゃれた革の弁当箱を気取って片手で持ち運んだ。自分の部屋に行って、入浴し、服を着て、それからポーチに出て夕食の鐘が鳴るのを待った。ヒバーデル夫人は二階の自室にいた。「いとこのデイブ」は裏庭にいた。カルロッタはシンプソンをそう呼んでいた。すてきな黄昏だった。網戸が開いてカルロッタが出て来たとき、ユージンはこの場面の美しさ、自分の孤独、工場で働いているメンバー、アンジェラなどについて深く考えていたところだった。カルロッタは襟ぐりと袖口に黄色いレースをあしらった、半袖で、まだら模様の青いシルクのホームドレスを着ていた。高い身長とも美しく釣り合っているスタイルのいい体には、滑らかでぴったりとしたコルセットが装着され、後ろで大きく三つ編みにした髪には、茶色いスパンコールの付いたネットがかぶされていた。カルロッタは思慮深く気取らずに振る舞い、自然な感じで無関心に見えた。

 

 ユージンは立ち上がった。「僕はお邪魔ですね。この椅子にいかかですか?」

 

「あら、いいわよ。隅っこのがありますから。でも自己紹介した方がいいかしら。ここには紹介してくれる人がいませんものね。私はウィルソン夫人、ヒバーデル夫人の娘です。あなたがウィトラさんかしら?」

 

「はい、いかにもそのとおりです」ユージンは笑顔で言った。最初はあまり大して印象を受けなかった。カルロッタは優しそうでユージンは知的だと思った……彼の興味を引きそうな女性よりも少し年が上だった。カルロッタは座って川を眺めた。ユージンは椅子に座っておとなしくしていた。彼女に話しかける気分にさえならなかった。それにしても眺めがいのある女性だった。彼女の存在がその場を明るくしたようにユージンには見えた。

 

「ここはいつ来てもいいところよ」ようやくカルロッタが切り出した。「最近、市内はやけに暑いし、この場所を知ってる人ってあまりいないんじゃないかしら。穴場なのよね」

 

「僕は楽しんでいます」ユージンは言った。「おかげでいい静養になっています。あなたのお母さんが受け入れてくれなかったら、どうなっていたかわかりません。僕みたいになってしまうと、とにかく居場所を見つけるのが大変なんです」

 

「健康を回復しようとして随分頑張ってらっしゃるのね」カルロッタは言った。「日雇い労働って大変そうに聞こえるんですけど、平気なんですか?」

 

「大丈夫です。気に入ってますから。仕事は面白いし、それほどきつくはないんです。僕にとってはすべてが新鮮です。だから気楽でいられるんでしょうね。日雇い労働者になって労働者の仲間になる、という発想が気に入ってます。僕が心配しているのは健康を損ねていることだけですから。病気にはなりたくないもんですね」

 

「大変ですね」カルロッタは答えた。「でも、この調子ならおそらく立ち直るわよ。人間っていつも自分の今の問題が最悪だと考える傾向があると思うんです。私がそうですもの」

 

「そう言っていただけると安心します」ユージンは言った。

 

 カルロッタはユージンを見なかった。ユージンは無言で体を前後に揺らした。ようやく夕食の鐘が鳴った。ヒバーデル夫人が階段を下りてきて、二人とも中に入った。

 

 夕食の会話でしばらくユージンの仕事が話題になった。ユージンは、ジョンとビル、エンジニアのビッグ・ジョン、小さなサッズと鍛冶屋のハリー・フォーネスの特徴を正確に説明した。カルロッタは聞いていないようでもきちんと聞いていた。ユージンに関することはすべて彼女にとって珍しい特別なことのようだった。彼女は彼の背の高いやせた体も、細い手も、黒い髪と目も好きだった。朝は労働者の服を着て、昼は一日中工場で働き、夜は食卓にちゃんときれいに身なりを整えて現れるという発想が好きだった。ユージンの態度はのんきで、動作は明らかに無気力だったが、この部屋を満たすある種の迅速な力をカルロッタは感じ取ることができた。これはユージンの存在感を高めるものだった。カルロッタは一目で彼が芸術家、どうみても優れた芸術家だとわかった。ユージンはこれには一切触れず、自分の芸術に話が及ぶとすべて慎重にかわして聞き役に徹した。まるでユージンが彼女や他のみんなを観察しているように感じたので、カルロッタはさらに楽しくなった。同時に彼のことがすごく気になった。「交際するなら理想的な相手ね」とカルロッタは繰り返し考えた。

 

 カルロッタは十日ほど家にいた。ユージンは彼女に三日目の朝以降、夕食だけなら十分に普通だったが、(少し意外なことに)朝食のときにも会った。しかしユージンは彼女にあまり注意を払わなかった。カルロッタはすてきだった。とてもすてきだった。しかしユージンは別のことを考えていた。彼はカルロッタをものすごく感じのいい思いやりがある人だと考えた。そして興味を持って彼女を研究し、どんな人生を送ったのだろうと思いながら、服の着こなしや美しさを称賛した。食事だけでなく他のときに耳にした会話のさまざまな断片から、彼女はかなりうまくいっていると判断した。セントラルパークウェストにアパートがあって、カードの仲間、自動車の仲間、観劇の仲間、いろいろな人たちがいた……とにかく知り合いはお金を儲けていた。ユージンは、カルロッタが鉱山技師のローランド博士や、石炭採掘で成功した投機家のジェラルド・ウッズや、銅鉱山に大きな関心を持ち明らかに大富豪のヘイル夫人について話すのを聞いた。「ノーマンがそういうのに関わって、現金を稼げないのが残念だわ」ユージンはある晩彼女が母親に言うのを聞いた。ノーマンというのは彼女の夫で、すぐに戻ってくるかもしれないことを理解した。だからユージンは距離を置いた……興味がわき、気になったが、それ以上ではなかった。

 

 しかしウィルソン夫人はそう簡単に引き下がらなかった。ある晩、夕食が終わるとすぐに玄関に車が一台、立派な赤いツーリングカーが現れた。そしてウィルソン夫人が気さくに声をかけた。「私たち夕食後にひとっ走りするんだけど、ウィトラさん、一緒に来ない?」

 

 当時、ユージンは自動車に乗ったことがなかった。車が現れたのを見たとき、誰もいない家の寂しい夜が思い浮かんだので「喜んでお供します」と言った。

 

 運転手がいた……茶色の麦わら帽子をかぶり黄褐色のダスターコートを着た立派な人だった。しかし座席はウィルソン夫人が決めた。

 

「あなたは運転手と一緒に座るのよ、従兄弟」カルロッタはシンプソンに言った。母親が乗り込むと、カルロッタがその後に続き、ユージンに自分の右側の席を空けた。

 

「トランクにコートと帽子があるはずよ」カルロッタは運転手に言った。「ウィトラさんにお渡しして」

 

 運転手が予備のリネンのコートと麦わら帽子を取り出して、ユージンがそれをかぶった。

 

「私は自動車に乗るのが好きなの、あなたは?」カルロッタは愛想よくユージンに言った。「とてもスカッとするわよ。この世で気苦労を忘れて一休みできるとしたら、それは高速で飛ばしているときだわ」

 

「僕はまだ一度も車に乗ったことがありません」ユージンは簡潔に答えた。今のユージンの言い方の何かがカルロッタの気を引いた。ユージンが孤独でしょんぼりしているようなので、かわいそうだと感じた。ユージンの気のない態度はカルロッタの好奇心を刺激して、プライドを傷つけた。どうして彼は私に興味を持たないのかしら? 草木の生い茂る小道を走り、丘を登り、谷を下るときに、カルロッタは星明かりで彼の顔を見た。青白く、もの思わしげで、無関心だった。「ずいぶんと思いつめてますね!」カルロッタはたしなめた。「哲学者になったら大変よ」ユージンは微笑んだ。

 

 家に着くと、他のみんなが部屋にさがったのでユージンも自分の部屋に行った。数分後、書斎に本を取りに行こうとして廊下に出たところ、通らなければならないカルロッタの部屋のドアが大きく開けっ放しなのに気がついた。カルロッタはモリスチェアに深々と腰掛けて、両足を別の椅子に乗せ、スカートを少したくし上げて細い足と足首を露わにしていた。動じることなく顔を上げて愛嬌のある笑顔を見せた。

 

「眠るほどの疲れじゃないんですね?」ユージンは尋ねた。

 

「まだまだよ」カルロッタは微笑んだ。

 

 ユージンは階段を下りて、書斎の明かりをつけて、タイトルを確認しながら本の列をながめた。足音がした。するとそこでカルロッタも本を見ていた。

 

「ビール、いらない?」カルロッタは尋ねた。「冷蔵庫に何本かあると思うわ。忘れてたけど、あなた、喉が渇いているんじゃない」

 

「そうでもないですね」ユージンは言った。「僕は飲み物の類はあまり好きではありませんから」

 

「まあ、付き合いの悪い方ね」カルロッタは笑った。

 

「それじゃ、いただきますよ」ユージンは言った。

 

 カルロッタは飲み物とスイスチーズとクラッカーを持って来て、ダイニングルームの大きな椅子にぐったりともたれかかって言った。「よかったら隅のテーブルにタバコがあると思うわ」

 

 ユージンがマッチをすってやると、カルロッタは気持ちよさそうにタバコを吹かした。「友だちや仲間から離れてこんなところにいるんじゃ、さぞかし孤独を感じるでしょ」カルロッタは切り出した。

 

「ずいぶん長いこと患ってますから、果たしてそんなものがいるのかどうかわかりませんよ」

 

 ユージンは自分の想像を交えた病気と経験の話をして、カルロッタは親身に耳を傾けた。ビールがなくなると、カルロッタはもっと飲むか尋ねたが、ユージンはいらないと言った。しばらくしてユージンが疲れた様子で体を動かしたので、カルロッタは立ち上がった。

 

「僕らがこんなところで何やら夜遊びをしているとあなたのお母さんが気を回しますよ」ユージンは切り出した。

 

「母には聞こえっこないわ」カルロッタは言った。「部屋は三階だし、おまけに耳が遠いから。デイブは気にしないわ。今では私のことをよく知ってるから、私がやりたいようにやるってことを知ってるもの」

 

 カルロッタはユージンのもっと近くに立ったが、彼は見向きもしなかった。ユージンが立ち去ると、カルロッタは明かりを消し、彼に続いて階段まで行った。

 

「彼は男性の中で一番の恥ずかしがりやか、一番の無関心ね」カルロッタはそう思ったが「おやすみなさい。すてきな夢を見られるといいわね」と言って別れた。

 

 ユージンはこの時カルロッタを、いい人で、既婚女性にしては少し浮ついているが、それでいて多分用心深いと考えた。ユージンにとって彼女はただすてきであるというだけだった。これはただ単に、まだ彼があまり興味を持っていなかったからだった。

 

 小さな出来事は他にもあった。ある朝ユージンはカルロッタの部屋の前を通った。母親はすでに朝食に降りていて、カルロッタはドアが開いていることに明らかに気づかぬ様子で枕を高くして寝ていたので、滑らかな形のいいむき出しの腕と肩がユージンに丸見えだった。それは完璧な腕だったので官能的に美しいものとしてユージンを興奮させた。またあるときは、夕食直前の夕方に靴のボタンを留めている姿を見かけた。まだコルセットとミニスカートを履いた状態だったので、ドレスが膝まで四分の三ほど下ろされて、肩と腕がむき出しだった。カルロッタはユージンが近くにいるのを気づいていないようだった。ある夜、夕食後にユージンが口笛を吹き始めると、カルロッタはピアノまで行って伴奏した。またあるときは、ユージンがポーチで鼻歌を歌うと、カルロッタも同じ歌を始めて一緒に歌い続けた。ユージンは夜、母親の就寝後にソファのある窓際に椅子を引き寄せた。するとカルロッタがそこに身を投げ出した。「ここに横になっても構わないかしら?」カルロッタは言った。「今夜は疲れちゃった」

 

「どうぞ、喜んでお相手しますよ。何しろ孤独ですから」

 

 カルロッタは横になって微笑みながらユージンを見つめた。ユージンが鼻歌を奏でてカルロッタが歌詞を口ずさんだ。「手のひらを見せて」カルロッタは言った。「さあ、何がわかるかしら」カルロッタは誘惑するように指で触れた。ユージンはこれにも反応しなかった。

 

 カルロッタが仕事の関係で五日間出かけて帰ってきたとき、ユージンは彼女に会えてうれしがった。ずっと孤独だった。そして今はカルロッタがこの家を明るくしてくれることがわかった。ユージンは和やかに挨拶した。

 

「帰ってきてくれてうれしいです」と言った。

 

「本当かしら?」カルロッタは答えた。「信じられないわ」

 

「どうしてですか?」ユージンは尋ねた。

 

「そうね、いろいろな兆候かしら。あなたは女性のことがあまり好きじゃないんだと思うの」

 

「僕がですか!」

 

「ええ、好きじゃないんだと思うわ」カルロッタは答えた。

 

 柔らかい灰色がかった緑のサテンを着た彼女は魅力的だった。首が美しくて、髪がうなじで優雅にカールしていることにユージンは気がついた。鼻はまっすぐで細く、鼻柱が細いので敏感だった。ユージンは彼女を追って書斎に入り、二人はポーチに出た。やがてユージンは戻った……時刻は十時……カルロッタも戻った。デイヴィスもヒバーデル夫人も自分の部屋に下がっていた。

 

「本でも読むとするか」ユージンが漫然と口にした。

 

「どうしてそうなるかな?」カルロッタはからかった。「他にできることがいくらでもあるのに読書なんかやめてよ」

 

「他に何ができるっていうんです?」

 

「あら、いくらでもあるじゃない。トランプ、占い、手相、ビールでしょ……」カルロッタは思わせぶりに相手を見た。

 

 ユージンは窓際のソファと並んでいる、窓辺のお気に入りの椅子のところへ行った。カルロッタが来てソファに体を投げ出した。

 

「お手数だけど枕を直してもらっていいかしら?」カルロッタが頼んだ。

 

「ええ、いいですよ」

 

 カルロッタが動こうとしないので、ユージンは枕をとって彼女の頭を持ち上げた。

 

「こんなもんですかね?」ユージンは尋ねた。

 

「もう一つちょうだい」

 

 ユージンは最初の枕の下に手を入れて、それを持ち上げた。カルロッタはユージンの空いている手をつかんで体を起こした。手をつかむと握ったまま離さず、奇妙に興奮した笑い声をあげた。彼女がしてきたことすべての完全な意味が、いっぺんに理解できた。ユージンはつかんでいた枕を下ろしてじっと相手を見つめた。カルロッタはつかんでいる手をゆるめて、微笑みながら、だるそうに後ろにもたれかかった。ユージンは相手の左の手、次に右の手をとって、その横に腰を下ろした。すぐに片腕をウエストの下に滑り込ませて、おおいかぶさり、唇にキスをした。カルロッタは相手の首にしっかり両腕をからませて、ぎゅっと抱き締めた。それから目をのぞきこんで大きなため息をついた。

 

「僕のことが好きなんですね?」ユージンは尋ねた。

 

「あなたは絶対に応じないと思ったんだけどな」カルロッタはため息をついてもう一度相手を抱きしめた。

 


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